【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも― 作:裕ーKI
いつの間にか、もう1人の“フブキ”は鏡面から姿を消していた。
去り際に満足げな顔で何か言っていたようだったが、その言葉を聞き取る余裕など、絶望のどん底に突き落とされた今のフブキには皆無だった。
放心状態のまま、覚束ない足取りでパウダールームを出たフブキは、手を突いた壁を伝いながら、何処ともなく廊下を歩いていた。
昼休みの時間帯ということもあり、先に進めば進むほど、学生たちの姿が徐々に増えてくる。
明らかに変調をきたしているフブキの様子に、先刻から何人もの学生たちが訝し気な視線を送ってくるが、失意のフブキには、それらを眼中に入れる気力すらもなかった。
フブキはただ、ひたすらに謝っていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい――……」
虚ろな目を足元に落としながら、謝罪の言葉を機械的に繰り返す。
その詫言は、自覚できていなかったとはいえ、自らが犯した凶行、あるいはその被害者たちに向けたものなのか。それとも、愛していながら忘却の彼方へと追いやってしまった狐夏に対してのものなのか。どちらにしろ、今のフブキにはその判別すらもついてはいなかった。
今のフブキは、ただの自責と自己嫌悪の塊だった。
情味の欠けたその様は、まるで壊れた人形のよう。
暗闇に引きずり込まれるように、ゆっくりと気が遠くなっていく。
そのせいで足取りは重くなる一方で、歩幅は見る見る小さくなっていた。
そのうち、何とも無しに足を止めたフブキは、壁に両手を突いたまま、ズルズルとその場にしゃがみ込んでしまった。
さすがに只事ではないと思った数人の学生たちが、慌ててフブキの傍に駆け寄り、各々が心配そうに声を掛ける。だが、それでもフブキは応えない。
まるで何かに取りつかれたかのように、虚空を見つめながら、ただひたすらに無意味な謝罪を繰り返していた。
「
「どうしたのフッキー? 具合でも悪いの?」
「困ってるなら手を貸すよ? 何でも言ってよ、フミちゃん」
何度呼び掛けても反応のないフブキに、それでもめげずに優しく話しかけているのは、フブキの講義によく顔を出している3人の女学生たちだった。
兼任講師であるフブキ――大学では本名である
しかしそれでも、彼女を慕う学生たちは数多く、彼女の講義を好んで出席する者も多かった。
様子のおかしい今のフブキを気に掛けている3人の女学生たちは、その中でも特にフブキに対し強い好感を持っていた。
言うなればそれは、単純な憧れや親しみ以上の強い思慕の感情。
その好意的な態度はまさに、フブキに恋をしたばかりだった頃の、かつての狐夏のようだった。
だが、そんな3人に対してさえも、フブキは見向きもしなかった。
相変わらず、ただ一点だけを見つめ、ブツブツと呟き続けていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい――……」
その様子に、女学生たちは深刻そうに互いの顔を見合わせる。そして、3人が意を決したように頷くと、そのうちの1人がそっと腕を伸ばし、蹲っている彼女の肩に恐る恐る手を置いた。
「先生……? フミちゃん……?」
「ッ!」
しかしその瞬間、反射的に肩をビクッと跳ね上げ、ようやく反応を示したフブキが取った行動は、あまりにも粗暴なものだった。
「人間がッ! 気安く
振り向きざまに女学生の手をパァンと強く払いのけたフブキは、今にも飛び掛からんばかりに目を血走らせながら叫んでいた。
微かに赤色を帯びた瞳は、まるで人間そのものを嫌悪するかのような眼差しだった。
勢いのままに吐き出た怒声は、まるで人間そのものを拒み、威嚇するかのような金切声だった。
手を跳ね除けられた拍子に体勢を崩し、尻餅をついてしまった女学生は勿論のこと、フブキの身を案ずる周囲の学生たちが全員、フブキが齎したフブキらしからぬ行動に言葉を失い、呆然とした。
「先生……」
尻餅をついた女学生が、その状況に耐えかねたかのように、震えた声で思わず呟く。
するとその思案顔が、フブキの視界の中で一瞬、狐夏の姿と重なって見えた。
「こな……つ……?」
憂いを帯びた目を向けてくる愛弟子の幻覚に引き戻されるように、ハッと我に返ったフブキの瞳から、薄っすらと光っていた赤い輝きが静かに消え失せる。
しかし同時に、フブキを正気に戻してたまるかと言わんばかりに、再び激しい頭痛が彼女を襲った。
「こなつ……ごめ……ぼく……アッ……ガッ……アアァッ……!」
刹那、脳天を貫くほど一際強い衝撃が頭の中で迸る。
まるで頭部を殴られたかのような感覚に、フブキはまたしても背筋を弓なりに仰け反らせながら、両手で頭を抱えだした。
そして、周りの学生たちの視線も憚らずに苦しげに悶えた末に、とうとう限界を迎えた彼女は、そのまま意識を失い、崩れ落ちるようにガックリと倒れこんでしまった。
糸が切れたマリオネットのように、瞼を閉じてぐったりと動かなくなったフブキを取り囲む空気は、一瞬の静寂を経て騒然としたものへと変わる。
「先生ッ! 風白瀬先生ッ!」
「フミちゃんッ!? ねえフミちゃん! 大丈夫!?」
「しっかりしてよフッキー! どうしちゃったの!?」
各々が戸惑いの色を表情に浮かべて、思い思いにフブキの名を叫ぶ。
「ちょっとこれ……マズいんじゃない!?」
中には携帯電話を取り出し、救急車を呼ぼうとする者たちもいた。
だがその時、人垣を割って突如として現れた1人の男が、そんな彼らを制止した。
「その必要はありませんよ。風白瀬先生の看護はこちらでしますので……」
一見穏やかな口調でそう言って、ゆっくりとフブキの方へ歩み寄っていったのは、この大学の副学長だった。
どことなく不格好にも見える、灰色の背広に身を包んだ白髪混じりの初老の男は、落ち着いた歩武でフブキの傍に屈み込むと、端正なその顔を好色めいた目でまじまじと見つめた。
「何というか……まるで眠り姫ですね。しかし……見れば見るほど美しい……」
周囲に聞こえないほどの声量で独り言のように呟いた後、副学長はフブキを慕う3人の女学生たちに、フブキを運ぶのを手伝うよう指示を与えた。
そして残りの学生たちには、速やかにこの場を立ち退くよう、淡々とした口振りで促すのだった。
「さあ皆さん。後のことは私に任せて大丈夫ですから、皆さんはどうぞ自分たちのいるべき場所へとお戻りください」
学生たちは困惑しながらも、副学長の言葉に従い、渋々その場を後にする。
背後で3人の女学生たちが、意識のないフブキの体を協力して抱き上げようとしている中、蜘蛛の子が散るように離れていく学生たちの後姿を見送る副学長の顔には、教員らしからぬ下劣な笑みが浮かんでいた……。