【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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十:絶望に正義を殺されて

「いやっ……嫌だ……やめてっ……。お願いだから……思い出させないで……」

 

 

 

 甦る記憶。

 

 思い出したくなどなかった忌まわしき過去。

 

 塞がっていたはずの心の傷が、強引に裂かれて再び血を流し始める。

 

 強張っていた左右の手は、いつの間にか凍えるように震えていた自分の両肩を抱きしめていた。

 

 甦ったのは記憶だけではない。

 

 それと同時に全身を駆け巡ったのは、あの時感じていた恐怖と死の感覚。

 

 堀広げられた雪の穴に放り込まれた瞬間の絶望感。

 

 ゆっくりと体に覆い被さっていく雪の重みと冷たさ。

 

 そして、自分の命が雪に吸われていくような喪失感。

 

 そういった2度と味わいたくなかった感覚に、フブキは数十年越しに襲われ、怖気づいていた。

 

 あの時感じた恐怖も寒さも絶望も、どうにか死の淵から救われた後に、鬼の力を身につけたことで1度は克服できたはずなのに。

 

 それでも今、肩の震えは止まらなかった。

 

 洗面台の前でガタガタと縮こまっている惨めな姿を、鏡面の向こう側にいるもう1人の“フブキ”は、ほくそ笑みながら楽しげに眺めていた。

 

 

 

――フフッ……大丈夫……? 随分と辛そうじゃない……。だけど自業自得よね……。その辛さは他の誰でもない、自らが招いたことなんだから……

 

「自ら……? 自らって……あの時のことは……僕が自分で招いたの……?」

 

――残念ながら、ね……。もしあの時、あなたがもっと自分に正直になれてさえいれば、また色々違ったのかもしれないけど……

 

「自分に……正直に……?」

 

――あなたを生んだあの女(母親)が、あなたの元を去った時、もしその前に、あなたが『行かないで』って一言でも口にできていたら、あの女は踏み止まってくれたかもしれない……。もし、あなたを捨てたあの男(父親)と2人で暮らしていた時、もっと沢山本心を訴えることができていたなら、あの男が別の女と再婚することもなかったかもしれないし、理不尽な暴力を受けずに済んだかもしれない……

 

 

 

 聞こえてくる指摘の数々は、所詮は鏡像が発する妄言に過ぎない。そうに違いないと、フブキは鈍化していく思考の中で、必死に自らを戒飭(かいちょく)していた。

 

 だが、そんな悪足掻きも、弱りきった精神力では意味をなさなかった。

 

 鏡像が連ねる言葉の1つ1つは、まるで鋭利な刃物のように、フブキの心の一点に深々と突き刺さる。そして、その開いた傷口を抉り、容赦なく塩を塗り込んでいった。

 

 

 

「過ぎたことを今さら後悔しても……仕方ないだろ……。あの頃の僕に――何の力もなかった子供だった頃の僕に……、大人たちをどうこうできるはずがなかったんだから……」

 

 

 

 その声からは最早、本来持ち合わせているはずの覇気はほとんど感じられない。

 

 物憂げに俯くフブキの背中からは、本人も気づかないうちに、一廉(いっかど)の鬼としての佇まいや威厳が完全に損なわれていた。

 

 悲しみでとにかく胸が痛い。

 

 思うように呼吸ができない。

 

 今のフブキの姿は、過去のトラウマに打ちひしがれている、ただの無力な女でしかなかった。

 

 そんな彼女を見つめる目を、鏡の中の“フブキ”は、どこか憐れむように細めていた。

 

 

 

――そうかもね……。確かにそう……。でもね、言ったでしょ……? わたしはあなたの本心そのもの……。わたしの言葉は、あなたが紛れもなく胸の内に隠してきた心の中の真実……。あなたがどれだけ自分を偽り、誤魔化そうとしたって無駄なこと……。わたしが後悔してると言ったらしてるのよ、あなたは……。間違いなくね……

 

 

 

 返す言葉が見つからなかった。

 

 文字通り、心の内を丸裸にされて。

 

 その深淵をこれでもかと突きつけられて。

 

 フブキの精神の辛うじて正常な部分は、為す術なく打ちのめされていた。

 

