虚無を歩く者がオラリオに現れたようです   作:リバークラスト

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プロローグ

 便宜上、“それ”を“虚無”と呼ぼう。

 

 

“虚無”は神でもなく自然でもなく宇宙でもない。聖でもなく魔でもなく善でも悪でもなく、聖でも邪でもない。ただ外側にある。世界の、宇宙の、法則の、理の外にある。

 ゆえに、“虚無”はあらゆる次元、あらゆる世界に遍在した。光も闇も温もりも冷たさもなく、形も質量もないままに。

 

 どんな次元の法則からもどんな世界の理からも外れた存在であるがゆえに、人や獣が遍在する“虚無”に触れえることがあった。

 多くの場合、 “虚無”へ触れた瞬間、人も獣もその精神や肉体が崩壊した。

 が、“虚無”そのものにも一切の法則や理がないゆえに、例外が生じる。

 

 たとえば、ある人間が“虚無”の住人たりえるようになった。

 新しき言葉で『アウトサイダー』と呼ばれ始めた彼もまた、法則と理から外れたことで、“虚無”と同様に様々な世界に遍在する。

 アウトサイダーはある世界では“神”と呼ばれ、ある世界では“魔王”や“邪神”と呼ばれ、ある世界では戯れに勇者と名乗る超人に殺害されたり、ある世界では超人達の導き手になったり、ある世界では“管理者”と称され、ある世界では“PC”と呼ばれた。

 

 そんなアウトサイダーは人間性の残滓から、時に人や獣を“虚無”へ招じ入れたり、時に“虚無”の力の一部を与えたりした。自らの眷属にするわけでもなく、魂や肉体やその他を代価にすることなく。力を与えられたものがどう選択し、どう振る舞い、どう生き、どういう結末へ至るか眺めるために。残された人間性の残滓を満たすために。

 

『人の時代が終わり、神の時代を迎えた世界』にもアウトサイダーは遍在する。そして、他の次元や世界で行っているように、人や獣へ接触し、“虚無”へ引き入れ、“虚無”の力の一部を与えていた。

 

 アウトサイダーは“虚無”の住人。外の存在。

 法やルールなど、アウトサイダーには何の制約にもならない。アウトサイダーを縛ることなど出来ない。

 たとえ神々が定めたものであっても。

 

      ☆

 

 その時、神々の遊技場――迷宮都市オラリオは血に塗れていた。

 

 ゼウスとヘラ。二大派閥が倒れた間隙を突いて闇派閥が跳梁し、彼の凶徒共を討ち果たさんとする者達との間で、血で血を洗う抗争を繰り広げられていた。

 

 辻で。路地裏で。都市の地下で。あるいは迷宮の中で。神の恩恵を与えられた者達がその超常の力を持って殺し合う。

 オラリオに吹き荒れた暴力は、ついに概算最低値でオラリオ住民の3万余が命を落とした『大抗争』という極致へ達する。

 

 そんな血塗れのオラリオで、髑髏の異能者が遊弋していた。

 

 カリカチュア的髑髏の仮面に襤褸をまとい、折り畳み式の奇妙な小剣を佩いて。細かな機構を持つ半自動的な小型ボウガンや奇怪な道具類を扱い、詠唱無しで時間や空間を操る“魔法”を使う異能者。

 

 その髑髏の異能者は都市内でも迷宮内でも暗躍し、闇派閥を狩って回った。同時に正義を称する者達もまた、等しく手に掛けた。

 彼の異能者が現れたれば、残さるは戦いの痕跡と骸のみ。善悪正邪の区別なく、命を刈り取られるのみ。

 辛うじて即死を免れた者が語り残す。髑髏の異能者が吐いた言葉を。

 

 

『我、世界を弄びたる神とその走狗共に復讐せん』

 

 

 善悪と光闇と正邪が抗争を繰り広げる中、髑髏の異能者は殺戮を重ねていく。街に断末魔が響き、迷宮に血が流れ、屍が増えていく。

 高位冒険者も神も、髑髏の異能者の正体を掴むことは出来ず、その凶行を止めることも防ぐことも出来ない。

 

 

