なんとかしてゴールし、直後膝に手をついて、ぜえ、ぜえ、とあえぐスズカ。トレーニング以外で、まして模擬レース―、併走で疲弊しているスズカを見るのは初めてかもしれない。汗を垂らし、顔を真っ赤にして、震える膝に、それ以上に震える手を置いて、脳に全身に、足りない酸素を必死で取り込んでいる。
「だ、大丈夫かい?」
あくまで冷酷に徹するつもりだったシンボリルドルフだったが、さすがに心配になったのかスズカのところへ歩み寄っていた。そしてそれがよりスズカに現実を突きつける。今にも倒れそうな敗者と、何食わぬ顔して敗者にまで気を配ることのできる勝者。
生徒会長を呼びつけたくせに惨敗する身の程知らずと。たとえギャラリーがどう思っていようと、スズカはきっとこう思うだろう。
「わ、私は―、はあ、はあ、だ、大丈夫、ふう、ですから。ぜえ、ぜえ、あ、ありがとうございました…。」
いまだフラフラと芯の入らない脚を必死で支え、スズカがよろよろと立ちあがる。思わずシンボリルドルフが肩を貸しかけるが、手で制された。
「ありがとうございます。でも、これ以上の助けはいりません。私も、地に脚つけて生きるウマ娘ですから。」
恐らくこの併走でシンボリルドルフは何かしら伝えたいことがあったのだろうが、スズカが疲弊しすぎていてもはやそれどころではない。芝上の皇帝は直ちに生徒会長の顔に戻り、素早く指示を出して救護の手はずを整えていた。
そのままよろよろと地下通路へ向かうスズカに、その指示を受けた人やウマ娘が群がる。大丈夫ですから、とスズカは一人で歩いているが、明らかに状態は良くない。シンボリルドルフの姿を一目見ようといまだに押し合いへし合いしている奴らの合間を抜け、恐らくこれからスズカが来るであろう、自分の部屋へ急いだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
トレーナー室。スタミナが完全に無くなり疲弊しきったスズカと、何も言えない自分。よどんだ沈黙だけが流れている。
お互いにぼーっと放心しているだけで、さっきのレースの反省は、どちらからとも出てこなかった。良かったとか悪かったとか、そういう話ができるレースではなかった。圧倒的な地力の差。能力という壁。無理やりにでも地に顔を押し付けられたかのような気分だ。
まして“自分の好きなようにさせたうえで最後抜かれる”などという屈辱を大衆の前で味合わされ、スズカの、あくまでも自身に対する怒りは静かに燃え、震えていた。
「―なあ。」
開いた口が、発せられた声が、空しく虚空に消えていく。スズカは、ちらりとこちらを見やる程度にしか反応してくれない。
「そもそも、なんでシンボリルドルフだったんだ?」
そう、反省を強いて言うならば、そもそもの話、挑みかかる相手を間違えたということ。よりにもよってシンボリルドルフに喧嘩を売ってしまったことだ。もしこれがエアグルーヴやナリタブライアンならスズカは問題なく勝っていただろう。
「あのときは気持ちがどうかしていたっていうのもありますけど―、なんとなく、生徒会長さんとスペちゃんの走りは似ているような気がして。」
確かにそうである。シンボリルドルフのあの走りも、余計な小細工は抜きに能力とパワーによってすべてを破壊し散らかして勝利を手にするタイプだ。スペシャルウィークと比べてもいくつか共通点は見つかるかもしれない。
「まあ―、その、なんだ。相手が悪かったな。」
シンボリルドルフは学園の生徒でありながら既に現役を退き、その運営のために日々奔走している。トレーナーとの契約も解消しているようだし、その脚を磨いているふうなことは無さそうだ。しかしながら―、その走りは健在。スズカですら及ばないとなると、果たしてこの学園の中で何人がシンボリルドルフを捉えられるかなどわかったものではない。
「でも―、あんな、ろくにトレーニングもしていなかったようなのに負けるだなんて―。」
走るだけ走ってろくにトレーニングしてなかったのはお前も一緒だろう。
「それでも俺たちのやることは変わらない。そうだろ?―スペシャルウィークが圧倒的な差し脚にモノを言わせて突き進んでくるなら、お前はひたすら逃げるしかない。能力で勝負するってことはそういうことだ。」
結局この併走は、手前らのやるべきことがより明確化した以外に大した収穫もなく、スズカに余計な土がついただけとなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シンボリルドルフに併走で敗北したあれの姿を見て確信した。私のスペシャルウィークは今度も間違いなく勝つ。なんせ、この間の天皇盃ではあれを下したシンボリルドルフにわずか0.1秒のところまで来ているのだ。それもスタミナの調整を間違え、余力が残ってしまった状態で。
3200を余力残して、コースレコードに迫るタイムを叩き出せるわけだ。2400を全力で走ったらもうどうなるかわかったもんじゃない。
そもそもの話で私のスペシャルウィークはシンボリルドルフをも超えかねない差し脚を持っている。シンボリルドルフがその圧倒的な強さで他を踏みつぶして頂に立っているのなら、スペシャルウィークはすべてを破壊し尽くして自分ひとりが残る、オンリーワンでありナンバーワンな走りをするのだ。
あの時のように全身全霊を懸ける必要すらないだろう。いまのスペシャルウィークにとってはあれですら敵ではない。
そして横で見ていたスペシャルウィークも恐らく同じことを思っている。ふたりの走りを見ながら、自分ならどうするか、いつ仕掛けるか、実際にそこにいるつもりで考えを巡らせただろう。
ぴたり後ろに着ける程あれを意識することすら必要ない。最後にまとめて差し散らかす過程であれも一緒にブチ抜いて終わりだ。絶対的な勝利への自信と闘志が、その瞳に紫色の炎を灯す。そしてそれは他のウマ娘の走りを見ることでより強く燃える。
「私も会長さんと併走してみたいです!」
などと宣うばかに、多少なりとも謙遜の心を持たせるべく言ってやる。
「あんたじゃお話にならんよ。帰ってご飯食べてトレーニング!ほら行くよ!」
―果たしてお話にならないのはどちらですかね。学園棟へ駆けていくスペシャルウィークをみながら、ほくそ笑んだ。多分我ながら悪い顔をしている。
もうほとんど間違いない。あれが今日のような走りしかできないのならば、スペシャルウィークがあらゆる面で上回っている。勝てる。ようやく、待ち望んだ時がやってくるのだ。大日本ダービーで完膚なきまでにあれを叩き潰し、私は過去と完全に決別し、この娘だけを見て前に進むことができる。イギリスの切符を手にするのは私たちだ。