【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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・Inside Story

大学時代。講師のフブキが、教え子の狐夏に好意を持ち始めた時、最初に強く印象的に感じたのは、彼女の笑顔でした。

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二十:凍える接吻

 もう、何もかもが嫌だった。

 

 一体何のためにここまでやってきたのかさえ、わからなくなりそうだった。

 

 自分のしてきたことは無駄だったのか?

 

 自分のやってきたことは無意味だったのか?

 

 そんな絶望的な想いが、狐夏の心を満たしていった。

 

 全身に纏わりつく雪片混じりの風も、横たわった体を冷やす雪の絨毯も、そして、頭上から降り注ぐ温もりなき視線の雨も、全てが不快で、煩わしくて。

 

 狐夏はそれらから逃れるように、濡れた瞼を閉じて、顔を床面へと押し付けた。

 

 愛も絆も失い、差し伸べた救いの手すら払い除けられ、残ったのは虚しさだけ。

 

 押し寄せる諦念の波に抗う術さえも見つからず、無力な鬼娘は悲嘆に暮れる。

 

 するとそこへ、童子と姫が不意に声を掛けてきた。

 

 

 

「お気の毒に……。悲しいのですね……」

 

 

 

 童子が告げる、女声の言辞。

 

 

 

「おいたわしや……。とても辛いのですね……」

 

 

 

 同じく姫が告げる、男声の言辞。

 

 一聴すると、それらは意外にも同情的な言葉であり、瞑目していた狐夏の瞼を思わず怪訝気味に開かせた。

 

 だが同情的といっても、それは所詮、文字をそれらしく連ねて形作っただけの、ただの上っ面の言葉でしかなく、そこに思いやりの感情は微塵も含まれてはいなかった。

 

 その証拠に、狐夏が見上げた先で童子と姫が浮かべている表情は、発言とは裏腹に酷く冷め切っていた。

 

 そもそも、奴らは人間とは根本的に異なる、土塊や木屑から生まれる怪異的な類いであり、“生物”として分類していいのかさえ不明瞭な存在。

 

 そんな奴らが、人間と同等の感情を持ち合わせているかどうかなど、狐夏にとっては到底計り知れないことであり、彼女は懐疑的な目で童子と姫を睨みつけた。

 

 しかし、そのせめてもの反抗的な視線さえも涼しげに流しながら、童子と姫は交互に、そして淡々と、言の葉を紡いでいく。

 

 

 

「ですが安心してください……。次はあなたの番なのですから……」

 

「寂しがることはありません……。もうすぐあなたも、我らと家族になれるかもしれないのですから……」

 

「かぞ……く……? 家族って……」

 

 

 

 フブキも言っていたその言葉に、狐夏は改めて困惑の表情を色濃くする。

 

 眼前の童子と姫は、ユキジョロウを“長女”と呼び、今のフブキをユキオンナと呼称し、“次女”と呼ぶ。

 

 つまり奴らの言う“家族”の意味とは、恐らく――……。

 

 そう考えている間にも、姫はフブキの右翼に添いながら続けて告げる。

 

 

 

「しかしその前に、あなたには試練を授けましょう……」

 

 

 

 そして同じようにフブキの左翼に添いながら、間を置かずに童子が追随する。

 

 

 

 

「以前お伝えしましたね、あなたはまだ雛鳥だと……。これはその殻を破れるか否かの試練……」

 

 

 

 雛鳥……。

 

 雪山での最初の戦いの時、確かに童子にそう言われたことを思い出し、狐夏は顔を強張らせる。

 

 その顔を見据えながら、童子と姫は代わる代わる、さらに語る。

 

 

 

「我らが望むは、強き子孫の繁栄……。我らにとって天敵たる“鬼”を敢えて素体とし、強靭なる稀有の子供たちを生み出し、増やしていく……」

 

「それこそが我らの願いであり、()()()()()()の願い……。目には目を、鬼には鬼を……。我らを滅ぼさんとする鬼共に対抗するためには、鬼から変わりし特別な同胞の力が必要なのです……」

 

「同胞……。やっぱり……お前たちの言う家族ってそういう……」

 

 

 

 狐夏の想像を肯定するように、童子と姫はゆっくりと頷く。

 

 

 