 斯くも悲惨で陰惨な“オラリオ暗黒期”、一人の乙女が復讐者へ墜ちた。

 麗しきエルフの乙女。正義と秩序の女神から恩恵を授かりし“子”。

 

 その名は“疾風”リュー・リオン。

 

 闇派閥の罠により大事な仲間達を、愛おしき親友達を無惨に殺され、ファミリアを壊滅させられたエルフの乙女が、報復と復讐の風となって修羅道を駆け抜けていく。

 

“疾風”は狩る。闇派閥を。闇派閥に与した者共を。

 

“疾風”は殺す。闇派閥の残党を。闇派閥に与していた者達を。

 

“疾風”は狩る。慈悲もなく許容もなく。容赦も寛容もなく。

 

“疾風”は殺す。ひたすらに弑し戮して、屠り葬っていく。

 

 亡くした親友達の思い出を恃みに、喪った親友達の想いを恃みに、失ったファミリアの絆を恃みに、憎悪と怨恨の炎に心を焼き、憤怒と狂気の日々に魂を擦り減らし、延々と繰り返す死闘と殺戮に体を疲弊させながら。

 

 その美貌を怨敵共の血と己の涙に濡らし、リュー・リオンは救いなき修羅道を進み続けて……その終着が見えた間際。

 リュー・リオンの前に髑髏の異能者が現れる。

 

      ☆

 

 オラリオを迷宮都市たらしめるダンジョン。その地下18階の広大な森林内にひっそりと武具が並ぶ一角がある。墓と呼ぶにはあまりにも簡素なそれらは、“疾風”リュー・リオンの摩耗した心を支える唯一無二の証。

 かつて彼女が愛した仲間達がこの世界に在った証。彼女の愛した親友達がこの世界に生きた証。闇派閥(クズ共)に何もかも奪われたリューにとって、この世界に残る温もりの証。

 

 

 この時、リューは凄惨極まる修羅道を進み続けたことで、心身共に限界に達していた。

 だからだろうか。リューは無意識に親友達の墓へ足を運んでいた。魂魄の全てが消耗したがゆえに、親友達と過ごした日々の思い出、主神と共に育んだファミリアの絆、その残り火の温もりを欲したのかもしれない。

 

 その美貌に悲哀と悲壮を漂わせながら、リューは幽鬼のような足取りで迷宮内の森を歩き、開けた一角に出る。

 ぼろきれと化した団旗と墓標替わりに並ぶ仲間達の武具。アストレア・ファミリアの、リューの家族達の墓。

 

 その墓前に、奴はいた。

 乞食と見まがう襤褸をまとい、両手に滑り止めの包帯を巻き、髑髏の仮面をつけた異能者が。

 

 アストレア・ファミリアの墓前に立っていた髑髏の異能者はリューの気配に気づき、仮面の双眸を向けた。

 眼窩にはめ込まれた無機質なガラス玉からは、その情動を図ることができない。ただ、そこに感情が浮かんでいようと意味はなかっただろう。復讐者たるリューが怨敵の感情や心情を慮る必要も意味もないのだから。

 擦り切れ、燃え尽きる寸前だったリューの魂魄が、怨敵を前に焼尽際の蠟燭の如く激烈に燃え盛る。

 

「貴様」

 リューは右腰から亡き友の二刀小太刀“双葉”を両手で抜き放つ。

 

「貴様が」

 怨嗟共に衰弱した体に力が漲っていく。なぜ奴がここに、という疑問は生じない。“そんなこと”はどうでも良いからだ。

 

「貴様がっ! 貴様のような穢れた者が皆の前に、立つなっ!!」

 憎悪の飽和した咆哮。リューが二つ名の如く疾風と化す。彼我距離10Mを一瞬で肉薄。髑髏の異能者を間合いに捉え、嵐の如き連撃を重ねる。

 

 髑髏の異能者はその全てを右腰から抜いた小剣を展開させながら、かわし、避け、小剣の鎬でいなし、払い、しのぐ。竜巻の如く放たれるリューの斬撃をかすらせもしない。

 

 ――強い。

 激情に駆られるリューの中に潜む冷たい理性が認識した。レベル4、いや5のハイステータス。もしかしたらそれ以上かもしれない。眼前の異能者の強さを冷徹に測る。

 

 同時に、理性が違和感を抱く。

 髑髏の異能者を恐怖の存在たらしめていた時と空間を操る“魔法”を使ってこない。

 なぜ?

