【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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十五:ムジナ

 真っ暗な意識の中、唐突に鳴り響いた錠の下りる音に導かれ、フブキはゆっくりと瞼を開いた。

 

 

 

「ん……」

 

 

 

 そこは、温かなベッドの上でもソファーの上でもない。

 

 硬く冷たい床の上にぞんざいに寝かされていることを、床面に密着した頬に伝わる無機質な冷温で知り、ぼんやりと曖昧だった意識は徐々に現実へと引き戻されていった。

 

 

 

「ここは……」

 

 

 

 数十秒ほど掛けて、なんとか覚醒まで漕ぎ着けたものの、そこでまず、フブキは1つの違和感に気がついた。

 

 

 

「あ……れ……? 体が……力が……入らない……」

 

 

 

 どういうわけか、どんなに四肢を動かして半身を起こそうとしてみても、それらは辛うじて揺すれる程度で、フブキの思い通りには動かなかった。

 

 両腕両脚、全身の神経が、まるで麻痺でもしてしまったかのように言うことを聞かない。

 

 これでは自分の体が、自分のものではないみたいじゃないか……。

 

 と、そう思ったのも束の間、フブキはすぐに、「いや……」と思考を改める。

 

 みたい――ではなかった。

 

 実際そうだったと、フブキはパウダールームで聞いた“もう1人の自分”の言葉を回顧した。

 

 己の心も体も、そして魂さえも、最早自分のものでも、ましてや人間のそれでもないのだった。

 

 曰く、今の自分は、鬼も人間も憎悪している――悪しき怪物。

 

 その事実を、自分がただ単に認めたくないだけ。

 

 ただ単に、自覚できていないだけ。

 

 ただ、それだけ……。

 

 

 

「僕が……魔化魍……か……」

 

 

 

 その受け入れがたい衝撃が、今一度フブキの意識に暗い影を落とす。

 

 開けたばかりの視界が、溢れる涙で霞んでしまう。

 

 瞳に溜まった雫が、ほろりと目尻を伝って床面へと流れる。

 

 その熱を、フブキは虚しく感じることしかできなかった。

 

 そんな時。

 

 

 

「おや? もう目を覚ましたんですか? これは残念……。思いの外早かったですね……」

 

 

 

 自分が今どこにいるのか把握すらできていないうちに、どこからか声が聞こえてきた。

 

 フブキは重い首と眼球を何とか動かし、その声のした方向に視線を向ける。

 

 すると視界に入ってきたのは、部屋の出入り口であろう扉の前からゆっくりと歩み寄ってくる、1人の男の姿だった。

 

 

 

「副……学長……?」

 

 

 

 涙でぼやけた視界ではあったものの、それでもその顔は鮮明に映った。

 

 そこにいたのは、微妙にサイズが大きく、身の丈に合っていない灰色のビジネススーツを身に着けた、白髪混じりの初老の男。

 

 この大学においては、フブキにとって上司にあたる副学長が、どういうわけか目の前に立っていた。

 

 未だ気を失う前の記憶がハッキリとしていないフブキは、眼前になぜ副学長がいるのか理解できなかった。

 

 腰の後ろに両腕を回し、なんとも余裕のある雰囲気を見せつけるように、副学長はじわじわとフブキとの距離を縮める。

 

 

 

「状況が飲み込めない……そんな顔をしてますね。まあ……無理もないことです……」

 

 

 

 淡々とそう言いながら、その足はフブキの頭の前で立ち止まる。

 

 背広と同じ灰色のスラックスの下に隠れた細身の両膝を折り、その矮躯をグッと屈めた副学長は、フブキの顔を真上から覗き込んだ。

 

 

 

「あの……副学長……、この状況は……一体……? ここは……どこです……?」

 

 

 

 生温い鼻息がかかるほど、無遠慮に近づけてきた副学長の顔に、フブキは困惑に表情を引き攣らせながらも問いかけた。

 

 その問いに、副学長は「フフッ……」と口角を吊り上げてほくそ笑む。

 

 

 

