この章はこれで終わりとなります。
次回からは林間合宿です。
私に物心が付いたのは3歳になってすぐの頃、恐らく、〝個性〟が発現したと同時だ。それまでの記憶は既に曖昧だが、標準的な幼児であったことは間違いない。空戸家の第一子として生まれ、両親に程々の苦労をかけながらそこまで育った。
ただ、物心付いてから──つまり、【前世】の記憶が宿ったとき。その瞬間から〝空戸 移〟は、ただの幼児から異常な子どもになってしまった。
私は当然、混乱した。死んだと思ったら他所の家庭の娘になっていて、しかも100年以上の年月が経過していたのだから。異能の解放を求める集団が活動していた筈なのに、異能は〝個性〟と呼ばれ、日常の一部になっていた。異能を自由に行使出来るのは国家資格を持つ〝ヒーロー〟だけで、私利私欲に異能を振りかざす者を〝
何もかもが変わっていた。童話の浦島太郎にでもなった気分だった。何が起きているのかさっぱり分からなかったが、2つだけ分かることがあった。
現代は、民衆が求めた平和が築かれていること。そして、自分が〝空戸 移〟という幼い少女の人生を一切合切奪ってしまった、ということだ。
〝空戸 移〟の両親と祖父母はすぐに異変に気がついた。当然だろう。昨日までボール遊びや女児向けアニメに夢中になっていたというのに、朝起きたら余所余所しく、幼児らしからぬ言動で報道番組を食い入るように見始めたのだ。不気味に思わない家族が居るはずがない。
心配する家族をはぐらかし、その日の夕方に〝とある結論〟に至った私が取った行動は、誠心誠意の謝罪だった。
誤魔化せるとは思わなかった。一夜にして趣味嗜好ばかりか、成熟した思考力を持つようになった幼子。1人の人間が宿す〝個性〟は1つのみであり、〝空戸 移〟が待つ〝個性〟は【ワープ】と【探知】の複合型。その時の私の状態を説明付ける〝個性〟が入る余地はない。黙っていては、【精神干渉】系の〝個性〟による犯罪を家族が疑いかねない。
そもそも、私が耐えられなかった。
少女の身体を奪い、その家族を騙して新しい生を謳歌するなんて。故意でないにしろ、良心の呵責に苛まれたのだ。
私は正直に、私が分かる範疇でこの身に起きたことを包み隠さず語った。【前世】の記憶が宿ったこと。〝前田 世助〟という男の半生を。〝空戸 移〟の人格を塗り潰した自分の存在を。
その告白は、空戸家を奈落に突き落としていたかもしれない。子どもを奪われたと感じた両親が半狂乱になり、家庭は崩壊していた可能性もあった。だが、そうはならなかった。
『キミの【前世】が何者で、今がどういう状況なのかは分かった』
『昨日まで私たちの前にいた移と、今のキミは違う存在なのだろうね』
『でも、だけどね。きっとそれらのことは、起きるべくして起きたことなのだろう』
『私だって、前世はお婆さんかもしれないし、犯罪者かもしれない。もしかしたら鳩だったかもね』
『キミの【前世】が何者だろうと、その記憶を持っていようと』
『キミが、私たちの娘であることに変わりはないんだよ』
『移。キミは私たちの大切な愛おしい、たった1人のかわいい自慢の娘だよ』
お父さんは。お母さんは。お爺ちゃんお婆ちゃんは。私のことを受け入れてくれた。〝気味の悪い子ども〟と謗られて捨てられてもおかしくなかったのに。私を、娘だと、言ってくれた。私の居場所はここにあると、教えてくれた。
だから私はならなくちゃあいけない。
こんな私を認めてくれた家族に報いるためにも。
奪ってしまった少女の人生に償うためにも。
〝僕〟ではなく〝私〟に。
〝男〟ではなく〝女〟に。
〝前田 世助〟ではなく〝空戸 移〟に。
両親の血を引いた私はとてもかわいい。その容姿に胡座をかかずに日々のケアを欠かさず行い、洗練させてきた。
粗野な口調は捨て去り、祖父母の家系に見合った上品な振る舞いを身に付けた。
〝ヒーロー〟を目指したのは【前世】からの強い想いによる影響が多分にあったが…両親もお婆ちゃんも〝ヒーロー〟であったし、私が目指すことを歓迎してくれた。
だけど内面だけは、なかなか変わってくれない。最初に比べて、だいぶ女性寄りになったが、未だに完全とは言えない。
私は〝普通の女性〟にならなくてはいけないんだ。絶対に。
