虚無を歩く者がオラリオに現れたようです 作:リバークラスト
地上世界は夜を迎えていたが、ダンジョン内は別段変わりない。
10階層は濃霧に覆われ、白い闇に包まれている。朝晩関係なく。
愚者と名乗る不死の賢者は魔導具“リバース・ヴェール”を操り、透明化を解いて倒木に座った。
「漠然と10階層、と言っても中々に広いのだが……」
「そんな心配は無用だ」
背後から声を掛けられ、フェルズは思わず飛び上がって後ずさる。心肺を失って久しいが、動悸と呼吸が速くなったような錯覚を抱く。
「お、驚かせるのはやめてくれ」
「驚かせる気は無かった」
紅色髑髏はそう応じ、倒木の傍らに立つ樹木へ背を預ける。
相変わらず何かしらのスキルか魔導具を用いているらしく、髑髏柄の面布以外が茫洋として知覚し難い。
厄介な擬装だ、とフェルズは内心でぼやく
フェルズが落ち着きを取り戻すと、
「こちらは名乗る気もないし、目的を話す気もない。取引をする気もない。ただし、こちらに関与しない限り、もしくはこちらの活動を妨げない限り、ギルドやオラリオに害をなす気はない」
紅色髑髏は一方的に語った。
いや、通告したというべきか。フェルズは強く唸る。表情筋が残っていたら渋面をこさえていただろう。
「その目的とやらが分からないのに、害をなす気が無いと言われてもな」
「だろうな」
紅色髑髏は告げる。
「俺の狙いは闇派閥だ。奴らの首が欲しい」
「……復讐かね?」
「好きに想像すれば良い」紅色髑髏はフェルズをじっと見つめ「ギルドや他のファミリアがどう反応しようと、俺は闇派閥の眷属を狩るし、その主神も殺す」
「――神殺しをするというのか」
フェルズの声が上ずる。
神の時代を迎えた今、神殺しは絶対的な禁忌だ。
神の恩恵無くして現在のような“安定”は維持し得ない以上、神々が人間に愛想を尽かして天界に帰ってしまったなら、再び人の時代に“戻ってしまう”。
ダンジョンから強大なモンスター共が溢れて世界を蹂躙し、荒廃した世界で限られた土地や衣食住を巡り、人間同士で殺し合う地獄が再来してしまう。
つまりは“そこ”なのだ。
人間が神々の横暴に忍従しなければならない理由は。
ダンジョンの怪物が暴れ回る世より、神々の理不尽や不条理に振り回される世の方がマシ。神々の横暴に耐えて恩恵等の利益を得る方がマシ。
それが神の時代、人類のコンセンサスだった。
だが、眼前の紅色髑髏は堂々と宣言した。
神を殺すと。
フェルズは両手を強く握り込み、眼前の凶徒へ問う。
「分かって、いるのか? その罪科の重さを」
「罪科、ね」
紅色髑髏はせせら嗤う。
「人間を害するという点で、邪神悪神やその眷属はモンスターとなんら違わない。7年前の大抗争を招いた腐れ神が良い例だ。あれの有害性はモンスターとどう違う? それとも神は人間をどのように扱っても良いというのか? 人間は神の家畜や奴隷であれと? 人間は神々の玩具としてのみ生かされているとでも?」
「神殺しは道義や理屈以前だ。人が神を殺す。その凶行の結果がどんな恐ろしい事態を招くか」
「俺が思うに」紅色髑髏は冷笑するように「仮に俺が神々を数匹殺したところで、神々は天界へ逃げ帰ったりしないだろうよ」
「……否定はしない」
フェルズは溜息をこぼす。
たしかに、オラリオの神々が数柱ほど害されても、恐れを為して天界に逃散することは無いだろう。それどころか、目障りなライバルが減って好き放題できる、と考える神の方が多いはずだ。
もっとも、問題の焦点は別だ。
『人間が神を殺す』という事実。これ自体が大問題なのだ。
オラリオ外に流れた負け犬が野垂れ死にすることと、神々の箱庭で神が人間に殺されることの影響はまったく違う。
愚神エレボスの凶行以来、オラリオには闇派閥とは異なる叛神思想が静かに、だが、確実に根付いている。神の気まぐれな横暴で全てを奪われた人々の憎悪と怨恨が渦巻いている。
オラリオにおいて神殺しが生じ、それがまかり通ったら……神にとっても人にとっても惨劇が起きるだろう。大惨劇が。
フェルズは真っ直ぐに紅色髑髏を見つめ、