「長女ユキジョロウの命は礎となりました。しかしその甲斐あって、ここにまず1人、我らが求める傑物が誕生したのです……」

 

 

 

 そう言いながら、童子は愛おしげにフブキの頬を撫でる。

 

 

 

「くっ……やめろ……」

 

 

 

 その様子が、まるで自分の大切な宝物を、他人の汚い手に触れられているように感じて、狐夏の胸中は一層の憤りに苛まれる。

 

 

 

「そして先ほどもお伝えした通り、次はあなたの番……。次はあなたが、我らの子供となる時……」

 

「ですが先ほどもお伝えした通り、あなたはまだ雛鳥……。あなたはまだ、我らが欲する高みへと至ってはいない……」

 

「だからこそ、こちらから成長を促すのです……」

 

「そう……。我らが求めるは熟した鬼の因子……。これから与える試練を乗り越え、見事死線をくぐり抜けた暁には、きっとあなたは我らの家族となるに相応しい素体へと昇華することでしょう……」

 

 

 

 まるで意識を共有しているかの如く、一切の乱れなく交替に語った童子と姫。

 

 その表明の末に、2人はフブキに目配せを送りながら、口を揃えて命ずる。

 

 

 

「「さあユキオンナよ……、この未熟な小鬼にも、我らが慈悲の導きを……」」

 

 

 

 ユキジョロウの童子と姫を親愛なる両親と認識している今のフブキにとって、それは愛情表現にも等しい“親の言いつけ”だった。

 

 その言葉を聴き入れた途端、フブキの口角が嬉しそうに吊り上がる。

 

 

 

「はぁい♡ お父様、お母様、お任せをぉ……♡」

 

 

 

 かつての清純で凛としていた口調はどこへ行ってしまったのか、快活ながらも妖艶な間延びを孕んだ返事で応えたフブキは、次の瞬間、床に横たわっていた狐夏の体に勢いよく覆い被さった。

 

 その光景は宛ら、先刻フブキが副学長にされたことと同じ行為を、今度はフブキ自身が狐夏に対して執り行っているかのような構図だった。

 

 狐夏の体を強引に仰向けにし、その双腕を左右の手で押さえ込む。

 

 そうして、狐夏の上半身を覆うように馬乗りの体勢を取ったフブキは、肉付きの良い太ももで狐夏の体を圧迫し、完全に動きを封じ込めた。

 

 

 

「いやッ!? やめてフブキさんッ! なにを……!? 嫌だッ……」

 

 

 

 必死に身を捩って抵抗する狐夏だが、その体はガッチリと押さえつけられ、逃れることは叶わない。

 

 普段なら喜んで受け入れるフブキとの密着も、今回ばかりは恐怖しか感じられなかった。

 

 そうした狐夏の不請顔に、フブキは嗜虐的な笑みを浮かべながら、自らの顔をゆっくりと近づけていく。

 

 

 

「ンフッ♡ 大人しくしてなさい? 心配しなくても、家族になったらまた愛してあげるから……。今度は恋人じゃなくて、妹としてね……」

 

「フブキさんと……家族……? フブキさんの……妹……?」

 

 

 

 フブキが放ったその提案は、不覚にもほんの一瞬だけ、狐夏の心に迷いを生じさせた。

 

 怖気とは別の意味を孕んだ鼓動がドキリと高鳴り、強張っていた顔の筋肉が無意識に緩みかけてしまう。

 

 だが、その言葉の真の意味をすぐに思い返し、狐夏は咄嗟に首を横に振る。

 

 フブキがこの世の誰よりも大切な存在だと、揺るぎない絶対の価値観を常日頃から胸に秘めている狐夏にとって、フブキと近親になれるということは、確かにこれ以上ないほど魅力的な話ではあった。

 

 しかし折悪しくも、今のフブキは狐夏が愛していたフブキとはまるで違う。

 

 魔化魍となり、価値観が180度変わってしまった今のフブキは、人間だった頃の愛情を持って狐夏を見てはくれない。

 

 たとえ家族になれるという話が真実だとしても、本来の情を交わせぬ今の関係のままでは、狐夏はフブキの想いに応えることはできなかった。

 

 それにそもそも、今のフブキと家族になるということは。

 

