サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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栄光への直線

《今年の大日本ダービーもとうとう最終直線に入ろうかというところ!先頭は依然としてサイレンススズカ!追うスペシャルウィークは3バ身後ろ!3番手のマヤノトップガン以降はもう厳しいか!!サイレンススズカとスペシャルウィーク!この2人、3バ身差の一騎打ちだ!!!!!》

最終直線に入ってすぐ、高低差2メートル、距離にして約250メートルの登坂が待っている。スペシャルウィークにとっては、ここで並ぶか、少なくともすぐ背後につくかしなければ、半年前のようにがむしゃらに追いかけるようなことになってしまう。スペシャルウィークの全力は、この登坂に懸けられようとしていた。

 

先頭を走るサイレンススズカも、さすがに後ろの覇気が大きくなりつつ迫って来るのを理解していた。ものすごいエネルギーが、どうしても差し切ってやるという執念が、大歓声を背に自分を追ってくる恐怖。プレッシャー。あのとき感じたもののすべてが、今まさに再現されている。同じ状況、同じ相手に2度も屈するわけにはいかない。

 

「―、負けないッ!」

 

坂路その1歩め。これ以上なく深く強く踏み込んだサイレンススズカは、力の限りを尽くして走り始めた。

 

《坂路に入りましたがサイレンススズカさらに伸びる!半年前の坂路よりも速いタイムです!後ろスペシャルウィークは4バ身まで離れました!!!このまま逃げ切れるか!!!!》

 

スペシャルウィークも黙っていられない。相手がサイレンススズカであるかどうかという以前に、《逃げ》を許さない。許す訳がない。大きく息を吸い、歩幅を狭め、力で地面をえぐりながらサイレンススズカを追う。ここで差を縮めなければ、勝利は約束されない。

 

同時にサイレンススズカもそれを理解している。ここが勝負だ。ここさえ超えられればあとは平地。単純なスピード勝負ならまず負けることは無い。半年前のようなことがなければ。それがわずかな迷いとして頭をよぎる。少しだけ息を入れて、坂路の頂上で並んでから勝負したほうがいいのではないか。平地のスパートは最後まで続くのか。勝利を目指しているが故に余計な考えが頭の中をすこしずつ支配していく。

 

背中の蹄音はどんどん大きくなってくる。その息遣いが聞こえてくるまでもう数秒と無いのかもしれない。時間が無くなるほど、迷いは膨れていく。頭の中を迷いが支配していく。

 

《サイレンススズカ垂れない!!しかしスペシャルウィークもまた伸びていきます最終坂路!!!!4バ身あった差がもう1.5バ身程度にまで縮まっています!!!!スペシャルウィークなんというパワーだ!!!この勢いでサイレンススズカをも捕らえてしまうのかァっ!?!?!?》

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

隣でスペシャルウィークのトレーナーがキャーキャー騒いでいる。それもそうか。自分の担当が名実ともに日本一になるかならないかの瀬戸際だからな。

最終坂路、やはりスズカの全力を以ってしてもスペシャルウィークのパワーには及ばないようで、じわりじわりと差が縮まりつつある。1.7、8バ身といったところか。

 

多分スズカは迷っているだろう。どうせ縮まっている差、数歩だけ息を入れて、頂上で並んでから再スタートをするか、このまま競り合いを続けるか。いずれにせよスペシャルウィークから差されるのを覚悟のうえで決めなければ勝てない。おそらくそれはスズカが、ただ走るだけじゃなく、そこに《勝利》という目標を定めているからこそ、そういう考えが生まれているのだろう。スペシャルウィークは徐々に差を縮めている。並ぶのも時間の問題かもしれない。並ぶまでに動かなければ、スズカの勝利は無い。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

スペシャルウィークの猛追に沸き起こる歓声で頭が割れそうだ。しかしそれでもサイレンススズカは必死に考えていた。

 

どうするっ?!上がってくるのを待つ?!それとも振り切るの?!もう時間がない。このまま日和っていたら中途半端に平地に入ってしまう!

 

 

ふと疑問に思った。

 

自分はどうして今、ここを走っているんだろう。

 

スペシャルウィークにリベンジするため?

 

イギリス行の切符を手に入れるため?

 

トレーナーさんのため?

 

ちがう。多分きっとそういうことじゃない。

 

自分の走る理由。

 

自分がやりたいこと。

 

走れていないサイレンススズカは死んでいるも同じだ。

 

ウマ娘は、サイレンススズカは走ることで生きる。それへの喜びを感じている。

それが走るということにかけてのウマ娘の本能だから。

 

それを理性で押さえつけて、勝つためにいろいろと考えるのがレース。

 

けれど、サイレンススズカが望んでいることはそれではない。

 

 

もっと速く。

 

 

 

さらに速く。

 

 

 

 

もっと遠くへ!

