サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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最近一周回ってシンボリルドルフよくね???ってなってきています


黄昏にさまよう

スズカの自信を回復する機会はなかなか訪れない。シンボリルドルフとの併走からそれなりに時間が経っても、さらに言えば本番を3日前にして、俺たちは足踏みを繰り返していた。

2400、レースを想定して走る。残念ながらそれ以外にやることが思い浮かばない。

スタミナ自体は問題なく仕上がっているため、休み休みではあるが3本、4本と走ることができるようになってはいるが、タイム自体は伸び悩んでいた。

 

この日3本目の2400。もういい時間なのでこれで今日は終わりにしよう。

 

スタートして300。やはりペースが遅い。数日前から感じていたことだが、何を思っているのか100あたり平均してコンマ2秒ほど遅れて巡航している。ウマ娘の出すスピードにおける0.2秒とは結構な差だ。

巡航速度を40キロだとして、100あたり2.2メートル。おおかた2バ身~3バ身くらいの差が生じている。

走りながらも脳内でシンボリルドルフの影がちらついているのだろう。ペースを落とし、その最後に対処できるだけの余力を残したいのか。―それはもはや逃げという作戦の範疇から外れているが…。

 

そのまま1800をそのペースで走り―、残り600を明らかなハイペースで走り抜けた。タイムはJ-CUPより大幅に遅れている。これではあのときのオグリキャップにすら届いていない。走法を変えたとまではいかないが、やはり差されることを意識してしまいどうしても序盤中盤ペースを上げられない。スズカ本人の様子からして、いまいちしっくり来ていないのがわかる。大一番を前にして、彼女は自分の走りを完全に見失ってしまった。

 

その様子を傍から見て、どう助言したものか逡巡していると、夕日に照らされ伸びる影がひとつ増えた。

 

「―あれからどうだい?」

 

白い三日月が風に揺れる。珍しく笑顔で、シンボリルドルフがこちらにむかって手を振っていた。―なにをさせても様になるな、あれは。

 

「あのとき、スズカ君は疲弊しきっていて、話ができる状態じゃなかったからね。改めて推参したところさ。」

 

それを聞いた俺の顔は少し歪んでしまったかもしれない。

 

「そうかい。あれ以降スズカは自分の走りを見失っちまったよ。今の見ただろ?あれじゃ逃げなんて出来ねえ。あんたを意識しすぎて前半の持ち味が完全に死んじまったんだ。スタート直後に集約されるスズカの持ち味が全く活かせん。」

 

「むう、そうだな…。」

 

三日月を撫でながら考えを巡らせている。

 

「勝つことに固執しすぎているかもしれないな。スズカ君は。自分の持ち味を殺してでも、終盤伸びてくる相手に合わせて無意識に足を溜めに往ってしまう。しかしそのすべてが後手なのでスパートにも出遅れ、結局のところ勝てない。―私のせいでスランプに陥ってしまったようだな。すまない。」

 

「謝ることは無えよ。無理やり併走頼んだのはこちらのほうだ。こちらこそ、余計な心配をかけてすまない。」

 

しかし―、これは困ったものだ。個人的な見解だが“逃げ”という戦術は最も頭を使う必要のないものだと思っている。逃げているから頭が悪いとは言わないが、往々にしてそういうウマ娘たちは、ただただ速く走りたいだけか、中団での駆け引きができないからそうせざるをえないかのどちらかであると思っている。

 

そしてスズカは前者であり後者だ。先天的なものは、そのやたら速い脚と、先頭を獲る(イコール勝利ではない)ことに対する執念、スピードに対する並々ならぬ拘り。そういう意味では前者に該当するが、それであるがゆえに駆け引きを知らず、今こうして苦労しているあたり後者ともいえる。そしてその駆け引きの世界で藻掻く姿が今のスズカだ。

 

耳はへたり、尻尾は垂れ、しゅんとした表情でスズカが戻ってくる。

 

「トレーナーさん、タイムは…。」

 

―変わり無い。J-CUPのときよりだいぶ遅い。それを伝えるとスズカはさらに項垂れた。

 

「す、スズカ君―。」

 

シンボリルドルフが心配そうにスズカに手を添える。

今のスズカは走ることに全く楽しみを見いだせていない。そりゃそうだ。自分の快楽のためじゃなく、レースに勝つために自分を律しながら、思うようにスピードに乗れない走りが楽しいわけがない。―そう走れなくなっている、というのも多分にあるか。

 

「スズカどうした?この間までとぜんぜん走り方が違うじゃないか。お前の持ち味はその逃げ足なんじゃなかったのか?」

 

