先のスペシャルウィークの走りを称賛する歓声はいまだに鳴りやまない。
3分20秒5。
かの皇帝シンボリルドルフの持つコースレコードにわずか0.1秒まで迫る走り。どよめきと喝采が競バ場を支配する中、ウマ娘たちが地下へと引き上げていく。天皇盃だ。これを獲るためだけに今までのすべてを賭けたウマ娘だって少なくはない。
それを、クラシックあがりのぺーぺーが、まるで赤子の手を捻るかの如くすべてのウマ娘を抜き去り、大差という言葉では片付かない、文字通り《差》を見せつけてきたのだ。昨日まで順風満帆だったのに、今日突然現れた天才にそのすべてをブチ壊されることは往々にしてある。その一方で、圧倒的な能力の高さでレースを制したスペシャルウィーク。自分の道を見つけたうれしさと、これなら負けないという自信に溢れた威風堂々とした立ち振る舞い。クラシックの総大将は今日、日本の総大将となった。
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控室で待つこと十数分。尻尾をぶんぶん振り回しながら私の愛バが返ってきた。―勝ちました!とひと言。笑顔で交わすハイタッチ。乾いた、心地の良い音が響いていった。
「トレーナーさんの言う通り、難しいことは考えずに私の走りを貫くことができました!」
スペシャルウィークの興奮は冷めやらない。自分のやりたいようにやって勝ったレースほど気持ちの良いものはない。頬を紅潮させてぴょんぴょん飛び跳ねている。
「静かにしなさい。言ったでしょう。あんたは今の時点で同世代の他の娘よりひとまわりもふたまわりも完成されてるの。それを活かさない手はないって。」
本当でした!と答えるスペシャルウィーク。これで次―、大日本ダービーをどう走るかも決まった。まあ、向こうも同じことを考えているだろうから、この間に続いてそういうところでの勝負になるんだろう。勝利している実績があるとはいえ、向こうもこのまま終わるとは思えない。そしてそれが二人をさらなる高みへ導いてくれることも自明だった。
「―これでもう、迷いなんてないわね?」
「今の私なら、なんだってできる気がします!」
そう、なら、行ってらっしゃい―とウイニングライブへスペシャルウィークを送り出した。その表情は自信に満ち溢れていて、私も、この娘とならどこまでも強くなれる気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
天皇盃の偵察の帰り。スズカはレースにあてられ燃えてしまい、どうしても走って帰ると聞かずに会場を飛び出してしまった。
気持ちはわからなくもない。
電車に揺られながら、今日のことを振り返る。
スペシャルウィークのあのレース。特別な小細工や駆け引きなど彼女は仕掛けてこなかったし、他のウマ娘も彼女に対しなにかするでもなかった。極端な言い方をすれば、やりたいようにやっていたし、そうさせていたのだ。
そのうえで最終的にはあの大差だ。あいてのやりたいようにやらせて、なお優位に立つ。つまりそれが能力の差ということだ。スズカのようによほど尖った才能を持っているか、シンボリルドルフのように満遍なくズバ抜けている奴らでしか、そういう走り方、勝ち方はおよそできない。そして多分スペシャルウィークにもスズカと同じことが言えるはずだ。あのパワーで、あの末脚で、前に立つもの総てを蹴散らして加速する。スズカと同じくらい尖った、他に並び立てる者が居ないレベルのパワーと末脚。それだけで勝ったのだ。
そしてレース直後の本人の驚いた表情。これは自分自身の速さ、強さに困惑しての表情だったのだろうが、数瞬のうちにこれが自らの進む道と確信し、とても良い顔になった。
自分の道を見定めて彼女は覚醒した。大日本ダービーまで時間は長くないがまだまだ伸びてくるだろう。それもスズカと同じ、あれこれ考えずに能力で圧倒タイプ。純粋な能力での勝負、この間のような最終直線一騎打ちのような展開になるとスタミナやパワーに勝るスペシャルウィークに軍配が上がるのは目に見えている。
それでもスズカが勝つなら… …、
どうすれば… … 、
スパー… …、
距離… … が… …。
《―は、―学園前。トレセン学園前です。降り口は右側になります。お足もとに充分ご注意ください。次は―…》
はっ。
寝てしまっていたようだ。危うく乗り過ごすところだった。急ぎ足に電車を降り、学園の門をくぐる。もう今日は寝てしまおう。そう思いつつトレーナー寮に向かおうとするが、正門の前にウマ娘が二人。話し込んでいる様子が伺える。
