インタビューが終わった後、自分たちトレーナーはコースの関係者席に通された。ウマ娘へのそれは、勝負服のお披露目の際にマイクに向かって一言しゃべってもらうくらいに収まるそうだ。案内役に連れられてくると、すでにそこは報道とトレーナーとでぐっちゃぐちゃになっていた。
立往生していると、後ろからスペシャルウィークのトレーナーもやってきて、やはり同じような反応を示した。
「―これでは観戦とか応援どころではなさそうですね。」
ええ、と彼女は肯定する。まだ一般席を購入して観戦したほうがいろいろと楽そうだが、ここは最終コーナー手前。観客席から見てもかなり下の、所謂グラウンドレベルに近い位置にある。声は届かずとも、想いは伝わらずとも、ほんの少しだけでも担当と目を合わせるだけで、たったそれだけなのにレースの結果が左右されることは少なくない。
「我々のレースは最後です。他が終わるまで待っていましょう。」
そうですね、と苦笑を交わし、それぞれの控室へ引き上げていった。今日のレースはスズカたちのものを含めて8本ある。なにもその最初からあそこに張っておく意味はないのだ。
薄暗い控室。コーヒーを飲みつつ今日のスポーツ新聞に目をやる。スペシャルウィークの文字と、白と紫のツートンに身を包んだ本人の写真がデカデカと踊っている。さすが1番人気といったところか。スズカはあくまで去年争ったライバルとして記事の中に書かれているだけで、内容としてはひたすらスペシャルウィークの勝利を予想するものだった。しかしながら、出走表を見るに誰も彼も優駿ばかり。スペシャルウィークの脚質的にもそう簡単にいくか怪しいと思われるが、それを覆したのがこの間の天皇盃だ。みなその強さに酔っている。―いよいよ前後不覚になる前に、冷たい水を差してやらなきゃならない。多分それができるのは、シンボリルドルフかスズカだけだ。
今一度、上から順に出走ウマ娘を確認する。
《大日本ダービー 東京競バ場 良 芝2400メートル》
1番 トーセンジョーダン
2番 メジロマックイーン
3番 スペシャルウィーク 【1番人気】
4番 ナリタブライアン
5番 マンハッタンカフェ
6番 サイレンススズカ 【2番人気】
7番 マチカネフクキタル 【3番人気】
8番 ゼンノロブロイ
9番 ゴールドシップ
10番 トウカイテイオー
11番 スイープトウショウ
12番 スーパークリーク
13番 エイシンフラッシュ 【4番人気】
14番 ビワハヤヒデ
15番 マヤノトップガン
16番 ミホノブルボン
17番 ライスシャワー
18番 エアグルーヴ 【5番人気】
まず目を引くのは何といっても7番のマチカネフクキタル。ついに手にした大舞台でのスーパーラッキーセブン。かの皇帝にハナ差で勝ったことがあるとかないとかという噂は本当なのか。彼女の運が試される枠番となった。
続いては5番人気のエアグルーヴ。スズカとスペシャルウィークの影に隠れがちだが彼女も、皇帝と肩を並べられる程の相当な実力者。脚質としてはスペシャルウィークと争うことになるか。
スズカにとってハナを争う相手となりそうなのがセイウンスカイとミホノブルボン。もしかしたらメジロマックイーンもそこに加わるかもしれない。メジロマックイーンはいい。注意しなければならないはミホノブルボンだ。前回の東京でも、スズカを上回る巡航速度であわやレースを支配しかけている。先頭を獲れずに焦り、掛かったスズカは、ほかの凡庸な逃げウマ娘に成り下がってしまう。そのあたりの冷静さは前回なんとか保ったが、今日は果たして―。セイウンスカイは、世代だとスペシャルウィークの次に結果が出ているウマ娘だ。序盤から中盤の逃げと最終コーナーでの加速で他のウマ娘たちを置いてくる走り方を得意としている。スパートのタイムはスズカよりやや遅れるも、その距離はずっと長い。総じてスズカにとってのウィークポイントはそのスタミナということになりそうな感じだった。
しかし、差しから追い込みのウマ娘たちが述べ7、8人は少し多いか。逃げならばともかく、自分と同じような位置にいるウマ娘が多ければ多いほどに隊列は団子状になる。往々にして、そこから抜け出すのは容易ではない。差しに強みがあるスペシャルウィークにとってはいささか不利な条件だろう。とはいえそこから勝ち切る力があってこそあれほどの強さか。
コーヒーをすすりつつ、ついに始まった第1レースをモニタで観戦する。決戦の時間は、足音もなく少しずつ近づいてきていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第2、第3、第4とレースが進む毎に、内のバ場が荒れてゆく。さらに雲行きも怪しくなり、第4レース途中に降り出すほど。これを受けて、第5レースではついに稍重に変わったことが発表された。
