この小説は以下の要素を含みます。
・スマートファルコン育成ストーリーおよびキャラストーリーのネタバレ
・ハルウララ育成ストーリーのネタバレ
・女性トレーナー目線の文章
・独自のif展開
・曇らせ展開
ご注意ください。
『後続に影も踏ませぬ逃げ切り勝ち! スマートファルコン、帝王賞を制しました!』
〈週末ダート寸評〉 20■■/06/■
──というわけで、我らがファル子は帝王賞をも制し、全勝宣言の達成に向けてまた歩をひとつ進めたのだった。
彼女の走りには更に磨きがかかり、本当にこのままJBCクラシックやチャンピオンズカップ、果てには東京大賞典も制覇するのではないかと思わせられる。
また、帝王賞からはダート全体の盛り上がりを肌で感じさせられた。長年にわたりダートレースを追い続けてきた私も、あそこまで人が集まった帝王賞は初めての経験となった。更に個人的な話をするなら、あれほどライブで盛り上がったのも初めてだった。
全く、今後が楽しみなばかりである。JBCクラシックで、また今回のような素晴らしいレースとライブを見られることを期待している──
ファンから見れば、やはり帝王賞でのファルコンも素晴らしいパフォーマンスだったという感想になるらしい。それは事実だ。走りも踊りも、今までで一番のものだった。
しかし、引っかかる。頭の片隅で居候を続けるのはレース後のファルコンの様子。すごい歓声にもかかわらず「まだ足りない」と呟いた彼女の険しい顔が脳裏をよぎる。フェブラリーステークスの時と同じように、喜びを表に出す様子がなかった。もしくは、そもそも喜んでいないのか。普通はレース──それもGI──で勝ったのであれば身をくねらせ声を張り上げガッツポーズを決めるものだと思うのだが。少なくとも私が走者だったらそうするだろう。
率直に訊いた。「嬉しくないの?」と。返事に口ごもった彼女は、「そうだ!」とその場を取り繕うために捻り出したかのような回答をした。
その後のシンボリルドルフによる激励もあり、彼女は前向きに闘志を燃やす。その炎を鎮火させてはいけないので、水は差さないようにしている。『差す』なんて縁起でもない。
「でもなあ……」
いつだったか、桐生院トレーナーに担当ウマ娘との付き合い方を褒められたことがあった。
『担当へと真摯に、懸命に注ぐ眼差し……。それこそ、貴方のトレーナーとしての強みなのですね』
桐生院家のご令嬢からそんなお言葉を頂いた私は、それはもう鼻を高くしたものだ。今の私がそれをできているかと問われると、ため息でしか返せない。眼差し自体は懸命に注いでいるつもりだが、その上でファルコンのためになることをしてあげられているかと問われると、胸を張ってイエスとは答えられない。
「うーん……」
こうした時に自然と脳裏に浮かぶのは、ハルウララの姿だった。彼女のような存在がファルコンを夢中にさせ、変な気負いなどを忘れてレースに熱中させてくれれば、などと他力本願も甚だしい考えが頭蓋骨の中を回遊した。
帝王賞のゲートにハルウララの姿はなかった。過去のレースを見る限り、どうやら彼女は短距離からマイルを己のステージとしているらしい。またファルコンと同じ砂を踏むのは、季節が一転どころか二転する頃だろう。
「……どうしたものかなぁ」
自問する間にも時計の針は進む。今日もまた、悩みという毛糸玉の端を掴めぬうちにファルコンとのトレーニングの時間を迎えてしまう……と、悔やんでいる私の中である記憶が顔を出した。
桐生院トレーナーといえば。
彼女が担当のハッピーミークと距離を縮めるきっかけとなったのは。机の中にしまい込んでいた水族館のチラシを思い浮かべる。
第三の目標、JBCクラシックのファンファーレは刻一刻と迫っている。そのためにも、夏合宿はみっちりとトレーニングをするつもりだ。
だから、こちらにいる間に休息は取らせておきたい。腹を割って内側をむき出しにして話すためにも。
こういった誘いは初めてではなかったが、今回ばかりは空気の張りつめた風船に触るような気分だった。私の緊張をよそに、ファルコンは二つ返事でこれに乗ってくれた。本人いわく「ロケハンがしたい」との事で、それに丁度よかったと。
