赤いネクタイを締めて灰色のブレザーに袖を通す。春休みの間に何度か試着したが、真新しい服というのはそれだけで気分が晴れやかになる。
髪の毛が跳ねていないか最終チェック。一昨日切ったばかりのアッシュグレージュの髪は、ツヤツヤのサラサラである。スルン、と元の位置に戻る髪質にテンションが上がる。
(我ながら美少女ですね)
人前では恥ずかしくて主張できないが、私は美少女である。フェイスラインに切り揃えられたショートボブの髪の毛には天使の輪があるし、父親譲りのヘーゼルカラーの瞳と母親譲りの眉目秀麗な顔付きは、10人中全員が綺麗と言ってくれるだろう。
そして、武術の訓練によって引き締まった身体とスラーっと伸びる手足はとってもスタイルが良い。
【前世の記憶】があり客観視できているので、これはただの自画自賛ではなく、純然たる事実である。
なんの因果か、平均的な日本人男性だった【前世】から私は〝
いくら整った容姿を手に入れても、性別が反転してしまっては残念でしかない。…いや、綺麗なことは嬉しいし、なんだかんだオシャレをするのを楽しんでいる自分はいるが、寄ってくる男性を恋愛対象にすることはない。かと言って、男性の頃のように女性に対して欲情することもなく、結局、鏡を見て楽しむくらいしかメリットがないのが現状である。
「移ちゃーん、そろそろ時間よー」
「あ、はーい! いま行きますー」
廊下からお婆ちゃんの声がした。いけない、まーた支度に時間をかけ過ぎてしまった。
鞄を持って部屋を飛び出す。遅刻する訳にはいかない。
──今日は、雄英高校の入学日。私は今日から女子高生なのだ。
▽ ▽ ▽
静岡県の閑静な住宅街の外れにある小高い山。自然溢れる景色に不釣り合いなサイズで聳え立ついくつかの建造物。数キロ手前から確認できていたこの土地こそ、私が今日から三年間通う学校、国立雄英高等学校だ。
雄英高校には、私が合格したヒーロー科の他に普通科、サポート科、経営科と計4つの学科があり、1学年の生徒数は述べ220人らしい。
全校生徒は660人になる訳だが、その生徒数に対してあの広大な土地面積は、少々以上に広過ぎる気がするが、それだけ充実した施設があるということだろう。なにせ、入学試験でさえあの規模だったのだ。これからの三年間、存分に有効活用させてもらおう。
私が校門前に到着したのは、入学案内に載っていた集合時刻の30分前だった。辺りには私と同じく如何にも新品、といった感じの制服を着た生徒ばかり。みんなこれからの新生活に期待いっぱいですと顔に書いてあるようだ。
玄関前には、クラス分けを示す紙が大きく掲示されていた。十数人の生徒が集まって各々のクラスを確認している。
どれどれぇ、私のクラスは──。
「──ケロ、あなたもヒーロー科なのかしら?」
突然、女子の声が横からかかる。顔を向けると、黒い長髪を背中で結んだ大きな瞳の女子生徒がこちらを見ていた。
「うん、そうですよ。私はA組みたいです」
「私もA組よ、これからよろしくね。私は蛙吹 梅雨よ。梅雨ちゃんと呼んでほしいわ」
蛙吹…梅雨ちゃんは、ほとんど無表情ながらも若干目尻を下げてこちらに手を差し出してきた。小柄なことも相まって、なんだか可愛らしい女の子だ。
私は微笑みながら梅雨ちゃんの手を握った。
「私は空戸 移です。よろしくです、梅雨ちゃん」
後から来る生徒の邪魔にならないよう、掲示物の前から移動しながら梅雨ちゃんと会話を続ける。梅雨ちゃんは、口調といい、時々見える舌といい、蛙っぽいなーと思っていたら、どうやら本当に〝個性〟【蛙】だという。
