【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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十三:赤イ部屋

 室内に入ると、部屋中のカーテンが閉まり切っており、中は昼間だというのに薄暗かった。

 

 だが、それより何より、狐夏が玄関に足を踏み入れた途端に真っ先に感じたのは、この部屋で1度たりとも感じたことのない、妙な違和感だった。

 

 まるで悪霊でも巣食っているかのように、空気がどんよりと重くて落ち着かず、それでいて息苦しささえも感じさせる。

 

 狐夏は自然と早まる心拍を抑えつつ靴を脱ぐと、恐る恐る部屋の奥へと進んでいった。

 

 するとすぐに、不快な臭気が鼻をつき始めた。

 

 いつもなら玄関に入ると、初めに芳香剤の優しい香りが出迎えてくれるはずなのに、今はそれすらも掻き消すほどに、強烈な血腥さが部屋中に漂っていた。

 

 ここは本当にフブキさんの部屋なのか。そんな疑問すらも頭を過る。

 

 狐夏は壁のスイッチに手を伸ばし、リビングの照明を点けてみた。

 

 その瞬間、狐夏の視界に飛び込んできたのは、まさに地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。

 

 

 

「なによ……これ……」

 

 

 

 狐夏は驚愕のあまり目を大きく見開き、呆然とその場に立ち尽くした。

 

 彼女の眼前に広がっていたのは、あまりにも無残に変わり果てた部屋の姿。

 

 最初にその目に留まったのは、やはり赤黒い血の跡だった。

 

 部屋全体に飛散し乾いてしまった、数えきれないほどの血痕。

 

 外の光を遮る純白のカーテンにさえも、それはベットリと付着していた。

 

 そしてそこからゆっくりと視線を移せば、嫌でも視界に入ってくるのは、壁やフローリングの至る所に刻まれた、拳大の窪みと鋭い引っ掻き傷の数々。

 

 加えて、部屋の雰囲気を彩ってきた家具のほとんどは、みな力任せに破壊されて最早原形など留めてはいなかった。

 

 割れた食器やガラスの破片、壊れた本棚から崩れ落ちた書冊の山、それらが乱雑に散らばるリビングを、狐夏は一歩ずつ踏み締めながら、ゆっくりと奥へと進んでいく。

 

 1番手前にあるのは、浴室へと繋がっている脱衣所の扉。

 

 狐夏はまず、その扉を開いて脱衣所の中を覗き込んでみた。

 

 するとそこには、血塗れのパジャマが1着、脱ぎ捨てられたかのように放置されていた。

 

 既に血糊の固まりでパリパリになってしまっているそれを、怖々としながら拾い上げた狐夏は、そのパジャマが誰の物なのかをすぐに理解した。

 

 

 

「これ……フブキさんの……。じゃあ……部屋中の血は、全部フブキさんのものってこと……?」

 

 

 

 1人呟くその声は無意識に震えていた。

 

 部屋の惨状を目の当たりにして。

 

 大切な師匠の、血塗れの衣服を目の当たりにして。

 

 冷静でいられるはずなどなかった。

 

 あまりのショックで、狐夏は頭の中が真っ白になり、少しの間何も考えることができなかった。

 

 やがて我に返ると、狐夏は赤く汚れたパジャマを握りしめたまま、動揺した面持ちで脱衣所を出た。

 

 まるで何かに引っ張られるように、慌ててリビングへと戻った。

 

 そしてフブキの面影を探し求めて、部屋中のあらゆる場所に視線を這わせていく。

 

 リビングの隅々だけではない。キッチンや寝室にも。

 

 しかし、そうして周りの様子を窺う狐夏の表情は、見る見るうちに絶望の色へと染まっていった。

 

 やはり何度視認しても変わらない。

 

 フブキと一緒に服のコーディネートに愛用していた姿見も。

 

 フブキと2人で肩を寄せて座ったソファーも。

 

 フブキと何度も愛を確かめ合ったベッドも。

 

 フブキとの思い出が沢山詰まっていたこの部屋の何もかもが、今や見るも堪えない有様となっていた。

 

 見間違いなどではない。

 

 気のせいなどではない。

 

 目の前の光景は、紛れもない現実。

 

