サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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無理無体

大注目の新入生サイレンススズカがそのトレーナーを決めたとあって、界隈はざわついていた。一体どんな奴かとわざわざ部屋までその顔を拝みに来る輩も居る。グラウンドやプールへの移動の度にもじろじろと無遠慮な視線に晒される。そりゃそうだ。なにせサイレンススズカを射止めたトレーナーは、今月入ったばかりのド新人。注目を集めるのも無理はない。むしろ気持ちいいくらいだね。

 

今日もサイレンススズカはグラウンドでスパートのトレーニング。ほかのウマ娘が苦悶の表情を浮かべながらも必死で取り組んでいるのをよそに、ひとりだけ心底楽しそうに直線を駆け抜けてくる。その速さもさることながら、それに対する意識がひたすら前向きなのが末恐ろしい。

 

何本も何本もそうして直線を抜けるサイレンススズカ。私もトレーナーのはしくれだ。速く走るためにはどんなフォームで、何に気を配るかなどは一通り頭には入っている。それを実践できないのが人間という生物の限界なのだけれど。―とにかく、そういうデータと照らし合わせるに、彼女の走る姿は、速さという分野を突き詰めるにはとても効率的だということがわかった。

 

速さにも、純粋に地面を蹴って推進力を得たり、身体の重心を前へ前へと押し出すことで、坂を下るように加速していったりなどその手段は多々あり、サイレンススズカは後者だった。同じ方法を採るウマ娘もそれなりにはいるが、比べてもそれは余りにも異様で、見様によってはいつ崩れてもおかしくない走り方でもあった。

まさに絶妙なバランスでのみ成立しうる最高級の速さ。誰かが下手に触るとそれだけで終わってしまいかねない。

 

 

 

 

 

そんな思いもありつつ好きなようにやらせていると、意外にもその“絶妙なバランス”を崩しかけたのはサイレンススズカ本人だった。

 

 

 

 

 

メイクデビューも迫るある日、いつものようにスプリントトレーニングを積んでいたサイレンススズカ。私はいつものように少し離れたトレーナー控室の軒でパソコンを広げ、同じくしてメイクデビューを飾るウマたちの情報を見ていた。9人立ての5本。サイレンススズカの出番はその3本目にやってくる。同時に走るほかの8人に、彼女に並び立てる者はおそらくいないだろう。それに、先日あれだけ競り合ったタイキシャトルはマイルを走るそうだ。今後同じレースを走ることはおそらく無いだろう。

 

作戦―、といっても逃げているだけなのであったものではないが、それでもペース配分などを考えるのもトレーナーの仕事。そもそも何メートルだったっけ―、というところで、サイレンススズカがこちらに駆けてきた。

 

「トレーナーさん。訊きたいことがあって。」

 

―珍しい。普段好き勝手やっていて、走っている間は誰の言葉にも耳を貸さない彼女が、自らトレーナーのもとに来るとは。

 

「最近、いいようにスピードに乗れないんです。途中まではいつものように加速できるんですが、それより先へ行こうとすると、その想いと実際のスピードとの差がつくようになってしまったんです。」

 

あまつさえ相談事とは。明日は雪が降るんじゃないかしら。―かはともかく、そのフォーム―加速した後のそれを見るために、直線を走ってもらった。

 

 

事実としてまずサイレンススズカは入学時より間違いなく速くなっている。フォームがより洗練されたというのもあるかもしれないが、タイキシャトルと競り合った芝1600もあのときより平均して0.8秒の成長が見えている。ウマ娘の巡航速度で0.8秒は最大で14メートルくらいは開く。本格的なトレーニング無くこれなのだから、本当に末恐ろしい化け物を担当していると思う。

 

それで彼女の走りを見てみる。―確かに終盤、ある速度からの伸びが停滞している。しかしながら、それが今のサイレンススズカの出せるスピードの限界、という可能性も多分にある。それが、気持ちだけ先行してしまって、遅くなっているように思えてしまうのは往々にしてあることで、レース中にも起こりうる心理だ。

 

「どうでしたか?」

 

やはり曇った表情のままサイレンススズカが戻ってくる。やはりタイムは伸びている。速度が上がったからといって姿勢が崩れたわけでもないし、スタミナや筋力による加速の限界でもない。それでも思うように伸びないというのなら、しいて言うならば先走りすぎ、彼女の思い込みによるところが大きいと思う。

しかしながら私もトレーナー。今の彼女がさらに速くなるための走法はすでに考えてある。それを実践するにはもうすこし身体が出来上がってからにしたかったけれど、すでに彼女の意識に身体が付いてこれていないので、精神的なバックアップを図るためにもステップを進めるべきか。

 

要は、“地面を蹴る”ことを覚えるのだ。

 

これまでは、下り坂を転がるボールのごとく重心の力に任せて受動的に加速するだけだったけれど、これに自ら地面を“蹴る”という能動的な加速を加えることによりさらなる高みへと至る作戦だ。より速く、より先へ。サイレンススズカの望んだ世界はそこにあるのかもしれない。彼女は上機嫌でコースへ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難なくその加速をものにしたサイレンススズカはメイクデビューを圧勝。その速さはいきなりG1の旭盃フューチャーステークスへの出走を打診されたくらいだ。コース距離1600は得意距離。ジュニア級で制することができれば歴史に名を残すことになる。快く受けておいた。

 

 

しかし、そのレースを走ることは無かった。あまりにも突然、あまりにも理不尽に、私が担当したサイレンススズカという天才の最後のレースは、メイクデビューに終わった。

 

いつものようにスプリントトレーニングをしている彼女のコースを、ついほかのウマ娘が横断してしまったのだ。ウマ娘一人分よりやや広い幅のレーン。走ってくる栗毛のウマ娘との距離は十分に空いている。そんなところで、ひょいとコースに身体を入れたウマ娘が彼女にとってはあまりにも近かったので、止まることができずそのまま激突。

互いに軽傷で済み、レースに影響はないとみられていたものの、後になってサイレンススズカが苦悶の表情で足首の痛みを訴えてきた。

内出血で晴れ上がったその右足を見て、私は戦慄しすぐに病院へ駆け込んだ。

 

診断は重度の捻挫。幸い骨や靭帯、腱に損傷はなく、ひと月程度安静にすればまた元通り走れるようになるということだった。旭盃は棄権するほかなかった。

 

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