【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも― 作:裕ーKI
フブキのものとは到底思えない――思いたくなどない……そんなフブキの濁り切った気の流れを頼りに、大学構内にある研究室棟の中を駆けずり回っていた狐夏は、気配の奔流が一際大きく色濃い部屋を見つけ出し、その扉の前で立ち止まっていた。
このドアの奥に、間違いなくフブキさんはいる……。
かくの如き確信と、できることならこの先に待つ現実を直視したくないという恐怖心を同時に胸に抱きつつも、狐夏は意を決してドアノブに手を掛けた。
ところが、何度ドアノブを捻っても、どうやら内側から施錠されているらしく、扉はビクともしなかった。
こんなことでモタモタしている場合じゃない……。
そう考えた狐夏は、思い切って扉を蹴破ることにした。
僅かに後退して扉との間合いを測り、力強くハイキックを叩き込む。
とはいえ、さすがに扉を壊すためだけに鬼になるわけにもいかず、威力を加減せざるを得なかった故に、1度の蹴りでは破壊するまでには至らなかった。だがそれでも、2度3度と蹴り込むうちに、扉は確実にくの字にひしゃげていった。
あと1発……。
狐夏は渾身の力を込めると、左足を軸にした大振りの後ろ回し蹴りで、ついに扉をブチ破った。
外れた蝶番ごと床に倒れ込んだ扉が、耳障りな衝突音を響かせる中、しかしその瞬間に狐夏の視界を遮ったのは、部屋の奥から一気に流れ込んできた凄まじい冷気の暴風だった。
「くっ! なにこれ……雪!? なんで……!?」
雪の名を持つ鬼の弟子として、降雪が当たり前の寒冷地での活動には慣れているとはいえ、それでも思わぬ所で不意打ち気味に風雪に煽られれば、いくら狐夏でも反射的に両手で遮り、顔を背けずにはいられなかった。
自身の一瞬の怯みに思わず歯噛みをしつつも、狐夏は気を取り直して前方に向き直り、勢いよく部屋の中へと飛び込んでいった。
研究室内を吹き荒ぶホワイトアウト。
狐夏が顔の前でクロスした両腕の間から垣間見た光景は、一面の雪景色だった。
床にも壁にも天井にも、所狭しと張り巡らされた白い霜が、まるで氷の結晶のように煌めいていた。
そして、そんな氷結した空間の中に、狐夏に背を向けて佇む1つの影があった。
「え……」
それは胸を撫で下ろすには、あまりにも異質で異形のシルエットであり、その正体は、狐夏の心を抉るには十分すぎるほど残酷なものだった。
真っ白な視界の先で。
荒れ狂う雪の嵐の中で。
その後姿は決して動じることなく立っていた。
張り裂けたブラウス。
半裸の背中に生えた、純白の両翼。
翻る長い白髪の隙間から覗く、白い肌。
頭上に掲げた片腕の先には、首を掴まれ宙づりにされている初老の男。
そんな影の正体を、狐夏は一瞬、本気で認識することができなかった。
それほどまでに、その影はかつての面影を感じさせないほどに変貌してしまっていた。
けれども狐夏は――。
「フブキ……さん……?」
顔の前に置いていた両腕をゆっくりと下ろしながら、絞り出すような声でその名前を口にした。
雪嵐の轟音が部屋中に犇めく中、しかしその声は確かに“彼女”の耳に届いていた。
名前を呼ばれた“彼女”は、徐に首を捻って振り返り、肩越しに狐夏の方へと視線を向けた。
それはたった1日とはいえ、離れ離れになっていた師匠と弟子が――相思相愛の2人が、ようやく再会し、目と目を合わせた瞬間だった。
ところが、刹那に狐夏が感じ取ったのは、再会の喜びや安堵の感情などではなく、背筋がゾッと震え上がるほどの恐怖と戦慄だった。
「うそ……」
戸惑う狐夏の視線の先でフブキが浮かべる表情は、狐夏が心のどこかで期待していた温かみのあるものとは、あまりにもかけ離れていた。
そこにあるのは、どこまでも不気味な異形の目。
底無しの暗闇のように真っ黒な強膜。
その中心で妖しく光る、血紅色の虹彩。
爬虫類を彷彿とさせる縦長の瞳孔が齎すのは、師匠としての慈しみある眼差しでもなければ、恋い慕う者を見る情熱的な眼差しでもなかった。
そこにあるのは、狐夏の知る普段の心優しいフブキならば絶対に浮かべることはない、悪意と殺意と狂気に満ち溢れた、邪悪なる眼光のみ。
「そんな……。フブキさん……なんて姿に……」
呆然と立ち尽くす狐夏を見るフブキの瞳は、まるで汚物でも見ているかのように、軽蔑と嫌悪で色濃く歪みきっていた。
「小宮香 狐夏……」
細首を絞め上げていた手の力を途端に緩めて、満身創痍の副学長を無造作に床へ落すと、フブキは体ごと狐夏の方へと向き直る。
紫色に染まった妖艶な唇から紡ぎ出されたその声は、狐夏がこれまで耳にしてきた、穏やかで慈愛に満ちたフブキのそれとはあまりにも程遠く、まるで別人のように冷たく抑揚のない声質をしていた。
そして、親密性の欠片も感じられないその声で呼名された狐夏は、大きな違和感とショックを隠し切れず、わなわなと雪の被った肩を震わせた。
「なん、で……? フブキさん……、いつもみたいに……“狐夏”って……呼んでくれないんですか……?」
思わず口を衝いて出たその言葉を、フブキに恐る恐る投げ掛けるが、彼女の表情は微塵も変わらない。