 今のフブキの、妹になるということは。

 

 とどのつまりそれは――。

 

 

 

「だめッ! やっぱりそんなのは嫌……! なりたくない……魔化魍なんかになりたくないッ! やめてッ! やめてフブキさんッ! お願いだからぁああ!!!」

 

 

 

 体を襲う圧迫感に歯を食い縛りながら、狐夏は首や上半身をできる限り振り乱し、一心不乱に藻掻き抗った。

 

 大好きなフブキを拒まざるを得ないこの状況に、形容しがたい悔しさと悲しみが溢れ返り、涙ながらに絶叫する。

 

 そんな狐夏を、フブキはジワジワと追い詰めていく。

 

 寵愛すべき愛弟子であり、恋人であるはずなのに。

 

 彼女の有らん限りの悲鳴も、涙でグシャグシャになった表情も、今のフブキにはまるで届かない。

 

 フブキはすっかり忘れてしまっていた。

 

 自ら魔に堕ちた、そもそもの動機を。

 

 確かに激しい狂気や殺意、憎悪に駆られていたのは疑いようのない事実。

 

 しかしそれでも、その根底にあったのは、狐夏に対する尽きることのない深い愛情と、彼女を護りたいという一心だったはず。

 

 なのに今では、自分でも気づかないうちに、血に塗れた昨晩や、一般人の女性を貶めた今朝と同じように、狐夏を愛する気持ちそのものを失くしてしまっていた。

 

 失くしたまま、失くしたことに気づくこともできぬまま、今まさに、その狐夏を壊そうとしている。

 

 己の罪深い行いが引き起こしている現状を、客観的に認識することもできずに、フブキは“お父様”と仰ぐ童子と、“お母様”と仰ぐ姫の言いつけを、ただただ忠実に遂行することだけを考えていた。

 

 

 

「せっかく機会を与えてくださったんだから、お父様とお母様のご慈悲に精々感謝しなさい?」

 

 

 

 冷笑を浮かべた自らの顔を、フブキは狐夏の眼前へと寄せていく。

 

 そうしてついに、吐息が鼻にかかる距離まで迫った白皙の美貌に、狐夏は恐怖と絶望で堪らず目を剥いた。

 

 

 

「嫌ッ! いやぁあああ! たすけ……助けてッ! 誰か助けてぇえええ!!」

 

 

 

 誰に届くこともない悲痛な叫びを木霊させながら、必死になって助けを乞い願うものの、非情にもこの場に駆けつけてくれる者など1人もいない。

 

 もう駄目だと、全てを諦めかけた狐夏は、ギュッと強く目を瞑り、最も信頼し愛している者に思わず助けを求めた。

 

 

 

「お願い助けてッ! 助けてフブキさんッ!!!」

 

 

 

 それは他の誰でもない、たった今自分に牙を剥いている者の名前だった。

 

 恐怖と絶望のあまり、狐夏は無意識にその名前を叫んでいた。

 

 どんな姿になろうとも。

 

 どれだけ敵意や狂気を向けられようとも。

 

 狐夏にとってフブキは、いつだって誰よりも一番信頼している師匠であり、心の底から愛している大切な人なのだから。

 

 するとその呼び声に呼応するように、思わぬことが起きた。

 

 室内に降りしきる氷粒に紛れて、不意に落ちてきた一滴の熱い雫が、狐夏の頬をポタリと濡らしたのだ。

 

 そして、続けざまに微かに聞こえてきたのは、か細い声。

 

 

 

「ご…………ご……め……ッ……」

 

 

 

 その声に、狐夏は閉じていた瞼を恐る恐る開いた。

 

 溢れていた涙が粒となって双眸から流れ落ちると、同時に視界が徐々に鮮明になっていく。

 

 次の瞬間、狐夏は驚愕のあまり言葉を失った。

 

 見上げた視線の先に映っていたのは、涙を滲ませた異形の瞳だったのだ。

 

 直前まで向けられていた冷笑がいつの間にか影を潜め、代わりに悲し気な表情を浮かべたフブキの顔がすぐそこにはあった。

 

 まるで誤作動でも起きたかのように動きを止めたフブキは、震える唇をそっと開いて、辛うじて言葉を口にした。

 

 

 

