【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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十九:潰れた果実の涙

 ユキオンナとは、冬に発生する大型魔化魍の一種である。

 

 その姿は、本来は昆虫の羽を生やした巨大なクラゲのような外見をしており、全身から伸びた白く夥しい触手の束の曲線が、その名を示さんばかりに女性の長髪のようだと言われている。

 

 冬の魔化魍との戦いを主とするフブキの弟子である狐夏も、勿論その情報は心得ており、実際、過去に何度か相対し、フブキと共に退治した経験も持っていた。

 

 しかし、そうして実物を知っている狐夏からすれば、フブキがそのユキオンナと同一の存在になったとは、どうしても信じることができなかった。

 

 いくら今のフブキが人と異なる姿をしているとはいえ、どう見ても容姿もサイズも違いすぎる。

 

 いや、そもそもそんな話、安易に真に受けるつもりなど狐夏には毛頭なかった。

 

 確かにここへ来るまでの間、自分でも同じようなことを思いがけず考えてしまっていたのは事実だが、それでも狐夏の心は、今もその考えを頑なに否定し続けていた。

 

 フブキさんが魔化魍なんて……。

 

 ユキオンナなんて……。

 

 そんなの絶対に認めない……。

 

 認めたくない……。

 

 狐夏の揺らめく瞳の先では、相変わらずフブキが冷笑を浮かべながら蔑んだ目を向けてきている。

 

 敵であるはずの童子と姫がすぐ傍に立っているというのに、敵意や警戒心を見せる素振りすらない。

 

 それどころか、彼らが傍にいることは当然の状況であるかのように、フブキの様子はどこか落ち着き払っていた。

 

 彼女の敵意や警戒心は、寧ろ狐夏の方へと強く向けられており――。

 

 

 

「フブキさん……どうして……」

 

 

 

 師匠としても、恋人としても、らしからぬその佇まいを見るに堪えない狐夏は、思わず目を逸らしながら嘆声を漏らす。

 

 すると、フブキの両脇で泰然自若と立っていたユキジョロウの童子と姫が、徐に口を開いた。

 

 

 

「この子が変わってしまったのは、人間のせい……」

 

 

 

 傍らにいるフブキに視線を流しながら、童子が告げると、

 

 

 

「そう……。この子はずっと耐えていた……。耐えて耐えて、そして苦しんでいた……」

 

 

 

 同じようにフブキの横顔を見つめながら、姫も続けて言葉を添える。

 

 まるで憐れむような視線をフブキに送る2人の様子に、狐夏は「何を言ってる……?」と、訝しげに眉を顰めた。

 

 その声に応えるかのように、改めて狐夏の方へと向き直った童子と姫は、滔々と顛末を語る。

 

 

 

「この子は甲斐なく負けたのです……。人間の悪意と、自分自身の憎しみに……」

 

「この子は本来護るべき存在であるはずの人間に裏切られ、御身も心も踏み躙られたのです……」

 

「ご覧なさい……、あちらで怯え縮こまっている……愚かな男の惨めな様を……」

 

 

 

 そう言って、童子が一瞥した部屋の片隅で蹲っていたのは、フブキに舌と右腕を奪われ、痛ましい姿となり果てた副学長だった。

 

 室内の冷凍庫並みの寒さと、体の一部を欠損したことによるショック、そして、眼前で起きている常軌を逸した事態の連続に、副学長はその身をガタガタと震わせながら、恐怖に歪んだ顔でフブキや狐夏たちを見ていた。

 

 

 

「あなたはあの男の下劣で浅ましい本性を知っていますか……?」

 

「浅ましい本性……?」

 

 

 

 童子の視線に促され、怖気づいている副学長に目を向けていた狐夏は、姫にそう問われて視線を戻す。

 

 狐夏にとって副学長は、学生時代に構内で何度かすれ違った程度の印象しかなく、この状況を知るまで記憶にすら残っていなかった。

 

 そもそも、なぜ今このタイミングで、今回の事案とは無関係であるはずの副学長がこの場にいるのか、狐夏には皆目見当がついていなかった。

 

 そんな不審顔を浮かべる狐夏に、童子と姫は代わる代わる告げる。

 

 

 

「奴は狡猾で卑怯……。抵抗叶わぬ“おなご”の悲鳴に一切の耳を貸すこともなく、己が情欲に身を任せてその心身を嬲り犯しておきながら、立場が入れ替わるや否や、己が為した罪を棚に上げ、然も一方的な被害者気取りで振る舞っている……。なんとも俗悪極まりなく、卑しい人間です……」

 

「その通り、全くもって見るに堪えない……。人間というのは、どこまでも勝手で醜い生き物です……」

 

「あなたが吹雪鬼と恋い慕っていた我が子は、そんな人間の醜さに絶望し、嫌気がさし、人であることを捨てたのです……」

 

「フブキさんが……人間を見限ったっていうの……?」

 

 

 

 正直、未だ状況を飲み込みきれていない狐夏ではあったが、しかしそれでも、童子と姫の言葉から察するに、フブキが副学長の手によって、何か酷い仕打ちを受けたことだけはなんとなく理解できた。

 

 だが、だからと言って、フブキが人間に敵意を抱いて魔化魍になったとは、やはり信じることができなかったし、信じたくなかった。

 

