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6月の晴れた日、福岡市内で起きたその交通事故は、日が傾き出した頃に漸く終息した。
数時間の渋滞を発生させ、軽傷36名、重傷10名、重体4名、そして死者2名を出したその事故は、全国ニュースで取り上げられた。横転したバスとトラック、潰れた乗用車、延々と続く高速道路上の渋滞が映された報道は、夕方の話題を掻っ攫う。事故を目撃した市民からSNSへの投稿もあり、下校中の学生から仕事後のサラリーマンまで多くの人々の知るところとなる。
特に、ホークスが一瞬で大勢を救助する姿に皆が注目した。被災者に配慮に欠ける投稿はすぐさま炎上していたが、それでも彼の活躍にネットは大盛り上がりだ。
そんな彼のおこぼれではあるが、脚光を浴びたとある学生が居た。
アッシュグレージュの艶やかな髪、端麗な顔立ち、ヘーゼル色の瞳は利巧そうで美しく、見た者を惹きつける蠱惑的な少女だ。オリーブグリーンのフライトスーツ型の無骨な
最初は気付かない者も居たが、すぐにコメントが寄せられ皆が気付く。彼女が今年の雄英体育祭で優勝していた空戸移という少女だと言うことを。
移は一昨日から福岡市周辺で目撃されており、ホークスと共にパトロールする姿が何度かSNSにて取り上げられていた。それも合わさり今回の彼女の活躍は多くの人々の目に止まったのだ。
その映像は、悲惨な事故で気持ちが暗くなる人々に勇気を与えた。まだ高校生にも関わらず、こんなに堂々と立ち回れる子が近い将来ヒーローとなり、自分たちを助けてくれるのだと。
救助活動の途中で少しだけ気分が悪そうにしていたという声もあった。ただ、投稿された映像の全てで彼女は被災者に安心を与えるような表情を向けており、体調不良というよりは、被害に遭われた人々を想い胸を痛めていたのだろうと解釈された。事実、現場の救助がひと段落付いてホークスと一緒に去るまでの小一時間、彼女は献身的に働いていた。
最後まで身を粉にして動き回る移の姿に、体育祭後から設立されていた彼女の非公式ファンサイトの登録者数は、それまでの5倍以上に膨れ上がったという。
今も尚生死の境を彷徨っている人がいる手前、声を大にすることはないが、新たなヒーローの誕生に世間は興奮を覚えていた。
▽ ▽ ▽
吐物の酸臭が充満したトイレで、移は扉を背もたれにして座り込んでいた。膝を抱えて身動きを取らないため、動作感知式の電気はオフになり、部屋は暗闇に包まれている。
(あー…、まぁだ止まりませんかね、涙…)
ポタリポタリと雫が滴れる。冷静な自分がいる一方、涙腺からは蛇口が壊れたように涙が溢れ出し続け、吐き気が治まった今もトイレから動けずにいた。
(トラウマ? だからなんだって言うんですか。傷病者を見て嘔吐するなんて…自分が嫌んなります…ほんと)
頚動脈からの外出血があった傷病者を目撃した移は、迷惑をかけたくないという気持ちと弱っている姿を見られたくないという思いから、ホークスに断りを入れて人気のない路地裏に【
発症の原因となった人物から離れたことで次第に落ち着きを取り戻し、気力で救助活動へ戻った移は、傷病者たちの前で気丈に振る舞った。インカムで状況を聞いていたホークス事務所の面々やツクヨミには大いに心配されたが、『大丈夫です』と押し通した。
しかし緊張の糸が切れたのだろう。救助活動を終えてから再び吐き気とめまいに襲われ、事務所に戻ってすぐにトイレへ駆け込み、そして今に至る。
雄英体育祭中に起きた発作以降、移は2週間に一度の診察とカウンセリングを受けている。予想、というより移の中では断定されていたことだが、医師による診断は〝PTSD〟。過去の──今から10年前に移たち家族を襲ったとある事件による精神的苦痛が原因だ。
事件直後のピーク時よりかはかなり〝マシ〟だったが、それでも軽くはない。不意に過去の体験を思い浮かばせる人や物を目撃すると、今回のような状態になってしまう。〝完治した〟と思っていたが、未だに彼女の心は蝕まれている。
──ヴヴヴッ。
ポケットの中で携帯が振動した。緩慢な動作でそれを取り出し、画面を確認する。暗闇に慣れた目に携帯の明かりは些か眩しかったらしく、赤く腫らした瞼が細められた。
(緑谷から…クラス全員に? ……位置情報…?)