それどころか、その問いに答えることすらせずに、フブキは蔑むような口調で淡々と狐夏を突き放した。
「目障りな人間……忌々しい鬼の分際で、一体何しに来た……?」
「な、何って……そんなの……フブキさんを助けに来たに決まってるじゃないですか……! だって約束したでしょ……? ほら……ヒビキさんに協力してもらって、鬼火もこうしてここにあるんです! だからこれで……」
そう言いながら、狐夏はロングコートのポケットから紫色の陰陽環を取り出した。それを掲げると共に、フブキの許へと歩み寄るが……。
「そう……。お前もか……」
「え……?」
「お前もわたしから……“幸せ”を奪おうというのね……」
すると刹那にフブキが取った行動は、狐夏にとってにわかには信じがたいものだった。
「あっ……!?」
狐夏がフブキの胸に押し付けるように差し出した陰陽環を、あろうことか、フブキは何の躊躇もなく自らの手で払い除けたのだ。
その衝撃で狐夏の手を離れた陰陽環は、そのまま宙を舞い、雪の積もった床面へと落ちていった。
「そんな……どうして……。なんでこんなこと……。一体どうしちゃったんですかフブキさんッ! しっかりしてくださいッ!」
「黙れ、耳障りな小娘が……。汚らわしい名前で、このわたしを呼ぶな」
そう告げるなり、フブキは開いた掌を大きく振り下ろす。
風音が唸る中、直後に2人の間を鳴り渡ったのは、パァンと乾いた打撃音だった。
気づいた時には、狐夏はフブキの重い平手打ちを頬に受けて、そのままバランスを崩した挙句に床に倒れ込んでいた。
「え……? あ……ぇ……」
その瞬間、狐夏はまたしても頭の中が真っ白になった。
ジンジンと痺れ、熱を持ち始める頬に手を触れながら、茫然とした表情で、フブキの怪物染みた冷たい目を見上げることしかできなかった。
今まで、たとえどんなに厳しい修行の最中でも、決して暴力だけは振るうことのなかった師匠が、初めて自分に手を上げた。
その事実が――その衝撃が、途端に狐夏の挙動を著しく鈍らせる。
なんで……。
フブキさんが……私を……?
うそ……。うそでしょ……。
このひとは……ほんとうにフブキさんなの……?
私のしっているフブキさんは、こんなことぜったいにしないのに……。
私のしっているフブキさんは、どんなときでもやさしくて、あたたかくて……。
でも……いま、めのまえにいるフブキさんは、じぶんのことを“僕”とさえいわない……。
いまのフブキさんは、しんじられないくらいじょせいてきで、でも……おそろしいくらいひややかで……。じぶんのことを“わたし”といっていた……。
“わたし”。いつもの“僕”――じゃなくて、“わたし”……。
いまのフブキさんは、私のしってるフブキさんじゃない……。
錯乱した狐夏の目には、いつの間にか大粒の涙が止め処なく溢れていた。
頬の痛みより何よりも、変わり果てた今のフブキから、自分が愛してきたフブキを感じ取ることができないという喪失感が、狐夏の心を深く抉り、傷つけていた。
「私のフブキさんは……どこ……」
力なく項垂れ、涙をポタポタと床に落としながら、狐夏は絶望的な表情で儚げに呟いた。
すると突然、そんな彼女の頭上から、フブキのものとは異なる
「申し訳ありませんが、あなたの求めていた吹雪鬼なる鬼は、最早この世には存在しないのですよ……」
その声に、ハッと我に返った狐夏が反射的に顔を上げると、まるで最初からそこにいたかのように、フブキの左翼の陰から1人の男が姿を現した。
全身に白い布を纏った細身のその男は、なんと6日前にフブキと狐夏が取り逃がしたユキジョロウの童子だった。
「お前……なんでここにッ!?」
自分たちに代わって、仲間の1人が捜索しているはずの標的――その片割れの思わぬ出現に、狐夏は両目を大きく見開いて驚愕を露わにする。
だが、そんな狐夏の驚きを他所に、今度は右翼の陰から、童子と同じような格好をした女性が1人、スッと物音1つ立てずに現れた。
「申し訳ありませんが、あなたが好いていた吹雪鬼なる鬼は、既に我らの子となったのです……」
案の定、それはユキジョロウの姫であり、彼女もまた、男の姿をしていながら女の声を発する童子と同様に、女の姿でありながら男の声で狐夏に語り掛けてきた。
「フブキさんが……お前らの子供……!? 意味がわからない……。そんなことあるわけ……」
混乱と動揺が収まらぬ中、それでも狐夏は、どうにか唇を動かし反論しようとするが……。
「残念ながら事実ですよ……? 今やこの子は、人間でもなければ鬼でもない……」
「そう……。今やこの子は、我らの新たな娘……」
淡々とした口調で交互に告げた末に、ユキジョロウの童子と姫は、口を揃えて断言する。
「「長女ユキジョロウの遺志を受け継ぎ、生まれ変わりしこの子は、ユキオンナ……。我らに選ばれた、愛しき次女の名前です……」」
童子と姫のその言葉に、狐夏は思わず絶句した。
「ユキ……オンナ……?」
いや、最早絶句どころではない。奈落に突き落とされるかの如く、茫然自失に追いやられた狐夏は、完全に二の句が継げなくなっていた。