 

 強大な高レベル冒険者達を、闇派閥の恐るべき手練れ達を、為す術なく抹殺してきた“魔法”を使えば、リューとて容易く屠れるだろうに。なぜ使ってこない。

 

「知った、ことかっ!」

 魂を焦がし続ける憎悪の炎熱が理性の疑問を蹴り飛ばし、リューはひときわ素早く駆け抜け、髑髏の異能者に両手の小太刀による三連撃。上段の初撃は囮。下段の次撃は誘い。中段の三撃は崩し。本命は三連撃からの追撃、”四撃め”の二刀突き。

 

 が。

 

 髑髏の異能者はその全てを小剣一本でしのぎ切り、あまつさえ二刀突きを潜り抜けた際に柄頭でリューの右手首を打って右刀を叩き落とす。その打擲から身を捻っての回し蹴りをリューの腹へ叩き込み、蹴り飛ばす。

 

「ぅあっ!」

 口から勝手に悲鳴が溢れ、リューのすらりとした肢体が地面を跳ねていく。痛みを堪えて身を起こした刹那、矢弾が眼前に迫っていた。とっさに左手の小太刀で受けるも、痛みのために握力が効いておらず小太刀が手から弾き飛ばされた。

 

 二刀小太刀“双葉”はリューの手から離れた。それでも、リューの戦意も闘志も殺意もまったく損なわれない。ふー、ふー、と獣の如く荒く息をしながら、リューは憤怒と怨恨に歪めた美貌を髑髏の異能者へ向け、憎悪にぎらつく双眸で睨み据える。

 髑髏の異能者は精巧な作りの小型ボウガンを左腰のホルスターに戻しながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。ごほ、ごほ、と仮面の下でかすかに咳き込む音が漏れ聞こえた。

 

 リューの冷徹な理性が訴える。

 奴は“魔法”を使わないのではなく、使えないのではないか。

 病か、怪我か、何かしらの理由で体調が優れず“魔法”が使えないのではないか。

 

 この推察が真実ならば好機だ。如何なる理由で弱っていようと知ったことではない。リューには奴の事情や都合を斟酌してやる理由など、一片たりとも存在しない。

 殺す。ただ殺す。必ず殺す。絶対に殺す。この場で狩り殺す。

「貴様の首を皆に捧げてやる……っ! 地獄の底から彼女達に詫びさせてやる……っ!」

 

 睨まれている髑髏の異能者は何も答えない。

 これまでと同じ。何も言わず何も主張せず、ただ現れ、ただ殺し、ただ消える。まるで顕現した死という現象の如く。

 

 リューとて今更問答など求めてはいない。ただ内を焼く感情を言語化して吐き出しているだけだ。左腰から細長い木剣を抜く。大聖樹枝から削りだされたこの一刀は木剣でありながら、リューが扱えば肉を切り、骨を断つことすら可能な必殺剣であり、魔法の効果を増大させる杖。そして、これまで数多くの魔物と凶徒を屠ってきた『魔法剣士』リュー・リオンの愛剣“アルヴス・ルミナ”。

 

「――今は遠き森の空。無窮の夜天に鏤む無限の星々」

 

 リューの口から紡がれる詩にも似た詠唱。

 髑髏の異能者が小剣を構え、リューへ向かって一気に間合いを詰めていく。

 鋼の刃と細身の木剣が激突したが、大聖樹枝から削りだされた愛剣“アルヴス・ルミナ”は傷一つ負わない。リューは髑髏の異能者と剣戟を交わしながら、疾駆し、跳躍し、仲間達の墓地から距離を取る。

 

 戦闘機同士の巴戦のような高速機動戦闘(ハイベロシティ・コンバット)

 瞬きする暇もない速く激しい戦いを交わしながら、

 

「愚かな我が声に応じ、今一度星火の加護を。汝を見捨てし者に光の慈悲を」

 

 リューの詠唱は止まらない。

 剣戟を何合も繰り広げ、高速移動をしながら並行して詠唱を続けていく。髑髏の異能者が繰り出す鋭き斬撃がマントや着衣を裂こうとも、刃のかすめた皮膚から血が散ろうとも、リューの集中力は微塵も澱まず、魔力を精確に練り、魔法を編み続ける。