走ることにかけてはさほど影響のない範囲だが、バ場の荒れ方がひどくなる為ウマ娘たちはより注意を払いつつ走らなければならない。場合によっては内ラチを諦めざるを得ないこともある。
第7レースが始まったのを見て、控室を出た。外は小雨。もしかしたら重バ場発表に切り替わるかもしれない。脚力に乏しいスズカにとっては非常に走りにくい条件になりつつある。
関係者席に向かうとむしろ人は増えていた。報道陣である。本日のメインレースを前にして、すこしでも良いポジションに陣取ろうとひしめき合っている。どこか座れるところはないものかと目を泳がせていると、奥のほうでこちらに手を振っている女性がいた。―スペシャルウィークのトレーナーである。
「ありがとうございます。」
どうやらあらかじめ2席分を確保しておいてくれたらしい。しかも最前列だ。感謝の言葉を述べ、隣を失礼させていただく。
「もすうぐですね…!私、緊張してきちゃいました。」
事前インタビューであれだけの大見得を切っておきながら何を言うか。
「いや、記者団にあんなこと宣って今更緊張しちゃいますは流石に狡いですよ。」
至極全うな正論である。彼女は口をとがらせて抗議の意を示すが、それ以上は何も言ってこなかった。
《皆様、大変長らくお待たせいたしました。本日の第8レース。メインレースとなります大日本ダービー。出走のお時間でございます。まずは出走ウマ娘のお披露目でございます。中央の小ステージをご覧ください。》
わああああああっ、と怒号のような歓声が競バ場に響き渡る。さすがに緊張してきた。スズカはちゃんとアピールできるだろうか。
《1番、トーセンジョーダン!》
トーセンジョーダンが登壇し、ベールを取り払って自らの勝負服を見せつける。うおおおおおおお、と漢たちの歓声が一部から沸き起こった。
「負けないから!最後まで応援してね!」
くるっとターンを決めるとそのまま降壇し、ゲートへ向かっていった。
《2番、メジロマックイーン!》
これもまた大きな歓声が競バ場を包む。
「盾の栄誉は取り逃してしまいましたが、ここで勝って、私が日本一であると証明してご覧にいれますわ!」
世の中にはどうしても順位というものが存在するために人気度では低いメジロマックイーンだが、普通に考えれば大人気の優駿中の優駿。トーセンジョーダンにも負けない応援の声が、彼女の背中を押した。
《3番、本日の1番人気!スペシャルウィーク!》
直後、それの倍はあろうかというボリュームの声援、もはや地鳴りの類に近いそれが競バ場を揺らした。
本日の1番人気。日本の総大将、スペシャルウィーク。曇天ながら、いつもの勝負服が今日はより映えて見える。その表情は普段のおおらかさやヒトの良さなど全く感じさせない、眼前にあるものをすべて破壊する本人の走りを表すかのように猛々しい。―しばらく仁王立ちのまま動かなかったが、会場がしずまりかけてようやく彼女は口を開いた。
「 私 が 勝 ち ま す ! 」
王者の王者たる宣言はもはやそれで充分だった。最も多くの声援を背負って、今日もスペシャルウィークは走るのだ。
《6番、本日の2番人気!サイレンススズカ!》
それなりの声援に応え、スズカが壇上に現れる。くるっと回って一礼。軽やかなステップは重いバ場でも変わりない。
「どんな環境でも関係ありません。私は私の走りを貫いて見せますが、今日はいち挑戦者として勝利を目指します。よろしくお願いします。」
いつものレースと言っていることは変わらなかったが、勝ち負けについて具体的に言及したのは今回が初めてだ。それだけスズカの中であの敗北や、これまでの経験が響いているということだろう。少しだけうれしくなって、思わず口角が上がってしまう。
「にやけてますよ。」
うるせえ。担当の成長を実感してんだよ。黙って見てろい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
静まり返る東京競バ場。薄い霧雨が体に貼り付き、芝は水滴に濡れる。辛うじて稍重というバ場発表。荒れた内ラチは、どの程度レースに影響を及ぼすのだろう。
ついにこの時がやってきた。大日本ダービー。ゲートインだ。スズカはしばし空を見上げ、意志を固めてから。全体の中では早いほうだ。
マチカネフクキタルのゲートインは前から数えても7番目。開運グッズは―没収されたようだ。しょぼくれた表情でゲートに収まっている。
その後も続々と、各々の意志を決めてからゲートに収まる。それを最後方から仁王立ちでスペシャルウィークが見ている。多分全員が入るまで収まらないつもりだろう。小柄な身体に似つかわしくない、絶対王者の風格を漂わせている。―17番目、ナリタブライアンが収まったのを見て深呼吸。ゆっくりと3番ゲートに消えていった。