この小説は以下の要素を含みます。
・スマートファルコン育成ストーリーおよびキャラストーリーのネタバレ
・ハルウララ育成ストーリーのネタバレ
・女性トレーナー目線の文章
・独自のif展開
・曇らせ展開
ご注意ください。
〈週末ダート寸評〉 20■■/11/■
今年のJBC競走は過去最高の入場者数となったらしい。
ファル子はぶっちぎりでJBCクラシックを制した。これほど多くを巻き込み、これほど強く、これほど魅力的であったウマ娘が過去にどれほどいただろうか。我々が歴史の立会人になるのではないかと思うと、この時代に生きていること自体に感謝したくなる。
今後の、ファル子のますますの活躍と、ダート界の躍進に期待するばかりである。
ところで、今でこそダートの女神とさえ噂される彼女も、一度だけ芝のレースを走ったことがあったのを皆さんはご存じだろうか?
昨年の皐月賞。ファル子の名も今ほど広く知れ渡っておらず、彼女が芝のGIを走っていたとは想像もしない人もいるであろう。その時のことについては、当時の記事を貼っておくので是非見てほしい。
先日、ファル子の皐月賞出走を彷彿とさせる出来事があった。
ハルウララの有馬記念出走宣言である。
以前から当ブログでも度々扱っているハルウララ。ダートの短距離〜マイルをメインにしている彼女が、有馬記念を走りたいと明らかにしたのだ。
以前からハルウララが有馬記念を目指しているという噂はあったが、正式に表明したのは今回が初だ。
正直、不安はある。勝つ見込みのある勝負かと問われても、首を縦に振るのは容易ではないだろう。
しかし、彼女を応援する声は多い。その不屈の走りで人々を魅了してきた彼女だからこそ、有馬記念を走ってほしいという声は大きい。
かくいう私も、それを応援する一人である。
ダートが盛り上がっている中での今回の選択を残念と思わないわけではないが、それ以上に彼女には芝の大舞台で彼女らしい走りを見せてほしい。
ダート専門としてきた私も、今年は有馬記念を現地で観戦する旅程を立てている。
彼女の勇気と諦めない姿を讃え、今回の締めとしよう。
がんばれ、ハルウララ!
何気なく開いたウマッターのトレンドに、「#がんばれハルウララ」の字が上がっていた。ハルウララの文字を見ても、頭の中で浮かび上がるのはスマートファルコンの涙だった。JBCクラシックを終えた夜がまとわりついて離れない。
トレーナーとして、何もしてやれなかった。彼女の悩みを解決してやることも、ましてや聞くことも。
あの夜彼女を追えなかったことが、胸の奥に鉛のようになってこびりついていた。逃げる彼女を捕まえたら解決できたとかできないとかではなく、その場で立ちすくんだ自分が情けなかった。惨めな自分と遠ざかるファルコンの姿を思い浮かべる度に、鉛は肥えていった。
ファル子が逃げたら? 追うしかない。
私は追えたか? ファン失格だ。
ここ数日──レースを終えたファルコンに休養として与えていた期間──トレーナー室で頭を抱えて過ごした。ウマッターが映す世間の声は、ミュートしようがブロックしようが視界の隅から私を見ていた。鬱陶しくなり、手元の精密機器をソファに投げた。
今日から、チャンピオンズカップに向けてトレーニングを再開する。私は、しわだらけのブラウスにボサボサの髪と、失敗したのに引き直す気力も湧かなかったアイラインが不細工なみすぼらしい女に成り下がっていた。それはもう、トップウマドルのトレーナーはおろかファンとすら名乗れない程に。こんな格好で彼女と会って、いったい何を話せばいいのだろうか。自信は萎んでいくばかりだが、だからといって何もしないわけにもいかないし、何もしないということを自分が許せなかった。