 強敵と激しい高速機動戦闘を交わしながらの平行詠唱。リューの疲弊した心身状態を考えれば、信じ難い絶技であった。

 

「来れ、さすらう風、流浪の旅人。空を渡り荒野を駆け、何物よりも疾く走れ」

 

 不意に、髑髏の異能者が大きく咳き込み、動きが鈍る。

 その間隙を見逃すリューではない。肉体の限界と物理法則に真っ向から喧嘩を売るような高負荷運動をもって、攻撃へ転じた。全身の骨が軋み、筋肉繊維が悲鳴を上げる。その限界機動の果てに髑髏の異能者へ肉薄。

 

「星屑の光を宿し、敵を討て」

 

 頑健な“アルヴス・ルミナ”が軋みしなるほどの袈裟切り。

 髑髏の異能者が咄嗟に小剣を掲げて防ぐが、リューに宿る全質量と運動エネルギーを乗せた捨て身の斬撃によって十数Mも吹き飛ばされ、ブナに似た大樹に背中から叩きつけられた。

 

 その衝突ダメージによるのか、髑髏の異能者の動きが完全に留まった。

 同時に平行詠唱を編み終え、リューが唱える。必殺の文言を。呪詛の如く。

 

「ルミノス・ウィンドッ!!」

 

 さながら砲兵部隊による効力射を思わせる風と光の広域破壊魔法。点でも線でもなく面で全てを蹂躙するこの砲撃的破壊魔法こそ、リュー・リオンが切れる最大の鬼札。

 

 緑風をまとった光玉が無数に生じ、暴力的なエネルギーの炸裂が重ねられる。ブナの大樹が瞬く間に粉砕され、散華した。大地が抉られ、巻き上げられた土砂が高々と宙を舞う。無数の衝撃波が森を揺らし、広大な第18階層の大気を震わせ続けた。

 精神力を搾り尽くした必殺の一撃。効力空間内のあらゆるものを破壊し、破砕し尽くす面制圧魔法。たとえ時と空間を操ろうとも、この殺傷圏からは逃れられない。

 

 はずだった。

 

 リューが瞬きした間に、髑髏の異能者は眼前に迫っていて、小剣の一撃を繰り出していた。

 理解できなかった。が、戦士としての肉体が混乱する思考を無視して反応する。能う限りの反射神経を動員し、限界反応速度で木剣を振るう。

 

 金属と金属が高速で激突したかのような轟音がつんざき、リューは再び吹き飛ばされた。

 麗しきエルフの乙女は放射線を描いて宙を舞い、大地に叩きつけられた後、毬玉のように跳ね、転がっていく。

 

 そこは奇しくもリューが倒れ伏した場所は親友達の墓前。

 

 飛びかける意識を全身に走る痛みがつなぎ留める。全ての骨と臓腑と神経と細胞が悲鳴を上げていた。体が動かない。震える右手を動かして愛剣を探すも、どこにもない。

 

 何が。どうして。なぜ。脳裏にいくつもの疑問が浮かぶ。あれをかわせるわけがない。仕留めたはず。殺したはず。最高の状況で、絶対に避けられないタイミングで、完璧に決めたのに、なぜ。

 

 奴の“魔法”だ。

 冷静冷徹を保つ理性が答えを告げる。

 ついに使ったのだ。時と空間に作用する“魔法”を。時を止め、空間を跳躍して効力圏を脱したのだ。

 

 理性は続ける。他人事のように。

 終わりだ。

 武器もなく体は限界。仮に立ち上がっても、奴は今度こそ時を止め、お前が知覚も認識も出来ぬ間に首を刎ねるだろう。死んだことすら自覚できずに、友の待つ冥府へ旅立つことになる。

 

 お前は負けた。

 絶好の機会を活かすことも出来ずに、復讐を果たすことも出来ずに。

 心の奥から復讐を成し遂げられぬ自分に、失望する音色が聞こえた。魂の芯から仲間達の墓前で無様に敗れる自分に、絶望する音色が聞こえた。

 

