【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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五:せいぎのみかた

 朝のバス停は通勤ラッシュの影響もあって長い列ができていた。

 

 会社へ向かうサラリーマンやOLたち。登校中の学生たち。

 

 数多くの人々が、標識の傍で整然と並んでバスが来るのを待っている。

 

 黒のパンツスーツに身を整えたフブキもその1人だった。

 

 今現在の自分の不安定な精神状態では、車やバイクの運転は危険だと自己判断したフブキは、徒歩と路線バスを使って勤務先の大学へ向かおうとしていた。

 

 あと数分ほどで、乗車予定のバスの到着時刻となる。

 

 バスを待っている間、フブキはずっと携帯電話を開き、ただひたすらに狐夏のデジタルフォトばかりを眺めていた。

 

 血塗れの自室で目覚めた早朝、ほんの一時とはいえ、狐夏の存在を忘却してしまっていた事実が、あまりにもショックで受け入れられなかった。

 

 もう2度と、同じことは繰り返したくなくて……。

 

 瞳に焼き付けるかのように、記憶を繋ぎ止めようとするかのように、一心不乱に画面を熟視していた。

 

 しかしそうしている間も心は決して穏やかではなく、その表情には色濃い影が差していた。

 

 画像に向いた瞳の上では、時折ピクピクと眉根が寄る。

 

 携帯電話を握る手は、やはり小刻みに震えていた。

 

 近くに鬼の気があろうとなかろうと最早関係ない。

 

 フブキの心は常に騒めき続ける。

 

 もうそれほどまでに、黒い氷柱が齎す症状は悪化の一途を辿っていた。

 

 せめて胸奥に渦巻く苛立ちが表に漏れ出さないようにと、フブキは静かに耐え忍ぶ。

 

 縋るように携帯電話を握りしめ、まるで周囲から流れ込んでくる視覚や聴覚、嗅覚といったあらゆる情報を遮断するかのように、画面越しの愛弟子の笑顔だけに、意識の大半を集中させていた。

 

 現実逃避も同然なのは十分自覚はしていた。

 

 悪足掻きに過ぎないと頭ではわかっていた。

 

 だがそれでも構わないとフブキは思っていた。

 

 今の自分にできることはただ1つ。狐夏が帰ってくるその時まで、とにかく持ち堪えることだけなのだから。

 

 ところが、そんなフブキの抵抗を断ち切るかの如く、バスが到着するよりも先にトラブルが起きた。

 

 

 

「いやぁああああああああああ!! やめてっ!! 返してぇ!!」

 

 

 

 突如轟く、女性の大きな悲鳴。

 

 その瞬間、バス停に並んでいた人々が、ほぼ一斉に何事かと顔を上げた。

 

 現実に引き戻されるように、反射的に携帯電話から目を離してしまったフブキもまた、同じように声がした背後を振り向いた。

 

 するとその視界に飛び込んできたのは、自分の後ろで列を作っていたOLの1人が、戸惑い絶叫している姿だった。

 

 

 

「ひったくりよぉ!! 誰か捕まえてぇ!!」

 

 

 

 オレンジ色のロングヘアを振り乱しながら叫ぶOLの視線の先には、いかにも怪しい挙動で列から離れていく、1人の男の背が見て取れた。

 

 しかもその男の手には、明らかに女性モノであるショルダーバッグが握られていた。

 

 即座に状況を理解したフブキの中で、悪を許さぬ正義の意思に火が灯る。

 

 人として、鬼として、悪事を見過ごすわけにはいかないと、心が叫んだ。

 

 彼女の足は、迷うことなく列を抜けて、男の後を追いかけていた……。

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 OLから奪い取ったショルダーバッグを抱えたまま、男は直近の曲がり角を右に曲がり、バス停からは視認できない通りへと逃げ込んだ。そして、人目を避けるため、古びた地下道へと通じる階段を勢いよく駆け下りていった。

 

 男の思惑通り、出口へと続く灰色の通路に人影は見当たらない。

 

 通勤ラッシュの時間帯とはいえ、やはり近寄りがたい雰囲気を醸し出した場所には、人はあまり近寄ろうとはしないのだろう。

 

 男は素顔を隠す目的で身につけていた、ニット帽とマスクの下で安堵の表情を浮かべる。と同時に、警察沙汰になる前にできるだけ距離を稼いでおこうとも考え、急ぎ足で地下道の中を駆け抜けていく。

 

 まるで己の心境を表しているかのような、テンポの速い足音が律動的に反響して耳を打つ。

 

 息を切らしながらも、通路の半分まで差し掛かったところで、出口から差し込む朝日の光が視界に入った。

 

 その陽射しが近づくにつれて、男の足は自然と早まっていく。

 

 ところが次の瞬間、男は急ブレーキをかけるかの如く、ピタリと立ち止まった。いや、立ち止まざるを得なかったのだ。

 

 なぜなら何の前触れもなく、まるで行く手を阻むかのように、いきなり正面の出口から吹き込んできた強烈な突風に煽られ、その身を打ち据えられてしまったのだから。

 