放課の鐘が鳴って十分と少し経った頃。私はトレーナー室で、約三十分後に迎えるトレーニングの時間に向けてばたばたと身なりを整えていた。そこに飛び込んできたのは規則正しいノックの音。ファルコンが来たのかと、慌ててドアを開ける。
「ファルコンさんはいらっしゃいますか?」
意外な来客だった。黒が艷めく、長めのボブカット。そこに
エイシンフラッシュ。芝で活躍する、スマートファルコンと同室のウマ娘だ。ファルコンがここには来ていないことを伝えると、彼女は明らかに動揺した。付き合いが浅い私でも、その表情がエイシンフラッシュらしからぬものであることにはすぐに気づいた。嫌な予感がして詳しく話を聞く。
「ファルコンさんはここの所体調が優れないようで……」
どうやら、授業も休んで寮で寝込んでいるらしい。エイシンフラッシュも勘づいていたが、身体の調子というよりはメンタル的な問題に思える。弱々しく布団に埋もれているファルコンの姿を想像するというのは、自身の腸をねじるのにも等しい行為だった。
そして、その彼女が、忽然と姿を消したと言うのだ。
授業が終わって寮に様子を見に行ったら既にいなかったらしい。保健室やカフェテリアといった、学内で可能性のある場所は全て回ったそうだ。ここ数日、食事もままならなかった身体でどこへ行ったのか。そして最後に行き着いたのが、このトレーナー室。
「……ファルコンさんは、疲労が蓄積しただけだと言って、普段通り笑っていました」
自分の問題として、ファルコンはひとつも漏らさずにその身体で受け止めようとしていたらしい。ルームメイトに自分の問題を担がせない。弱いところは見せず、ただみんなに輝きを届ける。あくまでスター、文字通り星であろうとする。それが彼女なりのウマドルの美学なのかもしれない。
だからどうした。ファンというのはいつの時代も身勝手なものだ。油を注ぎ込まれたように脈動が加速した。身体を巡る血が勝手に脚を動かした。望むままに、私はトレーナー室を飛び出す。話を聞いて、居ても立っても居られなかった。
「……っ」
取り残されたエイシンフラッシュは、自身の胸元をまさぐる。溺れる者が藁をも掴むように、彼女は指の先に触れたリボンを手繰り寄せ、きゅっと力を込めた。走り去る不格好なトレーナーの背に、今日の夜がまた笑顔で溢れることを期待した。
ファルコンの行く先に心当たりはあった……などというのは格好をつけたいがための後付けで、想いのままに走り続けた末に私はここにいた。ファルコンと話をしたい気持ちが勝手にここまで連れてきた気もする。
初めて彼女のライブを見た河川敷。川の穏やかな流れと、水たちが向かう先で真っ赤に燃えて世界を染める太陽。よく整備された芝が世界に影を散らす。その情景があまりにも美しくないのは、草の上で膝を抱える彼女の姿のせいだろうか。ひときわ大きな影を作る弱々しい背中に、声をかける。
「ファル子」
その肩が微かに震えて、おもむろにこちらを振り返る。その顔があまりに可憐で、その表情があまりに切なくて、首輪を後ろから引かれるような苦しさで私を満たした。
「トレーナーさん……? どうして……」
飴色の瞳が夕陽に揺れる。泣き腫らしたその目が、私の息を詰まらせる。
「……じゃないか。探してくれたんだよね、私のこと」
その微笑みは、いつも彼女が見せる笑顔とはまるで違っていた。自分を嘲笑うかのような、キラキラとは程遠い表情。ローファーの金属部分がきらりと光るのは、希望か皮肉か。
「もうトレーニングの時間? そんなにここにいたかなぁ……」
反射的に左手首を確認するも、そこに腕時計はなかった。
「えへ、ファル子ってばダメだね。早く戻って、トレーニングして、強くならなきゃ……」
しかし、時間などというのはどうでもよかった。彼女と言葉を交わすのを、トレーニングや門限といったものに阻まれたくなかった。彼女の影を踏み、自分も尻を下ろす。ファルコンは何も言わず、ただ私を見て僅かに目を大きくした。
