【改訂版】響鬼外伝・仮面ライダー吹雪鬼 ―愛、凍てつき堕ちようとも― 作:裕ーKI
正門を潜り抜け、大学を離れた狐夏は、フブキがいるであろう雪山を目指して懸命に歩を進めていた。
とはいえ、意識を取り戻したばかりで、体の調子は未だ完全に戻ってはおらず、何より、現在地から雪山までは軽く見積もっても1時間は掛かる距離であり、鬼の力を持っていえども、さすがに徒歩のままでは苦しかった。
だが、他に手段が思いつかないのも事実であり、狐夏は覚束ない足取りで、けれども一心不乱に歩き続けるしかなかった。
するとそんな時、前方から流れる車列に紛れて、1台のバイクが狐夏の横を通り過ぎた。
移動中もフブキのことで頭がいっぱいの狐夏は、そのバイクを気にも留めなかったが、バイクの方は慌てて速度を落としながら道路脇に停車した。
「狐夏!」
背後から不意に名前を呼ばれ、狐夏はハッとなり立ち止まる。
振り返ると、そこには停めたバイクの上で、フルフェイスヘルメットを脱いだばかりの、1人の男の姿があった。
歳は20代前半。襟にファーの付いた黒のレザージャケットと、同じく黒のレザーパンツを着込んだ、茶色いスパイラルパーマの頭髪をした青年。
その顔をよく知っている狐夏は、思わず目を大きく見開いた。
「ノブキッ!?」
狐夏にそう呼ばれた彼もまた、フブキや狐夏と同じく猛士東北支部に所属する鬼の1人である。
かつて、オロチの最中に起きた、とある監禁事件をきっかけに鬼の存在を知った狐夏は、オロチ終息後にフブキの弟子となった。ノブキも同様に、オロチの後に本格的に鬼の道を歩み出した、若輩者の1人だった。
しかし、偶然にも同時期に鬼の世界へと足を踏み入れていながら、未だに師匠の許でのうのうとしていた狐夏とは違い、ノブキの方は既に独り立ちを果たし、次世代の有望株として、東北支部の仲間たちから高い評価を受けていた。
当然、周りからは事あるごとに比較されていたため、狐夏は面白くもなんともなかったが、だがそれでも、彼女自身はノブキを特別嫌っているわけではなかった。
寧ろ彼とは歳が近いこともあってか、フブキとは別の意味で気兼ねなく接することのできる親しい間柄であり、互いに切磋琢磨する良きライバル関係でもあった。
「あんた……なんでここに……?」
支部長の話によれば、ノブキは今、自分たちに代わってユキジョロウの童子と姫の捜索の任を遂行中だったはず。
そんな彼の思いもよらぬ登場に、狐夏は驚きと戸惑いを隠せなかった。
「なんでって……事務所に戻るとこだったんだよ、支部長に報告しに。そしたら途中でお前を見かけたから」
普段と変わらぬ砕けた口調でそう言いながら、ノブキは狐夏の傍へと歩み寄る。
「報告……? 報告って……ユキジョロウの童子と姫のこと……?」
「ああ。お前とフブキさんから任務を引き継いで、5日間ほど捜し回ってみたけど、結局奴らを発見できなくてさ。だから一旦切り上げて、支部長と今後のことを相談しようかなって」
彼は何も悪くない。
それどころか、任務を完遂できなかった自分たちの尻拭いを一身に引き受けてくれているのだから、寧ろ感謝しなくてはいけない。
それは重々わかっていた。
わかってはいるけど――。
けれども、魔化魍になってしまったフブキのことを考えると――その光景を目の当たりにした自分の絶望を思い返すと、それらを何1つ知らぬノブキの屈託のなさが、今の狐夏には無性に腹立たしかった。
だからその瞬間、狐夏は不覚にも感情を抑えることができなかった。
「バカッ!」
抑えきれず、どうにもならず、気づいた時には既に叫んでいた。
「狐夏?」
「バカ……! バカぁ……」
しかし叫んですぐに、狐夏は自分の非礼を悔いた。
