…これって〝曇らせタグ〟は要りますか??
「〝個性伸ばし〟?」
博多からの帰宅途中。一世紀前より技術が進んだと言っても数百キロ離れた静岡県まで戻る新幹線の移動時間はそこそこあり、職場体験前よりも交友が進んだ私たちは途切れなく会話に花を咲かせていた。
そうは言っても天下の雄英生。趣味や色恋なんかではなく、ヒーロー志望らしく訓練についてが話題の中心だ。
「〝個性〟は身体機能の一部ですから、負荷をかければかけるほど伸びていくんですよ、筋トレと同じように。今は基礎訓練や〝個性〟に慣れることが主な授業内容ですが、今後、必ず触れられると思いますよ」
「なるほど…あえて十字架を背負うことが、頂への登攀に必要不可欠ということか…」
「ですです」
この1週間で常闇語録にも随分慣れたものだ。彼と会話していると、語彙力が増す気がする。
「【
「ああ。相手の間合いから離れて戦うことには遅れを取らない。だが、【
中距離戦闘では無類の強さを発揮する常闇の【
そしてもう一つの弱点が、話題に上がっている〝近接戦闘〟だ。
「先読みの力を付けて敵を近付けさせない…自分の得意を押し付けることも一つの手ですが……、これは経験の積み重ねが必要ですからねぇ」
「そうなることが理想だがな。…実はまだ伝えてない弱点が存在する」
神妙な面持ちで常闇が言う。
「光に弱い【
「暗闇…真夜中とかですか?」
意外だ。影、と名前に付いているから暗がりには強そうだけれど。
「ああ。これは【
常闇は、ギュッと固く閉じた拳を見つめた。彼の様子からして、以前に何かしらのトラブルがあったのかもしれない。闇なんて、必ず毎夜訪れる。もしかしたら、〝個性〟の制御が拙い幼い頃に【
しかし、本人の制御から外れて暴れる意思のある〝個性〟か…。色も相まって、まるでスパ◯ダーマンの宿敵であるヴェ◯ムのようだな……。
………ん?
「常闇…、【
「どういうことだ?」
「つまりですよ? 伸ばすのではなく、常闇の体全体を【
ヴ◯ノム──タール状の地球外生命体・シンビオートに寄生された人間で、超常黎明期以前に刊行されていたアメコミに登場する人気のヴィランだ。あ、いや、現在は犯罪者を
そのヴェ◯ムは、宿主である人間から首や手だけ伸ばして飛び出ることもあるが、メインの戦闘方法は宿主の体全体を覆って凄まじい身体能力をもって攻撃、防御、高速移動する恐ろしい奴だ。
何が言いたいかと言うと、常闇の【
「…試したこともなかったな…。【
【
「今までにない運用方法をすることになりますからね。〝個性伸ばし〟の方向性は、精密制御と【
「ああ。それと、急な暗転や照射にも対応せねばならんな。反撃の機会を与えかねん」
【
「すまないな、俺のことで色々と…」
「いえいえ! ……私の方こそ、この間の言葉で随分救われましたから…」
4日前、私は随分へこたれていたが、後日、ネットやテレビで事故の救助活動にあたる私の姿が取り上げられていることを知った。救助中は目の前のことに精一杯だったり、恐怖を抑え込むことに必死だったが…。傷病者の方々にとって私は〝ヒーロー〟に見えていたようで、否定的になって悪循環に陥っていた私には、常闇から貰った言葉も相まってかなり救けられた。
「恥ずかしいところを見せてしまいましたが…あの時は、ありがとうございました」
泣き腫らした顔のことは忘れてほしいけど、お礼は伝えておきたかった。照れ臭さを誤魔化すように、隣に座る彼に笑いかけた。
「……、…過分な礼だ。大したことは、言ってないさ」
常闇はふいっと、窓の外へと顔を向ける。しばらく沈黙した後、『そういえば』と、こちらを見ずに喋り出した。
「〝個性伸ばし〟の件や救助への造詣の深さ……空戸はどうやってそれらの知識を得たんだ?」
「ああ、言ってませんでしたっけ。私の両親と祖母がプロヒーローだったんですよ」
常闇の問いに『家族に稽古をつけてもらってました』と付け足す。身内にプロヒーローがいると自然とそういう知識が集まるのだ。恐らく、同じくヒーロー家系の轟や飯田もある程度熟知しているだろう。まあ、私の場合はそれに加えて【前世】という特殊な事情があるのだけど。