 

 

《サイレンススズカがとうとうその脚を解き放った!!登坂でなおも加速します!スペシャルウィークもついていく!両者ともにここで終わるわけにはいかない!》

 

あれこれ考えるのをやめて、やりたいようにやるため、本能のままに加速するサイレンススズカ。

 

 

ああ、これだ。

 

 

サイレンススズカが失っていたもの。

 

速く、速く、さらに速く。踏み出す脚ごとに加速する悦びに全身が打ち震える。脈打つ心臓が破裂しそうになりながらも、もっと前へ、もっと前へと酸素を滾る血に載せて全身にまわす。すべては自分以外誰もいない、緑のターフと青い空のみに区切られた世界へ入るために。。

 

これこそが、半年前に至りさえしたものの忘れてしまっていた、本来サイレンススズカが見たかった景色だった。

 

それを目指して一歩一歩、芝をより深く、より強く踏みしめてサイレンススズカは進む。

止まない雨が行く手を阻んでも、この本能は消えない。煙る視界も、ぬかるんだバ場も、誰も何もサイレンススズカを止めることはできない。決して後ろは見ない。あとはただ、自身が見たかった世界へ。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

登坂を残り50メートルほど残して加速したサイレンススズカに、スペシャルウィークは驚愕せざるを得なかった。

どうして?!確かにスズカさんには速さはあるけれど、それに力が伴っていないから坂路では加速が鈍るはずなのにっ!

 

さすがに焦ったがすぐに気持ちを取り戻す。いくら伸びたといえど追いつけないスピードではない。それにスパートが掛かった分、平地で垂れる可能性だってある。いつだってスタミナの優位はこちらにあるのだ。

 

《両者坂路を登りきりました!サイレンススズカとスペシャルウィークの差は0.5バ身程!残り直線300メートルがすべてを分かちます!》

 

登り切った!あとは平地!大きく息を吸い、歯を食いしばってスペシャルウィークは加速する。力の限り腕を振り、脚で芝を蹴る。全身全霊を掛けてサイレンススズカを追う。

 

敗けられない。

 

敗けたくない。

 

一度は手が届いた憧れだ。もう一度くらい掴み獲るなど造作もないはずだ。

 

 

 

なのに。

 

 

 

だのに、目の前の憧れは、少しずつ遠のいていく。

 

どんなに腕を伸ばしても、その指にかからない。

 

速い。おそらく自身よりも。絶望が頭を支配しそうになる。それを拒否するかのように頭を振って、ウマ娘の本能のままに加速した。

 

まだだ。まだ、もっと、やれることがあるはずだ。

 

最高速度の向こう側にある不安や焦りを振り切って、前を目指す。あのときサイレンススズカに足りなかった、勝利への執念を全面に掲げて。譲れないモノの為に。どちらかがゴールゲートを通過するまで、次の一歩を諦めたりなんかできない。

 

 

 

《サイレンススズカ!!サイレンススズカだ!!!!!じわりじわりとその差を広げている!残り200メートルにして1バ身!まだ伸びるサイレンススズカ!緑色の風と紫色の流星が1バ身差で激しく争う!》

 

 

 

スピードに乗りながら、サイレンススズカの表情がにわかに歪む。

心臓が破裂しそうだ。もはや息を吸うのもやっと。得た酸素に対して使う量の方がはるかに多い。少しでも気を抜いたら脚が止まってしまいそうなほどに、身体が重たくなっている。

 

けれど、それでも、この景色を1秒でも長く見ていたい。この速さを1歩分でも長く感じていたい。自分が生きている悦びを、幸せを。少しでも長く。

全速力で駆けていることによる高揚と、先を譲りたくないという執念が、サイレンススズカの背中を押す。

 

この先にも、何かがあるはずだ。もうひとつ先へ。まだ速く走れる。どこまでも―ッ!

 

 

《残り100をきったッッ!!両者の差は縮まらない!じわりじわりと広がり1.5バ身!なんという速さ!これぞまさに翠玉色の疾風サイレンススズカ!異次元の逃亡者その名に恥じない圧倒的な末脚!!》

 

 

スペシャルウィークが最後の力を振り絞って前を追う。

 

サイレンススズカも同じくして後ろを振り切る。

 

美しさやかわいさもへったくれもない、ウマ娘としての本能まるだしの走り。地鳴りのような歓声も、もはや2人には聞こえていないだろう。

ゴールまであと何メートルだとか、それすら思考から抜け落ちている。ただ目の前の存在を抜きたい。ただ後ろから逃れたい。両者の思考は、ただただ走ることと、抜くこと、逃げることに支配されている。ここがどこかとか、今なにをしているかとか、そういった思考がすべて取り払われ、純粋に走る為だけに特化していく。

 

ゴールゲートを通過したことにも気づかない2人の戦いは、2週目のコーナーに差し掛かったあたりで飛び出してきた係員によって止められるまで続いた。クッションに激突したのは、スペシャルウィークの方がわずかに先だった。

 




やっと終わりが見えてきました。小説としてのデキとか、面白いかどうかは置いといて、ひとつこうして終わりに導けたのは経験だと思っています。
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