サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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奔走

「おおい、スペシャルウィーク!もういいでしょ!門限も近いよ!」

学園外のグラウンドで今日丸一日走りっぱなしのスペシャルウィークに、ついぞしびれを切らして彼女の担当トレーナーは声をかけた。

 

「―いいえ!まだ…、あと一本!あと一本だけお願いします!」

もうどれだけ走っても一緒だ。今のヘロヘロのスペシャルウィークでは満足なタイムも出せなければ、怪我のリスクも高い。大きく肩で息をして足元もおぼつかないのに、顔だけは鬼の形相を崩さない。

日を追うごとに練習の密度と強度が上がってきている。しかしそれは、同時に彼女の身体を追い詰めていることにもつながっている。今日だって2400メートルを12本も全力で走ってなお、次へ行こうとしているのだ。

レースまで残り数日。どんなに坂道を走ったって、どんなにタイヤを引いたって能力の上昇はほんの誤差範囲でしかない。

 

「落ち着きなって。もうレースまで時間がないの。下手に追い込んで怪我でもしたらどうするつもり?」

スペシャルウィークは大きくかぶりを振って反論してきた。

「いいえ走ります!これじゃ足りないんです!今のままでは―。」

 

今のままでは追い付けない―、か。確かにそれはそうだが、作戦を変えると話は別だ。次のJ-CUP、スペシャルウィークは先行で走らせるつもりでいたが、先日のヴィットール女王杯の差し脚を見て確信した。

この娘の末脚は日本のどこを探しても見つからない一級品だ。あれを含め、ラストスパートの爆発力でこの娘にかなうウマ娘は少なくとも国内にはおるまい。

スペシャルウィークに最も適している脚質は《差し》に他ならなかった。これなら、彼女が目標としているウマ娘を捉えることができるやもしれない。

 

「だめ。帰るよ。」

 

鬼気迫る表情で走り出そうとするスペシャルウィークを強引に制し、担ぎ上げて車に押し込む。もともと人間より筋力の高いウマ娘だ。ほんの少しだけでも抵抗すれば容易に振りほどけただろうに、あきらめたということは、こちらの意図も多少はわかってもらえたのだろう。ぷう、と頬を膨らませて不貞腐れているが、車を出して十数分もすると早くも寝息を立てていた。

「ん…、もう食べられないよ…」

 

帰ったらたらふくニンジンを食わせてやるからね。今はしっかり休んで、スペシャルウィーク。

 

車が学園に着く頃には、スペシャルウィークの機嫌はすっかり直っていた。

「それでは、トレーナーさん、また明日、よろしくお願いします!」

た、た、た、と彼女は中へ駆けていく。レースまであと数日。あとはどこまでその刃を研ぐことができるかだ。自身もトレーナー室へ戻るため、車に乗り込んだ。

 

車は裏口まで回らないと停めることができない。必然的にグラウンドのそばを通ることになる。もう結構な時間―、門限などとうの昔に過ぎているというのに、グラウンドに人影があった。

 

ここからではいささか遠くてよく見えない。目を凝らそうとしたが、走り出したとたんに分かった。爆発的ながらもスペシャルウィークのような重さを感じさせない軽やかな加速。一切無駄のないコース取り。伸び続ける脚。

自身の担当ウマ娘、スペシャル―ウィークが憧れてやまない速さが、夜のグラウンドを駆けていた。

 

グラウンドと道路を隔てるフェンスギリギリに車を止め、様子をうかがう。あれはすぐに周回を走ってきた。

「門限、とうに過ぎてるんだけど。」

その言葉とともにライトで照らしてやると、あれがびくっと立ち止まる。

「担当ウマ娘の夜泣きも管理できないなんて。あの人はどこで何をしているのかしら?」

今度は車を横に着けてやった。

「スペちゃんの、トレーナーさん。こんばんは。いい夜空ですね。」

あれは車内を一瞥したが、すぐに走り出す体制をとりだした。

「待って。待って。―待ちなさい。門限を破ってグラウンドを走るウマ娘をトレーナーとしては見過ごせません。見なかったことにしてあげるから、すぐに戻りなさい。」

少々不服そうな表情が見て取れるが、あれは「わかりました。」と一言、学園まで駆けて行った。

 

 

 

 

私が夜風に当たりながらランニングをしていると、一台のバンがグラウンドの近くへやってきた。気になるけれど、私のこの時間を邪魔させはしない。なんのことはなく加速する。誰も見ることのできない、私だけが至れる世界への扉が、もうすぐ開かれる。

そんな時だった。

突然背後から車のライトで照らされ、つい驚いて立ち止まってしまった。

「門限、とうに過ぎてるんだけど。」

 

おそらく車の中であろう、聞き覚えのある女性の声がする。

「担当ウマ娘の夜泣きも管理できないなんて。あの人はどこで何をしているのかしら?」

ライトを点けたまま、車は私のほうへにじり寄ってくる。その運転手は、私のよく知る、スペちゃんのトレーナーさんだった。

 

「こんばんは。いい夜空ですね。」

今はライバル同士だし、とくに面白い話があるわけでもないし。私は再び駆けだそうとした。―、車はそれを許してはくれなかった。

 

「待って。待って。―待ちなさい。門限を破ってグラウンドを走るウマ娘をトレーナーとしては見過ごせません。見なかったことにしてあげるから、すぐに戻りなさい。」

本当は、嫌です、走ります、と答えたかった。このまま走り出して夜風と星空を満喫したかったが、すでにほかのウマ娘のトレーナーに見られている。これが学園に流布されたり、トレーナーさんに知られたりすれば、私はどうすればいいのかわからない。少しだけ逡巡して、トレーナーさんに迷惑をかけたくないという思いで、私は学園へと駆けだした。

 

途中、トイレに起きてきたか知らないけど、マチカネフクキタルに会った。

「―あっ!」

マチカネフクキタルは私を呼び止めてこう叫んだ。

「トレーナーさんが専用室でお待ちですよ!トレーナーさんの部屋に向かってください!」

 

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