すみません…、とスズカは耳と頭を垂れる。同じく走りを見ていた皇帝がため息をついた。

 

「私やスペシャルウィークが後半伸びるのを意識して、前半は脚を溜めていたつもりなのかな?」

 

こく、と肯き、スズカはぼそりぼそりと喋りだした。

 

「私の持ち味を活かせていないのはわかっているんです。それでも、あのとき背中に感じた圧力が私の頭を離れてくれません。それを振り払いたくて伸びればJ-CUPみたいなことになるし、かといって後ろに合わせて速度を落としても、終盤巻き返せるパワーが私にはない。伸びるにしろ伸びないにしろ、今の私には勝ちのイメージがどうしてもわかないんです。」

 

なるほどこいつは完全にやられている。横のシンボリルドルフをちょっとだけ鋭い目で睨みつけてやった。

 

「スズカ、お前の強さは何だ?」

 

「私の強さ、ですか?」

 

そうだ。何が好きかどうかはともかく、どうやって今まで勝ってきたのか、もう一度思い出してもらわなければ復調は無いだろう。

 

「しいて言うなら―、逃げて逃げて、そのまま速さだけで勝負していたと思います。」

 

だとしたら、今お前が一番力を出せる走り方は何だ?―続けて問いかける。

 

「…逃げること、でしょうか。」

 

うむ、とシンボリルドルフが肯く。

「そうだスズカ君。逃げというのは本来ならばいつもああやって後ろのプレッシャーに曝されながら往くものだ。序盤からスピードを上げて逃げて逃げて逃げて、終盤へたっても抜き返されないリードを作る。往々にして最も必要とされる能力はその“速さ”だ。君の場合はそれにおいて右に並ぶものは居ないだろう。だがしかし、私も含めて逃げという戦術を採らないウマ娘たちは、速さや瞬発力に劣るぶん、スタミナとパワー、そしてレース勘でその差を詰めてくる。君があのとき差し返されたようにね。しかしそんなことをいちいち気にしていては逃げられるものも逃げられない。後ろの圧ごと遥か後ろに置き去りにするつもりでいなければだめだと、彼のメジロマックイーンは言っていたぞ。」

 

メジロマックイーン。春の天皇盃ではスペシャルウィークに破壊され勝負にもならなかったが、それでも生粋のステイヤーとして名を馳せている一方、逃げを採る際の戦績もなかなかに素晴らしいものがある。

 

「逃げというのは孤独なものだ。一人先頭をひた走り、ほかの連中を引き連れていくのだから。多少の変化で動揺してはいけないよ。寄られて当たり前、詰められて当たり前なんだ。むしろそれらをすべて置き去りにしてしまったほうが、気持ちよくないかい?」

 

「それは―…、まあ、そうですけど―。」

 

うんうん呻るスズカ。尻尾が立ったり萎えたりを繰り返している。

 

「―メンタル面の話はなかなか難しい。今日明日でどうにかしろって訳じゃねえよ。とりあえず今日はもう終わりだ。シンボリルドルフもありがとうな。」

 

帰るぞ、とスズカを促す。皇帝に一礼してから、スズカは後ろをついてきた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

もう陽か完全に沈んでしまった。黄昏を通り過ぎて、紫色からオレンジ色、そしてわずかな空色となるグラデーションに空が染まる。その下をスズカとふたり、芝を踏む。

自分の走りを取り戻せないスズカはやはり沈んでいる。

何も俺の担当はスズカが初めてだったわけではない。学園の職員よろしく、それなりの数のウマ娘の、それなりの数の問題、壁をいっしょに越えてきた経験がある。もちろん、今までにも同じような悩みの相談は受けたし、なんとかしてきたつもりだ。しかしスズカには時間がない。失敗や悠長は許されない。スズカの心を一瞬で奪い去り、また走る楽しみを見つけてもらうのに最適な方法―。

 

「なあ。―今夜、時間とれるか?」

 

きょとんとして彼女は、ええ、と答えを返してきた。

 

「そうか。―じゃあ、フジキセキに夜間外泊の手続きを取っておいてくれ。」

 

ぴくりと、スズカの耳が動いた。ちょっとだけ視線もこちらを向いた気がする。

しばし逡巡ののち、なんとか快諾してくれた。―あの場所へ行くのは久しぶりだが、まだちゃんとその体をなしているだろうか。まあ、なっていなかったらそれはそれで別の目的を達すればいいと思い、トレーナー室に到着するなりベッドに倒れ伏した。

 

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