画面に表示されていたのは、文章もなく何処かの位置情報だけ添えられたクラスメイトからのメールだった。瀬呂や尾白、芦戸から返信が届くが緑谷からの反応はない。 ──それは、彼からのSOSのメッセージだったが、疲労困憊な今の移は、その意図に気付くことはできなかった。ただ、不思議に思い頭を働かせている間に涙は止まっていた。
携帯を取り出したついでに時刻を確認する。思っていた以上に籠っていたことに驚き、いい加減動かなきゃなとノロノロ立ち上がる。動作感知した電気がONになり、携帯の画面以上の明るさに移は『うう…』と呻いた。
「…ふふ、酷い顔…」
鏡に映る自身の姿に思わず嘲笑が洩れる。美少女と自負する彼女だったが、泣き腫らしたその顔は流石に誇れなかった。
冷水で顔を洗い流す。涙と鼻水の跡は消えた。持っていたタオルを濡らして固く絞り、目の下に当てる。集まっていた熱が僅かに引いた。
(とりあえず、ホークスか他の事務所の方に顔見せに行かないと…)
廊下へ出てホークスを探して歩き出す。しかし、少し移動したところで、灰色の制服を着た級友の姿に足を止める。
「常闇…?」
「…空戸。無事……ではなさそうだな」
目を閉じて廊下のソファに座っていた常闇は、移を見て立ち上がる。常闇の視線が自身の顔に向いたことに気付き、移は思わず顔を背けた。
「あの、ごめんなさい…。戻って早々に閉じこもってしまって…。もう、平気ですから……」
「…、…そうか」
移は平気と言うが、先程までどういう状況だったのか目元を見れば一目瞭然だった。2人揃って沈黙する。移は気恥ずかしさから、常闇は弱っている同級生の女子にかける言葉を見つけられなかったからだ。
「…ホークスからだが、今日はもう終了だそうだ。話も明日にするから休息してほしい、と」
「あ、そうなんですか…」
「ああ。それと──少し、俺と話をしないか?」
『良ければだが』と付け足す常闇は、先程座っていたソファに視線を向ける。
この3日間、移は彼からなんとなく壁を感じていた。それは自分たちがパトロールで体験している内容の違いによるものだろうとアタリを付けていた。どうやって距離を埋めようか思案していた彼女は、渡りに船だと提案に応じる。そこには、話している方が気分転換できるかもしれないという思惑もあったかもしれない。
100センチ程のソファに2人並んで腰を落とす。少し逡巡した常闇は、謝罪から始めることにした。
「昨日はすまなかった。突き放すような言い方をしてしまった」
静かに、常闇は苦悩を吐露し始める。ホークスが自分を選んだ理由、直接教わることができていない現状、移と自分との力量差。承認されていないこと、そして不甲斐ない己に苛立ち、焦り、しかし足掻いても上手くいかない。
「だからと言って、俺より先を行く空戸に嫉妬して八つ当たりをしたことは赦されない。…情けないことをしたよ」
「…〝情けない〟…ですか」
常闇の言葉に移は自嘲気味に笑った。
「そんなことありませんよ…。現状を打破しようと努力しているんです。その姿は、決して情けなくありません。──情けないのは、私ですよ」
「空戸…」
「聞いてるかもしれませんが私ね、傷病者を前にして吐いちゃったんですよ…。昔からトラウマになっていることがありまして。その人から離れて、なんとか立て直せましたけど、さっきまで蹲ってました。No.1ヒーローになるとか言っててこのざまです……」
──情けないでしょう?
膝を抱え顔を両手で隠して気持ちを吐露する。震えた声が彼女の心情を雄弁に語っていた。
再び2人の間に沈黙が降りる。
移は、自分の現状が嘆かわしくて仕方がなかった。彼女が夢見たヒーローたち。父親、母親、祖母そしてオールマイト。彼らの活躍は人々に、自分に希望を与えた。悠然と悪に立ち向かい、身を挺して理不尽から民衆を守り、襲いくる災禍から皆を救ける。彼らは強く、美しく、挫けなかった。
それに対して、自分はどうだ? 件の事件から10年経った今もトラウマを抱えている。過去を受け入れることも乗り越えることもできず、〝克服した〟と思い込むだけで少しも前に進んでいなかった。
(こんな調子じゃあNo.1どころか、ヒーローにさえ…)
じわり、と視界が涙で歪む。
──この体は、自身の感情に敏感だ。移は【過去】と比べて涙脆くなったと改めて自覚した。
なんとか感情を制御しようと深く呼吸をする彼女に、常闇が静かに語りかけた。
「──お前のレスキュー活動だが、最初は驚愕したよ。同年代で、これほどまで堂に入る救助ができる奴がいるとは、とな。不貞腐れている時間はない。空戸に追い付くため、俺は今まで以上に研鑽を積まねばならん……俺の浅はかな謬見を正してくれたんだ」