 しかもその風は、ただの突風ではなかった。

 

 細かい氷の粒を含んだそれは、肌を刺すほど異常に冷たく、そしてナイフのように鋭い、まるで吹雪のような寒風だった。

 

 男は思わぬ障害にたじろぐばかりで、その場でただただ身を震わせ、顔を背け続けることしかできなかった。

 

 やがて凍みるほどの強風が治まり、地下道に静寂が戻ると、男は呆然とした表情で正面の出口を見上げた。

 

 視線の先では、地上から差し込んだ眩い陽射しが、相変わらず出口の周りを明るく照らし続けていた。

 

 僅かに見える空模様は雲1つ無い快晴。天気が荒れた形跡など微塵もなかった。

 

 ならば今の寒風は一体何だったのかと、男は不可解そうに目を細める。

 

 するとその時、不意に背後から声がした。

 

 

 

「ねえ……」

 

 

 

 それはゾッとするほど艶っぽい、吐息交じりの声音だった。

 

 まるで耳元で囁かれたかのような感覚に、男の心臓がドキリと跳ね上がる。

 

 すぐさま振り返り、声の正体を確かめようとはしたものの、その体は思うように言うことを聞かなかった。

 

 背中に刃物でも付きつけられているかのような緊張感に襲われ、神経が硬直して動けなくなっていたのだ。

 

 だがそれでも、男は意を決して――というより、半ばやけくそに顧みた。

 

 正体不明のプレッシャーなどに臆してたまるかと、捨て鉢気味に振り返った。

 

 刹那、その目に飛び込んできたのは、黒のパンツスーツを身に纏った中性的な顔立ちの女性だった。

 

 

 

「こいつ……いつの間に!?」

 

 

 

 男は戸惑いながら不思議に思った。

 

 声を掛けられるその瞬間まで、背後に人の気配など一切感じなかった。

 

 音が反響しやすいこの空間の中で、後を追ってくるような足音は1つも聞こえてはこなかった。

 

 自分の足音は、ここへ来るまでうるさいぐらい響いて耳を打っていたのに……。

 

 まるで先刻の寒風そのものが、背後で人の形を成して今、目の前に立っているかのように男には思えていた。

 

 そうして男が狼狽える中、黒のパンツスーツ姿の女性――フブキは、徐に不敵な笑みを浮かべる。

 

 

 

「それ……返してくれるかな………?」

 

 

 

 そう言いながらゆっくりと持ち上げた手で、男が抱えていたショルダーバッグを指差した。

 

 人差し指をピンと伸ばした彼女の手は、すっかり震えが消えて、至って平然としているようだった。

 

 今のフブキにとってその震えは、言うなれば抵抗の証――フブキがフブキであり続けるために、心の荒波に必死に歯向かっていたという、確かな証拠でもあったというのに……。

 

 

 

「さっき……バス停にいた女の子から盗んでたよね、そのバッグ……。僕が代わりに返しといてあげるよ……」

 

「はあ!? 何言ってんだ! てめえには関係ねえだろうがッ!」

 

 

 

 男がありきたりな言葉で虚勢を張る中、いつの間にかフブキの体には、白い靄が纏わりついていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 その白い靄は、宙を漂い、地下道全体へと見る見る充満していく。

 

 そしてそれは、瞬く間に濃霧へと変わり、出口から差し込んでいた陽射しさえも遮ってしまった。

 

 薄暗さが一気に増し、どんよりと曇った通路内の温度は急激に下がっていく。

 

 まるで地下道一帯が、巨大な冷凍庫にでもなったかのようだった。

 

 

 

「無駄な抵抗はやめた方がいい……。素直に罪を認めて、バッグを返した方が身のためだよ……」

 

「なんだ偉そうに……! てめえみたいな女1人に、俺が怯むとでも思ってんのかコラァ!」

 

 

 

 吐く息が白く染まるほど、強烈な肌寒さが男を襲う。

 

 地面の上を流れる冷気に絡みつかれて、足首の感覚すらも怪しくなってくる。

 

 ガタガタと全身を身震いさせながらも、しかしそれでも男は強気の姿勢を崩さなかった。

 

 目障りと言わんばかりに振り上げた拳は、今にもフブキの顔に叩き込まれようとしている。

 

 だが、それがフブキに届くことは決してなかった。

 

 ショートヘアの黒髪の隙間から覗く、()()()に睥睨された男の拳は、さながら蛇に睨まれた蛙のように動かなくなっていた。

 

 どんなに力を込めたつもりでも、その腕は一向に前には進まない。

 

 彼女と目を合わせているだけで、寒くて仕方ないというのに、額から不快な汗が滲み出てきてしまう。

 

 男はようやく気がついた。

 

 自分が、眼前の女(フブキ)に射竦められてしまっているということを。

 

 彼女の赤い瞳から醸し出される、心臓を鷲掴みにされているかのような威圧感に、本能的に怯えてしまっているということを。

 

 

 

「チッ……。なんだってんだよ、こいつ……」

 

 

