虚無を歩く者がオラリオに現れたようです 作:リバークラスト
推敲前にアップしてしまいました。内容に大きな変更はありません。
ロキ・ファミリアの深層遠征隊が拠点へ帰りついた頃、エミールはギルド本部の換金窓口で魔石と素材の清算を待ちながら、しみじみと呟く。
「ロキ・ファミリアの団長フィン・ディムナか。強者の貫禄があったな」
第12階層の事故紛い後、起きた事態に話を付けるため、エミール達は階を上がってきたフィン達と顔を合わせていた。
まあ、話自体は『お互い怪我も無かったし、今後こういうことが起きないよう気を付けましょうね。握手』という塩梅ですぐにまとまったが。
リリルカは何を当たり前のことを、と言いたげに説く。
「それはそうですよ、エミール様。オラリオ屈指の大派閥ロキ・ファミリアの団長ですよ? “勇者”ですよ? レベル6ですよ?」
「見た目はあんなに可愛いのにねえ」
同じくしみじみと呟くアスラーグに、リリルカはくすりと笑う。
「そういう理由で人気もあるらしいですよ。御本人に浮いた噂はありませんけどね」
「それにしても」リリルカはジトッとした目でエミールを見て「初対面の若い女性を御姫様抱っことか……破廉恥です。ふしだらです」
「アレは不可抗力だ。それに抱えただけだろ。なんならアーデ嬢も抱えてやろうか?」
「やったら料金取りますからね」と抗議するリリルカ。
「生臭い表現をしよる」
エミールは苦笑いをこぼし、そうだ、と思い出したように言った。
「アーデ嬢。明日は少し早めに切り上げるぞ」
「そうなんですか?」
目をぱちくりさせるリリルカへ、アスラーグが事情を話す。
「リリちゃんが御遣いで会った二人組がいるでしょ? 彼らの店がダイダロス通りにあるそうだから行ってみるつもりなの」
「ああ。あの人達ですか」
記憶を振り返りつつ、リリルカは2人へ忠告する。
「ダイダロス通りに行くなら、女神ペニア様に気を付けてください。貧窮を司る女神様で、ファミリアを率いてはいませんが、ダイダロス通りに縄張りにしてらっしゃって、目についた人にお布施をタカります。これを断ると……」
「断ると?」興味深そうにアスラーグが問う。
リリルカは答えた。とっておきの怪談を語るように。
「貧乏になる神威を浴びせられるそうです」
エミールとアスラーグは真顔で呟く。
「「それは恐ろしい」」
★
翌日の夕暮れ。
ダンジョン潜りから早めに切り上がたエミールとアスラーグはリリルカと別れ、ダイダロス通りへ向かった(リリルカは知り合いのノームの店へ行った)。
西日が注ぐスラムはどこか陰鬱で退嬰的な雰囲気が濃い。
「これは酷い」
エミールは深青色の瞳を動かし、無秩序極まる街並みを窺う。
「まるで迷宮だ。ダンウォールのスラムだって、ここまで野放図な有様になってないぞ」
「街を管理統制する公的機関が存在しないんだもの。こうもなるでしょ」
アスラーグは青紫色の瞳を巡らせ、煩雑で乱雑な街並みを見回しながら小声で嘲る。
「結局のところ、このオラリオという街は無法地帯なのよ」
「蛮地か」エミールは横目で周囲を窺いながら「そこかしこにギラギラした目でこっち見てる連中もいるしな」
2人がダイダロス通りを進んでいくと、辻で子供達が粗末な手作り球を蹴って遊んでいる。路肩のベンチでは親達か暇人か、幾人かの大人達が子供達の玉蹴り遊びを眺めていた。
「そこの黒妖精の嬢ちゃんとヒューマンの坊主。ちょっといいかい?」
ベンチに腰掛けて子供達を眺めていた婆さんが、エミールとアスラーグに声を掛けてきた。
ナリは零落した老婦人を思わせるが、その眼に世を倦む類の澱はない。それどころか人間離れした威容すら感じられる。
「俺達に何か御用ですか?」
エミールは老婦人が何者か察しながらも問う。
「まぁね。私ゃ女神ペニアだ。手っ取り早く本題に入るとね。お布施をして欲しいのさ」
やり手婆みたいな態度と口調で名乗り、ペニアは“タカって”きた。
「……私達は女神ネヘレニア様の眷属なのですが」と困惑気味なアスラーグ。
「ネヘレニア……ほーぉ。こんな立派な眷属を持つようになったかい」