強くて頼れる、美しい〝ヒーロー〟になることが、あの人たちの娘となった私の役割なのだから。
▽ ▽ ▽
「少し……、話をしても良いですか?」
私の中で心臓が煩いほど鳴り響いている。夕陽がジリジリと肌を焼き、顳顬から不快な汗が滴れる。震える両手を隠すように、スカートをぎゅうっと握り締めた。
「……職場体験が終わった後、更衣室で梅雨ちゃん、訊いてきましたよね。私が『人の着替えを見ることが苦手なのかしら』って…」
「あー、確かにそんなこと言ってたね。一緒に着替えるの、慣れてないからなんでしょ?」
そんな話してたねと、思い出すように芦戸が言う。あの時は有耶無耶なまま終わってしまったから、彼女はそういう風に解釈したようだ。芦戸の言葉に頭を振って否定を示す。
「いいえ、慣れていないのはその通りなんですが、それが主な理由じゃあないんです。私があんな感じになるのは、私の内面の問題なんです」
「『内面』…?」
突然私が改まって話し出したことに、愉快な話題じゃあないとみんなも何となく察したようだ。疑問に思っているだろうが、こちらに真剣に耳を傾けてくれている。ありがたいことだが、その様子に余計に脈が早まる。一呼吸置いて、彼女たちに伝わるよう、道筋立てて説明する。
「…みんなは、〝トランスジェンダー〟とか〝Xジェンダー〟って言葉に聞き覚えはありませんか?」
「えーと、確か自分の性別に違和感を持ってる人ぉ、だっけ?」
「LGBTとかで、まとめて聞くね」
葉隠と耳郎が互いに答え合わせするように確認する。6人とも、大まかに知っていると見ていいだろう。既に八百万や梅雨ちゃんなんかは、私が言いたいことに気が付いたのか、表情に陰りがさす。
「それで合ってます。……本当は、もっと早くに言っておくべきことだったかもしれません。4ヶ月弱経った今になって伝えるのは、ズルいと思うかもです。これまで一緒に着替えておいて…女子トイレも使用しておいて…酷い話かもしれませんが……。私は、自分のこと、100%女性だと認識してないんです」
「空戸さん……」
「説明しにくいんですが…、私の中には女性としての自分と、男性としての自分がいるんです。身体は女性です。中身も…女性でありたいと、そうなっていきたいと思ってます。けれど同時に、私は男性でもあると、主張する自分もいるんです。私は…、曖昧で、中途半端な存在なんです」
言い淀みながら、なんとか伝える。ちゃんと伝わっているのか分からない。視線はどんどん下に向き、もうみんながどんな顔をしているのか見ることも出来ない。隠してきた自分の内面を伝えることは考えていた以上に難しくて、とても、恥ずかしかった。
「…女の子が好きとか、そういう訳ではないんです。…まあ、男の子に恋したこともないんですが。だから、みんなのことを…、その、…変な目で見ていたつもりはないんです。…それは信じてください。けれど。男でもあると感じてるから…、みんなのこと見るの、申し訳なくて。なにか、酷いことをしているように感じて。だから着替えとか、下着とか、は、裸とか…見ないようにしてました」
頭がぐるぐるする。なんだかよく分からない感情の渦が押し寄せてきて、理由が不明な涙で視界が滲む。私は糾弾される側の立場なのに。なぜ泣いているんだろうか。
一方的な私の釈明に、彼女たちがどう感じているのか、もう考える余裕がなくなっていた。重荷になるかも。理解されないかも。否定、されるかも…。それでも、途中でやめてしまう訳にもいかないから、言おうと決めていたことを最後まで続ける。
「こんなこと、突然言われても困りますよね…。き、気持ち悪いですよね…。や、分かってます。だから、今度からは、先生に言って、別の部屋で着替えさせてもらいますから──」
「──気持ち悪いなんて、思わないよッ!」
誰かが私の両手を握った。歪んだ視界で捉えたのは紫がかった綺麗な桃色の肌で。震える私の手を、温かく包み込んでいる。
「空戸のこと気持ち悪いなんて、そんなこと絶対思わないっ! 思うわけないじゃん!!」
「あし、ど…」
「そうだよ!」
今度は透明な手により二の腕を掴まれる。見えはしないが、しっかりと力強い感触があった。