「なに的外れなこと……してんのよ……。ずっと近くにいたのよ、奴ら……」
その証拠に声は徐々に覇気を失い、やがて尻窄みになっていく。
「一体何があった?」
力なく俯く狐夏の肩に、ノブキはそっと優しく、手を添えた。
焦燥感漂う口調ながらも、狐夏はノブキに事の経緯を話した。
ユキジョロウの討伐後、逃走したはずの童子と姫が、実はずっとフブキに付き纏っていたこと。
フブキの心に刺さった黒い氷柱の呪いを解くには、強き鬼の鬼火の力が必要であること。
その鬼火を入手するために、自分が関東へ赴き、ヒビキに協力を仰いだこと。
しかし時すでに遅く、呪いに身も心も完全に蝕まれたフブキが、魔化魍ユキオンナと化してしまったこと。
ヒビキから託された鬼火は使用する間もなく失われ、その上、ユキジョロウの童子と姫にフブキを連れ去られてしまったこと。
何度も顔を顰め、呼吸を浅くし、言葉を詰まらせつつも、狐夏は自分が見て知って、そして感じたことを打ち明けたのだ。
「あのフブキさんが……敵の手に……」
街路樹の繁茂の隙間から差し込む木漏れ日の下で、狐夏の話を神妙な面持ちで黙って聞いていたノブキは、普段の陽気で明るい様子からあまりにもかけ離れた、今の狐夏の弱々しいその態度を前に、事の深刻さをまざまざと痛感していた。
信頼し合う仲間の1人として、或いは畏敬の念を抱く後輩の1人として、ノブキもまた、フブキが如何なる人物かは知っている。
直弟子の狐夏には及ばずとも、凛とした気高さと、決してブレない心強い優しさを兼ね備えた高潔な女性であるということを、身を以って理解していた。
だからそれ故に、にわかには信じ難かった。
それほどの芯を持った鬼であるフブキが、悪しき存在へと成り果ててしまったという事実が。
「ねえノブキ、頼みがあるんだけど……」
思い詰めた表情でノブキが視線を落としていると、不意に狐夏が口を開いた。
「頼み?」
「あんたのバイク……使わせてほしいんだけど……」
ノブキが顔を上げると、狐夏は懇願するように、真剣な眼差しを真っ直ぐと向けてきていた。
「俺のバイクを? お前……何を考えている?」
「決まってるでしょ、フブキさんのところに行くの……」
「行くって……」
「居場所はわかってる……。ユキジョロウを倒したあの雪山……。フブキさんは今、きっとそこにいる……。だからもう1度……あの山に戻るの……。戻って会わなきゃ……フブキさんに……」
「会ってどうする? 今のフブキさんは、弟子であるお前に対しても平然と敵意を見せる魔化魍なんだろ? 音撃武器を持っていないお前が行ったって、命を捨てるような結果になるだけだ」
「だから何? たとえそうだとしても、そんなの関係ないッ! フブキさんを救うことが出来さえすれば……私の命なんかどうなったっていいッ!」
感情的に声を上擦らせながら、狐夏は思わずノブキに詰め寄る。
ノブキは考え込むように一瞬の沈黙を挟むと、やがて小さく溜息をついた。
「……わかった。でも、フブキさんのところへは俺が行く。お前は事務所に帰って、大人しく待ってろ」
「は……? なんでそうなるのよ……? これは私とフブキさんだけの問題なのよ? あんたが首を突っ込むことじゃないッ!」
「そんな訳ないだろ! 仲間の1人が悪の側に堕ちたんだ! この一件はもう、東北支部全体の――……いや、このままだと、猛士全体の問題になる恐れだってある! 最悪、鬼祓いが来る可能性だって……。そうなる前に、早急な解決が必要なんだよ! それに――」
「それに……なによ?」
「――お前とフブキさんから任務を引き継いだのは俺だ。少なくとも、解決に努める資格は俺にだってある。だから俺が……責任を持ってフブキさんを祓う!」
その瞬間、狐夏は自分の耳を疑った。