失礼ながら蛙って可愛いイメージがなかったが、梅雨ちゃんを見ていると蛙は実は凄く愛くるしいのではないかと思えてきた。…うん、いや、違うな。梅雨ちゃんが特別可愛いだけだろう。
梅雨ちゃんと〝個性〟の話や入試の話をしながら歩いている内に、目的地の一年A組まで到着した。
巨体な異形系〝個性〟への配慮なのか、とっても大きな引戸を開けると、中には数名の生徒たちがすでに席に着いていた。
「ええと、私たちの席は…」
「──おはよう! そして初めまして! 俺は飯田 天哉だ!」
梅雨ちゃんと座席を探そうとすると、先に教室にいた眼鏡の男子が素早く近付いてきた。おおう、爽やかな感じだけど、ちょっと圧が強いな。
「ああ、うんよろしく。空戸 移って言います」
「私は蛙吹 梅雨よ。梅雨ちゃんと呼んで」
「うむ! 空戸くんにあす、梅雨ちゃんくんだな! 名簿によると、キミたちの席はそことそこだろう!」
ビシ! ビシ! と、飯田はロボットのように堅い動きで私たちの座席を示してくれた。なんともまあ、真面目そうだけど濃いやつだ。
軽く礼を言って、席に着いた。
「あ」と「く」で席が離れるかと思っていたけど、梅雨ちゃんの斜め後ろの席が私の場所だった。梅雨ちゃんとは話のテンポが似てるし、仲良くなったばかりだから席が近くてラッキーだ。
荷物を開けながら再び梅雨ちゃんと談笑する。
…そう言えば、入学案内の中に〝体操服を持参するように〟と書いてあったけど、どういうことなんだろうか? 入学初日なんて、入学式やガイダンスで終わるだろうに…。まさか、初日から体育が組まれているなんてわけあるまいし。
鞄に入った体操服を見て考えに耽っていたが、今は新しい級友との親交に勤しむとしよう。
「それで梅雨ちゃん、さっきの続きなんですけど──」
「──おい、キミ!」
突然、大きな声がした。何事かと視線を梅雨ちゃんから反対側に向けると、さっき案内をしてくれた飯田が誰かに向けて注意しているようだった。
「机に足をかけるな! 雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないか!?」
「思わねーよ、てめーどこ中だよ端役が!」
飯田に注意されている男子生徒は、不遜な態度でメンチを切っていた。久しく見てないタイプの不良だ…、雄英高校にもああいう人物がいるとは思わなかったな。
飯田と不良男子(仮)の言い争いは続く。飯田は律儀に出身校を伝え、不良男子(仮)はそれに対して「ぶっ殺し甲斐がありそうだ」と、ヒーロー科とは思えない返答をする。
あれでは、〝
「ずいぶんと乱暴な子ね」
「ビックリしちゃいましたねー」
口元に指を当てる梅雨ちゃんに相槌を打つ。いや、ほんと、雄英生はキャラ濃いな。漫画か。
飯田と不良男子(決定)の言い合いが終わり、ピリッとした空気が和らいだので、再び梅雨ちゃんとの交流を深めることにした。梅雨ちゃんの前に座っていた〝芦戸 三奈〟も交えて、しばらく会話に花を咲かせていると、
「──お友達ごっこしたいなら他所へ行け。ここはヒーロー科だぞ」
廊下から覇気のない男性の声がして、教室の喧騒が止んだ。
なんだなんだと、教室入口を見ると、数名の生徒の奥に黒ずくめの男性が立っていた。え、誰? 教員には見えないけど…。
「はい、静かになるまで8秒かかりました。時間は有限。キミたちは合理性に欠くね。担任の相澤 消太だ、よろしくね」
(た、担任? あの人相で…?)
