【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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十四:悪意を煽る悪意

 ビー玉のようなその瞳は、隙あらば“彼女”を追っていた。

 

 ある時は物陰に身を潜ませ、荒い息を殺しながら。

 

 またある時は、下劣な本性を紳士的な笑みで覆い隠し、その美貌の前で堂々と立ち振る舞いながら。

 

 時機に応じて大学に顔を出し、教務に勤しむ“彼女”を見つめる男の目は、常に密かな情欲を孕んでいた。

 

 今もまた、パウダールームから出てきた“彼女”の姿を、男は廊下の陰からジッと注視している。

 

 その間、男の頭の中を駆け巡るのは、教員としてはあるまじき卑猥な妄想ばかり。

 

 “彼女”の豊満な肉体を、好き勝手に蹂躙している自分の姿を、男は脳裏に思い描いていた。

 

 やがて、獲物を狙う獣の如く、如何わしい願望を叶えんがためにチャンスを窺っていた男の耳に、その欲求を刺激するような悪魔の囁きが聞こえてきた。

 

 

 

「叶えたい願いがあるのなら、遠慮なく叶えたらどうですか……?」

 

「堪える必要などありません……。欲望に忠実なのは素晴らしいことです……」

 

 

 

 一切の気配を悟られることもなく、冷たい吐息のように耳の中をすり抜けていく2つの声。

 

 1つは、痩せ細った男の口から発せられた女性の声。

 

 もう1つは、妖艶な女性の唇から発せられた男の声。

 

 

 

「今の彼女は非常に弱っています……」

 

「行動に移すなら、今が好機と言えるでしょう……」

 

 

 

 まるで心に直接語り掛けてくるかのように、2つの不気味な声が、背後から交互に耳朶を打つ。

 

 ハッとなった男は反射的に振り向くが、そこに声の主の姿はない。

 

 空耳?

 

 そう思いつつも、しかしその言葉で何かが吹っ切れたのか、視線を戻した男の目には、先刻までの単なる欲求不満の愚者のような色はなく、代わりに、今にも凶行に及ばんばかりのギラついた眼光が宿っていた。

 

 これまでは卑猥な妄想に耽るこそすれば、実行に移す度胸などまるでなかった。

 

 しかしなぜか、今ならなんだってできてしまいそうな気がするほど、不思議と自信が漲ってきていた。

 

 謎の声の言う通り、視線の先にいる“彼女”は体調を酷く悪そうにしている。

 

 壁に両手を突いて、ズルズルとしゃがみ込んだ“彼女”の元に、その様子を心配した学生たちが次々と集まってきていた。

 

 確かに、“彼女”の身柄を確保するのなら、今が絶好のチャンスかもしれない。

 

 “彼女”を取り囲む人混みを眺めながら、男はニヤリと決意めいた笑みを浮かべる。

 

 

 

「フフ……。なに……臆する必要はありません……。きっと上手くいく……。この時のために温めておいた“奥の手”だって……私にはあるのですから……」

 

 

 

 男は自らに言い聞かせるように呟くと、意を決するように廊下の陰から身を躍らせた。

 

 俗悪な本性を悟られまいと、いつものように紳士的な立ち振る舞いを演じながらゆっくりと、しかし確実に歩を進めるその足は、迷うことなく人垣を割っていく。

 

 その途中、気を失い、ぐったりと倒れてしまった“彼女”の身を案じて、救急車を呼ぼうとしている何人かの学生たちの姿が視界に入ると、そうはさせまいと、男は穏やかに取り繕った口調でそれを制止した。

 

 

 

「その必要はありませんよ。風白瀬先生の看護はこちらでしますので……」

 

 

 

 そうして、男は3人の女学生たちに介抱されていた“彼女”の傍らに屈み込む。

 

 無防備な獲物の間合いにまんまと入り込んだ男の目は、一見“彼女”の容体を心配しているかのようだった。

 

 しかしその実、その眼差しの奥では、抑えきれぬ期待と興奮、一刻も早く、“彼女”の体を好き勝手に玩びたいという不純な支配欲の炎が、メラメラと激しく燃え滾っていた。

 

 

 

 

 

 男が直前まで立っていた廊下の陰に、いつの間にか2人の男女が佇んでいた。

 

 それは、さっきまで男の背後で囁いていた声の主たち。

 

 

 

「人間の欲望を導くことなど、あまりにも容易い……」

 

 

 

 女性の地声を発する男と、

 

 

 

「少しばかり擽るだけで、人間の欲望とはいとも簡単に膨れ上がる……」

 

 

 

 男性の地声を発する女。

 

 

 

「「人間とは……なんとも哀れで愚かな生き物……」」

 

 

 

 亡霊の如く気配を消して、男の肉慾を焚きつけた2人は、思惑通り事が進んでいくことに密やかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

「間もなくです……。人の穢れを糧にして、憎むべき鬼は愛しき娘へと生まれ変わる……」

 

「あと少しの辛抱です……。愛娘ユキジョロウの意思を受け継ぎし、次女の誕生は……」

 

「「その時こそ、我らが悲願の達成の時……」」

 

 

 

 遠目から男に向けていた2人の白い目は、気絶したままの“彼女”へと移った途端、まるで我が子を愛しむかのような、温かみのある眼差しへと変わる。

 

 

 

「ユキジョロウ……。もうすぐあなたの死が報われますよ……」

 

「ユキジョロウ……。もうすぐあなたの魂が救われますよ……」

 

 

 

 雪の名を持つ鬼に命を奪われ、先に絶命した愛娘に対する手向けの言葉を交互に口ずさむと、2人の男女はその身を粉雪に変え、誰からも気づかれないようこの場から静かに消え去っていった。

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