虚無を歩く者がオラリオに現れたようです 作:リバークラスト
光が見える。ゆらゆらと小波に揺れる光が。
歌が聞こえる。鯨の切なく美しい歌が。
冷たい浮遊感に委ねた体のあちこちから、赤い血が上下左右に流れ出ていく。
指一本動かせないものの、痛みはない。苦しくもない。辛くもない。
哀しくもない。
茫洋と揺れる光を眺め、鯨の歌を聴くエミールを、
「手酷くやられたな、エミール」
アウトサイダーが無感動に見下ろしていた。漆黒の双眸には如何なる情動も宿っていない。
「お前は今、疑問を抱いているだろう。三年掛かりで見つけ出した仇敵。アレが使ってみせた力について」
エミールはアウトサイダーへ反応を返さず、茫然と揺れる光を見つめ、鯨の歌を聞きながら無重力に身を委ねている。
「疑問を解消してやろう。三年掛かりの追跡が実った祝いだ」
が、アウトサイダーはエミールの反応など気にもかけない。
「アレは私が印を刻んだ者ではない。あのようなつまらぬ者は力を与えるに値しないからな。詳しいことが知りたければ、お前を支える魔女にアレのことを伝えれば良い。あの魔女はお前が思っている以上に多くを知っている」
無機質に淡々と言葉を紡ぎ、
「お前の物語は大きく前進した。しかし、忘れるな。お前は既に大きな物語へ触れている。選択次第ではお前の物語はたちまち飲み込まれてしまうぞ」
アウトサイダーは一方的に無感動な言葉を連ね、
「つまらない結末だけは迎えてくれるなよ、エミール」
そして、エミールの意識が闇に閉ざされていった。
鯨の歌が聞こえなくなる刹那。
エミールは痛切な寂寥感に駆られた。が、涙は一滴も溢れなかった。涸れてしまったかのように。
★
「―――ぅ」
エミールは意識を取り戻し、体中の痛みに呻きながら身を起こす。
が、思っていたほど痛みが酷くないことに困惑を覚え、次いで、周囲を見回して別ベクトルの戸惑いを抱く。
どこだ、ここは。
洞窟の一角らしき広い空間。剥き出しの岩肌を焚火の灯りが照らしている。焚火は灰の量が多く、火元周りの地面が焼けて久しい。周囲も整地されているようだ。簡素ながら拠点化された場所だ。
ツタ痣男の反撃を受けて湖沼に沈んだ後の記憶がない。あの状況から自力で陸に上がり、この場所に逃げ込んで薪を集めて焚火を起こした?
そんなアホな。
エミールは体の具合と装備を確認する。痛みはあるものの、怪我はない。回復薬で治療されたらしい。着衣が生乾き状態――それだけの時間、意識がなかったことを意味する。折り畳み式小剣とクロスボウ、それと戦闘に備えて遺棄したはずのバックパックが、髑髏の面布と共に傍らへ置いてあった。
「気づいたか」
不意に声を掛けられ、エミールは馬鹿馬鹿しいほどの反射速度で折り畳み式小剣を手に取り、展開。
「落ち着け。ここは安全だ」
透明化を解き、黒づくめのローブ姿――フェルズが姿を現して、宥めるように言葉を重ねた。
エミールは油断なく深青色の瞳を周囲に巡らせる。5、いや、6か。愚者の後方の陰に3、左の岩陰に2。それと頭上に1。これは……
「モンスターに取り囲まれている状況が安全か?」
底冷えしそうな冷たい声で問われ、
「! どうして……いや
フェルズは驚きをすぐに自己解決し、右手を上げて振るう。
合図と共に物陰や暗がりから、モンスター達が姿を見せる。
フェルズの背後から赤鱗の蜥蜴人。濃灰色の石竜。赤い帽子を被った小鬼。左後ろの岩陰から麗しい歌人鳥と美しい半人半蛇。頭上から甲冑を着込んだ人蜘蛛。
見紛うこと無きモンスター共。
ただし、いずれのモンスターも殺気を発していない。あるのは警戒と不安。好奇心と興味。
異様な光景を前に、エミールも警戒を解かなかった。
しかし、動揺も取り乱しもしない。ただ眼前の状況を受け入れる。軍人として徹底的に仕込まれた現実主義と実用主義が、エミールに鋼の冷静さを維持させていた。
その様子に一部のモンスター達がエミールへ関心を強くし、双眸に好奇の色を宿らせる。
「賢者がテイミングの術にも長けているとは知らなかった」
エミールはフェルズを見据え、自分なりの見解を口にする。同時に、戦闘になった場合を想定。いずれのモンスターもかなり強い。魔力は回復しているようだから
フェルズは深呼吸するように肩を大きく揺らした後、おもむろに言った。
「私は彼らをテイミングしていないよ、エミール・グリストル」