ペニアは興味深そうにエミールとアスラーグを見回し、にやり。
「なら猶更さね。主神の面子を潰さぬよう、このババアにきっちりお布施していきな」
「主神の面子と言われては是非もありませんね。御奉納させていただきましょう」
アスラーグは微苦笑し、懐より小袋を渡す。
「敬虔な嬢ちゃんと坊主に幸運があらんことを」
テキトーな祝詞を述べ、ペニアは玉蹴り遊びをしていた子供達を呼び、受け取ったばかりの金を渡していく。
「屋台で菓子を買ってきな」
子供達は歓声を上げ、ペニアに礼を言って屋台へ駆けていく。
「ペニア様。“エリノールの店”はこの先でしょうか?」とエミールが尋ねる。
「なんだい、あの骨弄りが好きな嬢ちゃんの店に用事かい」ペニアは片眉をあげ「この道を真っ直ぐ行きゃあ見えてくるよ」
「ありがとうございます。では、これで」
エミールとアスラーグが丁寧に一礼し、その場から去っていく。2人の背を見送りながら、ペニアは呟く。
「エリノール嬢ちゃん。随分と物騒な連中を客にしたもんだ」
そんな接近遭遇を経た後、エミールとアスラーグは『エリノールの店』に到着する。
看板に店名は無く、代わりにシンプルなシンボルマークが描かれていた。
マークを目にしたアスラーグが「“アイレスの祝福”」と小さく呟く。
店内へ足を踏み入れれば、リヴィラの時と同じく怪しい代物が視界一杯に広がる。
得体の知れない小動物の干物。奇怪な植物や実生の乾物。ガラス瓶に収まった妖しい色の薬剤。獣やモンスターの骨で製造されたボーンチャーム。店内はこれでもか、と不気味なもので満ちていた。
そして、カウンターには刺繡入りの朱いロングスカーフとゆったりした衣装をまとうエキゾチックな妖精美女。店内の端に、ペストマスクに似た鳥面マスクを被る筋肉ゴリラが控えていた。剥き出しの上半身は傷と刺青だらけ。マスクの中でブツブツと呟き続けている。
「アスラーグ・クラーカ。来てくれたのか」
エキゾチックなエルフ美女エリノールはどこか声を弾ませる。鳥面大男は反応もしない。
「こんにちは、エリノールさん。以前約束した通り、御邪魔させていただいたわ」
アスラーグはにっこり微笑み、エリノールへ告げた。
「訪ねて早々失礼だとは思うけれど……単刀直入に尋ねたいことがあるの」
「なんだ?」
目をぱちくりさせるエリノールへ、アスラーグは尋ねる。優美に微笑みながら。
「貴女は虚無信奉者なのか、それとも、デリラの信奉者なのかしら?」
瞬間、アスラーグの青紫の瞳に凄まじい冷酷さが宿り、エリノールが気圧された。
その一瞬の、間隙。
どすん、と重量物が床に倒れ込む音が響き、店内が微かに揺れる。いつの間にかエミールが店の端に移動しており、鳥面大男を床に昏倒させていた。
「トーマ、ス……っ!?」
エリノールがわずかにアスラーグから視線を外した刹那、アスラーグはエリノールの襟元を掴んでその体をカウンターに押さえつけ、短剣を細首にぴたりと添えた。
「な、」
咄嗟に言葉が出てこないエリノールへ向け、アスラーグが冷たい声音で言葉を紡ぎ、
「貴女が単なる虚無信奉者ならこの狼藉を償うわ。でも、貴女がデリラの信奉者なら。あの大男はこの場で殺し、貴女は情報を引きずり出してから始末する」
押さえつけたエリノールから目線を外さずにエミールへ命じた。
「剥げ」
「了解」
エミールは昏倒している大男の鳥面マスクを剥ぎ取った。
鳥面大男トーマスの素顔は意外と若く、30前後。鼻と唇が削ぎ落されており、右目の瞼も無かった。その痕自体はかなり古い。周囲の肌との馴染み具合から察するに、少年期辺りで負ったものか。
「やめてくれっ!」エリノールは懇願するように「トーマスにマスクを戻してやってくれっ! お願いだっ!」
「顔にツタ状の痣はない」
「良いわ。マスクを戻して拘束して。デリラの聖約者ではないにしろ、奴らの協力者である可能性は否定できない」
アスラーグはエミールへ応じ、泣きそうな顔のエリノールを冷ややかに見下ろして、
「さて、次は貴女だけど……妖精族の誼で裸にひん剝くことは止めてあげる。代わりにその可愛い顔を切り刻んで皮を剥がしていくわ。貴女がデリラと無関係なら、きちんと元通りに治すから安心してね」