常闇は、やや驚いた顔をして視線をこちらに戻した。
「空戸の家もそうだったのか…。〝だった〟ということは、今は引退しているのか」
(あー、……まあ当然突っ込みますよね)
常闇に指摘されて己の失言を自覚する。普段、家族の話をする時は意図的に両親のことは省いていた。話題にして詳細を話すと気不味くなるだろうし、進んで話そうとは思えなかった。
なんと言おうか迷う。いつものように誤魔化そうか。でも…。
(──常闇には、正直に話してみましょうか)
なんとなく。彼には伝えてみようかなと、そう思った。
「……お婆ちゃんは、事務所を畳んで隠居してます。昔は結構な武闘派だったみたいで、雄英に入るまではお婆ちゃんに稽古してもらってたんです」
「ほう。空戸の身のこなしはそこで会得したのか。合点がいった」
「はい。自慢のお婆ちゃんです」
胸が早鐘を打つ。いつもなら、お婆ちゃんの話を膨らませて有耶無耶にしている。それは、自分を守るための自己防衛のようなものだ。ストレスから、過去から逃避するための。
だけど。一歩、前に進んでみよう。常闇にとって、重荷になるかもしれないけれど。彼なら受け止めてくれると願って。
「お父さんとお母さんですが……。2人でチームを組んで事務所を構えていたんです。…昔は、名の知れたヒーローだったんですよ」
「………空戸?」
私の様子が変わったことに気付いたのか、常闇が訝しむ。私は俯いたまま、両親について、避けていた話題を友人に明かす。
「引退はしてません。お父さんたちは……、今から10年前に。──殉職したんです」
──私の、目の前で。
▽ ▽ ▽
あれは、茹だるような暑さが続く夏の日だった。
プロヒーローの両親は常に多忙で、揃って休暇を取れる日なんてほとんどなかった。しかし、その日から三日間だけはなんとか予定を調整して休みを取れたらしい。私が記憶している限り、2人同時に連休を取るなんて、私の5歳の誕生日以外で初めてのことだった。
その貴重な連休を使って向かう先は、お父さんの実家、京都にある祖父の家だと言う。当時6歳だった私だが、お母さんの祖父母には頻繁に会うが、空戸家の祖父に会ったことは一度もなかった。なんでも、お父さんと祖父の折り合いが悪かったらしく、祖母の法事以外ではしばらく顔を合わせてなかったようだった。
そんな祖父だが、その年の春頃からお父さんに歩み寄り、やり取りを重ねてわだかまりを解消したらしい。2人の間にどんな問題があったのかは分からないが、仲直りできて良かったと思う。
そんな訳で、家族の絆を深めるべく一家揃って祖父の自宅へ向かうことになった。初日は祖父の家でゆっくりし、2日目以降はみんなで京都を観光する予定とのことだ。
その日の前日は妙な子どもに日課の訓練を邪魔された上に体調も崩してしまったから、穴埋めの特訓をしたい気持ちもあった。けど、せっかくの家族旅行だ。素直に楽しもうと、ワクワクしながら新幹線に乗り込んだことを覚えている。
祖父の家がある京都府蛇腔市は、小高い山々に見下ろされるように街が広がっていて、その山の中腹には大きな病院が聳えていた。雄英高校がある街を初めて見た時は、海の見える蛇腔市のようだと思ったものだ。
駅からタクシーで移動し、祖父の自宅──お父さんの生家に到着したのはちょうどお昼時だった。
「おかえり
父方の祖父〝空戸
その後、祖父の用意してくれた昼食に舌鼓を打った私は、祖父に〝個性〟を見せてくれるようにせがんだ。祖父の〝個性〟は、私やお父さんとは若干異なる【ワープ】系〝個性〟と聞いていたため、後学のためと若干の好奇心から見せてもらいたかったのだ。
「移、お爺ちゃんは──」
「いいんだよ
お父さんが何かを言いかけて、しかし遮るように祖父が許諾した。『庭で見せてあげよう』と朗らかに笑う祖父に喜んだ私は、ぴょんっと椅子から飛び降りて祖父と共に外へ出た。
ジリジリと肌を灼くような日差しの中、祖父は自身の〝個性〟について、それから【ワープ】系〝個性〟を使い熟すコツについて丁寧に教えてくれた。僅かな時間だったが、それまでお父さんから教わっていたことと異なる観点からの教えは、今も私の中で息衝いている。