親しみのカケラもない自己紹介をした彼に対して、怪訝な表情をした私を許してほしい。〝人は見かけじゃない〟と言うが、無精髭にボサボサな長髪、血走った目をした彼は、場所が場所なら浮浪者扱いされそうな程だ。
(あ、でもよく見ると体幹のブレがないし、引き締まってるように見えますね)
くたびれた格好をしているけど、体術は優れてそうだ。本気で疑っていた訳じゃあないが、教師なのは間違いないらしい。
相澤先生は、動揺する生徒たちを気に留めない様子で服を取り出した。
「早速だが、これを着てグラウンドに出ろ」
そう告げると、続けて更衣室とグラウンドの場所を簡潔に伝えて、気怠げに教室から離れていってしまった。
…いきなり過ぎて要領を得ないけど、とりあえず指示通りに動くしかないだろう。
「なにするのかな?」
「外で入学式、ってことはないでしょーしねぇ…」
「ケロ…。全く見当がつかないわ」
芦戸と梅雨ちゃんと疑問を言い合う。鞄から青い体操服とスニーカーを取り出して、私たちは伝えられた更衣室へと向かった。
▽ ▽ ▽
「「「個性把握テストぉ!?」」」
体操服を着てグラウンドに集まった私たちに告げられたのは、入学初日とは思えない行事内容だった。…ないと思っていた〝体育〟が当たっていたとは…。
入学式やガイダンスがないことに驚くクラスメイトに対して、先生は〝そんな時間はない〟とにべもなく言い放つ。
「雄英は自由な校風が売り文句。そして、それは先生側もまた然り」
相澤先生は、淡々と説明を始めた。曰く、中学生の頃に実施した〝個性〟使用禁止の体力テストは、画一的な記録を取る非合理的だと。確かに、〝個性〟使用禁止と言っても、異形系で〝個性〟のオンオフが出来ない生徒たちは、関係なく好成績を収めていた記憶がある。相澤先生の言い分も尤もだ。
「実技入試成績のトップは空戸だったな」
「あ、はい」
急に名前を呼ばれた。確かに、合格通知の動画にて鼠の外見の校長先生にそう告げられた覚えがある。
それが今なんの関係が? あと、なぜ不良男子(確定)は私を睨んでいるんだ? 怖いんだが。
「中学の時、ソフトボール投げ。何mだった?」
「ええっとー、30mくらいだったかと…」
「じゃあ、〝個性〟を使ってやってみろ」
うろ覚えの記録を告げる。ああ、なるほど。デモンストレーションって訳ね。
先生に促されて、グラウンドに引かれた円形の白線の中に入る。円から出なければ何をしても良い、とのお達しだ。
あれよあれよという間に状況が進んだが、要するに〝全力〟でボールを遠くに飛ばした記録を出せばいいのだろう。
いつも通りにやればいい。初対面のクラスメイトに注目され(一名からはメンチを切られ)ながらの実演は、やや緊張が伴うが、問題はない。
白線ギリギリに立ち、ボールを持った手を真っ直ぐ前方に伸ばす。凡そ遠くに投げるフォームではないが、私にはこれが最適なのだ。
「では、やりますねー」
【
自然体に、ただ呼吸をするように。自分の〝個性〟の最大有効範囲へボールを移送した。
「え、ボールが消えた?」
「なになに? どうなってんの?」
私の〝個性〟を知らないクラスメイトたちの声がした。急にボールが消えたのだから、当然の反応だろう。
「まず自分の最大限を知る。それがヒーローの素地を形成する合理的手段」
相澤先生は、手元の機器を生徒たちに見えるように掲げた。そこには
〝407.5m〟と表示されていた。うん、まずまずの記録だ。
「407mって…マジかよ」
「何これ!? 面白そう!」
「個性思いっきり使えんだ! 流石ヒーロー科!」
見学していたクラスメイトたちから嬉々とした声が上がった。うんうん、分かるよその気持ち。あと、不良男子(認定)はいい加減にガンを飛ばすのをやめておくれ。
「〝面白そう〟…か」
瞬間、相澤先生の雰囲気が変わる。なんだか怒っている、呆れているという感情が声から読み取れた。
「ヒーローになるための三年間、そんな腹づもりで過ごすつもりでいるのかい?」
(あ、なんだか宜しくない感じですね)
先生は、私たちの方を見てニヤリと笑い、なにか思い付いたようにこう言った。
「8種目トータル成績最下位の者は見込みなしと判断し、──除籍処分としよう」
「「「はあああぁ!?」」」
一同があまりの内容に絶叫した。
え? 初日から除籍…? そんなことあるん??
あ、やっと不良男子(断定)のロックオンが外れた。
「生徒の如何は俺たちの自由。ようこそ──これが雄英高校ヒーロー科だ」
(うわぁ、悪い顔…)
女子高生になって数時間で大変な事態になってしまった。
とりあえず、髪をかき上げてニヒルに笑う先生は、なかなか色気があるなぁと、梅雨ちゃんの側に移動しながら思うのだった。
不良男子は移ちゃんが気になる(殺気)ようです。