名前を告げられたことにも驚かない。長時間、失神していたのだ。素顔を見られ、所持品も調べられただろう。身許がバレていてもおかしくない。
問題はその情報が既にギルド本部へ持ち帰られたか否か。
是なら今後の方針を切り替えねばならない。
否なら――この場でこの骸骨野郎を解体して“行方不明”にすることも検討しよう。
「何か不穏なことを考えているようだが、“不味い”事態なのは君だけではないよ、エミール。ああ、エミールと呼んでも?」
「好きにしろ。それより、お前の使役モンスターでは無いというなら、こいつらはなんだ?」
「そいつは俺っちから説明させてくれ」
赤鱗の蜥蜴人が唐突に流暢な共通語をしゃべった。
それでも、エミールは眉間に皺を刻むだけ。
予期していた反応と違うことに面喰いつつも、蜥蜴人は言葉を続ける。
「お、驚かないのか? モンスターが喋ってるんだぜ?」
「そこに喋って動く骸骨がいるんだろうが。今更モンスターがしゃべったくらいで驚くか」
エミールは蹴り飛ばすように言い放つ。
「こっちはフェルズといろいろ話を詰めたい。さっさと説明を済ませろ」
唖然とするモンスター達。苦笑いするように体を震わせるフェルズ。
「……調子が狂うな。まぁいいや。それじゃあ、まず俺らが何者かってことから説明するぜ」
赤鱗の蜥蜴人は頭のてっぺんを掻きながら、語り始めた。
この世界を根底からひっくり返しかねない自分達について。
★
いつ頃から“彼ら”が生まれたのか分からない。彼ら自身さえも。
ウラノスが把握する限りは、十数年前、ゼウス・ファミリアが彼ら――人間のように理知と心を備えたモンスター達と遭遇、発見したらしい。
彼らは人間に害意を持たず、それどころか強烈な憧憬を持っていた。そして、地上に出ることを鮮烈に望んでいた。
また、彼らは他のモンスター達から同族同胞と見做されず、命を狙われる存在だった。
人ではない。されど、モンスターでもない。この世界の異端存在。それが彼らだ。
神の時代を迎えて1000年。万世不変の神にとっても決して短くはない時。ウラノスはギルド最奥の祈祷場でモンスター達の地上進出を妨げ続け、人と獣の不毛なまでの殺し合いを見続けてきた。
ウラノスは下界した神々の中で誰よりもこの世界の在り方を憂い続けてきた。誰よりもこの世界の未来を案じ続けてきた。誰よりもこの世界に生きる子らの幸福を願い続けてきた。
そんな老大神が異端の子らの存在に、希望を見出したとて誰に責められようか。
人とモンスターの共生共存。
片方の根絶ではなく、共に手を取って血みどろの闘争に終止符を打つ。疲れ果てた老大神がその美しい未来像を求めたことを、誰が否定できようか。
理想を見出し、大願を抱いたが、ウラノスは愚神ではない。
思慮深き老大神はどこかのバカ共とは違う。軽挙妄動に走らない。理知と心を備えていようとも、人間がそうそうモンスターを受け入れられないことを、老大神は知っていた。
なんせ、神の時代前の人の時代。ダンジョンから這い出たモンスター達は世界を跳梁し、人類を蹂躙した。旧き書は『往時、人は絶滅の際に追い込まれた』とすら記している。
それに、ダンジョンが巨塔に封じられた今も、往時に世界各地へ進出したモンスター達は人を襲い続けている。
この世界は、モンスターを恐れ、憎み、恨む者で満ちている。
だから、ウラノスは秘密裏に異端児達を保護し、機を待つことにした。人が異端児達を受けいれられる世界を作る準備を始めた。
いつか人とモンスターが共生共存する未来が来ることを信じて。
保護された異端児達はその見返りとして、ダンジョン内の問題をこっそり解決し、ダンジョン内を捜索して異端児の保護に努めている。
いつか地上に出られる日を夢見て。
その時、人と共に在ることを願って。
★
「人ではないが人と同じく高度な知性と感情を有し、かといって、モンスターから同族と見做されない存在。なるほど。確かにこの世界の異端だな」
リドと名乗った赤鱗の蜥蜴人とフェルズによる長話を聞き終え、
「まあ、人間にも俺やフェルズのような異質が生じるんだから、モンスターにも異質が生じてもおかしくはないか」
エミールはどこか自嘲的に鼻息をつき、折り畳み式小剣を収めた。
「彼らを受け入れてくれるのか」
「受け入れるも何も眼前の現実を認識するしかないだろ。むしろ呆れている」
どこか嬉しそうなフェルズへ、エミールは冷や水を浴びせるように言った。
