【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも― 作:裕ーKI
一:らしからぬこと
ユキジョロウとの戦いから5日が過ぎた。
その日、小宮香 狐夏は1人、東京へと向かう新幹線の中で激しい焦燥感に囚われていた。
重苦しいほどの不安と焦りが、狐夏の心を苛んでいる。
東京に到着するまで、あと1時間。
しかしその1時間がやたらと長く感じる。
乗車している新幹線の速度は、時速300キロ以上だというのに。
だが今の狐夏にとっては、それでも遅すぎるほどだった。
とにかく時間が惜しい。
もし叶うなら、瞬間移動で今すぐ目的地に辿り着きたい気分だった。
狐夏が東京を目指す理由はハッキリしている。
東京都葛飾区柴又。その町中にある“たちばな”という甘味処に用があるのだ。
勿論、その店の名物であるきびだんごが食べたいからとか、そういう呑気な理由ではない。
表向きはただの茶店である“たちばな”だが、しかしその裏の顔こそが、関東地方の鬼たちを束ねる、猛士関東支部の拠点となっていた。
狐夏の目的はただ1つ。
猛士関東支部に所属している、ヒビキという名の鬼に会い、そして彼の力を借りること。
彼の力ならきっと、愛する師匠を――フブキを救うことができるはずだから。
〇
現在、フブキの心はゆっくりと凍りつきつつある。
純白の清き心が漆黒の氷に少しずつ覆われていき、彼女の胸の内から温もりが奪われようとしていた。
フブキが危機的な事態であると判明したのは、ユキジョロウ退治から2日後に行われた、猛士東北支部の定期会議がきっかけだった。
総本部からの通達の共有。出席した鬼たち1人1人の活動報告。今後のローテーションの相談。等々と、初めは支部長の進行の元、会議は淡々と進められていた。
そんな中、狐夏が取り逃がしたユキジョロウの童子と姫の一件が議題に上がった時、事件は起きた。
会議に出席していた鬼の1人――トキと呼ばれる青年が、必要以上に狐夏を非難したのだ。
たかが童子と姫も始末できないとは情けない。
それでもフブキの弟子なのか。
遊び半分で鬼の仕事に首を突っ込むな。
お前の尻拭いをさせられて、今も探索活動を続けている仲間が不憫で仕方ない。
などと、ここぞとばかりに罵詈雑言の嵐を浴びせてきた。
トキは人を護る音撃戦士としては珍しいほどに気性が荒く、短気な性格だったが、それに加えて、彼はどういう訳か狐夏を目の敵にしていた。
その明確な理由を、支部長をはじめとする猛士東北支部の者たちはよく知らない。しかし、会議のたびに悪態の餌食となっていた狐夏にはおおよその見当がついていた。
いつだったか、フブキが正直に話してくれた。
狐夏がフブキの弟子となり、猛士の一員となる以前、フブキとトキは肉体関係を持っていた。
とはいっても、それはロマンティックな意味などでは決してない。
過去に数度、フブキは一方的に彼の欲望の捌け口にされていたのだ。
フブキに対して爛れた執着心を持つトキからしてみれば、ぽっと出の狐夏がある日突然フブキの弟子となり、彼女と親しくしている事実が許せないのだろう。
実のところ、トキの狐夏に対する仕打ちは、子供染みた逆恨みに過ぎない。
だが、その日の彼の非難は、道理の上では十分筋が通っていた。
狐夏自身もそのことを理解していたからこそ、悔し気に唇を噛みつつも反論することができなかった。
すると、いつもなら語気を強めて庇ってくれていたフブキが、その時は何も言わずに席を立った。
狐夏の傍を離れ、僅かにふらついた足取りでトキの元へと歩み寄った彼女は、そして次の瞬間――彼の顔面を思いっきり殴り飛ばした。
魔化魍との戦闘以外では、決して拳を振るわないフブキが一方的に人を傷つけた。
その事実に、会議室は一瞬にして静まり返った。
「フブキてめぇ……一体なんのつもりだ……」
座っていた椅子から転げ落ち、殴られた頬を押さえながら、トキが絞り出すようにして問う。
だが、そんな彼を見るフブキの目は恐ろしいほどに冷ややかで、瞳孔の奥には狂気じみた赤い光が僅かに宿っていた。
「うるさい……。おまえなんか……ころしてやる……」
引き寄せられるように、フブキの足はさらにトキへと踏み出す。
フブキから醸し出されていたのは、フブキのものとは思えないほどの異常なまでの怒り――いや、最早それは、彼女の宣言通り殺意も同然の威圧感だった。
明らかに様子がおかしい。正気には見えない。
普段と全く違うフブキの態度に、漠然と激しい不安に襲われた狐夏は、咄嗟にフブキを羽交い絞めにしてその暴挙を止めに入った。
「フブキさんやめてッ! やめてくださいッ! 一体どうしたんですかッ!?」
狐夏のその言葉に、フブキはハッと我に返った。
全身の力が抜けると共に、纏っていた殺意が瞬時に霧散する。
「こな……つ……。僕……今……何を……」
消え入るような声で呟きながら周りを見ると、仲間たちの呆然とした視線が自分に集まっていることに気づいた。
拳が解けた右手はジンジンと痺れ、眼前には頬を押さえながら床に座り込んでいるトキがいる。
「……え? あ……ッ!?」
そこでようやく、フブキは自分が何をしたのか理解した。
刹那に押し寄せてくるのは、猛烈な後悔と罪悪感。
「ご、ごめんトキくん! こんなつもりなくて……!」
反射的に謝罪の言葉を述べながら、すぐにトキを気遣うようにその傍らにしゃがみ込む。その瞳からは、いつの間にか狂気の光は完全に消え失せていた。
「ホントにごめん! 僕、君になんてことを……」
しかし当然納得できないトキは、立ち上がった後もフブキを睨み続ける。
「ふざけやがって……。これはアレか? “いつぞや”の仕返しのつもりか?」
「いや、そんなこと……。違う、違うんだ……」
怒りが収まらないトキの恨み言に、フブキは否定の言葉を口にするが、トキは聞く耳を持たない。
すると、埒が明かないと悟った支部長がトキの文句を遮り、2人の間に割って入った。
「待てトキ! お前の恨み節は後回しだ!」
「あぁ!?」
不満げに顔を歪めるトキを他所に、支部長は冷静な物腰でフブキと向き合う。
「フブキ、お前一体どうしたというんだ? 何かあったのか?」
支部長が訊ねると、フブキは珍しく覇気のない様子で首を横に振った。
「僕にも……よくわかりません……。ただ……、ここへ来てからずっと……胸の騒めきが止まらなくて……」
そう言いながら、フブキはベージュのニットセーターの上から自分の胸元に手を置いた。
そこはまさに、ユキジョロウとの戦いの際に黒い氷柱が突き刺さった箇所だった。
フブキと支部長のやり取りを見守っていた狐夏は、フブキのその仕草を見て再び胸騒ぎを覚えた。
今にして思えば、会議室に来てからのフブキはどこか様子がおかしかった。口数が少なければ笑顔もなく、それどころか、妙に苛立っているようにさえ見えた。
らしくない。
それがその日、フブキに対して狐夏がずっと抱いていた印象だった。