はっきりいって不安だ。
スマートファルコンは、トップウマドル・ファル子を目指して
「……わぁ〜! 綺麗でかわいいお魚さんがいっぱい☆」
楽しんでくれているなら、それはそれでいいのだけれど。大水槽を前にファルコンは目を輝かせていた。
「見て見て、トレーナーさん!」
彼女が指さしたのはひらひらとしたヒレが可愛らしい魚。アクリル板越しのステージで、人工的な光に照らされてできる影が揺らめく。
「この子のヒレ、まるでフリルスカートだよ!」
同じように感じていた。水中を舞う度に揺れるスカートは、まるで……
「ウマドルの衣装みたいだね」
そう言うとファルコンは笑みをこぼし、「同じ感想」と私の背を叩いた。
「トレーナーさんの考え方、すっかりファル子とそっくりだね」
そうかもしれない。ファル子に出会う前の、アイドルとは無縁だった自分の姿が思い出せなくなりつつある。
「おかげさまで」
「どーいたしまして!」
ファルコンが、ファル子が、笑う。ここに連れてきてよかった。安心すると共に、自戒とも自責ともつかない感情がじわりと湧く。
私の考え方がファルコンとそっくり?
それなら、彼女のことがわからず苦労などしていない。それなのに「おかげさまで」などと答えた自分に拳のひとつでもお見舞いしてやりたい。しかし、拳を飛ばしたのは私ではなかった。
「でも、まだまだこれからだよ?」
ファルコンの言葉にまたしても沸き起こる不安。
「ファル子はセンターに立ち続けて、かわいいトップウマドルになる夢を、絶対に叶えてみせるんだから☆」
トップ。ファルコンが目指しているのはいつも頂点だ。しかしいつからだろうか、そんな彼女にかけてやりたい言葉は「頑張ろう!」ではなく「大丈夫?」になってしまった。今もそうだった。
「……無理だけはしないでね」
こんなことを言うのは最低のトレーナーかもしれない。案の定、ファルコンもいい顔はしなかった。
「……トレーナーさん、去年の東京大賞典でも同じこと言ってくれたね」
への字に結んだ口が言葉を発する。
「ファル子、そんなに無茶してるように見えるかな」
「いや、無茶ってわけではないけど……」
「じゃあ、なに?」
「えっと、なんというか……」
どうして言葉が出ない。話したいことはたくさんあるのに、それらが喉で玉突き事故を起こす。最近よく見せるアンニュイな表情や、気負った様子。世間に全勝宣言をした以上、一着にこだわるのは仕方ないとはいえ肩に力が入りすぎていないか。どうしたら彼女を傷つけずに伝えられるかと脳内会議をしているうちにも、目の前の表情が険しくなっていく。
そして、その顔が一転した。パッと顔を明るくした彼女が、ただでさえ働かない私の口を優しく縫い合わせる。
「大丈夫だよ、トレーナーさん☆ ウマドルは自己管理も基本って、前にも言ったでしょ?」
その言葉を鵜呑みにして安心するというのがどうにもできない。
「トレーナーさん、『Smart』ってどういう意味か知ってる?」
唐突な問い。彼女が自分から勉強の話をするというのは珍しい。するとしても、大体はこれがわからないあれがわからないということだったので、今回は面食らってしまった。
「正解は『利口な』とか『賢い』だよ☆」
「……えっと、つまり?」
「ファル子はお利口なんだよ! トレーナーさんが心配することはないし、もし何かあったらちゃんとトレーナーさんに相談するから!」
そこまで言われてしまうと、トレーナーとして信じないわけにはいかない。少なくとも、表向きとしては。
「……どんなことでも聞いてあげるからね」
「うん! 安心してね、ファル子に限って恋愛相談なんてスキャンダルは持ってこないから!」
「その調子で、補習なんてスキャンダルもないようにしてね」
「うっ……! また勉強教えてくれたらなんとかなると思う……けど」
「私は先生じゃないんだけどな」
「えぇ〜!? 今、どんなことでも聞いてあげるって言ったのに!」
