サイレンススズカ、翠玉に疾う   作:橋本みちか

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邁進

―必ず勝ちます。ですから、私を、J-CUPで走らせてください。―

 

本気の闘志が籠った彼女の瞳を見るのは初めてかもしれない。彼女にとって、レースとはあくまで彼女の欲求―、走りたいという気持を埋められていればそれでいいような節が見受けられていた。彼女の世代だけで考えると、互角に戦えるウマ娘が誰一人としていないことも、その要因の一つとして数えられると思う。

 

だが今回は違うようだ。後輩に見せたい自分の全力。後輩に感じさせたい壁。そして初めて感じた、特定のだれかに勝ちたいという気持ち。闘争心。クラシック級の総決算として選んだこの場所で、彼女は歴史を刻み、その翼を広げきってしまうだろう。

あとはそれを支えてやるのが、トレーナーとしての仕事だと思った。

 

 

 

 

 

 

日中の活気からは想像もつかない、しん、と冷たい空気の張り詰めた早朝の廊下。静かに、理事長室の扉を開いた。

「歓迎!君がここに来るのを待っていたぞ!」

早朝の理事長室ではあったが、秋川理事長はいつもと変わらぬ可愛いらしいお姿でそこに鎮座されていた。

「事前の連絡もなしに申し訳ございません。―シンボリルドルフとエアグルーヴを呼び出して戴けますか。」

承知ッッッ!!!!と、理事長はすぐに専用マイクから彼女らを呼び出した。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、理事長。」

呼び出された二人は、さっきまで寝ていたなどとはとても思えないパリッとした格好と態度でやってきた。

「歓迎!早朝からすまない!そこのトレーナー君から話があるそうだ!」

シンボリルドルフはあくまで平静を装っているが、エアグルーヴがかなりキツい視線で睨んでくる。そのあたりが副会長なのだろう。

 

「―それで?いちトレーナーが我々生徒会と理事長まで巻き込んでわざわざ早朝にしなければならないお話とはなんだ。」

言葉にまで棘がある。シンボリルドルフが制してこないあたり、腹の中ではあれもそう思っているのかもしれない。

「時間が時間ですので申し訳ないとは思うのですが―。多分時を逃すと話しづらくなってしまうかなと。」

―はあ?貴様何を訳のわからないことを―エアグルーヴが三たび刺してくるが、今度は理事長が制止に入ってきた。

「まあまあ、いいではないか。彼もきっとどうしても今だというわけじゃなかったんだろう。きっと、話す勇気がなくなってしまう前にここに来たのではないのか?」

おおむねそんなところだったので、頷いておく。

「―たわけが。なら最初からそう言え。」

幾分柔らかくなった雰囲気のエアグルーヴが、腕を組み膝を組みソファに座りなおす。―さっきからひしひしと感じている視線は誰のものだろうか。シンボリルドルフだ。相変わらず、迂闊に合わすとぶっ飛んでしまいそうな恐ろしさを秘めている。

 

 

「―それで?話とは、何だ?」

なんとなく察しがついているだろうシンボリルドルフは、つとめて冷静に、事を運びに来た。やはり彼女が口を開くだけで空気が張り詰めるのを感じる。並みのトレーナーやウマ娘なら委縮しかねない。―自分自身もかなり委縮しているのだが。

 

「理事長含め、皆様が頭を悩ませておいでのJ-CUPについてです。」

興味ッ!続けたまえ!

いちいち扇子に文字を書いてはひけらかすので、一日に何本の扇子を消費するのだろうか非常に気になる。

「今回は、基本的にウマ娘の願望を叶えたいというスタンスをとられている理事長すら、それがまかり通らない程に難しい話でした。様々な懸念事項があり、その可否が及ぼす影響はあまりにも大きい。我々の脚がすくんでしまうのも無理ありません。判断を間違えるわけにはいきませんから。」

―ああ、そうだ―

エアグルーヴが再びつっかかってくる。

「だからこそ我々は、貴様の担当ウマ娘の将来、ひいては学園の未来を考慮し、徒に敗北のリスクをとる必要は無いという結論に至ったのだ。」

ええ。確かにそういう話もお聞きしましたとも。―だが我々は一つ、可能性を捨てていた。起こりうる結果としては数えられていたものの、誰も選ばなかった可能性だ。

「それについてなんですが―。」

 

 

「J-CUPへの出走は変更ありません。そして―、勝ちます。無敗は守ってみせます。これなら誰からも文句の言われようがない。我々はこの可能性を無意識に捨てていたのです。」

 

エアグルーヴの顔が明らかに歪む。

「貴様、まだそんな世迷言を言っているのか!!J-CUPにはシニアのウマ娘も出走する。実力も経験もあれより上の奴らだ!そんな中で先頭を―、一着を獲るなんて、できるわけがないだろう!!」

正直勝ち目の無い話をするのは胃が痛むし、特にエアグルーヴの圧が凄まじく、逃げ出したくなる。それでも、逃げ出したくなるたびにあの双眸を思い出す。多分、彼女が見ていてくれる限り、彼女が傍にいてくれる限り、自分は何度でも、どんなに折られようと立ち上がることができるのだと思う。