「いいかい、移ちゃん。私たちのような【ワープ】系〝個性〟を使う時は、自分が中心に居るんだと言うことを忘れてはいけないよ」
祖父は『ちょっと難しいかな?』と苦笑して続けた。空間の狭間を跳び、捻じ曲げ繋げる私たちの〝個性〟は、些細なミスが大事故に繋がってしまう。〝自分が今、何処に居るのか〟。ゼロ点は自分だということを意識することが重要なんだ。
この時の祖父の話は鮮明に覚えており、私の〝個性〟制御の礎になっていると言っても過言ではないだろう。
自身の腕や腹から遠くにある物を出し入れする祖父を、私は本物の幼子のように無邪気に眺めていた。
▽ ▽ ▽
──何故その時間だったのか。何故もっと早く起きなかったのか。何故気付かなかったのか。
何度後悔して、幾度も泣いて、どれだけ自分を殺したくなったことだろう。
夜。尿意を感じて起きた私は、トイレに向かおうとしてリビングから知らない声がすることに気が付いた。ドアの隙間から灯りが漏れていて、その向こうから祖父と、〝恐ろしく美しいテノール〟の声の男性が何やら会話している。
誰か、来ているのだろうか。
気になった私は、ゆっくりとリビングのドアを開けた。
「──あらら、起きたのかい?」
耳朶に響く、染み渡るような美声。切長の目をした、雅やかな青年が部屋に入った私に気付いて問いかけてきた。初めて見る人だったが、何故か彼には親しみの情が湧いた。
「おかしいなぁ。この子には盛らなかったんだね、
青年がリビングの奥、ダイニングの方へ顔を向ける。釣られてそちらを見た私は──思考が止まってしまった。
「…………えっ……?」
ダイニングテーブルには、2人の男女が座っていた。女性は顔を下に向けて机に突っ伏しており、男性は腕を枕にしてこちらに顔を向けていた。机の上には真っ赤なテーブルクロスと、酒瓶やいくつかの皿が広がっており、大人同士の語らいをしていたことが窺えた。
「すまんね…。子どもだから問題ないと思ったんだ」
祖父が青年に答える。旧友と話すように親しげな様子だった。
「困るなぁ……。……まぁ、いっか! それじゃあ
「ああ、頼んだよ
テーブルに突っ伏す男女から目が離せなかった私には、2人が何を言っているのか理解ができなかった。しかし、視界の端で祖父が己の首に手を当てるのが見え、次の瞬間には赤い飛沫を上げビチャッと音を立てて床に倒れるのは確認できた。
赤色が広がる。祖父の中からドクドクと液体が溢れ出す。フローリングに水溜りを作り出し、祖父が倒れる前からあった赤色と混ざり合って広がっていく。
思い通りに体が動かなかった。体中に鉛を付けられたような感覚の中で、私はよたよたとテーブルに近付く。歩くごとにビチャリ、ビチャリと不快な音が立った。足の裏に、冷たいドロドロした物が付着する。
恐る恐る男性の頰に触れた。血の気が引いた顔は、その見た目通り冷たくて、まるで作り物のように感じた。濁った、生気のない瞳と視線がぶつかる。乾いた唇で、掠れた声で私はその人を呼んだ。
「……おとう…、さん…?」
首に線が入り、薄く口を開いたお父さんから、返事はなかった。
「驚かせてごめんねぇ。でも大丈夫だよ、すぐに気にならなくなるからさ」
目の前の現実を受け入れられない私の背後から、むせ返る血の匂いの中でも香るほど甘く、心地良い芳気が漂ってきた。徐に青年の方へ顔を向けた。
「愛しい愛しい移ちゃん。僕を愛して、言う通りについて来てくれるかな」
──ああ、あの白魚のような指に触れられたら、どれだけ幸せだろうか…。
私は、醜い肉塊となった父と母から離れ、最愛の人へと歩み寄る。彼の言う通りにすることは、私の中で何よりも優先すべきことなのだ。
「はい…! いま行きますっ」
「私の名前、ご存知なんですねっ。あなたのお名前も教えていただけますか?」
「これから一生、あなたに尽くします…っ。よろしくお願いしますねっ!」
「………ッッ!!!?」
頭の靄が晴れて、慌てて男から距離を取る。床の血糊に足を取られてドチャリと尻餅を付いた。
私は今、何をしようとした…?