部屋の明かりが逆行になって見にくくなっているが、恐らくスズカと―、シンボリルドルフだろうか。
「ああ、トレーナー君。いいところに。」
そのシンボリルドルフは珍しくやや困り気味のようだ。
「あ、トレーナーさん。」
スズカもこちらに気づく。若干上気し、テンションがあがっているのがみてとれる。
「トレーナーさんからもお願いしてください。」
「トレーナー君からも言ってくれ。」
二人の発言―意味は違ってくるが―、同時に口を開いた。
「―わかった。話を聞こう。」
もう気持ちは寝る方にかなり寄っていたが、なんとか平常の状態までより戻した。
「私さっきのスペちゃんの走りを見て燃えてしまったんです。会長さんに明日並走をお願いしているんですけど、なかなか聞き入れていただけないんですよ。トレーナーさんからもお願いしてください。」
「だからいきなり言われても困ると言っているだろう。明日は生徒会の仕事で一日潰れるんだ。前もって言ってくれていれば予定は合わせられるから後日にしてくれ。それに私はすでに競技の一線からは退いた者だ。君と同レベルの走りができるとは思えない。」
仁王立ちで腕を組み目を閉じてスズカを諭すシンボリルドルフ。しかしスズカも引かない。こう言っては何だがスズカは走ること以外にかけてはある程度分別はある方だと思っている。―まあ、この問答の果てにあるものを考えれば、その分別がなくなるのも致し方ないかもしれないが。
ふたりの押し問答を聞いていると、ふいに門が開いた。
「おい貴様ら何をしている!門限外の外出は学園敷地内でも禁止のハズだ!」
騒ぎを聞きつけたのか、エアグルーヴがつかつかとこちらに割って入ってきた。
「スズカ、またお前か。天気の良い夜だ。おおかたまた勝手に走り出そうとしたところをトレーナーと会長に止められていたのだろう?」
私にはわかるんだぞとばかりに、したり顔でスズカを詰めにかかるエアグルーヴ。黙ってれば絶世の美人なんだがなあ。
「違うのエアグルーヴ。聞いてくれる?」
同じくだりが、こんどはエアグルーヴに聞かされることになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「… … … …。」
総てを聞いたエアグルーヴは、なんとも頭の痛そうな表情をしていた。右手を眉間に当て、頭を抱える。いま彼女は必死に頭を動かしているのだろう。親愛なる同期と尊敬する会長。そのどちらの肩を持つべきか。何が一番最適なのか。どうすれば自分が誰からも文句を言われずにこの場を切り抜けらえるか。必死に考えているのだろう。
スズカの希望を叶えつつ、会長にも譲歩した回答、それは―。
「会長。一般生徒―スズカが一般に属すかはわかりませんが―、とにかく、生徒の要望は聞いてやるのが生徒会の仕事ではありませんか?」
予想外の回答にシンボリルドルフは若干たじろぐ。
「そ、それはそうだが、既に私の予定は埋まってしまっていて―。」
「それは私が肩代わりしましょう。」
いよいよシンボリルドルフの目が丸くなった。
「1日くらいどうってことありません。会長は明日は丸1日なにもなしです。久しぶりに、思いっきり芝を走られてはいかがですか。ちょうどよい相手もそこにいることですし。」
い、いやしかしだな、エアグルーヴ。
「いやもしかしもありません。私はもう決めました。―それとも何ですか?七つの冠を戴きし皇帝シンボリルドルフともあろうお方が、デスクワークのしすぎで並走すらできなくなってしまったのですか?」
ぴ き 。
シンボリルドルフの顔が明らかに険しくなった。
「残念でなりません。私の尊敬するシンボリルドルフは、未来あるウマ娘にその圧倒的な走りを見せることすら叶わないなど。もはや見る影もないのではありませんか?」
びきびきびきびきっっっ!!!
J-CUPでナリタブライアンやスズカを恫喝したときよりも怖い顔になっている。般若が浮き出ている。
「よかろう。そうまで言うならば仕方ない。皇帝の走りを見せてやろうじゃないか。―エアグルーヴ。明日の午前中10時から90分はグラウンドを生徒会長権限で貸し切っておいてくれ。」
仰せのままに。と一礼してエアグルーヴは部屋に戻っていった。
「では、また明日。」
シンボリルドルフも引き返していく。こころなしかその脚に稲妻が宿っているように感じた。