明くる日も、彼女はトレーニングに―、走ることに励んでいた。走ることで肉体が鍛えられ、走ることで体力がつき、走ることで精神を養うことができるそうだ。今の彼女にとって、走ることとは即ち生きることそのものと限りなく近いのかもしれない。
「なあ。」
昨日のことが気になって、思わず何度目かの後ろ姿に向けて声をかける。ぴくりと反応した耳のまま、左回りに反転して彼女は駆けてきた。
「トレーナーさん。何でしょうか?」
少しだけ上気した様子で、彼女は言葉を待った。とはいえ、あれを相談する勇気はわかないし、つい衝動的に呼び止めてしまったのは事実なので、
「―すまない。特に用事は無かったんだ。つい気になってしまって、なんとなく声をかけてしまった。」
と謝らざるを得なかった。
まあ、と彼女は目を丸くした。上の空。文字通り空を見上げれば、目の覚めるような青が広がっていた。
「ふふ、変な人。」
それに怒ることもなく、彼女は微笑んで、再びターフの直線へと駆けていった。
走る。それは私たちウマ娘にとって生きることと同じくらい大切なこと。トレーナーさんが呼吸や食事をするのと同じくらい、私にとって走っていることは普通のこと。そして私は、走ることが堪らなく好きなのだ。
勝つとか負けるとか正直なところどうでもよかった。ただ、私が思う、私の好きな、私らしい走り方ができればそれでよかった。彼の国への留学もそれについてきた結果でしかないと思っている。そこにしがみつきたいわけでもないし、走りで頂点を極めたいわけでもない。
好きで走るのと、勝つために走るのとではわけが違うと自分でも理解している。そして、ほかのウマ娘たちが自分に勝つために、そういうストイックな走りをしていることも理解している。そんな彼女らをスピードの向こう側に置き去りにしてしまうのがとても気持ちいい。一番で駆けていくのが気持ちいい。この景色は誰にも譲りたくない。そんな《走れればいい》という気持ちと《負けたくない》と相反する気持ちに矛盾を感じないでもないけれど、それは私が走りを重ねてきて至ったプライドなのだと称し、表には出さないまでにもそういう気持ちは持つようにしている。
学園を忍び出て夜闇に走る。最初のうちは罪悪感もあったけれど、やがてそれはスリルとなり、気づけばそれも当たり前となっていた。一寸先も怪しい暗闇を私は往く。走ることで、私は生きていると感じることができる。
ひとしきり満足したところで、私は芝の上に座り込んだ。見上げる空は満天の星、ただ静かな闇と光の世界が私を包んでいる。ここには私を縛るものなんて何もない。そっと静かに、けれども確かに、私は私の道を往きたい。