「驚きはしたけど、それだけだよ。だから、そんなこと言わないで?」
「………っ」
「ウチも同じ。空戸は気にしてくれてたんだろうけど、嫌に感じたりはしないかな」
じゅびっと鼻を啜りつつ、耳郎の方を見る。その表情から、気を遣って嘘を言っている様子は読み取れなかった。
今度は横合いから腕が伸びてきてハンカチらしき物で涙を拭われる。梅雨ちゃんだ。
「移ちゃんが抱えていたことはよく分かったわ。あの時は不躾に訊いてしまって…気付いてあげられなくて、ごめんなさい」
「そ、そんなっ、当然ですっ。隠してたのは私で、悪いのは私です!」
「移ちゃん。悪いことなんてないのよ。貴女にとってこのことが、どれだけ言いづらいことだったのかよく分かるわ。それでも伝えてくれたのは、私たちを信頼してくれたから。大切に想ってくれたからなのよね。勇気を出して、教えてくれて、ありがとう」
「〜〜っ、づゆぢゃんっ…!」
拭いてくれたばかりなのに、今まで以上に瞳から溢れ出してきた。みんなの声が、ぬくもりが、想いが伝わって。感情が、揺さぶられる。
「空戸さん。貴女の想いは、しっかり受け止めましたわ。当然
「うんうん。大切な友達やもん! それに、隠し事の一つや二つ、あっても良いと思うんだ」
「ええ。包み隠さず話し合える友人も素晴らしいことですが、秘事があるから友ではないなんてこと、ありませんもの」
「みんな…っ」
難色を示されると思っていた。最悪、嫌われるかもしれないとも。みんな優しくて、人を思い遣れる子たちだから、尊重はしてくれるだろう。けれど、心のどこかでは拒否感を抱いたり、距離を置かれたりするかもしれない。そういう予想もしていた。
私はきっと、みんなの優しさを信じきれていなかった。臆病になって自分ばかりに目を向けて。彼女たちをしっかり見れていなかった。
「ずっと、言えなくてっ……普通じゃあ、ないから…。…どう思われるか、って…怖くて…! でもっ。やっぱり…みんなに、悪いから、って…!」
「そんなに泣くなよ〜! 私まで泣いちゃうじゃん!」
芦戸ががばりと抱きついて、少しだけ湿った声をして言う。そんな彼女の態度で、余計に涙が止まらなくなる。
ああ、情けない。私はこれでも、40年は生きているというのに。責任のある大人として、彼女たちよりずっと多くの経験をしてきたのに。こんなに感情を揺さぶられて、少女たちに助けられるだなんて。心が、軽くなるなんて。
情けないけれど、嫌な気は微塵もしなかった。
▽ ▽ ▽
涙と鼻水と、それから汗でぐちゃぐちゃになってしまった顔をタオルで半分隠す。心に刺さっていたトゲは、流れ出た水分と一緒に消えていた。
「…ありがとうございます、もう落ち着きました。ほんとごめんなさい…」
「だから謝んなくていいんだって〜」
「…うん。ありがと……」
私の背中を軽く叩きながら芦戸が笑う。つられて私も笑みをこぼした。
「そんでさ、空戸はこれからどうしたい? ウチらが良いって言っても、空戸が罪悪感持っちゃうなら辛いじゃんね」
「あっ、そうだよね。結局、別々にした方がいい感じなのかな…」
「私は……」
私は、どうしたいのだろう。耳郎の言う通り、彼女たちへの遠慮は今後も付き纏うと思う。やはり、当初の予定通りに部屋を分けてもらった方が良いのだろうか…。
「空戸さん。良ければお聞かせ願いたいのですが、先程の話で空戸さんは『女性でありたい、そうなっていきたい』と仰っておりましたね。それはどういうことなんでしょうか」
「それは…。私は、今の私はさっき言った通り、性自認がどっち付かずです。けれどいつかは、…内面も全部、女の子になりたいと思ってるんです。どうやったらいいのか、分かんないですけど…」
「──だったらさ、私たちで慣れていくのはどう?」
ボソボソ話す私に、葉隠が明るく言った。
「着替え、慣れてないって言ってたじゃない? 移ちゃんが嫌じゃなければだけど、一緒に着替えたり、生活してる内に慣れていけたら、移ちゃんの言う願いに近付けるかもしれないよ!」
「それ良いかもね! やってく内に変わってくって、よくあるもんね!」
「え…でも、そんな…みんなは、いいんですか…?」
「いいんじゃん? ウチは賛成だよ」