「……ごめんなさい」
第一声は、無罪の謝罪からだった。
「ファル子、わからなくなっちゃった」
少しでも明るく振る舞おうとする声色が私の胸を
「私で力になれる?」
返せたのは間の抜けた問いだけ。この問いがファルコンを余計に追い詰めるかもしれないのに。また、心の隅が小さく破ける。
「トレーナーさんになら、弱音、言ってもいいのかな……」
うつむく彼女が小さく漏らしたその言葉で、暗雲が立ち込める胸に一筋の光が射した。細々とした光だったが、確かに光ではあった。不謹慎だが、頼ってもらえるという事実が嬉しかった。「何から話そうかな」と恥ずかしげに笑う彼女。その笑いの奥に見え隠れするのは、難解に絡まった毛糸。
「……あのね。この前、キラキラしてるって言ってもらえたでしょ?」
ファルコンが差し出してくれた毛糸の端は、記憶に新しい手触りだった。JBCクラシックの帰り道で、彼女がデビューする前から彼女の河川敷ライブを見てくれていた少女が言ったのだ。
『お姉ちゃんのおうただいすき! ダンスもね、キラキラですき!』
あの時、スマートファルコンはにこやかに対応していた。
「でも最近のファル子が、キラキラしてるわけがないんだよ」
そして今、その笑顔の面を外した。
「──だってステージに立ってるの、全然楽しくなかったもん」
その言葉で、やっと気付いた。フェブラリーステークスの頃から感じていた、ステージの上で見せるファルコンの違和感の正体。
「……びっくりだよねぇ。だってファル子、ちゃんとステージ、こなせてたもん」
完璧でありつつも抜け殻のような、人形みたいな表情で踊っていた彼女。私の中の疑問が、くっきりと形を持って頭の中に収められていた。
「……そう、完璧だったの。勝って、歌って、踊って、また勝って。どんどん盛り上がって、トレンドだって独占できるようになった」
ダートレースの盛り上がりは過去最高だ。彼女が掲げた「ダート“で”トップウマドル」という夢を叶えるために尽力してきた成果だろう。それは誰もが評価している事だ。往来のダートファンも、新規のファンも、ダートを走るウマ娘たちも、レース関係者も、生徒会長も、ファン第一号も。
「人で、歓声で、光でいっぱいの、芝のレースにも負けないライブ……。夢見たステージに、もうすぐで届きそう……」
そこまで言って、彼女は言葉に詰まる。小さな手で目元を拭ってから、ぽつり、と言葉を置いた。
「……そう、思ってたの」
液体が滴る。
「現実はどう? ダートって、まだまだ芝には届いてない」
彼女は間違っている。私はトレーナーであり教師ではないが、彼女の答案を前に赤ペンを握りしめた。JBC競走は芝のGIにも引けを取らないほどの動員数を誇ったし、ウマッターではダート関連のワードがトレンドに入ることも多くなった。確実に、芝の世界と肩を並べつつある。このままチャンピオンズカップを終えた頃には、もうダートがマイナーという風潮はこの国から消え去っているだろう。
だから、誤魔化しでもお世辞でもない言葉で返せた。
「そんなことないよ」
ただ、彼女の返答は誤魔化しやお世辞すら意味を成さないものだった。
「じゃあ、ウララちゃんは?」
ふと、気付く。彼女から差し出された悩みの毛糸の先端が、さっきよりも長くなっていた。糸が続く先を目で追う。行きつくのはファルコンの手の上。鎮座しているのは、無理に引っ張られてぐしゃぐしゃに絡まった糸の塊。
「だったら、ウララちゃんはどうして有馬記念に出るの? あの子だって得意なのはダートなのに、なんで芝のレースを走るの?」
その糸を引いたのは、私だ。
「ファル子、頑張ってダートのこと盛り上げたよ。ステージが楽しくないって思っちゃっても、ダートレースのために頑張ったの」