 狐夏にとってこの場所――この部屋は、フブキとの愛を育む楽園も同然の空間だった。

 

 誰からの邪魔も入らない、2人だけの世界。

 

 2人だけの、愛の園。

 

 しかし今、この部屋から楽園としての温かみは完全に消え失せていた。

 

 まるで澱んだ何かに、その大切な居場所を穢されてしまったかのようだった。

 

 

 

「一体何があったの……? フブキさん……」

 

 

 

 否。

 

 疑問符を浮かべる必要などない。

 

 心当たりは十二分にあるのだから。

 

 狐夏は床に落ちていた幾つかのフォトフレームを見つけると、その中から1枚の写真を拾い上げた。

 

 それは、踏み潰されたかのように粉々に割れたアクリル板の下敷きになっていた、シワだらけの写真だった。

 

 そこに写っているのは、2つの眩しい笑顔。

 

 片方は狐夏。そしてもう片方は、フブキの笑顔。

 

 2人が楽しそうに笑い合っているそのツーショット写真を見つめながら、狐夏は堪らず唇を噛み締めた。

 

 詳しくはわからない。

 

 ただ、この部屋の悲惨な状況に鑑みれば、フブキの身に何かが起きたことだけは容易に理解できる。

 

 そして、フブキの身に異変を起こす原因があるとすれば、それは1つしか考えられない。

 

 

 

「黒い氷柱……。まさか私……間に合わなかったの……?」

 

 

 

 その場で膝から崩れ落ちた狐夏の脳裏に、不意に2つの言葉が色濃く浮かび上がる。

 

 “心の凍結”と“人間性の消失”。

 

 それらはいずれも、関東へ出発する前にフブキ自身の口から告げられていたこと。

 

 その言葉の重さを改めて痛感し、狐夏は不安と絶望が入り混じった感情に激しく打ちひしがれた。

 

 

 

「じゃあ……フブキさんは……もう……」

 

 

 

 押し寄せる諦念が、狐夏の意識を呑み込んでいく。

 

 憮然とするあまり、頭の中が最悪な思考に埋め尽くされてしまう。

 

 脳裏を過るのは、愛するフブキがいなくなる未来。

 

 世界で一番大切な存在であるフブキが、別の何かへと変わってしまう未来。

 

 考えただけで恐ろしくなった狐夏は、思わず血塗れのパジャマをギュッと胸に抱きしめ、シワの寄った写真を額に押し付けた。

 

 パサついたパジャマから漂う血のにおいが、鼻孔をツンと突き抜ける。

 

 噎せ返るような鉄臭いにおいも、それがフブキのものだとわかると、狐夏にとっては香しく思えた。

 

 

 

「フブキさん……」

 

 

 

 だけど同時に、フブキを想う溢れんばかりの気持ちに胸を締め付けられて、息が詰まるほど苦しかった。

 

 切なくて、恋しくて、寂しくて、そして悲しい……。

 

 しかしその苦しみが、狐夏の精神を逆に研ぎ澄ませる。

 

 

 

「いや……まだ……まだよ……。まだ何も……決まったわけじゃない……。この目で見るまでは……直接確かめるまでは……、いや……何がどうなったって……私は絶対に諦めないッ!」

 

 

 

 決意めいた顔を上げた双眸には、迷いのない覚悟の光が確かに宿っていた。

 

 狐夏は血塗れのパジャマを丁寧に畳むと、それをそっと床に置いてからゆっくりと立ち上がった。

 

 そして――。

 

 

 

「待っててフブキさん。今行くからッ!」

 

 

 

 グシャグシャの写真をロングコートのポケットに仕舞い込んだ狐夏は、力強い足取りで玄関に向かって走り出す。

 

 素早く靴を履き、体当たりをするような勢いで扉を開けると、速度を落とさず手摺を乗り越え、そのまま3階の通路から地上へと飛び降りた。

 

 常人なら大惨事になるところだが、鬼の修行で鍛え抜かれた狐夏の強靭な足腰は難なく着地を成功させる。

 

 その様子を目撃し、驚きの声を上げる通行人たちには脇目も振らず、彼女はすぐさま次の一歩を踏み出した。

 

 目的地は大学。

 

 愛する師匠の元を目指して、狐夏はとにかく直走る。

 

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