「ここですか? ここは……この時間は使われていない化学科の研究室ですよ。心配しなくても、今なら誰もここへは来ない……」

 

「研究室……? どうして……? なんで……僕はここへ……?」

 

「覚えてないんですか? あなた、さっき廊下で気を失ったんですよ? なので、あなたを心配していた子たちの手をお借りして、ここへ運んだんです」

 

「そうだったんですか……。すみません、ご迷惑をお掛けして……。でも……なぜここなんです……? わざわざ運んでもらっておいて、こんなことを言うのは気が引けるんですけど……、こういう時……普通なら医務室に運ぶものだと思うんですが……」

 

「ああ~……あなたを運んだ子たちも、同じように不審がっていましたよ。まあ……彼女たちには適当に理由をつけて、早々に出てってもらいましたけどね」

 

「え……?」

 

 

 

 会話の風向きに違和感を感じて、フブキが思わず訝しげな表情を浮かべると、副学長はついに、その歪な本性を現した。

 

 

 

「私はね、ずっとあなたに目を付けてたんですよ。あなたがこの大学に着任してきた初日から、今の今まで……ずっとね……」

 

「何言ってるんですか……副学長……」

 

 

 

 不気味に吊り上がった口角から、涎の滴る犬歯を覗かせて嗤う副学長は、あたかも餌を前にした獣の如き眼光で、フブキの黒い瞳を射抜いた。

 

 フブキは戸惑うがままに大きく見開いたその双眸で、副学長の愉悦に染まった目を茫然と見つめることしかできなかった。

 

 

 

「ああぁ~そんな目で見ないでください……。ゾクゾクするじゃないですかぁ……。でも……もっといい顔になってもらいますよ……」

 

 

 

 上気したように頬を赤く染めると、副学長は徐にフブキの顎に手を添える。

 

 そして、そのままグイッと持ち上げて強制的に上を向かせると、その顔をまじまじと熟視し始めた。

 

 

 

「あぁ……。やはり何度見ても美しい……。ずっとこうしたかったんですよ、私は……。あなたの体に、こうして思う存分触れること。それが私の……ここ数年の夢だったのです」

 

「夢……? こんなこと……いつも頭の中で考えてたんですか……? こんなセクハラみたいなこと……教員の身でありながら……? 信じられない……。今まで……ずっと信頼してたのに……」

 

 

 

 震える声でフブキがそう言うと、その言葉を、副学長は嗤笑を浮かべて一蹴した。

 

 

 

「信頼? どの口が言いますかねぇ~。少なくともあなたにそれを言う資格はないはずですが?」

 

「どういう意味……?」

 

「さあ? どういう意味でしょ? それより今は――」

 

 

 

 あからさまに惚けた調子ではぐらかすと、副学長はだらしなく開いた口から長い舌をべロリと伸ばし、フブキの頬をねっとりとした感触で舐め上げた。

 

 

 

「ヒッ!? やめ……やめてッ……! いやっ!!」

 

 

 

 その瞬間、背筋に悪寒が走るほどの怖気を覚えたフブキは、自由の利かない体を震わせながら、精一杯の力で顔を背けた。

 

 彼女の中で、何かが音を立てて崩れていく。

 

 それは、フブキの支えの1つでもあった信仰心に等しいものだった。

 

 これまで、フブキは何度も辛い裏切りにあってきた。

 

 幼き頃、家を出ていった母には見捨てられ、再婚した実父と継母からは、虐待の日々を強いられた末に殺されかけた。

 

 それだけじゃない。

 

 鬼の道に進んでからも、仲間の1人に身も心も踏み躙られ、望まぬ快楽を強制的に与えられたことだってある。

 

 今の状況は、まさにその時と類似した光景だった。

 

 馬乗りになるように、フブキの下半身の上に跨った副学長の姿に、純潔を奪った仲間の姿がオーバーラップする。

 

 

 

「トキくん……」

 

 

 

 これまでの人生の中で、幾度も背信行為を繰り返されてきたフブキだったが、しかしそれでも、その都度絶望に打ちひしがれながらも、彼女は決して“信じる”ことを止めなかった。