その努力は、私が一番近くで見ていた。見ていたのに、何も言えない。無様な私を、私の指先と膝が笑った。
「でも、ウララちゃんは東京大賞典じゃなくて有馬記念を選んだ。そのために、チャンピオンズカップも見送ったんだよ」
夢は人それぞれだ。スマートファルコンの「ダート“で”トップウマドル」という夢も、ハルウララの「有馬記念で走りたい」という夢も、等しく素晴らしい。ハルウララが悪いわけではない。それでも。
「ウララちゃんに『ダートを走りたい!』って思わせられなかったんだよ、ファル子は」
ハルウララの選択は、スマートファルコンの希望を霞ませるには十分な理由になった。
「これで、ダートも芝と同じくらい盛り上がってるって言える?」
みるみるうちにファルコンが壊れていく。端が崩れ、涙へと形を変える。
ファルコンはやはり間違っていた。先程の問いの答えは是。それは確実に言えるのだが、ファルコンを納得させられる理由は私には出せなかった。半端な言葉では彼女を余計に乱してしまうと知っているから。毛糸を握りしめているのは、未だに私だから。
「ファル子は、言えない。まだまだ、ダートは芝とは並べない」
彼女が現実と自身を否定する。その度に。
「ファル子、たくさん頑張ったよ。『スマートに全部一着』なんて言って、崖っぷちでみんなの注目を集めたけど……」
痛々しく腫れた目から、涙が流れた。
「圧倒的に、徹底的に、芝もダートも飛び越えて、ファル子が一番になる……なんて、無理だったんだよ」
無理なんかじゃない。スマートファルコンなら、ファル子なら、絶対にできる。私がそれを信じている。私にその資格はないかもしれない。それでも、声が出た。信じているから、声が出た。
「無理なんかじゃない!」
しかし、それは余計に糸を引っ張っただけで。
「無理だよ! だって、今、そう思っちゃってるもん!」
彼女の中で何かをせき止めていた物が決壊する。涙も、感情も、言葉も、溢れて止まらなくなる。
「今ね、すっごく心が痛いの! 痛くて、辛くて、苦しくて、どうしたら楽になれるかなぁって!」
ファルコンが抱えきれる限界を超えた感情の衝撃は、あまりにも凄まじかった。
「傷を痛がって投げ出しそうになってるの! こんなファル子が、一番なんて、そんなの無理なんだよ!!」
泣いて息もできないままに想いを叫び続けた彼女は、息を切らして苦しそうにうなだれた。ほんの少し首を捻り、透明な膜が張った目で私の事を見つめる。
「こんなファル子より、ウララちゃんの方がずっと素敵なウマドルだよ。有馬記念を走る、ウララちゃんの方が。ファル子は、最低なウマドルだよ……」
ファルコンが、私に擦り寄る。眼前で、腫れぼったい目が笑う。
「トレーナーさん、前に話したかな? 『Smart』って『利口な』って意味なんだよ」
くすくす、と自嘲的な笑い声。胸が、苦しい。
「ファル子、お利口だから適性に合わない芝を諦めて、ダートの道を押し上げようと頑張って、こんなになっちゃった」
「あはは」と、乾いた声。
「……無理に笑うなんて、しなくていいのよ」
それが、私に言える精一杯の言葉だった。
「ちゃんと向き合おう……。ファル子は最低なんかじゃない、最高だって、私が……」
口にした瞬間に、世界がぐらりと揺れた。肩にヒトのそれではない握力がかかる。目の前のファルコンが、想いを、困惑を、怒りを捻り出す。
「向き合うって、なにに? わかんないよ……!」
何度も、肩を揺さぶられる。
「わかんないよ、教えてよ! 最高だって言えるなら、言ってよ!」
教えてくれるの?
できないよね。
最高って証明してくれるの?
できないでしょ?
ねえ、できるなら言ってよ。
してみせてよ。
ねえ。
ほら。
ねえってば。
ねえ……