 

 

――あなたはずっと本心を隠して生きてきた……。いつの間にか、我慢に慣れて生きてきた……。子供の頃からそう……。大人になってもそう……。なんなら、鬼になってからもそうだった……。そうやって生きてきたあなたは、結果的にあらゆるものをことごとく奪われ、失い、そして苦しんできたの……

 

 

 

 どれだけ瞼を閉じ、耳を塞いで遮断しようとしても、その声は容赦なく脳内に響き渡る。

 

 

 

――本当は、普通の家族の幸せが欲しかったんでしょ……? ずっと傍にいてくれる両親……。どんな時でもあなたに寄り添ってくれる父と母……。子供の頃からずっと……恋焦がれていた家族の関係……

 

「やめろ……」

 

――それだけじゃない……。あなたは、なんてことない平凡な暮らしにも憧れていたわよね……。鬼の戦いとは無縁の人生……。年相応の女の子らしく、友達と遊んだり、異性と恋をしたり……。自分のことを“僕”……なんて言ったり、同性の弟子なんかに惚れたりなんて決してしない――そういうありきたりな青春を謳歌することを、心の奥底でいつも夢見ていた……

 

「やめてくれ……」

 

――だけど結局、何1つ叶わなかった……。望んでいたものは全て、一方的に奪い取られてしまったから……

 

「もう……頼むから……」

 

――家族の幸せは、本来なら与えてくれる側であるはずの両親の手によって踏みにじられた……。平凡な暮らしや青春は、鬼の道に引きずり込まれたせいで、その機会を失った……

 

「確かに……確かに僕は……これまでの人生……、理想とは違う生き方をしてきたかもしれない……。でも……だからって……今の人生を後悔してるわけじゃない……。鬼であることには誇りを持っているし……、鬼の道に進んだからこそ……僕は狐夏にッ……グッ……ウゥ……」

 

 

 

 その言葉を遮らんばかりに、もう何度目かもわからない激しい痛みがフブキの頭を締め付ける。

 

 ほんの一瞬、狐夏を想う気持ちに意識を寄せただけなのに、それさえも許すまいと、フブキの中のフブキじゃない部分が、警鐘を鳴らしているかのようだった。

 

「嗚呼……」と、ぐったりと項垂れたフブキは、鏡像が言っていたことの意味をなんとなく理解し始めた。

 

 自分の身も心も魂も、既に自分のものではない。

 

 それらは全て、自分の敵なのだと理解した。

 

 自分は今、自分自身の悪意そのものから攻撃されているのだと。

 

 黒い氷柱が突き刺さり、邪悪に染まって凍結したフブキの心は、冷たい氷の心に変わりつつある。

 

 人間のものとは異なる心。

 

 人間らしさを忘れた魔物の心。

 

 しかしそれでも、未だフブキが正気を保っていられているのは、偏に狐夏を想う気持ちが、フブキの中で消えずに残っているからに他ならない。

 

 今のフブキにとっては、その気持ちだけが唯一の生命線。フブキがフブキとして踏み止まるために必要な、最後の希望だった。

 

 だが、それが今、自らの心と体と魂の手によって排除されようとしている。

 

 フブキを正気に繋ぎ止めている一縷の糸を断ち切り、彼女を完全なる化物へと堕とさんがために。

 

 

 

――痛いよね……? 苦しいよね……? いい加減……損するだけの我慢なんてやめちゃいなさいよ……。何も考えずに、自分に素直になるの……。あなたの自由を妨げる不純物なんか、さっさとその身から捨ててしまいましょ……。そうすれば、すぐにでもその苦しみから解放されるんだから……

 

「不純物……? 不純物って……それは……クッ……それは僕の……僕の中の……狐夏のことを……言ってッ……ウッ……アァ……」

 

 

 

 狐夏を思慕する意思に比例するように、頭痛の激しさは増し続ける。

 

 フブキは両手で頭を抱えながら、言葉の節々で呻きを上げていた。

 

 

 

――フフッ。もう……まともに喋ることもできていないじゃない……。だけどその通りよ……。小宮香 狐夏。あんな女……あなたには――いえ、わたしには何の価値もないし、相応しくない……

