【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも― 作:裕ーKI
状況をいまいち飲み込めていないヒビキに、狐夏はこれまでの経緯を語った。
5日前――いや、6日前に自分たちが遭遇した、ユキジョロウという冬の魔化魍の存在。
そいつとの戦いが、全ての始まりだったこと。
ユキジョロウの攻撃が原因で、師匠のフブキが呪われてしまったこと。
呪いに浸食されている今のフブキは、徐々に人間らしさを失っていること。
フブキの呪いを祓うには、ヒビキの鬼火の力が必要であること。
それ故、その協力を仰ぐために、自分はヒビキに会いにここまで来たのだと。
「なるほど……」
先刻までの温和な雰囲気から一転、ヒビキは真剣な面持ちで狐夏の話に耳を傾けていた。
「人の心に干渉する攻撃……。その黒い氷柱って奴を溶かせるのが、俺の炎だけってことか……」
「はいっ! ですから……できれば今すぐにでも、ヒビキさんには一緒に来てもらいたいんですっ! 急がないと……早くしないとフブキさんが……!」
最愛の師匠を想うあまり、胸の内に抱えていた焦燥感をいつの間にか漏らしてしまっていた狐夏は、気づけばヒビキに詰め寄りながら懇願していた。
ヒビキはそんな狐夏を宥めるように、彼女の頭の上に軽く手を乗せる。
「まあまあ。ちょっと落ち着けって」
不意に覆い被さった逞しく大きな掌に、狐夏は思わず口を噤んだ。
赤くごつい異形な見た目とは裏腹に、手の内から伝わる温もりは、まるで陽だまりのように温かい。
不思議と心が安らいでいくのを感じた狐夏は、ヒビキに言われたとおり、昂る気持ちを静めて落ち着きを取り戻した。
その様子に安心したヒビキは、狐夏の頭に預けた手を引っ込めてから話を続ける。
「狐夏の事情はよくわかったよ。大変な事態なのも、時間がないことも十分理解した。お前がフブキのことを、どれだけ大切に思っているかってこともな」
「ヒビキさん……」
「勿論、力を貸すのはやぶさかじゃない。フブキを助けたいって気持ちは、俺も同じだからな。ただ……今はどうしてもタイミングがな……」
「タイミング? タイミングってどういう――……あっ……そっか……」
ヒビキの言葉の意味を、狐夏はハッとなって理解した。
この状況を、迂闊にも今更になって理解した。
そもそも、ここへ来る以前から少し考えればわかることだった。いや、考えずとも、同じ鬼の立場として、当然の如く想定しておくべきことだった。
フブキのことばかりで頭が一杯で、
フブキを救いたいという気持ちばかりが先行して、
完全に失念してしまっていた。
今のヒビキは、まさに魔化魍退治という任務の真っ最中。
童子と姫は倒したらしいが、最大の標的であるヤマビコの具体的な居場所は、未だ判明していない。探索範囲の拡大も、まさにこれからといった状況だった。
そんな彼を、現場から無理やり引き離すことなどしていいはずがなかった。
そんな軽率な真似、許されるはずがなかったのだ。
ヤマビコを野放しにしている状態で、もしそんなことをすれば、間違いなく麓にある集落が甚大な被害を被ってしまうのだから。
同胞の危機と罪なき人々の命。
鬼の使命に従順な者ならば、きっとわざわざ天秤にかけるまでもないのだろう。
従順な者、ならば……。
先刻、未だヒビキがヤマビコ退治を完遂できていないことを京介は何故か喜んでいたが、今の狐夏の気持ちは、それとは完全に真逆のものだった。
ヤマビコが健在であるこの状況が、ただただ恨めしくて仕方ない。
思い通りに事が進まないこの現実が、とにかくもどかしくてたまらない。
「ごめんなさい、自分勝手なことばかり言って……。でも……どうしても諦められないんです……! 本当はこんなこと……考えること自体許されないんでしょうけど……、正直言うと私……名前も知らない他人の命なんかどうだっていいんです……! フブキさんさえ無事でいてくれたらそれで……」
ヒビキの煮え切らない返事に、1度は肩を落とした狐夏だったが、しかし食い下がるように再び顔を上げて、懸命に訴えかける。
