陽もすっかり落ち、空は闇に包まれ、大小さまざまな星の輝きが瞬いている。レースからはすでに4時間以上が経過している為さすがにスタンドの観客はまばらになっていたが、こうしてライブの時間が近づくにつれてその密度は上がる。今はレースがはじまったときと同じくらい、もしくはそれ以上の人。それぞれの話し声が合わさりガヤガヤという音が反響する。皆一様に緑色と紫色、オレンジ色その他さまざまなサイリウムを光らせて、今か今かとその時を待ちわびていた。
グラウンドにはステージが設置され、ライブのリハーサルが行われている。これもまた色とりどりのスポットライトが明滅しながら泳いで、レーンに載せられたカメラが、ディレクターによって押されたボタンに反応してステージのへりを横切っていったり来たりしている。
様々な色が交錯しあい、白い光が反射する競バ場は、この世たらぬ雰囲気を感じさせる。
その光を、バ場、そのセンターステージへ続く地下通路から見ているモノたち。打ちっぱなしのコンクリートで作られたそれは、初夏の夜の空気をさらに冷たくしている。
「きれいですね―。」
色とりどりに、きらびやかに変化し続ける光を見つめるサイレンススズカ。ステージの光は、その横顔をも美しく照らしていた。
「―何度も繰り返して申し訳ないけど、脚は本当に大丈夫なんだな?」
かなり無理をさせた。走行距離は実質2700メートルほど。過走行もいいところだった。もともとサイレンススズカの走り方は、いつかタマモクロスに指摘を受けたように、“速さ”に特化しすぎている故に危うい。今回だって、あきらかに彼女の身体能力を超えた速度が出ていたのは間違いない。
「心配いりませんよ。あなたのサイレンススズカは無事に帰ってきました。」
膝をつき、脚を凝視していたトレーナーの頭に手が置かれる。手袋越しにもその温もりは伝わってきた。見上げた表情は慈愛に溢れ、淡く照らされた美しい栗毛と翠玉色の双眸につい見とれてしまった。
「―そうだな。いつもすまない。」
謝られることなんてありませんよ、とサイレンススズカはくすりと笑った。
「迷惑をかけているのは、いつだって私でしたから。」
そんなことないさ、―と土をはらい立ち上がる。
「確かに色々なことがあった。正直しんどかったこともあった。けど、その先にお前が―、スズカがいると思えば、どんなことだって前向きになれたさ。」
思いがけない言葉に目を丸くするサイレンススズカ。
「私も。―私も、トレーナーさんがいたから、ここまで来れたのかもしれません。」
サイレンススズカは立ち上がった彼の両手を取った。あっけに取られて彼女の顔をつい凝視してしまったが、気恥ずかしくなってすぐに視線を逸らしてしまう。
「だから、本当に感謝しているんですよ、トレーナーさん。…今更言葉にするのも気恥ずかしいですけど。」
ゆっくりと視線を戻すと、サイレンススズカはじっと彼を見つめていた。
無言。
目まぐるしく変わる光に照らされ、二人は無言で、その瞳と瞳で意思を伝えあう。心と心の会話に、言葉などいらないのかもしれない。普段とは違う、今だけの、ふたりだけの時間が、夜の地下通路に美しく照らされていた。
「サイレンススズカさん、―そろそろ。」
後ろからスタッフに声を掛けられ、二人の心はそれぞれに戻った。
レースに出たウマ娘全員で1曲。そしてサイレンススズカがソロでもう1曲。前者はあらかじめ定められた候補のなかから選ぶカタチになっているが後者は自由だ。極論、時間内であれば、公序良俗に反しない限り何をしてもいいことになっている。
「どうするんだ?」
どうしても気になったので尋ねてみた。
「あまり動かなくていい曲を選んだつもりです。全員で歌う曲は―、まあ、ある程度までは仕方ありませんけど…。」
そうか、とひとまず胸をなでおろす。
「センターでのウイニングライブは半年ぶりだな。楽しんで来い!」
サイレンススズカはその言葉にわずかはにかんで、光の中に消えていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