「たしかに全てのモンスターがこいつらと同じようになれたら、世界は大きく変わるだろう。人と魔物の生存闘争も終わらせたいウラノスが、こいつらを保護して援助する理由も分かった」
だがな、とエミールの深青色の瞳が冷ややかにフェルズを見据える。
「人間とモンスターの共存を図るため、テイミング・ショーを繰り返して人間にモンスターと接することを馴らすだと? アホか」
「ア、アホ?」
予想外の罵倒を浴びてフェルズは戸惑い、リド達も目を瞬かせる。
あのな、とエミールは双眸に冷厳さを湛えた。
「人類がこれまでどれほどモンスターと生存闘争を重ねてきたと思ってる。これから何十年何百年テイミング・ショーを続けたところで、モンスターとの共存なんて考えるものか。むしろショーに慣れた連中はこう考えるだろうよ。人間はモンスターを支配する立場だと。モンスターは家畜の如き存在だと」
「そんなことは」
フェルズが反論を試みるも、エミールはフェルズの言葉に被せるように、
「無いと言い切れるのか? 人間同士でも支配する者される者がいて、弱者を奴隷化し、家畜の如く扱ってるんだぞ。モンスターが人間よりマシな扱いをされると思うのか?」
その冷徹な意見にフェルズが口ごもる。エミールは小さく息を吐いた。
「まあ、好きにすればいい。世界の在り方とかなんとか、そんな大きな話は俺の手に余るし、関わる気もない。はっきり言ってしまえば、異端児のことはどうでもいい」
どうでもいい、と言われ、リドと名乗った赤鱗の蜥蜴人は思わず唸る。石竜と人蜘蛛が嫌悪感を滲ませ、他の三体は悲しげに表情を曇らせた。
そんなモンスター達を余所に、エミールはフェルズを見据える。
「俺にとって今重要なのは、お前達が俺という人間の素性を掴んだことだ。神殺しを目論む虚無を歩く者、諸島帝国人エミール・グリストルが神殺しを実行した時、お前らがどう動くか、だ」
「ウラノスとギルドの秘中の秘を知った君がどう動くか、こちらも不安だよ。我々はお互いの首を括る縄を手にした。それで互いを牽制すれば良い。それと、これはあくまで私見だが、君が神殺しを行っても、ウラノスは君の素性を世に広めたりしないと思う」
フェルズは言葉を選びながら、慎重に続ける。
「虚無を歩く者が我々の協力者になってくれるなら、不品行な神が天界へ強制送還されることは自業自得であるし、その眷属が自らの悪事が原因で命を落とすことは因果応報、と見做すのも吝かではない。それに、先に決めた通り、我々が努力して君に神殺しをさせなければ、問題ないだろう?」
フェルズの回答に、エミールは内心で冷笑する。
なるほど、こいつはまだ俺達の足跡をきちんと把握していないようだ。
調べていれば、オラリオ外で強制送還された元闇派閥の神ピクラスと神モーモスの二柱と、エミールの関わりを疑っているはず。
既に神殺しを行っていると疑念を抱いたなら、協力など考えないだろう。ギルドと神殺しと関わりが発覚したら、異端児と同様かそれ以上の大スキャンダルだから。
つまりは協力者という立場を得てしまえば、事の大きさから事実の公表は不可能になる。
最悪、口封じに消されるとしても祖国へ累は及ばない。ウラノスとギルドは祖国へ手を出せない。
エミールは素知らぬ顔で頷き、
「この際だ。聞きたいことがある。そこの連中にも」
真剣な顔つきで、問う。
「魔女の心臓、という言葉を聞いたことは?」
「ふむ……魔女の心臓。寡聞にして覚えがないな」
フェルズは首を傾げつつ、リド達へ顔を向けるも、モンスター達も心当たりがない、と首を振る。
「どういうものなんだね?」
「祖国の最重要機密物の一つだ。心臓を模した細工物で、極めて危険な呪物だ」
エミールは優男然とした顔を憎々しげに歪める。
「三年前、闇派閥の高位恩恵持ちを含めた賊の集団がダンウォールにある自然哲学アカデミーを襲い、強奪した」
「なるほど。以前、君が言った闇派閥に対する復讐という動機は事実だったが、但し書きを秘していた訳か。魔女の心臓の奪還という但し書きを」
フェルズは腕を組んで不満げに唸ってから、問う。
「その魔女の心臓とやらがオラリオに持ち込まれた確証はあるのか?」
「第27階層で魔女の心臓を奪った賊の一人と交戦した」
エミールはフェルズにオラリオへ至るまでの経緯――事件に関与した者共を狩り、拷問で情報を搾り取ってきたことを説明しない。
「判断材料としては有力だな」
