【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも―   作:裕ーKI

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二十一:狐火

 気がつくと、眼前には真っ暗闇な空間が広がっていた。

 

 前後左右、上下といった方向感覚は判然とせず、僅かな光輝も存在しない一面黒塗りの景色。

 

 まるで、自分までもが溶け込んでしまうんじゃないかと思えるほどに重苦しく、匂いや気温、音や空気の感触すらも一切感じ取ることはできなかった。

 

 どれだけ発声しようとしても声は出ず、そもそも自分の瞼が開いているのかすら疑わしい。

 

 どこを見ても、いくら耳を澄ましても、何も見えない、何も聞こえない。

 

 ここはまさに、漆黒の無の世界――。

 

 けれどもそんな視界の先に、やがて一点の光が浮かび上がった。

 

 それは静かに揺らめく、紫色の炎の淡い光。

 

 まるで心惹かれるように、彼女の意識は光に吸い寄せられていく。

 

 すると突然、紫の炎は勢いを増しながら形状を変え、獣を模した姿――4本の足で立つ大きな狐の姿に変化した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 その姿は、彼女が無意識のうちに連想し、思い描いていた形だった。

 

 つい先日、現し世で体験した 炎を操る魔化魍(カシャ)との戦いで負った火傷の記憶――すなわちトラウマが要因となり、彼女の中で、炎=狐というイメージが、いつの間にか精神の奥底に強く根付いてしまっていたのだ。

 

 奇しくも生物的容姿を得た紫の炎は、まるで本当に命を宿したかのような仕草で闇の中を歩き始めた。

 

 一歩、また一歩とその足を着実に踏み出し、ゆっくりと彼女に近づいてくる。

 

 狐の姿となった紫の炎――狐火との間合いが狭まれば狭まるほど、彼女は少しずつ、心地の良い温もりに包まれていくのを感じていた。

 

 恐怖や不安は微塵も湧いてこない。

 

 過剰な熱さや息苦しさも感じない。

 

 寧ろ、その温もりに身を委ねているだけで、自然と心が満たされていくかのような気がした。

 

 それは宛ら、生命エネルギーそのものを分け与えられているかのような不思議な感覚だった。

 

 

 

(あったかい……)

 

 

 

 いつの間にか、彼女はその燃え盛る巨体にくるまれ、抱き抱えられていた。

 

 まるで母親の胸に包まれているような懐かしい安らぎと幸福感が、冷たくなっていた彼女という存在そのものをじんわりと温めていく。

 

 やがて、彼女は温もりと共に、遮断されていた感覚機能が徐々に蘇ってくるのを実感していた。

 

 頬に伝わる雪の感触も。

 

 鼻孔を突き抜ける空気の冷たさも。

 

 耳に届く風の音も。

 

 目に見えなくとも感じる現世の感覚が、じわじわと押し寄せ浸透してくる。

 

 そして、それらの感覚に引っ張られるように、彼女の意識は明るみへと浮上する――。

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 瞼の下で眼球が忙しなく動き出す。

 

 うつ伏せに倒れていた狐夏は、勢いよくハッと目を見開き、覚醒した。

 

 床に付いた片頬を冷やす冷温に不快感を抱きつつも、焦点が合わない視界がクリアになるのを待ってから、重々しくその上体を起こした。

 

 

 

「今のは……夢……? ここは……」

 

 

 

 辺りを見回すと、そこは元の場所――降り積もった雪で白銀に染まった、大学の研究室の中だった。

 

 さっきまで見ていた漆黒の世界と、そこに現れた狐火の光景はなんだったのかと考えながらも、静まり返った室内の有様に、狐夏はただただ呆然とした。

 

 部屋の中で吹き荒れていた吹雪はすっかり止んでいる。

 

 そして同時にフブキの姿もそこにはない。

 

 ユキジョロウの童子と姫の気配もなく、彼らがフブキを連れて、既にこの部屋を後にしている事実を改めて突きつけるかのように、割れた窓ガラスの1つから、北風がヒューヒューと微かな音を立てて吹き込んでいた。

 

 

 

「フブキさん……」

 

 

 

 せっかく会えたのに、また離れ離れになってしまった。

 

 消沈した狐夏は、その場にへたり込んだまま、力なく項垂れる。

 

 するとふと、雪に埋もれかけていた見覚えのある石が、視線の先に転がっていることに気がついた。

 

 

 

「これ……」

 

 

 

 それは、フブキを黒い氷柱の呪いから救うために、ヒビキから譲り受けた陰陽環だった。

 

 ヒビキに力の一部を籠めてもらい、鬼火を宿したことで紫色に染まっていたはずのその石は、しかしいつの間にか、力を消失したように元の深緑色へと戻ってしまっていた。

 

