【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも― 作:裕ーKI
道中、狐夏は心がざわついて仕方なかった。
フブキがいるであろう大学との距離が縮まれば縮まるほど、嫌な胸騒ぎが酷くなってくる。
恐らくこれは、虫の知らせ。
フブキのマンションで管理人の話を聴いてから――フブキの部屋の惨状を目の当たりにしてから、狐夏の心には、途轍もない不安がずっと渦巻いていた。
とにかく今は、一刻も早くフブキと再会を果たし、彼女の無事を確認してその不安を払拭したかった。
既に相当の速さで疾走していたその双脚は、さらに速度を上げて先を急いだ。
膝をたわませ跳躍し、直近の電柱を蹴り込めば、その反動に乗って数メートル先の民家の屋根さえも飛び越える。
そうやって、鬼の修業で得た身体能力の高さを活かした、超人的パルクールで最短距離を走る様は、雪山の道無き道を駆け抜ける、音撃戦士としての姿を彷彿させるものだった。
そしてその甲斐あってか、フブキの自宅を出発してから僅か15分ほどで、狐夏は大学の正門前に到着した。
そこで一旦呼吸を整え、落ち着きを取り戻してから、覚悟を決めて大学の敷地内へと足を踏み入れる。
しかし校庭に入って早々に、狐夏は総毛立つほど異様な気配を感じ取り、校舎に辿り着く間もなく反射的に歩みを止めた。
「何この感じ……!? これって……フブキさんの気……だよね……? でもこの禍々しい感じって……まさか……魔化魍の気……?」
鬼の力の一端である、狐夏の常人を超えた感知能力が捉えたのは、これまで常に傍にいたからこそわかる、最愛なる師匠の気配だった。
だがその気配の中身は、フブキのものとは思えないほど黒々と濁り切っていた。
フブキが本来内包しているはずの鬼の清らかさは、ほとんど影を潜め、代わりに魔化魍特有の邪悪な気が、その清純たる気を塗り潰す勢いで迸っていた。
「フブキさんの気配が……魔化魍と同じ気配になってる……?」
感じ取った気の種類だけで判別すれば、気配の正体は魔化魍であると結論付けざるを得なかった。
「そんな……。フブキさんが……魔化魍に……!?」
その瞬間、最悪の想定が狐夏の脳裏を駆け巡る。
それはまさに昨日――関東へ出発する前に、この大学のカフェテラスで交わしたフブキとの会話の中で、密かに危惧していたことの1つでもあった。
真実を確かめるため、フブキを救うため、彼女の居場所を突き止めるため、狐夏は神経をさらに研ぎ澄ませ、気配の出所を探った。
すると、邪念に満ちた歪な気配は、化学科の研究室棟から漂ってきていることがわかった。
困惑していた表情にグッと力を込めて、臆しかけていた心を何とか奮い立たせると、狐夏は意を決してその気配の元へと駆け出していった。
〇
熱を失った2本の白い腕が、ゆっくりと持ち上がる。
天に向かって伸びたフブキの双椀は、スルリと滑るように副学長の首へと回り込み、その上半身を抱き寄せた。
力を込めれば簡単に折れてしまいそうなほど頼りない痩躯が、肉感的に張り詰めた2つの膨らみへと沈み込んでいく。
スーツ越しでも伝わる、得も言われぬような極上の快美感に、副学長の痩せこけた顔はだらしなく蕩けていた。
「おやまあ……突然積極的になりましたね……。なんです? とうとう観念して、私のモノになる気になったんですかぁ?」
その言葉に、紫色に染まった妖艶な唇がニヤリと微笑む。
次の瞬間、フブキは副学長の首を一気に引き寄せると、自らの唇を副学長の口に強く押し付けた。
「ん゛!?」
一瞬、フブキの思いがけない行動に面食らったものの、しかし副学長はすぐにその気になり、自らも舌を突き出してフブキの口内へと侵入した。
フブキの口の中で、2つの舌がクチュリと音を立てながら激しく絡み合う。
その
夢中になるあまり、己の相好がふしだらに崩れていることにすら気づかない。
互いの唇を貪る音と、微かな喘ぎ声だけが、少しの間2人を包む空間の中で響いていた。
だがそれも、長くは続かなかった。
副学長は自分の口をフブキの唇に接続させたまま、ふと彼女の瞳に視線を合わせた。