「大丈夫だって、いくらでも教えるから」
なんだかおかしくなって、二人で笑った。心から笑ったのが久しぶりな気がして、喉が渇いた。水分補給のついでに、喉に引っかかっていた諸々も飲み下した。
瞬く間に木々は緑から赤に変わり、最近は枝のみのものも散見されるようになった。十一月ともなれば、肌寒いと感じる日が増える。日を追う事に気温は下がるが、ダート界はホットになる一方だった。
JBCクラシックを前に、私は出走表の確認をしていた。敵となるウマ娘たちの情報を把握するのも、トレーナーとして欠かせない仕事のひとつだ。ひと段落ついたところで、何気なく他のJBC競争の出走表にも目を通してみた。そこで目にしたのは、あの名前。
「ハルウララ、ね……」
どうやら彼女はJBCスプリントに出走するらしい。JBCクラシックは二〇〇〇メートルのレースなので、ハルウララは自分の適性に合った一二〇〇メートルのスプリントの方に出走を決めたのだろう。
JBCクラシックの舞台でファルコンと競い合って貰いたかった気持ちはあった。あの血が沸くレースをもう一度この目で見たい。近い未来、チャンピオンズカップでなら距離的にもその希望が叶う可能性はある。そうなれば、敵情視察としてJBCスプリントをこの目で観戦したい。フェブラリーステークスでの激戦のこともあるので、確実に勝つためにも情報はできるだけ欲しい。
しかし、JBCスプリントはファルコンが走るJBCクラシックの直前に行われるレースだ。近頃のスマートファルコンが見せる様子のこともあるので、レース前はできるだけ彼女の傍にいたい。そう願うのは彼女のため……というのは言い訳で、その実、己の心の平穏を保つために彼女のスマイルに照らされていたかったのだ。
仮にハルウララのレースを見られたとしても、その後のウイニングライブやインタビューの様子までは確認できないだろう。走り自体は中継映像を録画することもできるし、スケジュールを詰め込んでまでJBCスプリントを生で見なくてもいいかもしれない……というのが結論だった。第一、見たところでファルコンの様子が気になり観戦どころではないかもしれない。担当のことを信頼しきってやれない悪いトレーナーだと自分を嗤いつつ、私は再度ライバルたちの情報に顔をうずめた。
見渡す限りの人。ヒト、ひと、ひとつ飛ばしてウマ娘。昨年の有馬記念程ではないが、歩けば誰かの肩にぶつかりそうなほどの人の波。大井レース場は、ファル子というウマドルが成してきたことの大きさを改めて感じさせる場となっていた。ファル子の夢が「ダート“で”トップウマドル」に変わったあの日からひたむきに活動し続けてきた。血が滲むようなトレーニングも、雨にも風にも抗って強行したフライヤー配りも、太陽に挑戦するように続けた河川敷ライブも、全てが今に繋がっている。それを指導してきたトレーナーとしても、近くで応援し続けたファンとしても鼻が高い。
私が心配しているのは、そのファルコンの熱が彼女の身や心を焦がしてしまわないかということだ。そして、案の定と言うべきか。
「ファル子?」
控え室の彼女は、虚ろな目で鏡を見つめていた。私の言葉にも反応せず、一心に──というよりは、無心に?──空っぽの瞳同士を交わしているのだった。
「ファル子!」
二回目の呼びかけで肩がびくんと跳ねる。ハッとした顔つきでこちらを振り向く。
「はいっ! 十八番って言葉がちょっぴり苦手なファル子です☆」
返ってきたのは、キレのない口上。
「サイン? 握手? いつも応援ありがとう!」
ないのは、キレというよりも感情か。空虚なアイドル仕草の末に、私を見据えて僅かにその瞳孔を縮めた。
「……って、トレーナーさんか! ごめん、ぼーっとしてた!」
今日のスマートファルコンはおかしい。フェブラリーステークスや帝王賞で見せていたような、虎視眈々と勝利を狙うような冷静さすらない。これからJBCクラシックに立ち向かうウマ娘の姿とは思えなかった。
「レース前だよ。集中!」
私の声に、ファルコンは一瞬怯むように眉を寄せる。