 

「やめろッ! 僕の顔と声で……適当なことを言うなッ! そんなこと……僕は少しも思っていない……!」

 

――へぇ~……。果たして本当にそうかしら……

 

「当然……だろッ……! 狐夏はッ……グッ……ウゥ……狐夏は僕にとって……誰よりも大事な……一番大切な人……なんだから……!」

 

 

 

 強烈な頭痛のあまり、強張った体は悶えて左右に揺すれ、顔は苦悶に満ちて表情が歪む。

 

 それでもフブキは、鏡に映る自分に向かって必死に訴えかけた。鏡像が放つ言葉を、絶対に認めたくはなかったから。

 

 そんな彼女の懸命なる声を嘲るように、鏡の中の“フブキ”は、含みを持たせて口角をより一層深く吊り上げた。

 

 

 

――大切な人……? フフッ……そんなセリフ、その口でよく言えるわね……

 

「何が言いたい……?」

 

――まあ……意識が中途半端に人間ぶってるから、今のあなたが自覚できていないのは当然のこと……。でもだからこそ、いい機会だから思い知らせてあげる……

 

「だから何をだ……?」

 

――あなた自身が、自ら望んで冒した行為……。あなた自身の本質……。きっとこの真実が、あなたを幸福へと導く要となる……

 

「真実……? 幸福、だと……?」

 

――ねえ、あなた……小宮香 狐夏のことを心の支えだとか、かけがえのない存在みたいにさっきから言ってるけど……、でも……()()()()()()()()()()()()は……、それはそれは楽しそうにしていたわよ……?

 

「狐夏を忘れた……僕……? ――ッ!?」

 

 

 

 その瞬間、まるで雪崩のように押し寄せ、フブキの脳内を一気に埋め尽くしたのは、身に覚えのない真誠の記憶だった。

 

 破壊と自傷の快楽に酔いしれ、血に塗れていた昨晩の記憶。

 

 歪んだ正義と欲望に突き動かされるままに、無関係の一般人を貶めた今朝の記憶。

 

 狐夏を愛する気持ちどころか、狐夏の存在そのものさえも無意識のうちに忘失してしまっていた、紛うことなき過去の自分。

 

 どうしたって受け入れ難い、その衝撃的な事実を突きつけられたフブキの顔は、こうして刹那に蒼褪めた。

 

 

 

「なッ……に……これ……!?」

 

 

 

 声にならないほど猛烈な罪悪感と絶望感が、衰退しつつあるフブキの良心に重く伸し掛かり、その胸を内から強く押し潰す。

 

 次々と頭の中を満たしていく記憶の中で、常に聞こえてくるのはフブキ自身の笑い声だった。

 

 血に塗れた自宅の中で。

 

 地下道で這いつくばった男の前で。

 

 交わりを経て失神したOLの傍で。

 

 記憶にない記憶の中で、フブキは常に笑っていた。

 

 狐夏のことなど、全くと言っていいほど意に介さずに。

 

 狂喜し、高揚し、そして恍惚に浸りながら笑っていた。

 

 頭の中で反響する、自分のものとは思えないほど不快な自分の笑い声。

 

 その笑声を聞くたびに、フブキの背筋に悪寒が走り、心臓の鼓動は激しく高鳴る。加えて吐き気を催し、言いようのない気持ち悪さと恐怖を感じずにはいられなかった。

 

 そうして唖然としているうちに、やがて壊れた蛇口のように、目元に自然と溢れた涙が、ツーッと頬を伝って零れ落ちる。

 

 

 

「うそ……うそだ……ぼくが……そんな……そんなぁ……」

 

 

 

 蜷局を巻く悔恨と自責の念。その真っ黒な渦に完全に囚われたフブキは、その場で力無く両膝を突いた。

 

 そして――。

 

 そして遂には――。

 

 

 

「うぁ……あああああぁぁぁぁぁ……ッ! あああああああああああ……ッ!!」

 

 

 

 髪の毛を掻き毟らんばかりに、両手に抱えた頭を振り乱したフブキは、反射的に仰け反り、背中を大きく逸らしながら絶叫した……。

 

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