それは、唐突に積極的になったフブキが、どれだけ従順になったのかを確かめるための視認だったのだが、しかしその瞬間、副学長は思わず両目をギョッとして、息を呑んだ。
「ヒッ!?」
なぜなら、眼前のその瞳は明らかに正気のそれではなかった。
そこにあったのは、歓喜や慈しみ、興奮や色欲に狂った瞳でもなければ、そもそも人間の瞳ですらなかったのだ。
副学長の驚愕の目に映ったもの、それは、これまでのフブキのものとはまるで違う――底なしの闇のように深い、真っ黒な強膜の中心で妖しく光る、赤く異質な2つの瞳だった。
「んッ!? ン゛ン゛!?」
縦長に変化した黒い瞳孔は爬虫類の目を彷彿とさせ、その禍々しい眼光に射抜かれた途端、副学長の背筋は一気に凍り付いた。
今朝のひったくり男と同じように射竦められた副学長が、得体の知れない恐怖を感じて全身をブルッと震わせる。
不意にフブキの双眸が、嗤うかのように大きく緩んだ。
次の瞬間、フブキの口内に含まれていた副学長の舌先を貫いたのは、副学長がこれまでの人生の中で、一度たりとも経験したこともないような激しい痛みだった。
「ム゛!? ン゛ンンンンッー!!??」
直前までの享楽が嘘のように、副学長は塞がった口の奥から、くぐもった悲鳴を上げ始める。
あまりの痛みに驚いて、反射的に口を離そうと必死に藻掻くが、だがいつの間にか、彼の後頭部を強く押さえ込んだフブキの手によって、それは叶わなかった。
三日月目に細まった瞼の隙間から覗く視線が、如何にも愉しそうにその様を見据える。
副学長はなんとかフブキの拘束から逃れようと、彼女の肩を両手で鷲掴み、渾身の力で押し返そうとした。
しかし、そんな抵抗が意味を成す時など訪れず。
やがて2人の耳に、唐突に鈍い短音が届いた。
ガリッ!
それはフブキの口の中から響いてきた、硬い何かを噛み砕く音。
そしてその直後、副学長の目が、飛び跳ねるように大きく見開いた。
「ア゛ァッ!!?? アッ……ア゛ア゛ア゛!!??」
フブキが拘束の手を緩めるのとほとんど同時に、その肩を力一杯突き飛ばすと、彼女の唇から解放された副学長は、そのまま背後に尻餅をつきながら、慌てて自分の口元を両手で押さえた。
口内に充満する、凍てつき焼けるような痛みと血の味。それらに悶えながらも、副学長は自分が何を失ったのかを感覚的に悟っていた。
その答えを示すかのように、茫然とする副学長を見下ろさんばかりに立ち上がったフブキは、血の混じった唾液を唇の端から垂らしながら、その口をこれ見よがしに開いた。
そして、その口内に残されたものを、侮蔑を添えて見せつける。
上顎と下顎の間に鎮座していたそれは、先刻までフブキの口内を好き勝手に蹂躙していた、副学長の舌の断片そのものだった。
フブキの誘いにまんまと乗り、警戒心の欠片も無く彼女の口の中に侵入した汚らわしい舌先は、冷気を纏ったフブキの舌に絡め取られたことで瞬く間に凍り付き、挙句の果てにその歯に嚙み切られてしまっていた。
「アぇ……!? アッ……アァァ……」
真っ白な霜を纏い、冷凍肉も同然の有様となってしまった、自分の体の一部だったもの。それを前にして、副学長は言葉にならない声を漏らしながら、その場に力なくへたり込むしかなかった。
そんな彼を嘲笑うかのように、フブキは舌上に乗った肉片を口の奥へと引っ込めると、そのまま徐に、わざとらしい咀嚼音を鳴らし始めた。
ガリッ……ガリッ……ボリッ……。
硬く凍結した肉を奥歯で噛み砕く鈍い音が、静まり返った研究室に冷たく響き渡る。
「な゛っ……マ……ま゛……」
鼓膜に伝わる不気味で不快なその音は、副学長の怖気を助長させるには十分であり、彼はガタガタと顎を震わせながら、目の前を跋扈する女の姿を視界に映していた。
やがて咀嚼を止めたフブキは、ゴクッと喉を鳴らして口腔内の異物を飲み込んだ。
「ああぁ~……美味し……♡」
口一杯に広がる初めての人肉の味と、細かくなった肉片が食道を流れ落ちていく感覚の心地よさに、彼女の表情は堪らず恍惚に緩んだ。
「ヒッ!? ヒィェエエエエエエ!!」