 

 何度心を折られようが、少しずつ時間を掛けて、“人を信じる気持ち”を組み立て直してきたのだ。

 

 それは偏に、鬼の修業で心を鍛え上げて得た、精神力の強さあってのこと。

 

 しかし今、心の後ろ盾を失い、かつてないほど弱りきったフブキの精神力では、その絶望に太刀打ちする余力など持ち合わせてはいなかった。

 

 純黒色に凍結した心が己が意思を離れ、孤立し衰えたフブキの残り僅かな善意の意思に、怨恨に満ちた暗雲が徐々に立ち込める。

 

 人間なんて……。

 

 鬼なんて……。

 

 副学長の醜穢な笑みをギロリと睨みつけるフブキの濃褐色の虹彩が、徐々にその色を赤々と変貌させていく。

 

 それは憎悪に塗れた、血色の輝き。

 

 

 

「この……下衆め……」

 

 

 

 気づいた時には、フブキは胸の内から溢れる激情のままに、慨嘆を口走っていた。

 

 そんなフブキの剣幕に、特に臆する様子を見せることもなく、副学長の言葉は嘲るように弾み続けていた。

 

 

 

「おやおや? いきなり随分とお口が悪くなりましたねぇ~。あなたにしてはらしくありませんが、まあ……これはこれで興奮しますから、良しとしましょう。……それより……フッ……この私が下衆ねぇ~。フフフッ……」

 

「何が可笑しい……? 事実だろ……」

 

「ええ、それは十分わかってますよ? そのぐらいの自覚はありますから。だが風白瀬先生、あなた……少しばかり気づくのが遅い。どうやら思いの外、人を見る目がないようですね」

 

「なんだと……?」

 

「ああ……それとも、私の仮面の被り方が余程上手かったということでしょうか」

 

「仮面……? 何のことを言ってる……?」

 

韜晦(とうかい)の話ですよ。いかに悟られることなく自分を偽り、他人を欺けるかって話です。あなたには私の仮面()を見破る慧眼が足りなかった。ずばりそういうことです」

 

「人の信頼を平然と裏切っておいて……何を偉そうなことを……。お前に僕の何がわかるっていうんだッ!」

 

「わかりますとも。あなたも私と同じだ。私と同じように……あなたも仮面を被って自分を偽っている」

 

 

 

 その言葉に、フブキは一瞬ドキッとした。

 

 パウダールームで“もう1人の自分”に指摘されたことと同じようなことを、まさか副学長の口からも言われるとは思わなかった。

 

――あなたはずっと本心を隠して生きてきた……

 

 あの時、脳裏に響き渡っていた自分ではない自分の言葉が、再び頭の中を反芻する。

 

 こんな奴に自分の本質を見抜かれているのかと思うと、フブキは心底腹立たしかった。

 

 しかし実のところ、副学長の言葉の真意は、フブキが捉えた意味とは僅かに違っていた。

 

 彼の言葉の真の意味、それは――。

 

 

 

「小宮香 狐夏」

 

「え!?」

 

 

 

 その瞬間、その下卑た口から吐き出た予想外の名前に、フブキは思わず絶句した。

 

 副学長が告げたのは、フブキにとっては世界で一番大切な、かけがえのない人の名前。

 

 自分の弟子であり、自分の恋人である狐夏の名前が、なぜこのタイミングで出てくるのかと、フブキは訳がわからなかった。

 

 

 

「その名前……なんで……?」

 

「フッ、勿論知ってますよ。数年前まで、彼女はこの大学に在籍していた学生でしたからね。それに私は知っているんですよ、風白瀬先生。あなたと小宮香 狐夏が、ただならぬ関係だということもね」

 

 

 

 そう言いながら、副学長は枯れ枝のようなその両手を、白いブラウスの上からフブキの双丘へと這わせた。

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 

 肩をピクンと跳ねさせ、嫌悪に色濃く染めるフブキの表情を楽しむように、副学長は言葉を続ける。

 

 

 