男は不思議そうな顔をしてこちらを見つめていた。
「あっれー? おかしいなぁ……ちゃんと
〝個性〟を使われた…? 思考の誘導…心に作用する〝個性〟か…? この男はまずい…離れないと……。
手足を動かして立とうとするが、上手く力が入らず血溜まりに体を擦り付けるように腰を抜かしたまま後ずさる。恐怖に支配されて焦る私に、ニヤニヤと厭らしく笑う男がわざとらしくゆっくりと距離を詰めてくる。
「こんなこと今までなかったんだけどなぁ…、アッハ! ──気になるなァ…」
三日月のように細められた両目が私を捉える。机の足に背中がぶつかり、それ以上下がれない私と、尚も近付いてくる男。
「やめ……っ、…来ないで…っ…」
「教えてくれるかな? 君は一体、どんな人間なんだい?」
私の頭に触れようと男の手が伸ばされた。
──そして………。
▽ ▽ ▽
「……ッ、はぁ……はぁ……、その、あと…っ」
「──大丈夫。大丈夫ですからね。練習通り、ゆっくりと呼吸をしてください」
アースカラーの落ち着いた雰囲気で統一された部屋の中で、移は両腕を摩りながら必死に呼吸を落ち着かせていた。過剰に吸っていた空気を吐き出し、教えられた通り静かに、ゆっくりと呼吸をする。
移の対面に座る女性は、彼女が冷静になるのを優しく声をかけてじっと待っていた。
やがて、平静を取り戻した移は、すでに冷めてしまったハーブティーの残りを一気に呷った。
「……はぁぁ………。…やっぱり、具体的に振り返るのは、怖いです…先生……」
空のティーカップに視線を落として移が言う。
「そうですよね。それでも、以前より随分話せるようになりましたよ。頑張りましたね。──ただ、最初は過去の話として話せてましたが、事件に近付くに連れて〝今、起きているように〟話していましたね。可能な限り、過去の出来事として話すようにしましょう」
「…はい……」
「それと、繰り返し言いますが、それは過去の出来事です。記憶が貴女を害することはありません。ここは、安全な場所ということを忘れないでください」
女性──移の主治医は、手元の録音機器を操作して止めると、そのまま移に手渡した。
「今回はここまでにしましょう。録音は毎日聴いてくださいね。注意点は覚えていますね?」
「はい、分かっています」
受け取った機器をギュッと握りしめる。主治医が言うように前進はしているのだろうが、思うようにことが進まないことに移は苛立ちを感じていた。
エクスポージャー療法──移がここ最近受けているPTSDの治療だ。トラウマになっている過去の記憶を敢えて話すことで、否定的な認知を改善する治療法である。一見荒療治のように思えるが、時間をかけてゆっくりと行われる歴とした認知行動療法の一つだ。
「焦りは禁物ですよ」
移の様子に主治医が釘を刺す。
「空戸さんはしっかりと前に進めています。この間も、お友達に昔のことを話せたと言っていたではありませんか」
「ええ、まあ…ほんの少しですけどね」
職場体験の帰り道で常闇に話したことを思い出す。結局詳しくは話せなかったが、移が自分から両親のことや事件のことを他人に話したのは初めてのことだった。
「それでいいんです。少しずつ、一緒に向き合っていきましょうね」
「…はい」
(そうです……私なら、乗り越えられます…きっと……)
移は思い出す。両親のこと、祖父のこと、そして〝
素人がネットで簡単に調べただけなので、治療法として間違っていたらすんません。その道のプロがいましたら、コッソリと教えてください。
次回から期末試験編です!…あの試験内容でどうやって移ちゃんを苦戦させようか……。