桜が青空に映える4月。緑色の風に誘われて今年も春の天皇盃がやってきた。
クラシックながら昨年のJ-CUPを制した私のスペシャルウィーク。満を持したシニアデビュー戦とあって、客入りはここ数年で一番の賑わい。当の本人は4番人気に収まっているが、他のウマ娘からしても油断のできない存在となっている。
控室で最後の衣装チェックをしてやる。去年のJ-CUPでは上がりきらなかった背中のチャック。今回はどうだろうか。
じぃー、と低い音を立てて、それは端から端まで、ぴっちりと閉じた。
「―よし。今回は最後までチャック上がったね。よく頑張った。」
えへへ、ありがとうございます、とスペシャルウィークは破顔した。大勝負の前に、さほど緊張はみられないようだ。
「いい?あくまで最終目標は大日本ダービーよ。ここで怪我したら目も当てらんないからね。そこだけはくれぐれも注意して。」
わかっています!と両手にぐーを握り、尻尾をぶんぶん振り回している。状態はかぎりなくよさそうだ。
「それさえ気を付けてくれれば―、あとはどうにでもなるわ。行ってらっしゃい!」
パン!とふたりハイタッチを交わし、私はスペシャルウィークと別れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ゴール直前の上り坂のふもと。観客席最前から見る芝は春色に染まり、黄緑色の光を反射させきらきらと光っていた。横でスズカがそわそわしている。
「いくら芝が綺麗でもお前に3200は無理だろ。周りの目もあるから、頼むからこらえてくれ。」
でも、でも見てください。トレーナーさん。あんなに綺麗な芝。きっとまだ誰も走っていないんだわ。気持ちよさそう…。」
走りたい欲求に駆られて横でスズカが震えている。これは駄目だな。天皇盃にスペシャルウィークの偵察に来たつもりが、芝の内覧会になってしまっている。
「あっ、みんな出てきましたよトレーナーさん!」
芝を見ているついでにウマ娘の動きに気づいたスズカが肩をばしばしと叩いてくる。珍しく興奮している。芝の匂いに充てられたのか。
《お待たせいたしました!これよりゲートインとなりますが、改めて私より出走ウマ娘のご紹介を申し上げます!》
わああああ、と歓声が上がり競バ場が震える。パドックでのお披露目はすでに終わっていたが、各ウマ娘ともに喝采で迎え入れられた。
1 トウカイテイオー
2 フリーダムフォーリア
3 モジャモジャヒットギア
4 ビワハヤヒデ
5 スペシャルウィーク(4番人気)
6 アンビシャスユキノオー
7 ミカエリビジン
8 ヤエノムテキ
9 ナリタタイシン(3番人気)
10 ティガアグネス
11 アイシャドウ
12 セイウンスカイ(5番人気)
13 メジロマックイーン(1番人気)
14 グラスワンダー
15 ナリタブライアン
16 シップウドトウ
17 スーパークリーク(2番人気)
18 ライスシャワー
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
他のウマ娘がさっさとゲートインするのを見て、スペシャルウィークはその最後に、威風堂々とした佇まいでその中へと消えていった。狭く暗いゲートの中で、スペシャルウィークは冴えわたっていた。全身から力が湧き上がってくるのがわかる。それを逃がす場所がなくて震えるほどにだ。
がしょん、とゲートが開き、日差しが一斉に差し込んでくる。わっと18のウマ娘たちがゲートを飛び出した。
スタート時点でスペシャルウィークは9番手。前半は平地から下り坂になるので疲労は少ない。しかしながらそれにつられてハイペースにならないようスタミナ管理は求められる。ここからあえて順位を2ほど下げ、全体の流れを掴みにいった。
明確に逃げを打っているウマ娘がいないので必然的に先行策のメジロマックイーンやトウカイテイオーがそのハナを争う。さすがに3200あるためペースは遅い。
停滞した展開にしびれを切らしたか、ライスシャワーが決意の直滑降とばかりに仕掛けるも、バ群を掻き分けるには至らず、結局元の位置に戻されてしまった。
一転して、一度目の上り坂。下りから一気に来る分相対的に辛い箇所。パワーのあるウマ娘ならここで順位を上げることも可能だろうが、見る限りではバ群に変化やざわめきはない。まだお互いに腹の探り合いをしている状態か。
スペシャルウィークは外8から10番手で淡々とレースを運んでいた。誰に引っ張られるでもなく、誰を引っ張るでもない。自分のペースを守り、ラスト360メートルの直線で爆発できるだけの力を溜めながら走っている。
スペシャルウィークは決して頭のいい方ではない。単に頭の良し悪しといっても、勉強のできるできないや世渡りの上手さなど様々だが、彼女はそのどちらもそんなに上手にできるわけではなかった。特にジュニアクラスに属していたときは、レース中常に変わりゆく状況に一歩遅れたり、前のウマ娘のペースアップに釣られて最後垂れたりなどしていまい勝ちきれず、トレーナーは頭を抱えていた時期もあった。
しかし、その才能が開花し圧倒的な差しウマとしての輝きを放ち始めた今のスペシャルウィークは違う。彼女はその能力という絶対的な優位においてのみレースを走りきることにした。つまりは考えるのをやめたのだ。
脚で優っているのならば外から抜き去ればいい。力で優っているのならば内から押しのけていってもいい。とにかく、自分が一番速く走れるようにすれば、結果的に勝っているからだ。同世代―グラスワンダーも、キングヘイローも、セイウンスカイももはや敵ではない。全盛の頃のオグリキャップやタマモクロスらでも今のスペシャルウィークに届くかどうか。唯一視線の先にあるのはサイレンススズカのみ。
内周り最終コーナー。後方に控えていたロードローラーが、ついに始動した。
《さあいよいよ内回り最終コーナー。レースも残り直線を残すのみとなってきましたが!スペシャルウィーク!スペシャルウィークついに動き出しました!最終コーナーかかる前は8から9番手の位置でしたがいつの間にか先頭!なんという差し脚!その差ぐんぐん広がっていますもう5バ身後ろ!この異様な光景にスタンドはどよめいております!》
伸びてゆくスペシャルウィークを誰も捕まえられない。頼みの急坂でも止まるどころか加速する。バ群を破壊し、急坂を破壊し、そしてレースを破壊したスペシャルウィーク。圧倒的1着でゲートを通過していった。
あとからゴールしてきたウマ娘たちは唖然の表情。まさか勝てるとは思っていなかったが、ここまでの差があるのかと絶望する者。それでもなお前を向こうともがくもの。それぞれがそれぞれの道に戻ってゆく。
ざ、ざ、ざ、と数歩で慣性を殺し、指で「イチバン」を作った右手を空に突き上げた。その表情に疲労の色は見られない。まさしく、完璧に仕上がったウマ娘の、あまりにも完全なレース運びだった。