 リューの双眸に涸れたはずの涙が滲みかけた、刹那。

 失望と絶望に濡れたリューの瞳が捉える。

 

 こちらに近づいてくる髑髏の異能者。その姿を。

 髑髏の異能者はリュー以上の重傷を被っていた。小剣を握る右腕は圧潰し、肘の先から千切れかけている。

 なにより、右胸にリューの木剣が突き刺さっていた。衝撃でへし折れたらしい鎖骨や肋骨が皮膚を突き破り、艶めかしい白さを晒している。幾度も吐血したらしく仮面の隙間から血が溢れ、首回りや襟元を真っ赤に濡らしていた。

 

 髑髏の異能者が歩く度、ばたばたと大量の血が垂れ落ち、足跡共に紅い染みを残していく。常人なら歩くことはおろか、即死しているべき有様だった。

 

 リューから数Mほど離れたところで足を止めた髑髏の異能者はゴホゴホと咳をして。

「……やってくれる」

 

 リューは思わず身を震わせた。恐怖したのではない。髑髏の異能者が言葉を発したことに驚いただけだ。

 髑髏の異能者は滑り止めの包帯を巻いた左手で、襤褸のフードを降ろして仮面を外す。

 

 正体不明の異能者、その素顔は老人だった。

 

 それも酷く病み衰えた老年の男だった。刻み込まれた無数の皺は深く、肌は衰え渇き、額や頬に染みが浮かんでいる。頭髪はほとんど無く、わずかに残った白髪も栄養が抜けきっていた。

 

 その病み衰えた顔立ちは迷宮都市の暗がりで人知れず死んでいく老乞食を思わせる。とても超人的異能者には見えない。一言で評するなら『みすぼらしい』。

 

 だが、そうしたことはささやかな問題だった。

 茶色の瞳に宿る深淵な虚無と得体のしれない気配が、リューに老人の異常性と異質性を強く認識させていた。背筋をナメクジが這うような不快感に駆られ、自然と疑問が漏れた。

「貴様は、いったい……人ではないのか」

 

「己は人間さ、御若いの」

 髑髏の異能者――老人は血に塗れた歯で左手の包帯を食い千切り、手の甲をリューへ見せた。

 

 染みと皺だらけの手の甲に、奇怪な印が刻み込まれていた。

 

「ただの年寄だよ。老い果てた虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)さ」

 髑髏の異能者――老人が『問答はこれまで』と言うように再び髑髏の仮面を装着し、フードを被った。枯れ木染みた体から血を流しながら、奇怪な印が刻まれた左手に小剣を持ち替えて構える。

 

 リューは立ち上がる。

 自分自身への失望と絶望に折れかけていた心が、再び燃焼を始めていた。眼前の敵は死にかけている。まだ負けと決まったわけではない。殺せる。今なら奴を殺せる。

 消耗と疲弊と酷使に痛み震える体に鞭打ち、背筋を伸ばす。瑞々しい肌は傷だらけで汗と血と泥と塗れている。心身共に限界。武器も無い。亡き友の二刀小太刀“双葉”は失逸した。愛剣“アルヴス・ルミナ”は奴の胸に埋まっている。

 

 わずかな逡巡後、リューは墓標替わり立っていた親友の剣を掴み取る。

 アリーゼ。眠りを妨げてごめんなさい。

 

 赤髪の恋しき親友を脳裏に浮かべながら、リューは親友アリーゼの剣を霞に構えた。

 両者は無言で相剋する。互いに肉体的限界に達している両者に能うはただ一振りのみ。互いに全身全霊の一刀を放つ機を見極め、探りながら先と後を図り合う。

 

 

 そして――機が、満ちる。

 

 

「Rashu Grhaya」

 致命傷を負っている髑髏の異能者は、残された力を絞り出して時を操る。

 

 制止した時間の中で、

「Sum Fdah」

 空間を跳躍してリューの背後へ回り込み、その細やかな首を切り飛ばさんと小剣を振るう。

 

 時はまだ動かない。

 リューは髑髏の異能者が自身の背後にいることも、自身の死が迫っていることも認識していない。自身の死を知覚することもないまま、その首を落とされるだろう。

 