 

「これまで彼女はレースの勝利に対する執着というものがありませんでした。ただ彼女は気持ちよく先頭を走っていただけ。前に立つ者の存在を許さなかっただけです。それがどうでしょうか。今の彼女は明確に勝利への執念を燃やし、これまでにないハイペースでタイムも縮まっております。私にできることは、それを信じるだけです。」

 

目を閉じて話を聞いていたシンボリルドルフが、こちらを向いた。

 

「J-CUPは、その次に開催される有マ記念とほとんど同じレベルの国内最高峰レースだ。当然ながら、出走するのは国内最高峰レベル実力を誇るウマ娘たちから選ばれた優駿たちばかりだ。―私もジュニア級に属していながら出走したが、やはりジュニア級よりクラシック級、クラシック級よりもシニア級のウマ娘のほうが色々と仕上がっている。私もちゃんと勝負に絡めたのはシニア級のときだけだった。君の担当ウマ娘はシニア級相当だが、これは距離適性においても同じことが言える。私でも無理だったのだ。クラシック級ウマ娘の優勝記録など無い。いくら逃げても後ろから捉えられるリスクは山ほどある。それでも君は―、君たちは往くのか?」

 

さっきも理事長には申し上げたが、ここまで来たら自身にできることは彼女を信じることくらいだ。具体的にできることなどない。―生徒会長は静かに座りなおした。

 

「―と、言っているが。どう思う?」

 

―長考ッ!しばし待たれよ!―

理事長は顔が真っ赤になるまでうんうん唸ったあと、目を開いて言った。

 

「―承認!よかろう!君たちのJ-CUP出走を正式に許可しよう!!」

理事長が決定なさった。

 

ガタガタッ!―それに動揺し、椅子が揺れる音がふたつ聞こえた。

「な―っ、り、理事長、御気は確かですか!奴の主戦場はマイルはですよ?!中距離を走るには身体も脚も出来上がっているわけがない、勝てるはずがありません!」

異議を申し立てるエアグルーヴをシンボリルドルフが制する。

「やめろエアグルーヴ。理事長の御決定だ。私たちがとやかく言えることではない。」

し、しかし―ッ。なおも食い下がろうとしてくる。

「そうだ!理事長である私の決定だ!これに対して君たちはこれ以上何も言うことはなかろう!!!!」

 

それを聴いたエアグルーヴは顔面を紅潮させ、理事長室を出て行ってしまった。

 

「不安!エアグルーヴ君には悪く思われてしまったな!」

シンボリルドルフが横で微笑む。

「エアグルーヴには私から言っておきます。誤解も解いておきますので、理事長の御心配に預かる必要はございません。」

私も失礼します。とシンボリルドルフも理事長室を後にした。

 

 

 

―さて。君に話がある。

理事長の目はいつになく真剣に光っていた。

 

「祝福!まずはJ-CUPへの出走、おめでとう!」

あなたはどちらかというと止める側でしたよね。

「それも含めてだ!我々の制止よりも取りたいものを見つけたんだろう!いいことではないか!」

おそらくこの人にはすべてお見通しなのだろう。全く、偉い人というのはわからないものだ。

「それについてだが―。今の君は、理事長の命令に逆らってまで自分の担当ウマ娘のレース出走を強行した、といわれても何らおかしくはないし、今はそういわせてもらう。無論、一着でゴールできるなら我々は何も言わん!好きなようにやってくれたまえ!肝心なのは、それが叶わなかったときに、どう振る舞うかだが―。… … 君は、理事長である私の命に反してまで自分の担当をレースへ出した!一着を獲った場合に限りそれに関する違反行為はすべて水に流す!もしそうでなかったら―。」

 

ぞわり、と背筋に悪寒が走る。

 

「心配無用!そんなに固くならないでくれ!君のトレーナーとしての才覚は私も評価しているんだ!そうやすやすと辞めてもらうわけにはいかない!この学園の幹部は私だけではない。それら全員に納得させるだけの《担保》が必要だ!だから私はこのレースの結果に《私の首》を賭ける!」

 

一瞬、理事長が何を言っているのか理解できなかった。

「最終的に君を送り出したのは私だ。ということは、君の担当ウマ娘がJ-CUPへ出走することを決めたのも私だということになる!組織のトップがその権限のもとで許したことだ!有事の際はそうしたものが責任をとるべきだと思わんかね?」

 

確かにそれはそうだが、言い出したのは自分自身だし、彼女の望みを聴き、我儘を押し通したのも自分自身だ。やはり自分にも責任はある。断頭台に向かうのは理事長ではなく自身のはずだ。

 

「正解ッ!君が担当ウマ娘の想いを聴き、私が君の想いを聴き、事を進めたのだ!君は何も心配しなくていい!今できることを精一杯やり抜いてくれ!」

 

これはまた重いものを背負ってしまった。肩の重みがずん、と増すのを感じる―物理的に増えたわけではない―。その重みを、力に替えなければならない。速さに替えなければならない。―理事長に深く一礼し、返した踵に理事長が語り掛けてきた。

 

ただし―。

 

 

 

「本当に、頼むぞ?」

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