 

 その場の空気に耐え切れなくなった男は、逃げるように踵を廻らせた。

 

 後先も考えずに、力任せに体の向きを反転させ、出口に向かって一目散に走り去ろうとした。

 

 ところがその瞬間、男はその場で派手に転倒した。

 

 

 

「うおぁッ!?」

 

 

 

 まるで足がもつれたようにバランスを崩し、一歩も踏み出すこともできぬまま、白く染まった地面に向かって倒れこんだ。

 

 その拍子に、抱えていたショルダーバッグが男の手から離れ、地面に放り出される。

 

 無様に横たわる男の背を眺めながら、フブキはクスクスと笑う。

 

 

 

「ほら? だから言ったのに……。無駄な抵抗はやめた方がいいって……」

 

 

 

 男は慌てて起き上がろうとするが、しかしどんなに両脚を動かしても、思うように下腿が立つことはなかった。

 

 バタバタとしつこく両脚を振り乱しているうちに、やがて男は自覚する。

 

 自覚した瞬間、思わず愕然となり、悪足掻きをピタリとやめた。

 

 

 

「な……なんだよこれ……!? どうなってんだよォ!! 俺の足ィ!?」

 

 

 

 確認のために向けた視線の先で、男のそれは失われていた。

 

 知らぬ間に冷気に絡みつかれていた男の下腿は、まるで冷凍マグロのように凍結していたのだ。

 

 それに気づかないまま、男が体の向きを反転させた結果、その勢いで凝固していた両足首に、ガラス細工の如く亀裂が走った。

 

 そして砕けて折れて、男は突っ伏したのだった。

 

 白い靄が漂う、霞んだコンクリートの床の上には、凍り付き、床に結着した状態の2つの足部が、置物も同然のように残されていた。

 

 その光景が、男にどうにもならない現実を突きつける。

 

 己の肉体にあって然るべき部分を失い、男は唖然とするしかなかった。

 

 その様に、フブキは続けて笑う。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 眼前に転がる惨めな姿に、自分でも気づかないうちに嗤っていた。

 

 

 

「あ~あ、折れちゃったぁ~……。可哀そぉに……。もう……歩けなくなっちゃったんじゃない?」

 

 

 

 軽蔑の念に色濃く染めた、フブキ自身も知らない笑顔でフブキは嗤う。ギラギラと光る赤い目を、楽しそうに細めながら。

 

 

 

「愚かだねぇ……。本当に愚か。みっともなくて情けなくって、呆れるほど馬鹿みたい……。フフッなんでだろう……君みたいな人間を見てると、なんだか無性にイラついて……ぶち殺したくなってくるよ……」

 

 

 

 自制心のほとんどを失っている今、フブキは生起する衝動のままに言葉を連ねる。

 

 それが侮蔑の言葉と気づくこともできぬまま、無自覚に男を罵っていた。まるで自分が、人間ではないかのような辞気さえも孕んで……。

 

 相手を蔑み、非難するたびに、ゾクゾクとフブキの背筋に快感が奔る。

 

 それは宛ら、シャーデンフロイデ――幸災楽禍(こうさいらくか)の感覚。

 

 フブキにとっては、まさに未知なる甘美の体験だった。

 

 衰弱した虫のように、うつ伏せの状態で這いつくばる男の隣を、フブキはゆっくりと歩いて通り過ぎる。

 

 

 

「ねえ、他人の大切なものを奪うのって……そんなに楽しいこと……?」

 

 

 

 そう問いながら、床の上に転がっていたショルダーバッグを拾い上げる。それから振り向きざまに、改めて男の顔を見下ろした。

 

 男は質問に答えることもなく、憎悪と苦悶に満ちた表情でフブキを睨む。

 

 

 

「てめえ……本当に人間かよ……? 実はバケモノかなんかじゃねえの……?」

 

 

 

 その言葉に、フブキは赤い瞳を妖しく輝かせながら、ククッと喉を鳴らした。

 

 

 

「心外だなぁ……。これでも僕の仕事は……人の命を護る正義の味方()だよ」

 

 

 

 男に背を向けて、肩越しに薄ら笑いを交えて答える。

 

 そうして、盗まれたショルダーバッグの回収という目的を果たしたフブキは、これ以上男に構うつもりはないと言わんばかりに、出口に向かって歩き出した。

 

 

 

「じゃあね……。後は警察のお世話にでもなりなよ……」

 

 

 

 最後にそう言い残したフブキの背中は、まるで幻のように靄の奥へと消え失せていった。

 

 後に残された男は、両足の痛みと寒さに悲鳴を上げるしかなかった。

 

 

 

「くそっ……くそがあぁ……! 覚えてやがれよあのクソ女ぁッ……!」

 

 

 

 男の情けない悲鳴が、地下道に虚しく木霊する。

 

 しかし当分の間、その声が地上の人々に届くことはなかった。

 




※平成ライダーあるある

唐突に登場する悪人モブ!
(他に定番なのは、もはや転生モノでもお馴染み? 信号無視激突トラック!)
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