「君の神殺しを見過ごすことはできない。人による神殺しそのものが問題なのだ。君は摂理そのものを破壊することが望みなのか?」
挑戦するように言葉を編む。
「それに、君が持ち去った資料を鑑みるに、狙いは闇派閥だけではなくソーマ、イシュタル、イケロス、ヘルメスも含まれる。彼の神々とそのファミリアは確かに完全な善神とその眷属とは言えないが、闇派閥の如き邪悪な存在とは言えない。それどこか、デメテルやニョルズは善神というべき存在だ」
「誤認だな」
紅色髑髏は左手を揉みながら淡々と言葉を紡ぎ、
「ソーマは凶悪な中毒症状を発する“毒”をばら撒く害悪だ。イケロスはオラリオ外の密輸に関わっているロクデナシだ。都市外を好きに出入りしているヘルメスや、イシュタルの如き娼神が何をしてるか、お前達は把握してないだろう。俺に言わせれば、奴らは表社会に存在する闇派閥に等しい」
ふっと息を吐く。
「デメテルとニョルズに関してはそちらの言い分も認めよう。ただし、件の2柱がその扱っている事業内容から無自覚に闇派閥と関わってもおかしくない」
フェルズは大きく肩を上下させ、
「……神殺し以外なら、我々も許容できる。人間が人間を殺すことは、それはそれで問題だが、受け入れられる。復讐も報復も大義が君にあるならば、止めはすまい。しかし、やはり神殺しだけは許容できない。それはオラリオのみならずこの世界の根幹を揺るがしかねない」
踏み込むように告げた。
「だから神殺しではなく、告発による強制送還に譲ってもらえないだろうか」
その提案に、紅色髑髏はしばし俯いて沈思黙考した。
フェルズは重たい沈黙に骨が軋む思いだった。胃が残っていたなら締め上げられただろう静寂。喉が残っていたなら渇いただろう静謐。
そして、紅色髑髏はゆっくりと顔を上げた。
「……断る。ただの強制送還では報仇雪恨が叶わない。神を称する畜生共の臓腑を抉り、喉笛を掻き切ってのみ、この胸に煮えくり返る怒りが、燃え盛る恨みが、消えることのない憎しみが、癒えぬ悲しみが慰められる。奴らの断末魔のみが俺の魂を鎮める」
フードの奥に潜む双眸が獣のようにぎらつく。その情念の闇深さと熱量の凄まじさに、フェルズは肉を失った背に冷たいものを覚えた。
「しかし」
体を揺らすように深呼吸し、紅色髑髏はフェルズを見る。
「歩み寄りを試みたそちらの誠意に応えよう。俺はあくまで神殺しを諦める気はない。が、そちらがこちらに先駆け、強制送還を行うことを受諾しよう」
「君に神殺しをさせぬ方法は、我々が悪神を討つことのみ、か」
フェルズは大きく唸る。
それはそれで恐ろしく難問だった。
現状、潜伏した闇派閥を放置状態であり、ギルドも治安当局を担うガネーシャも現状維持以上のことが出来ずにいる。手数も力も足りないために。
「この箱庭の管理人面をするなら、その責任を果たせ」
紅色髑髏は侮蔑すら込めて、フェルズを睨む。
「俺が今この場にいること自体、お前らの無責任さ、無能さが原因だ。お前らがこの汚らわしい箱庭をしっかり管理し、下界した畜生共の手綱を握っていたなら、俺がこの場にいることは無かったし、お前も俺に罵られなかったさ」
「誹謗中傷、と言い切れないところが耳に痛いな。耳などとうに腐れ落ちたが」
フェルズは自嘲気味に呟き、
「君の見解は分かった。そのうえで取引を申し出たい」
「取引などしない、と言ったはずだが?」
「そちらにとっても無関係ではない」
訝る紅色髑髏へ切り出す。
「今、ダンジョンで不可解な動きが起きている。闇派閥が暗躍をしている可能性が高い」
紅色髑髏が『続けろ』というように小さく顎を振り、フェルズは言葉を続ける。
「この件は一般周知させることが難しい問題が関わっていて、調査にも人手が不足している。そこで君の助力を得たい」
「闇派閥を狩るついでに、調べものへ手を貸せと?」
「結果として君が闇派閥を狩ることになっても、構わないというべきかな。事はこの世界の在り方そのものを変えかねないのだ」
フェルズは語りながら地底の輩達を思い浮かべた。この世界の異端児達を。空に憧れる子供達を。
が、事情を知らぬ紅色髑髏は怪訝そうに目を細めるだけだ。