「フブキさんを……祓う……? ちょっと待って……祓うってなに? それってつまり……フブキさんを殺すってこと? あんた……本気で言ってんの!?」
しかして驚きの表情は瞬く間に怒りに転じ、眉を顰めて細まった鋭い視線が、ノブキの瞳を真っ直ぐと射貫いた。
「フブキさんの魂が誰かの血で染まる前に、彼女を安らかに眠らせる……。それが鬼の仲間として、あの人にしてやれる唯一のことだ……」
冷徹な物言いで告げるノブキのその言葉に、狐夏は自分の頭が瞬間的に熱くなるのを感じた。
まるで脳みそが沸騰するかのような感覚に襲われながら、沸々と滾る感情のままに、声を荒げて叫んだ。
「勝手に決めつけないでッ!! 私はフブキさんを死なせたいんじゃないッ!! 私はァ!! 私はッ……フブキさんを元に戻したいだけ……フブキさんに……戻ってきてほしいだけなのよッ!!」
「わかってる! 俺だって本当は同じ気持ちだよ! けど……そのために必要だっていうヒビキさんの鬼火が無い今、他にどんな方法があるって言うんだよ?」
「知らないわよそんなことォ!! 寧ろ私の方が教えてほしいくらいよッ!! ホント、もう……どうしたらいいのかわからないのよォ!!!」
これまで必死に抑え込んできた不安や悲しみ、焦りや怒りが、とうとう堰を切ったように一気に溢れ出した。
狐夏は両手で頭を抱え込みながら、その髪をクシャクシャと激しく掻き乱した。
自分を信じてくれたフブキの前で。
自分に鬼火を託してくれたヒビキの前で。
得意げに啖呵を切っておきながら。
結局何1つ上手くいかない。
代わりの打開策も見つからない。
なのに、救うべき大切な人は遠ざかる一方で。
己の無力さと不甲斐なさだけが、ただひたすら胸中に募っていくだけで。
「こんなことになるならッ……こんな思いをするぐらいならァ……鬼なんかになるんじゃなかったァ……!! 私なんか、ずっとただの大学生のままでいればよかったのよッ……!! 私を弟子にしなければ……フブキさんが魔化魍になることもなかったんだから……!!」
気づけば目頭には涙が浮かび上がり、視界はすっかり霞んでいた。
慟哭の声に圧倒されたように、いつの間にか口を噤んでいたノブキの顔もハッキリとは見えなくなっていた。
しかしその時――。
「自棄になるな狐夏ッ!! 落ち着けって!!」
泣き喚く狐夏の体が、不意にノブキによって力強く引き寄せられた。
彼の逞しい両腕が、狐夏の震える肩をしっかりと抱き締めた。
「ッ!? ノブ、キ……!?」
唐突に押し寄せる、思いもよらぬ戸惑いに流されるまま、狐夏は涙に沈んだ瞳を大きく見開いた。
「ごめん、悪かった。お前の気持ち……もっと考えるべきだった。鬼ならみんな辛いよな、師匠の身に何かあれば……。でも、それでもさ、だからって……“自分の命なんかどうでもいい”なんて……そんなこと言うなよ……。フブキさんが命を落とせばお前が悲しむように、お前に命の危険があれば悲しむ奴だって……ちゃんといるんだからさ……」
「…………あんたはッ……私が死んだら……悲しんで、くれるの……?」
「そりゃあまあ……当たり前だろ? 仲間なんだから……」
耳元で囁くように伝わるノブキの低い声は、けれども優しく温かかった。
肩や背中に浸透していくノブキの体温に身を委ねながら。
その胸の奥から聞こえてくる力強い鼓動に耳を傾けながら。
狐夏は自分でも不思議と思うくらい、自らの気持ちがスッと落ち着きを取り戻していくのを実感していた。
グシャグシャに歪んでいた表情が無意識に和らぐと、目尻に溜まっていた涙の粒が、静かに頬を伝って零れ落ちる。
ノブキの腕の中で、ゆっくりと持ち上がった狐夏の両手が、彼の背中に縋るように重なった――。