「ご、めん……ごめん……ね……こなつ……。ぼくはただ……きみを……まもりたかった……だけ……なの……に……」

 

 

 

 今にも消え入りそうなその声は、しかし紛れもなく狐夏のよく知るフブキのもの――そうに違いないと、狐夏の直感が知らせていた。

 

 消失したはずのフブキの人間だった頃の人格が呼び覚まされたのは、フブキの名を呼んだ、狐夏の心からの叫びが引き金だった。

 

 その叫びを耳にした瞬間、フブキの脳裏には、いつか聞いた同じような悲鳴が蘇っていた。

 

 “お願い助けてッ! 助けて冨樹さんッ!!!”

 

 それは数年前、丁度オロチの脅威に日本中が脅かされていた頃、当時はまだ、鬼の存在も知らないごく普通の女子大生だった狐夏が上げた、喚呼の声。

 

 あの時、今のフブキと同じように、魔化魍の邪悪な気に当てられ、狂ってしまった1人の親友の手により、狐夏は今と同じような冷気が充満した冷たい空間の中に拘束されていた。

 

 分厚いロープで手足をパイプ椅子に縛り付けられ、眼前には正気を失い歪んだ笑みを浮かべる親友と、オロチの影響で生まれた1匹のウワンがいた。

 

 助けに駆けつけたフブキは、そんな狐夏の悲鳴を聞き入れて、当時隠していた鬼の正体を曝け出し、事件の元凶だったウワンを退治した。

 

 狐夏にとってはそれこそが、鬼の存在を知り、フブキの弟子となるきっかけとなった事件だった。

 

 そして現在、狐夏の往時の叫びと今の叫びが、フブキの中で奇しくも重なり合い、人間としての人格を取り戻させる呼び水となっていた。

 

 

 

「フブキ……さん……? 正気に――……」

 

 

 

 しかしてそれは、ほんの束の間の出来事に過ぎなかった。

 

 狐夏に向けられていたフブキの沈痛な表情は、すぐにハッとなり消え失せた。

 

 生気が抜けるかの如く、途端に虚ろに染まったフブキの顔は、まるで引き寄せられるように狐夏の口元へと迫っていき、そして――。

 

 

 

「ンむッ!?」

 

 

 

 狐夏が驚きの声を上げる間もなく、フブキはその唇に自らの唇を押し付けた。

 

 

 

「オ゛ッ……ゴヴッ……」

 

 

 

 そうして、突き出した舌先で狐夏の口唇を強引に割り開くと、フブキは喉奥から溢れさせた、ドロリとした粘液状の冷たい体液を狐夏の口腔内へと流し込んでいった。

 

 状況を理解する暇もなく、抵抗すらできず、されるがままに得体の知れない液体が、狐夏の体内に注がれていく。

 

 

 

「ン゛!? んぐッ!? ガッ……ぐっ……ンッン゛ン゛……!?」

 

 

 

 喉壁を貫かんばかりの強烈な冷感が、食道を通過して胃の腑に落ちていく感覚をまざまざと感じ取りながら、狐夏はくぐもった悲鳴を上げる。

 

 やがて、ゴキュリと一際大きな嚥下音(えんげおん)が狐夏の喉から響くと、フブキは重ねていた口から唇を離し、ようやく狐夏の体の上から身を引いた。

 

 不調を訴えるように眉を顰め、ふらついた足取りでフブキが後退していく。

 

 そんな中、狐夏は突如として全身を駆け巡り始めた強烈な悪寒に襲われ、ビクンと体を痙攣させながら、まるで陸に打ち上げられた魚のように、床の上を激しくのた打ち回りだしていた。

 

 

 

「んあッ!? アッ! あッ! アッ……アアア……ハッ……ハッ……フッ……なッ……なにこれッ!? 寒いッ……からだ……が……! まさ、か……これが……」

 

 

 

 魔化魍となったフブキの口移しで強制的に飲まされた彼女の体液は、あらゆる生き物から全ての熱を根こそぎ奪い取ってしまう邪な冷気を帯びていた。

 

 その効果は絶大であり、狐夏が身につけていた師匠直伝の超低温に対する耐性さえも、全くと言っていいほど意味をなさなかった。

 