本日のセンターの登場に、スタンドは沸き上がる。2着のスペシャルウィーク、3着のマヤノトップガンに迎え入れられて、センターサークルへと歩みを進めた。
「こんばんは。」
もはやその一挙手一投足ごとにあがる歓声。会場のボルテージは既に最高潮だ。
「今日は応援ありがとうございました。サイレンススズカです。―この位置に立つのは秋の天皇盃以来ですね。」
おめでとオォー!という叫びにも似た声が一部から響く。聞こえたかどうか、サイレンススズカの眉尻が下がり、わずか苦笑した。
「走ることに集中しすぎて、こちらに割く時間があまりとれなくて、もしかするとちょっと失敗しちゃうかもしれませんが、精いっぱい歌います。」
頭を下げると同時に曲が掛かる。サイレンススズカ以外の―、バックダンサーのポジションにあるウマ娘たちがイントロに反応して先にダンスをはじめた。さっきと同じように、色とりどりのスポットライトが泳ぎ始め、白いステージが染まるのは極彩色。唄い揚げるは本能。速さという際限のないものを求め続ける己を鼓舞し支える杖であり柱であり、それは自分自身の心の内でもあるかもしれない。
誰より今 強く駆け抜けたら
一番先で笑顔になれる
本能スピード 熱く身体を滾ってく
もう何も恐れないで
限界なんて必要ないの
最速の私になって
見果てぬ世界 超えて行け
激しい、身を削るようなレースの直後で脚の状態が気になる割にはアクティブなダンスだった。無事に唄いきった彼女らを称えて、歓声と共にスタンドのサイリウムが揺れる。
余韻もそこそこに、バックのウマ娘たちが退場していく。ある者はにこやかに手を振りながら。ある者は悔しさに唇を絞りながら。ウイニングライブの華やかさとは真逆の、勝負の世界、現実がそこに垣間見えた。
3着のマヤノトップガンがステージを去り、スペシャルウィークとふたり。この座を―、もっと先にあるものを争い、史上まれにみる死闘を繰り広げたもはや終生のライバルであると同時に、切っても切れない固い絆で結ばれている。その裏には、いいこと悪いこと、大小さまざまな偶然、めぐりあわせ、そして戦いがあった。今となれば―、否、今だけは、ライバルでもなく後輩でもなく互いに対等な“友”としてステージ上で向かい合うことができる。
「私ホントは2000メートルくらいが一番走りやすいんです。」
会話を拾われないようにスペシャルウィークが話しかけてくる。
「だから、次は見ていてください。必ずゴールゲートを潜る前に差し切ってみせます!」
どこまでも純粋に澄んだ紫色の瞳に、ほのかに上気した肌。きっとこの娘は、まだ強くなる。それこそサイレンススズカでも怪しくなるくらいには。
「ええ、―待っているわ。たまにはマイル帯にも来て頂戴ね。」
「そ、それは流石にお断りですかね…。」
どちらからともなくひしと抱き合い、“約束”を交わす。彼女たちにとってこれは2度めの約束だった。
「じゃあ、行きますね。」
「ええ。―スペちゃん、ありがとう。」
健闘を称える声に応えながらステージを後にするスペシャルウィーク。それが闇に消えるまで、サイレンススズカは視線を逸らさなかった。
スペシャルウィークがついに見えなくなり、ライトが一度落とされる。暗黒の夜の世界に突然連れ込まれた競バ場。光にあてられて気づかなかったが、空には満点の星がきらめいている。今のサイレンススズカにとっては、この景色こそがすべてなのだ。
―そっと瞳を閉じ、深呼吸。意を決して、ステージのセンターへ歩み出す。
パッ、と、サイレンススズカだけを照らすスポットライト。それも薄く照らされているので、夜闇に浮き出ているようで、幻想的で美しく、見るものすべてが息を呑んだ。
―ギギギギ…。―ギギギギ…。
ネジを―、ぜんまいネジを巻きなおす小気味よい音がスピーカーから聞こえてくる。
それに合わせて少しずつストリングスの旋律が増えていく。今のこの夜空のように静かで、はかなく、どこか悲しげで、でもかすかに温かみを感じる、そんな旋律。
星が、空が、風が。きっとサイレンススズカは、夜学園を飛び出す度、これを感じていたのだろう。その胸の内に秘めていたモノを今初めて、歌というカタチでトレーナーに、スタンドのファンに、他のウマ娘に。打ち明けるのだ。