その狂気的な光景を前に、ついに恐怖が極限に達した副学長は、その場から一刻も早く逃げ出そうと、腰を上げると同時に扉に向かって走り出そうとした。
そんな彼の右腕を、フブキの冷たい手が、逃がすまいと掴んで引き留める。
「ヒャッ……ヒャへ……!?」
「どこへ行くのぉ? 宴はまだまだこれからよ……?」
これまでの男勝りな口調から一転、妖しく艶めかしい女性的な言葉が、副学長の鼓膜に揺さぶりをかける。
思わず振り返ってしまいつつも、副学長は自分の右腕を掴むフブキの手を、どうにかして振り解こうと必死に藻掻いた。
だがその瞬間、フブキの掌から迸った白い冷気が、副学長の下膊を瞬く間に凍りつかせた。
「へッ!?」
一瞬、自分の身に何が起きたのか理解できず目を丸くするが、刹那の沈黙を挟んだ末に、舌先を失った副学長の口から吐き出たのは、あまりにも無様な悲鳴だった。
「ア゛ギャァアアアアア……アッ……ア゛ッアアアアアアアアアア!!!!」
霜を纏った氷膜に覆われた下膊に走るのは、鋭敏な神経を針で突き刺されたかのような激痛。その痛みは、まるで氷漬けにされた生魚のように、副学長の全身を激しく痙攣させた。
膝から体勢を崩し、のたうち回るその様が、フブキの目には虫けらの滑稽な踊りのように映っていた。
見れば見るほど、惨めで愉快で堪らない。
彼女の笑みは、自然と深く酷薄に歪んでいく。
ああ……もっと……もっとわたしを楽しませて……。
愉悦に震える異形の瞳が、さらなる恐怖と快楽を求めて、副学長の凍結した右腕に改めて視線を向ける。
そして、ニヤリと口角を上げた直後、フブキは副学長の右腕を掴む手に、より一層強く力を加えた。
その握力が、副学長の右腕に無数の亀裂を走らせる。
次の瞬間、彼の絶叫は、氷が砕け散るけたたましい轟音に飲み込まれて、呆気なく掻き消えた。
「ア゛ッ!?」
絶句した視線の先で、自分の片腕が粉々に崩れて床面へと散らばっていく。
途端にブツリと途切れた下膊の感覚。
しかしすぐに雪崩れ込んでくる、凍気を帯びた痛みと灼熱にも似た激痛。
上膊に残された断面から、ドバドバと流れ出てくる真っ赤な鮮血。
その全てが、副学長の正気を根こそぎ削り取っていった。
「あ゛ッ……ア゛ァッ……!? ハァッ……アガッ……」
呂律の回らなくなった口を必死に動かし、それでもなんとか命乞いの言葉を絞り出そうとするが、頭の中は真っ白で何も出てこない。
すっかり錯乱状態に陥った副学長の姿を前に、フブキの黒々とした心は、さらなる欲求に駆られていった。
ハァン……とっても素敵な顔……。あなたの恐怖が、あなたの絶望が、わたしの心に染み渡る……。その感覚が心地良くて堪らない……。だからもっと泣いて? もっと叫んで? あなたの悲鳴をもっと聴かせて? もっと聴きたい……もっと苦しめたい……もっと壊したい……。ああ……もっと……モット……。
今の彼女にとっては、眼前の男を追い詰め、弄び、踏み躙るその行為だけが、この上ない至福であり、悦びだった。
しかしこんなものではまだまだ足りない。涙も声も枯れるまで搾り尽くし、自ら死を望みたくなるほど徹底的に、絶望の底へと堕としてやりたい。
するとそんな願いに呼応するように、突然彼女の胸の奥がドクンと大きく脈を打った。
その思わぬ衝撃に、双眸をカッと見開いたフブキの動きがピタリと止まる。
脱力するように、唐突に胴体がダラリと前傾すると、次の瞬間、フブキの肉体はさらなる変貌を遂げ始めた。
肌蹴ていたテーラードジャケットが足元に落ち、白いブラウス越しの背中が波打つように震えると、まるで内側から何かが生まれ出ようとするかのように、背面が大きくせり上がり、2つのコブのようなものを形作っていった。
「オ゛ッ……オ゛……オオ…………」
背中の皮膚が不自然に引っ張られて苦しいのか、涎が滝のように滴るフブキの口からは、時折低い呻き声が吐き漏れる。
2つのコブは見る見る肥大化し、ついには着用していたブラウスをビリビリと張り裂いていった。
やがてその一部がメキメキと弾け飛び、皮膚を食い破るようにして背中から勢いよく飛び出してきたのは、なんと2枚の翼だった。