 

 

「そんな……なんで……」

 

 

 

 徐に陰陽環を拾い上げながら、狐夏は愕然とする。

 

 実際、手に取った陰陽環からは、ヒビキの鬼火の力を微塵も感じ取ることができなかった。

 

 フブキを助けるために必要だった唯一の希望が、その効力を失ってしまった。

 

 理由なんてわからない。

 

 知る由もない。

 

 けれども、望みが絶たれたことだけは、はっきりと理解できていた。

 

 俯いた狐夏の瞳に涙が浮かぶ。

 

 彼女の心に、絶望の暗雲が立ち込めていく。

 

 

 

「どうしよ……。もう……万策尽きちゃったよ……」

 

 

 

 これからどうすればいいのか、何をすればいいのかもわからず、狐夏は途方に暮れるしかなかった。

 

 するとその時、不意に背後から物音がした。

 

 ザッと雪が擦れる小さな音。

 

 反射的に狐夏が振り返ると、部屋の片隅で、両膝を抱えて打ち震えている1人の男の姿が視界に飛び込んできた。

 

 右腕を失い、頭に雪を積もらせながら背を丸めて蹲っている、みすぼらしい初老の男。

 

 狐夏が現場に到着した時、丁度フブキに首を締め上げられていたこの大学の副学長が、まるで置物のように息を潜めてそこにいたのだ。

 

 オドオドした目で狐夏のことを見ていた副学長は、その狐夏と視線が交わるや否や、大仰に肩を跳ねさせながら、「ヒッ!」と小さな悲鳴を上げる。

 

 先刻は目が覚めたばかりで、気配を察知する感覚が鈍っていたのだろう。周囲を見回した時には気づくことのできなかったその男の存在をようやく認識すると、途端に狐夏は、心の奥底から湧き上がってきた激しい苛立ちと怒りに駆られ、ギリギリと歯を食い縛った。

 

 

 

「お前のせいで……ッ!」

 

 

 

 ゆらりと立ち上がり、ふらついた足取りで副学長に歩み寄っていく。

 

 相手が怪我をしていようと、この大学の重役であろうと関係ない。

 

 狐夏は感情の赴くままに副学長の襟首を掴むと、乱暴に、力任せにその場に引き摺り倒した。

 

 この男が具体的に何をしたのかは知らない。

 

 しかしそれでも、ユキジョロウの童子と姫の言葉通りなら、フブキの豹変に副学長が関わっていたのは明白だった。

 

 きっとこの男の非道な行為が、フブキさんを苦しめ、傷つけた。

 

 きっとこの男の悪意が、フブキさんを絶望のどん底へと突き落とした。

 

 人間そのものを見限ってしまうほどに。

 

 魔化魍になってしまうほどに。

 

 この男がフブキさんを追い詰めた。

 

 許せなかった。

 

 黒い氷柱の呪いに必死に耐えていた彼女の苦しみを無駄にしたこの男を、心底許すことができなかった。

 

 

 

「お前がァッ! お前のせいでッ! お前のッ……せいでッ……フブキさんはァアアア!! お前なんだろォ!! フブキさんをあんなふうにしたのはッ!! 言いなさいよォ!! 何をしたァ!! フブキさんに……一体何をしたのよォオオ!!!」

 

 

 

 気づいた時には、狐夏は副学長の体を激しく揺すりながら、半狂乱になって叫んでいた。

 

 その形相は、まさに“鬼”と呼ぶに相応しいほど憤怒に満ちていた。

 

 正直、今の狐夏にとっては、事件の発端であるユキジョロウとその童子と姫よりも、目の前にいる副学長に対する憎しみの方が何倍も強かった。

 

 だが、いくら問い詰めても、舌を失った副学長から返ってくるのは、「アアァ……」だの「ウウゥ……」だの、言葉にならない呻き声ばかりで、一向に要領を得なかった。

 

 その歯切れの悪い反応に、事情を知らない狐夏の怒りはますます滾る。

 

 滾りに滾って、昂るばかりで。

 

 そしてついには――。

 

 

 

「このッ……クソがァ!!!」

 

 

 

 激情に駆られた狐夏は、ギュッと強く握り締めた拳を振り抜き、とうとう副学長の顔面を殴り飛ばしてしまった。

 

 ゴキッという鈍い音が室内に響くと共に、枯れ木のような老躯が一瞬宙を浮く。

 

 そして、そのまま床面を転がった末に、副学長は口から泡を吹いて目を剥いたまま、ピクピクと全身を痙攣させながら沈黙した。

 