「要領を得ないな。そちらの事情など関係なく闇派閥は一匹逃さず鏖殺し尽くす。人間も神も区別なく。ネタを寄こすなら利用させてもらうだけだ。そちらの都合など斟酌しない」
「そう、か。そうだな……」
異端児達のことを明かせない以上、踏み込んだ提案が出来ない。かといって、異端児達を受け入れるかどうか分からない相手に情報を明かせない。
フェルズは苦悶するように唸り、紅色髑髏へ懇願するように言った。
「対話の窓を閉じないで欲しい。都度、協力の是非を交渉させてもらいたい」
「そちらの都合に合わせる気はないが」
紅色髑髏は冷ややかに応じ、背を預けていた樹木から離れる。
「誠意には誠実に報いるよう努める。それ以上は何も約束しない」
「こちらが連絡を取りたい時はどうすれば良い?」
フェルズの問いかけに、紅色髑髏は鼻で嗤う。
「ギルドの掲示板にでも依頼書を貼っておけ。髑髏から髑髏に、とでも書いてな」
「外連味があるんだな」
意外そうに切り返すフェルズへ、紅色髑髏は小さく肩を竦め――一瞬で姿を消した。
残されたフェルズは小さく慨嘆をこぼす。
「まさか神殺しとは。ウラノスが何と言うか……頭が痛いな」
肉を失っても、かつての感覚が残る身が悩ましい。
★
髑髏と髑髏が会見した翌朝。
「こちらの素性が露見しない限りにおいて、先方と協力しても構わないけれど」
キャミソールとホットパンツ姿のアスラーグが小首を傾げる。
「要領を得ないわね。フェルズは私達に何を期待してるわけ?」
「さっぱり分からん」
エミールは素っ気なく応じ、どこかくたびれ顔で続けた。
「向こうも向こうでいろいろ隠し事があるようだ。そのネタを明かせないから踏み込んだ協力を求められない、そんな感じだったな。こちらと同じだ」
魔女の心臓について情報が欲しい。が、それを明かしたら、こちらの素性が暴露する。そうなれば諸島帝国への悪影響が及ぶため、神殺しは出来ない。下手をするとこれまでの“悪さ”が発覚しかねない。
だからこそ、諸島帝国からの流れ者2人組と“虚無を歩く者”を繋がらせないため、会見にアスラーグが参加しなかった。
「まぁ良いわ。私達は魔女の心臓を取り戻し、事件の報復を果たす。それだけよ」
アスラーグは体を伸ばして悩ましげな艶声をこぼす。
「さてと。ここ一週間こもりきりだったし、今日はスカッと暴れますか。エミールは徹夜になるけど、ダンジョンに潜れる?」
「上層で“遊ぶ”分には問題ない」
エミールは小さく欠伸を噛み殺し、鼻息をつく。
「俺の代わりにアーデ嬢に頑張ってもらおう」
というわけで、2人はリリルカさんと共にダンジョンへ。
★
紅髑髏と黒妖精と灰被りがダンジョンで暴れている頃、ギルドの最奥にて老大神と愚者が顔を合わせていた。
「神殺し、か」
ウラノスは顔に刻まれた厳めしい皺を大きく歪める。
「決して看過できん。そのような凶徒が存在しては、この世の秩序が失われてしまう」
「狙いはあくまで闇派閥だと言っていた」フェルズは苦々しげに「無秩序な殺戮を試みることはないと思う」
「人が神を殺める。そのこと自体が問題だ。分かっているだろう」
「分かっている。分かっているとも。しかし、一方で彼の言い分も分かるのだ、ウラノス」
フェルズは小さく頭を振るい、
「ウラノス。君も知っているだろう。暗黒期、特に7年前の大抗争以来、このオラリオに神を憎み恨む人間が増えていることを。この神々の箱庭にあって、神々を全否定する者達が数を増やしている。此度の虚無歩きはそうした者達の一人に過ぎないのではないか?」
どこか倦んだ様子で言葉を続ける。
「1000年だ。ウラノス。神と人が交流を重ねて1000年。これまで神殺しを企てた者が皆無だったわけではないだろう」
事実だ。
神々が下界を始めて1000年。神々の横暴や愉悦で大切な人間を奪われた者や尊厳を踏みにじられた者達が、ひたすらに涙を呑み、歯を食いしばって耐え忍び、屈従してきた。
――なんてことは、人間の気質として“ありえない”。
そして、この1000年。神殺しは果たして一件も無かったのか? 江戸幕府250年の間で暗殺された将軍が”公式には”皆無だったように?