「ごめんごめん! もうぼーっとしないよ!」
即席の笑顔が心の内に影を差す。ただでさえ不安定なジェンガに、取り繕うような元気が追い風を立てた。
今日のJBCクラシックは、一着を獲ると宣言した五つのレースの折り返し地点。
彼女はここで一気に強い勝ち方をして、観客を引き込みたいと語った。未来を見据えて景気をつけるファルコンは、いつもの調子を取り戻しつつあるように見えた。
しかし、それすらもが何かを誤魔化しているように感じる。このまま放っておいては、悪しき芽が根を伸ばして彼女を絡めとってしまうかもしれない。それが思い過ごしで済むなら、それでいい。出過ぎた真似はよくないとは思うが、彼女に声をかけずにいるという方が遥かによくないことに思えた。
「ファル子、これが終わったら──」
「待って、トレーナーさん」
話をしよう。その言葉は笑顔で遮られ、私の喉に押し込められた。
「ファル子、ちゃんと集中して走ってくるよ!」
彼女がそう約束するのであれば、それは揺るぎないのだろう。
「だから、今はそっとしておいてほしいの」
私が干渉して、いいことはなにもない。それくらいは予想がついていた。
「今はとにかく、勝たなくちゃ」
その言葉に猛烈な違和感を覚える。レースに勝って、センターで踊る。それがファルコンの喜びであり、私の喜び。
「勝って、勝って、勝ちまくる」
そして、その見事なステージでダートの世界をさらに盛り上げる。何も間違っていないのだが、やはり何かが間違っている気がしてならない。
「その先にきっと、大盛り上がりの大井レース場が待ってる……!」
きっと、そうなんだろう。
「だから……お願い。いつもみたいに見守ってて!」
でも、そのお願いは聞けない。そう首を横に振れたら、どうだったろう。実際に私が首を振ったのは横ではなく縦だった。彼女の笑顔の有無を言わさぬ姿勢には敵わなかった。
「ありがとう。ファル子、絶対勝ってくるよ」
控え室のドアに手をかけるその背中が、たくましくも物悲しい。「頑張っておいで」とも「あまり思い詰めないで」とも言えず、言葉をかけられないまま扉が開く。
「──行ってきます!」
入れ違いで控え室に静寂が訪れる。彼女を見送るのも慣れてきたが「取り残された」と感じるのは今回が初めてだった。ため息をつきながら、ふと思い立ちスマートフォンを取り出す。ロック画面の通知には「JBCスプリント 1着 ハルウララ」の文字が無邪気に浮かんでいた。
『スマートファルコン! やはりこの娘の独壇場でした! この破竹の勢いを止められるウマ娘はいるのでしょうか!?』
無事にJBCクラシックでも一着でゴール板を駆け抜け、センターを飾ったスマートファルコン。観客の声援が帝王賞の比にならないほどの大きさだと感じたのは、都合のいい思い込みだろうか。騒音計を買ってくればよかっただろうかとも思ったが、きっと私の声でエラーを起こしたことだろう。
しかし、やはりステージ上の彼女はのびのびと踊っているとは言い難い様子だった。美しい動きではあったが、その手や足の先に糸がついているようにも思えた。心の底からステージを楽しんでいる彼女の顔はどのようなものだっただろうか。久しく見ていない気がして、最近の彼女で埋もれた記憶が出てこなかった。もっとも、顔で心の底のことなどわかりはしない。私が勝手に「楽しそうじゃない」と文句をつけているだけだ。
駄目なファンだ、私は。
ステージでファンに手を振っていたファルコンよりも、控え室で液晶を見ている彼女の方が嬉しそうに見える。見えてしまう。
「今日の入場者数、去年を超えて歴代一位だって!」
それでも、彼女が目標の達成と夢の実現に近づいて笑顔になっているのを見るのは嬉しいものだった。手元のスマートフォンで彼女と共にレースの反響を確認するのは半ば恒例と化していて、今日も私はウマッターを開く。
「ネットでもトレンド独占だよ!」
その言葉に「何位!?」と食いつくファルコン。現在のトレンドが表示されている画面を見せる。
「……一位から七位! 下もちょこちょこ……あ!」