「私はこの大学で、ずっとあなたを見ていた。そしてある時見たんです。あなたと小宮香 狐夏が、誰もいない講義室の中で、人には言えないようなイケナイ行為に及んでいたところをね」

 

「え……」

 

 

 

 刹那、フブキの全身に冷たい戦慄が走る。

 

 その反応を見逃さなかった副学長は、まるでイタズラに成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべると、興奮気味に「フヒヒッ」と喉を詰まらせて嗤い上げた。

 

 

 

「顔に似合わずあなたも悪いお人だ。だけどこれでわかったでしょう? あなたも私と同じ。教員という仮面で本心を隠す一方で、周りの目を盗んでは教え子に手を出し、食い物にしている。どうです? 私が今していることと、何ら違いなどないでしょう?」

 

「違うッ! そんなつもりじゃないッ! 僕をお前なんかと一緒に――……一緒……なんかに……」

 

 

 

 フブキは反射的に声を荒げて反論しかけたものの、しかしその瞬間、昨晩と今朝の罪深き記憶が脳裏にチラついてしまい、自信なさげにその語気を次第に弱めてしまった。

 

 本当に自分は、この男とは違うと言い切れるのか。

 

 胸奥に芽生えたそんな疑問から目を逸らすように虚勢を張り、慌てて副学長を睨む瞳に力を込め直すが。

 

 

 

「一緒ですよ。どんなに否定しようとしても、私とあなたは同じ穴のムジナだ。どうせムジナ同士なら、仲良くしようじゃありませんか」

 

「ふざけるなッ! 何がムジナだ……。この……クソ野郎……!」

 

 

 

 屈辱だった。

 

 不愉快極まりなかった。

 

 殺意が湧いて堪らなかった。

 

 加速度的に膨れ上がっていく、人を護りし鬼として有るまじき感情に、フブキの理性は今にも押し潰されてしまいそうだった。

 

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、副学長はブラウスのプラケットを両手で掴むと、そのまま左右に引っ張り、力任せに引き裂いた。

 

 ブチブチッと布の切れる音がし、ボタンが勢いよく弾け飛ぶと、フブキの上半身を下着姿に剥き出させた。

 

 紫色のブラジャーに包まれた豊満な乳房が露わになると、副学長はより一層その目を血走らせる。

 

 

 

「やめろ……汚らわしい……。人間の……クズが……」

 

 

 

 肉肌を見られたからといって、今さら羞恥心など感じてはいない。

 

 ただそれ以上に、横溢する殺意を抑え込むのに必死で、フブキはとにかく唇を噛み締めていた。

 

 体の自由が利かないとはいえ、もし今、少しでも気を抜けば、鬼の力を開放してでも副学長の息の根を止めてしまいそうだった。

 

 それほどまでに、フブキの精神は荒れ狂う嵐のような殺人衝動に呑み込まれていた。

 

 だが、そんなフブキの憤激がギリギリのところで踏み止まっているのは、それでもまだ消えずに残っている、鬼としての正義の矜持と、弟子であり恋人である狐夏の存在のおかげであった。

 

 人類を護ることを使命とする猛士の鬼の一員として、たとえ相手が悪人であろうとも、人間に危害を加えるわけにはいかないという一念と、これ以上を罪を重ねて狐夏を失望させたくないという強い決意が、辛うじてフブキの理性を繋ぎ止めていた。

 

 しかし、既に魔に堕ちている心の影響下では、やはりその矜持の維持はままならない。何より、狐夏を想う気持ちは、彼女を想うたびに発症する激しい頭痛にどうしても阻まれてしまう。

 

 

 

「アッ!? ア……アッ……また……頭が……ァ……」

 

「どうやらまだ、体の不調は治まらないようですね」

 

 

 

 黒い氷柱の存在など知る由もなく、フブキの具合の悪さを単なる体調不良としか認識していない副学長は、頭の痛みに悶絶しているフブキの様子にも、好都合とばかりに歪んだ笑みを向けるだけだった。

 

 節くれ立った両手の指が、ブラジャーの上から容赦なく乳肉に沈み込んでいく。

 

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