雪のように白い羽毛に覆われた両翼が、まるで伸びをするかの如く左右に大きく開いた。
「あぁ……あああ……♡」
同時に上半身を起こしたフブキは、窮屈な場所から解き放たれた翼の開放感に浸るように、今度は甘美な吐息を深く吐き出す。
熱に浮かされたような嬌声を漏らしながら、生まれたばかりの両翼の性能を確かめるように、2度3度強く羽ばたかせると、途端に放出された凄まじい冷気と暴風が、瞬く間に研究室内を極寒の空間へと塗り替えていった。
その風騒音は、宛ら歓喜の産声とも呼ぶべきか。
フブキの翼が呼び起こした猛吹雪は、窓ガラスに次々と亀裂を刻み、部屋一帯を真っ白な雪で覆い尽くしてしまった。
その風雪に煽られた副学長のヤワな体は、いとも簡単に壁際まで吹き飛ばされ、そのまま為す術なく壁に背中を張り付けた。
部屋中を舞い踊る氷霧の煌めきに囲まれながら、純白の翼を携えたその姿は、見る者によっては“天使”とも錯覚したかもしれない。
しかし今、彼女に命を脅かされている真っ最中である副学長にとっては、“天使”なんて例えは以ての外だった。
今の彼にとってフブキという存在は、ただの化物――敢えて言えば、“白い翼の悪魔”にしか見えていなかった。
副学長の恐怖に染まった視線と、恍惚とした表情でそれを受け止めるフブキの視線が、張り詰めた空気を纏って交錯する。
そんな中で、白い両翼の出現に合わせてか、フブキの髪にも変化が起きていた。
これまでショートカットだった黒い髪が、翼の根元を隠すように腰まで伸びていき、髪色も羽毛と同じ純白色へと流れるように染め上がっていった。
フブキ本人も、自分が魔化魍であることを受け入れた影響か、自らの容姿の変化に疑問を持つ素振りを見せることはなかった。
それよりも今は――。
「さあ……もっと楽しみましょ? もっとわたしを楽しませて? 腐り切った魂を持ったあなたには、惨たらしい死がお似合いよ? だからゆっくり丹念に痛めつけて、この手で確実に嬲り殺してあげるわ……」
床面に降り積もった雪の絨毯をゆっくりと踏み締めて、氷霧のベールを潜りながら、フブキは着実に副学長の許へと歩み寄っていく。
痛みの消えた頭はスッキリと澄み渡り、邪心を受け入れた胸中は清々しいまでに晴れ渡っている。
もう、自分がこれまで何を使命とし、何に苦しみ、そして、
そんな瑣末なことなど心底どうでもいい。
今はただ、目の前の男を追い込むたびに感じる、この身をゾクゾクと震わせるほどの快楽に、いつまでも酔い痴れていたいだけだった。
身動きが取れず、副学長の欲望の捌け口になるしかなかった先刻までとは打って変わり、逆に相手を自由に嬲る権利を得たフブキは、嬉々とした表情で副学長の傍で足を止める。
徐に片腕を伸ばし、壁に凭れながらへたり込んでいた副学長の首を鷲掴みにすると、その体を軽々と頭上に持ち上げ、宙に浮かせた。
「あ゛っ……グッ……ガッ……!?」
脱力し切った副学長は、為す術なく首を締め上げられる。
呼吸を求めて藻掻き苦しむ、宙づり状態の彼の苦しげな顔を見上げながら、フブキは妖しい笑みを湛えてその言葉を口にする。
「フフッ……。あなたの苦痛に歪んだ顔を見られて、わたしはとぉっても幸せ……。さあ……次はどこを砕いてやろうかしら?」
まるで吟味するように、副学長の体のあちこちに視線を這わせつつ、次にどの部位を凍らせようかと、愉しそうに思考を巡らせる。
「頭を砕くのはやっぱり最後がいい……。じゃあ次は……足にしようかしら……」
そう言って口角を不気味に吊り上げると、フブキの目は宣言通り、副学長の片足――正確には左足部に狙いを定めた。
首を絞め上げている方とは反対の腕を焦らすようにゆっくりと近づけていき、ぶらりと垂れ下がった左足首を掴み取ろうと手を開いた。
だが、その指先がスラックスの裾に触れかけた、ちょうどその時――。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!!
突如として聞こえてきた、扉を外側から何度も強打する音が、フブキの手の動きをピタリと停止させた。