 今にも凍り付いてしまいそうなほどの寒気に、狐夏の体の震えは止まらず、自分の意思とは無関係にガチガチと歯が鳴ってしまう。

 

 肌の血色も見る見る失われていき、蒼白く染まっていく体表には、ポツリポツリと氷粒が浮かび始めていた。

 

 

 

「フ……フブ……フブキ……さ……ァ……ウッ……アッ……ァァ……」

 

 

 

 内臓を締め上げられ、心臓が杭で打たれたかのように痛みだし、最早呼吸さえもままならない。

 

 急激に意識が朦朧とし、チカチカと点滅し霞んでいく視界の中で、それでも狐夏は、辛うじてフブキを見据える。

 

 視線の先では、フブキが両手で頭を抱えながら、その場にペタリとへたり込んでいた。

 

 

 

「なに……この感覚……気持ち……悪い……。わたし、は……わたしッ――……ぼ……く……ぼくは……一体……いったい……だれ……?」

 

 

 

 人間だった頃の記憶と感情の思わぬ回顧により、魔化魍としての自分を見失ってしまったフブキは、混濁した意識の中で、うわ言のようにブツブツと自問自答を繰り返していた。

 

 すると、苦悶の表情を浮かべるフブキの肩に、童子と姫はそっと手を乗せる。

 

 

 

「どうやらまだ……身魂に自我が馴染み切っていないようですね……」

 

「けれども所詮、妨げしは前世(かこ)の残滓に過ぎません……」

 

「ならば今一度、我ら自ら薫陶(くんとう)を施し整えて差し上げましょう……」

 

「二度と精神を掻き乱されぬよう、今度はあなたの姉の魂が眠る彼の地にて、念入りに浄化して差し上げましょう……」

 

 

 

 交互に語りかけた2人は、脱力したフブキの体を半ば強引に立たせると、その身柄を担ぎながら、床に倒れ伏している狐夏を一瞥する。

 

 

 

「あなたはこれから、冷たい死へと誘われるでしょう……。ですがその死に抗い、乗り越えることができた時、晴れてあなたは、我らと家族になる資格を得るのです……」

 

「期待していますよ……、逞しく成長したあなたが、再び我らの前に現れてくれることを……」

 

 

 

 その言葉を残して、童子と姫はフブキを連れて姿を消した。

 

 室内を飛び交う風雪に紛れるように、自らの体を白い粉雪に分裂させると、風に乗って亀裂の走っていた窓ガラスを突き破り、そのままどこかへと飛び去って行った。

 

 

 

「ま……待って……行かない……で……フブキ……さ…………」

 

 

 

 取り残された狐夏は、フブキの姿が見えなくなるその瞬間まで、弱々しくも片腕を必死に伸ばし続けていた。

 

 けれども、どんなに伸ばしてもその想いは届かず。

 

 既にフブキがこの部屋にいない事実を突きつけるかのように、室内を銀世界に変えていた吹雪は、途端にピタリと治まった。

 

 とうとう力尽きたその腕が、雪の積もった床面へと敢え無く落ちる。

 

 宙を舞う煙が霧散していくように意識が薄まっていく中、狐夏は指先に微かに触れた硬い感触を辛うじて感じ取っていた。

 

 それは先刻、フブキにはたき落されて床に転がっていた、紫色の陰陽環だった。

 

 偶然にも、突っ伏した狐夏の人差し指だけが、僅かにその石の縁に重なっていた。

 

 しかしそれ以上、指を伸ばす余力もなければ、石を引き寄せる力も残されてはいなかった。

 

 瞼が酷く重い。

 

 視界がゆっくりと、漆黒の闇に覆われていく。

 

 

 

(フブキさん……は……私が……助けな……きゃ……。フブキさんを……助ける力が……取り戻す……力が……欲し……ぃ……)

 

 

 

 最期の瞬間まで、そう願い続けていた狐夏の意識は、やがて抵抗しようもなく、一方的に引き摺り込まれるように、完全に深淵の底へと落ちていった。

 

 風音が治まり、

 

 呼吸音が止まり、

 

 ついには心音さえも途絶えた。

 

 物言わぬ亡骸となった未熟な鬼見習いを嘲笑うかのように、真白き部屋には、凄然とした静寂が訪れていた。

 

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