「私も賛成! 移ちゃんが辛くなったら、また別の方法を考えたら良いしさ」
葉隠の提案にみんなが肯定の意を示した。
隠しておきたくなくて、みんなから離れてしまうことを覚悟して告げた私の秘密だったが。彼女たちは私のために、行動しようとしてくれている。こんな私に、側にいることを許してくれている。夏の熱気とは違う、甘くて心地よい温かさが私の内側を包み込んだ。
「…ありがとう……。私、変われるように…頑張りたい。なんの負い目もなく、普通の女の子のように、みんなと一緒に居たいから…」
今はまだ、〝前田 世助〟としての経験と記憶が私を象っていて女性になることを邪魔している。だけど、いつかきっと、〝今〟がそれを塗り替えて薄めていってくれる。記憶が人格を作るならば、〝空戸 移〟としての記憶が増えていけば。そのいつかが来た時に、私はやっと報いることが出来るんだ。そう、信じたい。
「移ちゃん」
「…梅雨ちゃん?」
「私、思ったことを何でも言っちゃうの。貴女が〝女の子でありたい〟と願うなら、私はそれを尊重するし、お手伝いしたいわ。でも、でもね。貴女の想いを否定する訳ではないけども。どんな貴女でも、移ちゃんは移ちゃんよ。私の大切なお友達だわ。それは覚えておいてほしいの」
「『私は、私』…。…うん。分かりました。梅雨ちゃんも、みんなも、私にとって大事な、大好きな友達です」
私の言葉に、梅雨ちゃんは『ケロケロ』と嬉しそうに笑った。
雄英に来て、私は心の内を明かせる人を多く得られた。
女子のみんなには、性自認の悩みを。常闇には、過去のトラウマを。あとは、ちょっと違うかもだけど、爆豪とは、プライドをかけた本気のぶつかり合いを。
後悔をたくさんしてきた。怨嗟に飲み込まれそうな時もあった。悲しみに暮れた夜は数えきれない。私の人生は、とても普通とは言えない道を辿ってきたけれど。ここでなら、きっと。『過去』も【前世】も乗り越えて、強くなれる。みんなと一緒に、〝ヒーロー〟に。
「とりあえず、合宿のお風呂は一緒に入って慣れていこーね!」
…それはちょっとハードルが高いかなぁ。
▽ ▽ ▽
ケロイド塗れの顔面の不気味な男──
モニターには、場末な雰囲気の漂う寂れたバーカウンターに座る青年が映し出されている。掻きむしられた目蓋、かさついた唇、艶のない白髪。不健康極まりない外見をしたその青年の名は〝死柄木 弔〟。警察とヒーローが血眼になって行方を追っている
「それで。話って何かな?」
「俺はヒーローが嫌いだ。オールマイトが嫌いだ。助けられなかった人間なんて居ないと思って笑ってるアイツのことが、心底気に入らない。そんなアイツを信頼して、自分だけは無関係だと安心しきってる民衆を見ると反吐が出る。──だから俺はぶち壊す。使えるものは全部使って、超人社会に罅を入れる。そのために教えろ。先生、雄英のガキ共は何処に集まる」
それは悪意の塊だった。判然としない子どもの癇癪のような想いしかなかった筈の死柄木に芽生えた、確固たる悪意。教え子が順調に成長していることに歓喜した
「良いだろう。雄英はキミたちを警戒して合宿先を秘密裏に変更するそうだが…、幸い僕には頼りになる
「…嬉しいことに、〝ヒーロー殺し〟のおかげで強い仲間が揃ってきた。ヤツらにガキ共を襲わせて、その内の1人を攫ってくるつもりだ。体育祭で目立ってた、〝社会に抑圧されてそうなガキ〟をな」
「そうかい。それなら、脳無を一体連れて行くといい。対オールマイト仕様ほどじゃないが、充分役に立つ筈だよ。……ああ、それから」
「これは僕からのお願いだけどね。チャンスがあれば──とある生徒を僕の下に連れて来てくれないかい?」
死柄木との通信とは別のモニター。そこには、アッシュグレージュのショートボブをした1人の少女が笑顔を振りまく映像が流れていた。
カミングアウトって、言う方も聞く方も大変だと思います。
15歳の少女たちが聞くには重たい内容であることは承知していますが、僕の中で、彼女たちなら受け止めてくれるだろうなと考えてこのようにしました。
悩み事の多い移ちゃんですが、少しずつ解消させていきたいなと思ってます。
オルフォさんが出たくてウズウズしているようなので、なるべく早く続きを書けるようにします。お待ちください。