 狐夏にとってフブキは、いつだって厳しさと優しさを兼ね備えた尊敬できる師であり、かけがえのない最愛の恋人。そして、人々を護ることに誇りと信念を持った、気高き鬼なのだから。

 

 

 

「違う……。フブキさんは……そんな人じゃない……」

 

 

 

 力なく首を振り、狐夏は悲観に暮れた声で、童子と姫の言葉を否定する。

 

 

 

「お願い……。フブキさん……お願いだから目を覚まして……」

 

 

 

 そうして、虚ろな眼差しをフブキの方へと向けながら、縋るように懇願するが……。

 

 

 

「ハハッ。目を覚ますって何から? お前如きが、わたしのことを知った風に語らないでくれる? わたしの本心を、何1つ見抜くこともできなかったくせに」

 

 

 

 それでもフブキは、容赦なく一蹴した。

 

 弟子であるはずの狐夏の否目を躊躇なく、冷たく高らかな嘲笑を交えて。

 

 お前……如き……?

 

 本心って……なんのこと……?

 

 愛する師匠の無情な振る舞いに、狐夏は唖然と言葉を失う。

 

 

 

「お前などにはわかるまい! 今のわたしこそが、本当のわたしなのッ! わたし自身、そのことに気づいたのはついさっきのことだけど、おかげで今はとってもいい気分! だって……魔化魍になれたおかげで、ずっと欲しかったものが全部手に入ったんだからぁ……」

 

 

 

 まるで感情の昂ぶりに身を委ねるかのように、フブキは両腕を左右に大きく開き、自分の肩をギュッと抱きしめる。そして、満悦とした顔を天井に向けながら、恍惚と酔いしれるように声を張り上げた。

 

 

 

「フブキさんの……ずっと欲しかったもの……? なんですか、それって……」

 

 

 

 狐夏が恐る恐る訊ねると、視線を戻したフブキは微笑混じりに答える。

 

 

 

「フフッ。決まってるでしょ、“自由”と“家族”よ?」

 

「自由と……家族……?」

 

 

 

 フブキの口から当然のように告げられたその言葉は、しかし狐夏にとっては紛れもない初耳のものだった。

 

 

 

「わたしはずっと求めていた……。気の向くままに人間の命を奪い、貪り食らう自由と、どんな時でも傍に寄り添い、常に愛してくれる父と母を……。小宮香 狐夏、わたしが望んでいたのはお前じゃない……。お前では、わたしの心は満たされない」

 

 

 

 フブキの言葉はあまりにも重く冷酷で、その一言一言が、まるで刃物のように鋭利に感じられた。

 

 言葉のナイフにめった刺しにされているような気持ちに襲われた狐夏の精神は、今にも泣き喚いてしまいそうだった。

 

 もうやめて……。

 

 もう聞きたくない……。

 

 これまで共に過ごしてきた、フブキとのかけがえのない大切な時間そのものを、フブキ自身の口から根本的に否定された衝撃は凄まじく、狐夏は止めようのない涙と共に頽れた。

 

 津波のようにドッと押し寄せる、激しい胸の痛みと空虚感。

 

 一瞬、狐夏は自分の中に“無”を感じた。

 

 気力や情熱、反発心が、急速に失われていくのを実感した。

 

 しかしそれでも――それでもなお、狐夏は強がりを放棄して泣き言を上げようとする口の筋肉を、半ば強引に引き締めた。

 

 

「ほん……と……に……」

 

「ん?」

 

「ほんとうに……そんな……こと……そんなこと……思ってたんですか……。人の命を奪うとか……家族がどうとか……。いや……それより……私じゃ駄目って……」

 

 

 

 グズグズと鼻を啜る音。上下に震える両の肩。嗚咽混じりのか細い声。

 

 みっともなくしゃくり上げながらも、狐夏は懸命に訴え掛けた。

 

 だがそれすらも、フブキは一笑に伏す。

 

 

 

「フッ。ええ……勿論。わたしは人間が心底気に食わない。それを護る鬼共もね……。あんな奴らを護ろうとしてきたなんて、以前のわたしは本当にどうかしていた……」

 

「本気……なんですか……」

 

「わたしが愛しているのは、わたしを愛してくれる家族だけ。小宮香 狐夏、かつてのわたしが抱いていたお前への慈しみは、今のわたしにとっては、最早単なる汚点でしかない。なんとも不快で、目障りな記憶だわ」

 

 

 

 はっきりとそう断言するフブキの言葉に、狐夏はもう、何も言い返すことができなかった。

 

 今のフブキの口から紡ぎ出されるのは、ことごとく悪意と侮蔑に染まりし言ばかり。

 

 人類の自由と平和を護ってきた音撃戦士の言葉とは――自分が愛して、自分を愛してくれた想い人の言葉とは、もう到底思うこともできなかった。

 

 

 

「ふ……ぅ……ぐッ……う……ぁ……あ……ッ……ああッ……ああああッ!!!」

 

 

 

 胸の奥から込み上げ続ける、悲哀の奔流を堰き止めることができぬまま、とうとう狐夏は、その場に突っ伏し哀哭した。

 

 まるで子供に還ってしまったかのように。

 

 床面に降り積もった雪を溶かす勢いで、大粒の涙を垂れ流しながら。

 

 抑えの効かない声を震わせ、ただひたすらに……咽び泣く――。

 

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