フェルズがうーむと再び唸る傍らで、
「なあ、あんたは地上の街の、その外から来たんだよな? それも、海とかいうデカい水溜まりを渡って」
おずおずとリドが問う。
「? ああ。そうだ。俺は三年前、諸島帝国から大洋を渡ってこの大陸に来た。そして、大陸のあちこちを巡ってオラリオに辿り着いた」
おお! と赤鱗の蜥蜴人が歓声を上げ、他のモンスター達も好奇心と興味で目をキラキラさせる。
「なあ、外の世界の話を聞かせてくれねェか?」
「は?」
モンスターに話を強請られるという事態に唖然とするエミールへ、
「良ければ、少し話をしてやってくれないか?」
フェルズはどこか苦笑交じりに悪戯っぽく告げた。
「彼らが死にかけていた君を保護し、手当てしたんだよ」
そう言われては無碍にも出来ない。
「分かった。少しだけな」
エミールは小さく嘆息をこぼし、了承した。
★
ダンジョンのどこかでエミールが異端児達に話を聞かせ、赤鱗の蜥蜴人がエミールを『エミッち』と呼び始めていた頃。
同じくダンジョンのどこかで、
「痛い……痛いぞぉこれは……」
ツタ痣男が苦悶していた。
神の時代たるこの世界では、大概の外傷は魔法的医療薬品――
それでも、治療を終えて損壊した顔が完全に修復しても、堪えがたい痛みが抜けない。恩恵持ちの超人でも痛いものは痛い。
苦悶するツタ痣男を一瞥し、赤毛の美女レヴィスは酷い仏頂面を浮かべた。
「いっそ死んでいれば苦しまずに済んだのにな」
「手厳しいな、ミズ・レヴィス」
ツタ痣男は顔の左半分を押さえながら呻く。よくよく見れば、顔の右半分に走っていたツタ上の痣が形状を変え、大きくなっている。
「まぁ、此度は面倒を掛けた。貴女に謝罪と感謝を」
「貴様の謝意など要らん。次は面倒を掛けぬようきっちり死ね」
真顔で吐き捨てるレヴィス。ツンデレ美少女の照れ隠しと違い、その言葉には反感と侮蔑と悪意しか詰まっていない。
もっとも、ツタ痣男は痛む顔を押さえながら、楽しげに嗤うのみだ。
レヴィスは苛立たしげに舌打ちし、
「気に入らん事実だが、貴様は妄信者共の中では腕が立つ。地上の冒険者共でも貴様に優る者は一握りに過ぎまい」
問う。
「誰にやられた? 敵の名は?」
「名は知らん。名乗らなかった。が、どうでも良いことだ。相手は虚無を歩く者。その事実だけで釣りがくる」
「虚無を歩く者……」レヴィスは片眉をあげ「時と空間の魔法を操る異能者だったか。5年前までそんな奴が暴れ回っていたな。再び姿を見せたか」
「かもしれぬな」
あの刻印持ちは五年前までオラリオで暴れていた髑髏の異能者と無関係だ。が、ツタ痣男はレヴィスに事実を明かさない。
アレは自分の、自分達の獲物だ。レヴィスはもちろん他の闇派閥にも情報を渡す気はない。
“御方”の聖約を果たすために、奴の魂が要るのだから。
「ミズ・レヴィス。“己ら”はこれから本願成就に専念する。貴女や彼らと別れて行動することになろう」
ツタ痣男は狂気に満ちた喜色を浮かべた後、レヴィスへ申し訳なさそうに告げる。
「己が傍に居らず寂しい思いをされるだろうが、許されよ」
「気色悪い戯言はやめろ。ぶち殺すぞ、貴様」
レヴィスが憤慨して毒づくと、ツタ痣男は楽しげに笑った。
★
「ところで、俺はどれくらい地下に居る?」
話にひと区切りが着いたところで、エミールが思い出したようにフェルズへ問う。
「第10階層で君と別れてから、になる。概ね3日ほどだな」
フェルズの回答に、エミールは眉間に皺を刻んだ。
「……3日。ギリギリだな」
「? 何がだね?」と怪訝そうに問うフェルズ。
「そちらは俺の素性を把握しているから言っておくが、俺には相棒が居る」
エミールは静かな口調で説明を始め、
「ふむ。それが?」
フェルズの合いの手を挟みつつ、右手の指を順に起こしながら言った。
「あいつは多分、俺が帰還しないことについて三つの可能性を検討している。一つは現地の調査が長引いている可能性。二つ目は俺がモンスターにやられた可能性。最後に、お前が俺をハメた可能性だ。前者二つはともかく、最後者だと判断した場合」
「どう、なるんだね?」
物凄く嫌な予感がしたフェルズがおずおずと問い、エミールは真顔で答えた。
「ギルド本部に向かって広域破壊魔法を打ち込むかもしれない」
「―――――」
フェルズはしばし絶句した後、真剣な声音で告げた。
「エミール。急いで帰ろう」