ゴールゲートを通過しても競り合いを止めないサイレンススズカとスペシャルウィーク。どちらかが限界を迎えるまで走り続ける気なのか。それとも本当に気づいていないのか。
二週目の直線をものすごい速さで駆ける二人。
いずれにせよ長距離、長時間の全力疾走は確実によくない。URAの運営は直ちに強制的に停止させるためのクッションをコース上に壁として広げることを指示。両サイドをヒトにより引っ張られた壁の出現にふたりは驚き、衝突を避けるために減速を試みるも、乗りに乗ったスピードは、慣性によりなかなか落ちない。結果として、ほぼほぼそのままの勢いでクッションに衝突。その勢いで両端の支えが外れ、そのままクッションを押し倒すカタチでなんとか二人をケガなく止めることができた。
既に着順は決し、スタンドからは歓声が沸き起こっている。しかし、どちらが先にゴールゲートを抜けたかとかどちらが速かったかとかそんなことはもはや二の次だ。いくら柔らかく衝撃を吸収してくれるクッションとはいえ、全速力のスピードで激突すればたまったものではない。あの速さのままヒトが壁に激突すればどうなるかは想像に難くなく、またウマ娘はヒトにほぼ等しい骨格を形成している。
勢いのままクッションごと押し倒した彼女らはうつぶせになったまま動かない。
「 ス ペ シ ャ ル ウ ィ ー ク ! 」
「ス ズ カ ! 」
横に並んでいたふたり同時に飛び出した。が、結構な距離があったためヒトには難しく、小型の自動車を配備してもらい、それで現場まで赴いた。動かなくてよくなったぶん、こみあげてくるのは焦れる気持ち。ちゃんとうまく収まってくれた。みたところふたりとも減速しようとしていた。ならば、衝突の瞬間にはある程度の心構えというか、余裕ある対応をとれたはずだ。今動けないのは疲労のためだと思いたい。
車がクッションのへりに停まったのを確認するやいなや飛び出し、彼はサイレンススズカのもとへ駆け寄る。
「スズカ!大丈夫かスズカ!」
急いで仰向けに直し、ひざ上に抱きかかえた。栗毛色の少女は苦しそうにはあ、はあと身体で息をしている。
「ぅ… …、ぁ、トレーナーさん…。」
もはや喋ることすら難しそうだったが、それでもなんとかサイレンススズカは彼の姿を認め、微笑んだ。
「よく頑張ったな、スズカ。」
「トレーナーさん… …、私、私は… …。」
「後で話は聞くから、もう喋らなくていい。脚の状態が気になる。控室に戻るぞ。」
そのままスズカを抱きかかえて、さっきの車の運転手にひと言ふた言。自身も乗り込み、選手控室へ退いていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「スペシャルウィーク!」
やや先に到着していたスペシャルウィークのトレーナー。顔面蒼白、大慌てでクッション上でへばっている愛バのもとへ。とりあえず仰向けにしてやると、大の字になってぜえぜえと身体全体で酸素を取り入れだした。
「へ…、へへ…、と、トレーナーさん。」
息が整わないにもかかわらずスペシャルウィークは語り始めた。
「私…、ぜえ、ぜえ、抜き、ましたよ。はあ、スズカさんを…。」
それを聞いたトレーナーの目に涙が溜まった。口を一文字に引き絞り、気を抜くと漏れそうになる嗚咽を必死で堪えている。
「最後の直線が…、いつも、より、長く…、感じました、けど。最後に、並んで、抜いたんですよ私…!」
ついに堪えきれなくなったトレーナーがスペシャルウィークの上半身を起こして思いっきりそれを抱きしめた。
「ええ…、そうね!よく頑張ったわ、スペシャルウィーク…!」
抱きしめられたスペシャルウィークの視界にはちょうど掲示板が入る。疲労と汗でぼやけていた視界が、少しずつ鮮明になり、そこに何が書いてあるのかわかった。わかってしまった。
一瞬、はっと眼を見開いたスペシャルウィークだが、その眼はすぐに涙でいっぱいになった。
「私…、なれましたか…?日本一の…、ウマ娘に―。」
トレーナーの腕に力が籠る。湧き上がる感情の行き場が無い。
「―勿論さ。あんたは…、あんたは、私の、日本一のウマ娘だよ―!」
それを聞いた途端にスペシャルウィークの感情も決壊する。トレーナーに抱きしめられながら、彼女はそのすべてを吐き出した。
《大日本ダービー 左回り芝2400 稍重》
1着:サイレンススズカ 2:22.8
2着:スペシャルウィーク 1
3着:マヤノトップガン 8 1/2
4着:ビワハヤヒデ 2
5着:ゴールドシップ 1 1/2
「もう大丈夫?」
ターフに倒されたクッションの上、泣き散らかしたスペシャルウィークがようやく落ち着いた。
「―はい!泣いたらすっきりしました!」
大丈夫。もういつものスペシャルウィークに戻っている。
「そう。あんたが泣き喚いたせいで時間が押してるのよ。はやいとこライブの準備にむかうわ、いいわね!」
急いで車に乗り込むトレーナーとスペシャルウィーク。その健闘にスタンドからは惜しみない拍手と声援が送られていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
サイレンススズカの控え室に入るなり椅子に座らせ、靴を脱がす。
「脚の様子、診なきゃな。」
はい、と小さく返事するサイレンススズカを見て、そのタイツに手を掛ける。
レース前はするすると履かせることのできたそれも、今は汗を吸い、摩擦でところどころ引っかかるようになっていた。すこしでもそれを軽減したくで、上から巻くようにして脱がしていく。―次第にあらわになっていくサイレンススズカの素肌は、やはりレースで暖められたのか、ほのかに桜色をしていた。
いよいよ蒸れた足先があらわになり、湿度をハナで感じる。両脚をそうしてタイツの締め付けから解放し、手での触診をはじめた。足裏、ふくらはぎ。入念に揉んだり擦ったりして、サイレンススズカに痛みや違和感がないか逐一確めていく。揉みこんでいくたびに、サイレンススズカからは艶めかしい声が聞こえ、体がぴくりと反応する。
すべてを確認するには20分ほど時間がかかった。
「うん、今のところはいいみたいだな。」
ウイニングライブは両者の脚の回復を待ち、本日夜以降という運びとなった。4、5時間ほど空いた為、控室で時間を潰していると唐突に扉がたたかれた。
「―はい。」
「私よ。入れて頂戴。」
思わぬ来客。スペシャルウィークのトレーナーだった。パイプ椅子を取り出し、中に入れる。三人でテーブルを囲むが、今ここを支配しているのは沈黙。時計の針の音だけが、今時が止まっていないことを証明していた。
「―いろいろ、こちらから言わなければいけないことはあるんだけど。」
沈黙を破るスペシャルウィークのトレーナー・が話を始めた。
「まずはサイレンススズカ。素晴らしいレースをありがとう。スペシャルウィークも力をすべて出し切って、納得してるわ。本人は今寝ているから、私からお礼を言わせてもらうわね。」
深々と頭を下げるトレーナー。
「いいえ、こちらこそとても良いレースでした。最高速の向こう側にあるものの片鱗を感じることができました。ありがとうございまいた。」
サイレンススズカと一緒に彼も頭を下げる。
しばらくして顔を上げたスペシャルウィークのトレーナーは、どこか晴れた顔をしていた。
「それだけ言いに来ました。あとのことは今はとりあえずいいです。時間ないのにすみませんでした。では、また後で。」
扉の前で再度一礼し、彼女は廊下の向こうへ消えていった。