 髑髏の異能者が万全だったならば。

 その肉体が老いさらばえて病んでいなければ。

 その肉体が戦闘によって重傷を負っていなければ。

 髑髏の異能者は異能を持つゆえに即死こそしなかったが、肉体的限界から超越してはなかった。老いと病の限界。出血による体力と精神力の劇的低下。

 加えて、リューを今も護り続ける“彼女達の想い”によって、時を操る超常の技ベントタイムが解ける。

 

 

 時は動き出す。

 

 

 剣閃が駆け抜け、リューの被る緑色のフードが切り飛ばされ、寸断された金髪がはらはらと舞う。されど、そこにリューの首は含まれない。

 直感という形で“彼女達の想い”を受け取ったリューは、紙一重で死の刃を掻い潜った。身を捻り、雄叫びを上げながら親友の剣に全身全霊を込めて振るう。

 

 

 肉と骨を断つ重たい音色が響いた。

 

 

 その場に崩れ落ちる老人の下半身。

 その場にどさりと落ちる老人の上半身。

 

 老人の二つに分かれた体躯から流れる血が墓前を赤く濡らしていく。

 リューは脂汗を垂らし、大きく肩を揺らしながら息を整え、

虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)とはなんだ」

 親友の剣を構えながら問う。髑髏の異能者、その左手の甲に刻まれた奇怪な印を見据えながら、問う。

「貴様はいったい……なんなんだ。どうしてこんな……」

 

 体を上下に寸断された髑髏の異能者は、仮面の眼窩から自らを殺めたエルフの乙女を一瞥し、どこか嗤うような声色で、告げる。

「Hara Kizser」

 直後、髑髏の異能者の影から無数の鼠が湧きだし、その体を貪り食らっていく。

 鼠の群れにその身を荒々しく貪られながら、髑髏の異能者はリューを嘲るように嗤う。高々と勝ち誇ったように。

 

「――な」

 その余りにもおぞましい光景に、さしものリューも後ずさる。

 無数の鼠達が飢えた豚のように髑髏の異能者を瞬く間に食らい尽くし、リューの愛剣“アルヴス・ルミナ”を残して虚無へ消えていく。

 

 リューは悪夢的な幻覚、性質の悪い白昼夢を見せられた錯覚を抱く。しかし、血痕の中に転がる戯画的な髑髏の仮面が、異能者が確かに存在していたことを物語っていた。

 

 忌々しいものを覚え、リューはその仮面を憎らしげに打ち壊す。

 仮面が砕け、暗殺者の屍と同じく虚無に消えていった。

 

 瞬間、魂魄を支えてきた炎熱が失われ、リューは腰を抜かすようにへたり込む。

 オラリオの暗黒期、その中で最も凶悪に跳梁した異能者を討った。死闘と殺戮の果てに到来した情動は……

 

 リュー・リオンは仲間達の墓前で、親友の剣を胸に抱きながら涙と嗚咽をこぼし続ける。

 その涙が涸れるまで。

 

        ☆

 

 虚無の中から死闘を見届け終え、アウトサイダーは人間性の残滓が数世紀振りに高揚する感覚を味わっていた。

 素晴らしいものを見た、と。

 

 あのエルフの乙女は気づいているだろうか。止まった時の中で自らの首が落とされる際、“かつての時と同じく”彼女達がエルフの乙女を守ったことを。

 

 死してなお、彼女達の想いは生き延びた友を護り続けている。

 なんと美しく、なんと貴いことか。こんな素晴らしいものを目の当たりにしたのは、いったい何世紀振りだろう。

 

 なけなしの情動が刺激され、アウトサイダーは妙な納得を覚えた。神々が遊び場として定めた世界だけはある、と。

 この世を逆恨みしていた負け犬の老人へ力を与え、その破滅的な所業を眺めることは、“それなり”に面白かった。

 

 が、所詮は“それなり”に過ぎない。

 

 今さっきエルフの乙女と彼女達が見せてくれた素晴らしいものに比べたら、まったく程度が低い。

“次”はもう少し趣を変えてみよう。あるいは、もう少し深く踏み込んでみるか。

 

 アウトサイダーは再び神々の遊び場へ手を伸ばした。

 より面白いものが見られるように。より素晴らしいものが見られるように。

 

 

 

 新たな虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)を神々の箱庭へ送り込むために。

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