公式には無い。
神同士のいざこざや重大な違反行為による強制送還の記録はある。事故死や病死の記録もある。
が、神殺しは無い。神殺しだけは、無い。1000年で1柱もいない。公的には。
「過去のことは過去のことだ」ウラノスは子猫を蹴り飛ばすような冷厳さで「此度の虚無歩きを如何するか。それが問題だ」
死なず死なず生きて800余年。その知見を基にフェルズは意見を述べる。
「先にも言ったが、速やかな排除は無理だ。少なくとも私では手も足も出ない。ヘルメスやガネーシャの眷属でも難しいだろう。確実に倒すには最低でもレベル5の冒険者を複数人投じるべきだ。それも犠牲を前提に」
「地底の子らではどうか?」
ウラノスの諮問にフェルズは「難しいと思う」と前置きしてから見解を呈する。
「彼らとて余程の強者を集めねば、返り討ちになるだけだろう。あくまで個人の感想だが……此度の虚無歩きは前回の、髑髏の異能者よりも手練れだ。それも段違いに」
何より、とフェルズは神妙に続けた。
「……地底の子らはこの世界をより良き方向へ歩ませる可能性だ。その数が限られている今、彼の虚無歩きと戦わせ、犠牲を出しては君の本願を損ねるのではないか?」
老大神は眉間に苦悩の皺を刻み、仰々しく息を吐いた。
「……ならば、毒には毒を以って制すのみか」
「ああ。彼に闇派閥を壊滅させ、私達がその主神を天界送還する方が有益だろう。それに近くロキ・ファミリアが深層遠征に挑戦する。異端児達を動かし難い」
フェルズは老大神を労わるように告げてから、小さく頭を振った。
「しかし……我々は虚無のことも虚無歩き達のことをほとんど知らないな。髑髏の異能者は会話もままならない相手だったし、此度の虚無歩きもろくに情報を明かさない」
人類最高の賢智へ至った魔導師も、虚無については寡聞だった。
「虚無に潜み、人間にその力を与える謎多き“
この街の諸々や異端児達、闇派閥など対処せねばならない問題が多く、研究に費やす時間など作れないけれども。
「お前は既に一度、その知的好奇心ゆえに失敗しただろう。二の轍を踏む気か?」
「返す言葉もない」
ウラノスの小言を受け、フェルズはばつが悪そうに頭を掻いた。
★
ダンジョンから戻ってきたエミールとアスラーグは廃教会――女神ヘスティアの住居が何やら騒がしいことに気付く。
「なんだ?」
「何かあったのかしら?」
上京してホームシック気味の女学生みたく隙の多い女神ヘスティアを案じ、2人は廃教会の扉を叩く。
「はいはーいっ!」
屋内から少女の上機嫌な声が返って来た。どうやら何かしらのトラブル、という訳ではないらしい。
がちゃりと教会の扉が開かれ、喜色満面のツインテール巨乳ロリ娘が姿を見せる。
「アスラ君にエミール君っ! どうしたんだいっ!?」
女神ヘスティアは元気いっぱいに2人へ応対した。どうやら不味い事態ではないようだ。
アスラーグとエミールは懸念を拭い捨て、ひとまず安心。
「なにやら表まで聞こえていましたので、どうされたのかと。その御様子ですと大丈夫なようですね。安心しました」
「あはは、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったみたいだね。ごめんごめん」
照れくさそうにうなじを揉むも、よほど嬉しいことがあったのか、ヘスティアは表情がふにゃふにゃと溶けっぱなし。
「実はね……」
ヘスティアは10秒ほど溜めて溜めて、叫ぶ。
「ついに眷属が出来たんだっ!!」
「それは……おめでとうございます」「おめでとうございます、ヘスティア様」
アスラーグとエミールは素直に祝辞を述べ、ヘスティアを大いに喜ばせる。
「うん、ありがとうっ!! ボクにっ! ようやくっ! 子供が出来たんだっ!!」
喜びの雄叫びを上げるヘスティアに、エミールは思う。
眼前の少女が神だと知らずに聞いたら、大変な誤解を招く言い回しだな。
エミールの胸中を察することなく、ヘスティアは2人へ言った。
「僕の家族を御近所さんの君達にも紹介させてほしいっ! 良いかなっ!?」
「喜んで、ヘスティア様」
アスラーグが微笑みを返し、エミールが首肯すると、ヘスティアは嬉しそうにはにかみ、地下室の入口へ向けて駆けていき、初めての眷属を呼ぶ。
「ベルくーんっ! ちょっと来てくれーっ!!」
「なんですか、カミサマ?」
少年の柔らかな声が響き、トントントンと階段を上る音が聞こえ……炉の女神ヘスティアの初めての眷属が姿を現す。
「あらカワイイ」「兎っぽいな」
アスラーグとエミールが少年の第一印象を口にする。
線の細い中肉中背。柔らかな白い髪と紅玉みたいな瞳が特徴の綺麗な顔立ち。絵に描いたような紅顔の美少年はどこか白兎を思わせた。
「紹介しようっ!」
ヘスティアは大きな乳房を張り出すように胸を反らせ、隣に立った少年を示しながら得意満面に告げる。
「ボクの眷属、ベル君だっ!!」
白兎のような美少年が恥ずかしそうに、でも心底嬉しそうに、元気いっぱいに名乗った。
「ベル・クラネルですっ! ヘスティア様の眷属になりましたっ! よろしくお願いしますっ!!」