だが同時に、我ながら馬鹿だとも思った。
いや、きっと馬鹿では済まない。
鬼としても人間としても最低な失言だと、我ながら幻滅した。
その上、所属する支部が違うとはいえ、大先輩であるヒビキに向かって何てことを口走っているんだと、言ってすぐに後悔もした。
小さな溜息と共に、ヒビキが不意に背を向ける。
まるで自身の表情を隠すかのように。込み上げてくる怒りを堪えようとしているかのように。
少なくとも、狐夏の目にはそう見えていた。
自分の言葉に幻滅したのは、恐らく自分だけじゃない。
この人もさぞかし幻滅したのだろうと、狐夏はヒビキの背中の前で項垂れる。
すると、遠くを見るように視線を空に上げたまま、ヒビキは静かに口を開いた。
「確かに今のは……勢いとはいえ褒められる発言ではなかったな。お前の師匠もそれを聞いたら、きっと悲しむんじゃないか?」
その声に狐夏が顔を上げると、ヒビキの肩ごしの視線と目が合った。
「そうですね……すいませんでした……」
狐夏は親に叱られた子供のように、バツの悪い顔を浮かべながら謝罪する。
「まあ……ああ言いたくなる気持ちも、わからなくはないけどな」
「いえ、私が未熟なんです……。本当は割り切らなきゃいけないのに……」
「確かに鬼としてはそうかもしれないけど、簡単に割り切れるなら、人間苦労はしないだろ? そうやって頭よりも心で動くのは、寧ろ人間としては当然なんじゃないか?」
「当然……なんでしょうか?」
「俺はそう思うけどな。心があるから、俺たち人間は人間でいられる。でもだからこそ、どんな時でも清い心でいられるように、常日頃から強く鍛えておく必要があるんだ。穢れた心に身を任せれば、それは時として、人の道を踏み外してしまうきっかけになりかねないからな」
ヒビキの話を聴いて、それはまさに現在のフブキの状況に通ずることだと狐夏は思った。
清き存在であり続けるために必要なフブキの心は、きっと今こうしている間にも、着々と黒く穢れ続けているはずなのだから。
もしこのまま放っておけば、ヒビキの言うように、いずれフブキは人の道を踏み外してしまうかもしれない。
その片鱗を、既に“仲間への暴挙”という形で目撃している狐夏は、ヒビキの言葉を重く受け止めていた。
「やっぱり一刻も早くフブキさんの呪いを解かないと……手遅れになる前に……」
「ああ、助けないとな……必ず」
狐夏の方へと向き直ったヒビキは、彼女の気持ちを察したように力強く応えた。
「でも……ヒビキさんは一緒には来れないんですよね……?」
「残念ながら今すぐはな」
「じゃあどうしたら……。いつ見つかるかもわからないヤマビコが退治されるまで待つなんて、そんな余裕……私にはないですし……」
「ああ、わかってる。せめて京介が今よりももう少し実力があれば、代わりに現場を任せて一緒に行けるんだけどな」
そう言って、ヒビキが京介をチラリと見ると、京介は自信ありげに眉を吊り上げた。
「俺ならできますよ! もう十分一人前の鬼ですから!」
「本当に一人前な奴は、自分でそういうこと言わないぞ、京介」
その一言に即座に諭され、京介の自負心は一瞬にして沈黙した。
隣でしゅんとする弟子を尻目に、ヒビキは狐夏に視線を戻す。
その表情には、秘策ありと言わんばかりの笑みが浮かんでおり、不思議に思った狐夏は小首を傾げた。
彼女の不審に応えるように、ヒビキは告げる。
「確かに今、俺は一緒に行ってやれないけどさ。でも要は、俺の力がフブキの元に届けばいいってことだろ? なら持っていけよ、俺の力」
「え……」
ヒビキの突然の言葉に、狐夏は理解が追いつかなかった。
「持っていけって……どういう意味ですかそれ……」
「どうって……言葉通りの意味だよ。フブキを救うために、俺の力をお前に託すってことだ」
「いや……ですからどうやって……」
狐夏の疑問を他所に、ヒビキは京介に尋ねる。
「京介、お前今……陰陽環持ってるか?」
「え……陰陽環ですか? それは勿論持ってますけど……」
物怪顔の京介は、言われるままに上着のポケットから深緑色の石を取り出した。