傷病者を安心させる話術、怪我の程度を見極める観察力、救助全体を円滑に熟すためのトリアージ等の知識。一つ一つは授業や訓練で習ったことだが、それと実戦は違う。常闇から見て、〝初めて〟のレスキュー活動だと言うのに移のそれはプロ顔負けだった。
「だがそれだけではない。お前が体調を崩したのは聞いている。過去のことは聞かんが、余程のことがあったのだろう。──しかしお前は現場に戻ってきた。傷病者たちに気取られる様子もなく、堂々とした救助を継続した。今の様子を見る限り、相当の無理をしたのだろう? その志が、情けないと思えるわけがない」
「………っ」
「お前は立派だよ。俺の先を行くライバルで、彼らにとっては紛れもない〝ヒーロー〟だった。だから、…そう自分を責めないでやってくれないか」
必死に堪えていたが、堰を切ったようにヘーゼルの瞳から涙が溢れ出した。せめてこれだけはと、なけなしの意地で声を殺す。涙には、相変わらず自責の念が込められていたが、ほんの少し、安堵と随喜が含まれていた。
「ありがと……ございます……っ」
スっと、心が軽くなる気がした。
▽ ▽ ▽
それからの話。
4日目の朝、泣き腫らした瞼は一晩では元通りに戻らず、事務所の皆様には結構な心配と謝罪をされてしまった。『学生に多大な負担を強いてしまった』とのことだ。
確かに、職場体験に来た高校生がストレスで体調不良に陥ったら、コンプライアンス的に不味かろう。ただ、私は〝ヒーロー志望〟なのだ。こんなことで躓いてられない。これは私が乗り越えなければならない問題なのだ。
それに、このことで動きに制限をかけられてしまうのは痛い。せっかくのチャンスが減ってしまうことは避けたかった。
謝罪を受け入れた上で私からも謝罪し、〝空元気〟に捉えられないように体調の万全さをアピールした。事実、精神的な不安定さは取り除かれていた。前日の常闇から貰った言葉のおかげだ。…〝大人〟が子どもに励まされるなんて恥ずかしい話だけど。
ホークスからは一言、『出来るかい?』と問われただけだった。
侮りや憐憫の感情が込められていない確認。シンプルで、私にとって助かる言葉だった。
私は〝折れていない〟ことを伝えるため、力強い返答をして覚悟を示した。彼は、ニッと笑ってくれた。
3日目のようなどでかい案件はなかったものの、そこはやはり大都会。それまでと同じよう、強盗や暴行、事故が多発して私たちは街を縦横無尽に奔走した。事件と一括りしても色んなケースがあり、それぞれに最適な解決法を選択し最速で解決していく〝ホークス事務所〟からは、相当の学びを得られた。授業や訓練とは違う、〝実戦〟の空気に触れることができたこの職場体験は、万金に値したと言えよう。
「仮免許試験に合格したらまた来なよ」
最終日に私たちへ伝えられた言葉だ。ヒーロー仮免許を有した学生は、ヒーロー事務所でインターンとして働くことができる。それは、〝お客さん〟でしかない職場体験とは違い、1人の
そのヒーローインターンに私と常闇が招待された。ホークスに〝興味〟を持ってもらえた、ということだろう。
嬉しくなった私たちは互いの顔を見つめ、高らかに『はい!』と彼に返事をした。
見つめ直すべき心の問題に直面した時間もあったが、私にとって夢のような1週間は、新たな道を拓く成果を残して無事に終了したのだった。
▽ ▽ ▽
窓のない暗い室内をパソコンのモニターの光が照らす。僅かな光だが、デスクの前に座る人物を薄らと浮かび上がらせている。
それは、不気味な男だった。腕に刺さる点滴の管に酸素マスク、胸に取り付けられた心電計だけを見れば、何らかの治療を施された患者に見えよう。頰や首には用途不明の幅数cmの管が繋がっており、顔全体に広がるケロイドのせいで両目が完全に塞がっている。凄惨な事故や事件に巻き込まれた憐れな被害者。彼の姿からそんな印象を受けることだろう。──その、愉悦に歪んだ口元さえなければ。
男の前にあるモニターには、事故現場で奔走する少女の姿が映し出されていた。額に汗をかきながら傷病者のために献身的に働くそのヒーロー科の女子生徒は、プロヒーローデビュー前に関わらず世間の注目を浴びている話題の人物だった。
男が、嗤う。
「愉しみだなァ………」
クリスマスを待ち焦がれる子どものように。しかし、邪気しか込められていない悍ましい声だ。
希望を手折る巨悪が、動き出そうとしていた。
職場体験はこれにて終了です。
移ちゃんの抱えるPTSD…何かのキッカケで完治するような病気ではないので長い治療が必要になります。ちょっとずつ、向き合って良い方向へ持っていってもらいたいものですね。
巨悪おじさんは待ってくれませんけどね!
TS美少女 vs 顔金玉 !! fight!!