―Silent Star―
作詞/Cygames 作曲/田中秀和 唄/サイレンススズカ
星の海が広がる空 静寂だけが満ちていった
優しい夢くれる光 安らぐ刻をくれた闇
この世界は美しいの 見て…
一番星は夢運んで 星座は幸せを語って
煌めきにあふれた景色 誰にも等しく微笑んで
優しい人が泣いています
どうして そんなにも悲しいの
その優しさ どうかあなたの心のため とっておいて
ひとり見上げた夜空 ただ静かな世界
縛るものなど何もない 心は自由だから
誰のためでもなくて 自分のために
星に向かって 歩いて行こう
そっと静かに そっと確かに 輝く Silent Star
空が白に染まっていって 一つ一つ星が溶けた
ざわめきだしめぐる世界 気づけば何も見えなくなった
強い光の中に 深い影は生まれる
時に人は 人の群れの中で 孤独に耐える
優しい人が笑ってた
どうして それなのに苦しいの
無理に笑うことはないよ
心のまま 生きていいの
前を見て進む時 誰もみなひとりだ
決して流されることなく 自分の速さでいい
やがてまた夜が来て 星が生まれて
新たな光 見つけられる
きっと未来で きっと待ってる 輝く Silent Star
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
《July 21st. Finally, the day has come to see the best races in the world. King Arcadia VI and Queen Diamond Stakes. Your dream, and my dream, run through 2400 meters of grass. There was an announcement that the condition was good riding ground. Who is your dream? Is it “Admire Vega”? Is it “Formula Fable”? …My dream is Silence Suzuka from Japan. Her legs are said to be the fastest in Japan. She fought it on the big stage of the world and came to prove it.》
有マ記念なぞ足元にも及ばないような盛り上がり。コンクリート造りの地下通路がびりびりと震えているのがわかる。横でたたずんでいるサイレンススズカも、にわかにひきつった表情。
「緊張しているか?」
さすがに、と苦笑するサイレンススズカ。
「世界を舞台に緊張しない訳がありません。―ですが、それ以上に楽しみです。私の走りが、どこまで通じるのか。…トレーナーさんも、がちがちですよ?」
「ああ、もう、気が気じゃねえや。」
もういちど、サイレンススズカの手を取り握る。
「頑張って来いよ。応援してるからな。」
ええ、ありがとうございます。
トレーナーの手を離れ、サイレンススズカはグラウンドへ駆けだし、通路を照らす光の中に消えていった。
誰よりも速く、誰よりも遠くへ。そのスピードに幾人もの夢を載せて。誰も追いつけない、誰にも捕まえられない異次元の逃亡者は翠玉色の疾風。
そのウマ娘の名は、サイレンススズカ。
栄光よ、永遠なれ。
―完―
終わった!終わった!やっと終わった!
ジャパンカップまでにするはずだったのになんか伸びちゃったけどちゃんと終わった!よかった!!!!!
十万字超えるものを書いたのは今回が初めてだったので前後で設定や背景が破綻して前を修正することとかかなりありましたが、今の時点ではちゃんと統合がとれていると思います。
これを書いている途中に他の方々の作品を読ませていただいたりして、自分の表現力の至らなさを痛感しているところです。そんなにもかかわらず最後まで読んでくださった方に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。