 今の一撃で、完全に気絶してしまった副学長の姿を睥睨しながら、狐夏は激しく肩で息をする。

 

 かなりギリギリだったが、これでも一応手加減はした。

 

 鼻や下顎の骨は砕けたかもしれないが、命までは奪わぬよう、辛うじて威力は抑えた。

 

 こんな奴でも、人として、鬼として、猛士の一員として、殺すわけにはいかなかったから。

 

 人間の命を護るのが、音撃戦士の使命だから。

 

 けれども内心では、いっそのこと衝動に身を委ね、息の根を止めてやりたかった。

 

 何が護るよ……。

 

 何が使命よ……。

 

 コイツみたいな人間に、護る価値なんて……。

 

 一瞬、魔が差したように、思いがけない呪詛が頭を過る。

 

 

 

「フブキさんも……同じ気持ちだったのかな……」

 

 

 

 胸奥に疼くやるせない焦燥と嫌悪感に、狐夏はセーターの胸元を握ぎり締めながら、堪らずポツリと呟いた。

 

 しかし、胸を締め付ける痛みの原因は、それだけではなかった。

 

 先刻から狐夏の心には、フブキの辛辣な言葉のナイフが深く突き刺さったままだった。

 

 “わたしの本心を、何1つ見抜くこともできなかったくせに”

 

 “わたしが望んでいたのはお前じゃない……。お前では、わたしの心は満たされない”

 

 “かつてのわたしが抱いていたお前への慈しみは、今のわたしにとっては、最早単なる汚点でしかない。なんとも不快で、目障りな記憶だわ”

 

 蔑んだ視線と共に投げられかけた、冷徹な言葉の刃の数々。

 

 その刃が齎す、身を切られるような鋭い痛みと喪失感が、狐夏の抱える心の傷をズキズキと疼かせていた。

 

 

 

「ずっと……理解し合えていると思ってた……。フブキさんのことなら……何でもわかってると思ってた……。わかったつもりに……なってた……。でも……違った……。そうじゃない……そうじゃ……なかった……」

 

 

 

 気落ちするように、狐夏はその場に膝をついた。

 

 私の知らないところで、フブキさんはずっと苦しんでいたのかもしれない……。

 

 私なんかじゃ想像もつかないくらい、深い絶望を実は抱えていたのかもしれない……。

 

 なのに私は、弟子として、恋人として、ずっと傍にいながら何1つ気づいてあげられなかった……。

 

 フブキさんの言う通り、何1つ見抜くことができなかった……。

 

 

 

「なんて未熟で……無神経で……おこがましかったんだろ……私……」

 

 

 

 心に押し寄せ、頭の中で渦巻く自責の念に、狐夏は耐え切れず項垂れる。

 

 行き場のない失意。視界がジワリと涙で滲む。

 

 再び立ち上がる気力も、前を見据える精神力も、本当はもう、全くと言っていいほど残ってはいなかった。

 

 魔化魍となり、ユキジョロウの童子と姫を両親と仰ぐフブキの姿は、かつてないほど幸せそうだった。

 

 その恍惚な表情を思い出しながら、もうこの際、何もかも諦めてしまおうかと、そんな考えに気持ちが傾きつつもあった。

 

 けれども。

 

 しかしそれでも――。

 

 

 

「行かなきゃ……」

 

 

 

 涙を拭った狐夏は、もう1度立ち上がる。

 

 どれだけ貶され、拒絶され、心が挫けたとしても、真に諦め切ることなど、決してできはしなかった。

 

 なぜならあの時――凍える接吻を押し付けられる直前に、フブキの瞳から零れた、懺悔の涙を見てしまったから。

 

 ユキジョロウの童子と姫は、その時の状況を“前世(かこ)の残滓”と揶揄していたが、狐夏は寧ろ、その涙に一縷の望みを見出していた。

 

 魔化魍となってしまったフブキの中にも、まだ微かに人間の心が残っているのかもしれない、と。

 

 その淡い期待に、狐夏は賭けた。

 

 ここで諦めたら、きっとあの人はもう2度と帰ってこないから……。

 

 

 

「フブキさんが傍にいない人生なんて……今さら考えられないよ……」

 

 

 

 幸い、フブキを連れ去った童子と姫の行先は見当がついている。

 

 奴らは言っていた。『姉の魂が眠る彼の地にて――』、と。

 

 即ちそれは、この一件の始まりの場所である、例の雪山。

 

 ユキジョロウと戦い、退治したあの雪山しか考えられなかった。

 

 再びそこへ戻るため、狐夏はすぐさま踵を返した。

 

 弱々しい足取りながらも、確実に1歩ずつ歩み出す。

 

 こうして彼女は、研究室を後にした。

 

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