何を見つけたのかと、自分も画面を確認する。トレンドワードのひとつに、見慣れた名前。
「ウララちゃん……! そっかあ、スプリントの方で一着だったんだね!」
自分の事のように笑顔を咲かせるファルコンに、つい私もつられて笑う。やはりファルコンなりにハルウララのことは気にかけていたようだ。
ダート界の盛り上がりという意味では、JBCクラシックだけでなくスプリントやレディスクラシックが話題になるのもファルコンにとっては嬉しいことに違いはないらしい。
「チャンピオンズカップではまた一緒に走れるかな? ダートの二大ウマドルが、大盛況の舞台で競えたら最高だよね☆」
勝手にウマドルにされているハルウララには少々申し訳ないが、ファルコンの言う通りだ。ウマドル・スマートファルコンとド根性ウマ娘・ハルウララが、多大なる注目を浴びている中で競えたら話題性抜群に違いない。ファルコンも、同じダートの道を歩む者として、ハルウララのような相手がいるのは喜ばしいのだろう。
「公式の拡散数も確認しなきゃ。あとは記事の件数も……」
ファルコンもスマートフォンを出してネットの様子を確認する。私も画面を自分側に向けてトレンドの再確認を始める。そして、首を捻る。そこに見つけたのは異色な単語。無関係とは言い難く、関係深いと言うには少々遠い、それは……
「有馬記念……?」
その言葉を口にしたのは、私ではない。今まさに私が困惑していたワードが聞こえた方に、顔を上げる。
「ウララちゃんが、有馬記念……?」
呟くように吐かれたスマートファルコンの言葉は、悲痛に満ちていて。
その顔は、理解を、現実を拒んだように真っ白だった。
【特報】ハルウララが有馬記念出走か
JBCスプリントを制したハルウララ(シニア級、中央トレセン・■■)が、レース後のインタビューにて次走を有馬記念(12月■日・中山)を目標としていることを明かした。
「出たくて出たくて、有馬記念のことを考えると胸がぴょんぴょんってしたんだ。色々あって、出てもいいのかなって思った時もあったけど、出たい気持ちは今でも変わらないよ」と本人。
「ダート・短距離を主戦場としてきた彼女には厳しい勝負になることはわかっています。ですが、私は彼女自身が夢見た舞台に立たせてあげたい。それに向けて調整もしていますし、何より、私はハルウララが勝つと信じていますから」と■■トレーナー。
実力的に厳しいという見解が多い中、彼女の人気であればファン投票の可能性も──
また、今回と同じGIダートレースのチャンピオンズカップは調整の為に見送る方向としており──
JBCクラシックの帰り道は、それはそれは賑やかだった。スマートファルコンを取り巻く話題が大きくなっていることを証明するかのように、様々な人からその名を呼ばれた。記者に囲まれ、写真を撮られたり、コメントを求められたり。ファンに囲まれ、応援や期待の言葉を頂いたり。彼女が無名だった頃からのファンの少女には、「キラキラで好き!」と言ってもらえた。
ファル子の対応は流石のものだった。そのファンサービスで、彼女を取り囲む全てを笑顔にさせた。自身は、笑顔の仮面を被って。
周りに誰もいない時、彼女はずっと下を向いていた。赤信号の横断歩道に足を踏み出しそうになり、それを慌てて止めた。脳内の埃っぽい辞書をひっかきまわして彼女にかける言葉を探したが、手が塵まみれになる頃には既にトレセン学園の門の前だった。
「……トレーナーさん」
外灯がぼんやりと夜を照らす中で、ファルコンがその口を薄く開けた。私を見つめる瞳が、微かに潤む。
「あの……えっと……」
声が震えて消える。
「今のファル子って……今の、ダートって……!」
発される言葉が、しわくちゃになり、輪郭を失い、夜に溶ける。こちらを見つめる目から零れた透明な膨らみが、重力に従って彼女の頬を伝う。
「……っ」
もう、その口から言葉は出なかった。代わりに涙が溢れて、僅かに光をたたえる。
次の瞬間、彼女は駆け出した。私に背を向けて、逃げるかのように。
「待て、ファル子!」
ああ、ヒトの脚というのはどうしてこうも