短剣の切っ先でエリノールの整った顔を撫でていく。
エミールにとって3年前のダンウォール襲撃事件が決して癒されぬ心の傷で、魂を焼く憎悪と怨恨の業火となっているように、アスラーグにとって30年前の妹弟子デリラ・ブラックスプーンによるクーデター未遂事件はデリケートでセンシティブなトラウマだった。
よって、アスラーグのデリラ信奉者達に対する嫌悪と敵意は、エミールとは別ベクトルで凄まじいものがある。
その冷たい殺気と敵意に晒され、
「デリラ信奉者じゃないっ! 私は
アスラーグが本気で自分を切り刻むつもりだと理解し、エリノールはカウンターに押さえつけられたまま必死に訴える。
「本当だっ! アウトサイダーに誓ってっ!!」
誓うような相手じゃないんだが……、とエミールは思いながら大男にマスクを被せてやり、太い両腕と指を用意した鋼線で縛りあげる。親指と手首の骨に噛ませるように縛ったから、力づくで鋼線を切ろうとすれば、親指が千切れるだろう。
アスラーグは垂れ気味の双眸を細め、
「チャンスをあげる。貴方の潔白を証明できるものがあれば、見せなさい。信じられる内容なら、貴女が納得できる形でこの非礼を償うわ」
嗜虐的に口端を吊り上げた。
「でも潔白を証明するものが無いなら、貴女にはさっき言ったやり方で尋問を受けてもらう」
「断っておくが」
エミールが横から口を挟み、
「アスラの尋問は質問する度にまずお前を切り刻み、回答の真偽を確認するためにもう一度切り刻む。つまり質問一つにつき、最低で二度刻まれる」
薄ら恐ろしい説明の後に問う。
「お前の潔白を証明するものはあるか? 無いならアスラが尋問を始めるぞ」
エリノールは震え上がる。体が恐怖に震え、心胆が怯懦に竦み、魂が完全に委縮した。
黒妖精の青紫色の瞳。青年の深青色の瞳。自分へ向けられた二対の瞳は、悪魔も裸足で逃げ出しそうな冷酷さに満ちている。こいつらは本当に有言実行するだろう。
エリノールはなりふり構わず叫ぶ。
「あ、あるっ! ありますっ! 店の奥ッ! 私達の住居の二階に“祭壇”がありますっ! 魔女が“祭壇”を見れば、私がアイレス派の虚無信奉者だって分かりますっ! 本当ですっ!」
「その言葉が嘘だったり罠だったりしたら」
アスラーグはエリノールの長い耳に唇を寄せ、酷く甘い声で優しく囁いた。
「この耳を切り落として食わせるわよ」
そして――
「なんとまあ……」
店の奥にある住居部分、その二階の閉め切られた一室に“祭壇”が設けられていた。
三角形の台とV字型に伸びる2本の長い柱。台の上にはリヴァイアタン・ホエールの骨で作られたルーンが飾られており、紫光の魔導灯がいくつも置かれている。
そして、祭壇の背後には新しき言葉で『The Outsider Walks Among Us』。
アスラーグは祭壇を見回し、鼻息をつく。
「なるほど。確かに虚無信奉者ね。間違ってもデリラの信奉者じゃない」
「だからそう言ってるじゃないかっ!」と後ろ手に縛りあげられたエリノールが喚く。
「そうなのか?」
エミールの問いかけに、アスラーグは短剣を鞘に納めて説明した。
「デリラの信奉者達は神殿なんて作らない。連中にとっては虚無もアウトサイダーもどうでも良いからね。連中が崇めるのはあくまでデリラ個人だけなのよ」
「偽装の可能性は?」
なおも疑うエミールへ、エリノールが眉目を吊り上げる。
「信仰を偽装したりするものかっ! バカにするなっ!」
「良いわ。確かに証は立てられた」
アスラーグはエリノールをぎゅっと抱き寄せた。傍らのエミールも丁重に頭を垂れた。
「な、なにを」狼狽するエリノール。
「貴女とその友人に心から謝罪を。そして、この非礼を償わせていただきます」
抱擁を解き、アスラーグはエリノールの碧眼を真っ直ぐ見つめ、真摯に言葉を紡ぐ。
「賠償金を求めるなら払います。暴力で償わせたいなら受け入れます。他に求めるものがあるなら応えます。エリノールさん。貴女は私達に何を求めますか?」
「と、とにかく拘束を解いてくれ。それから」
先ほどまでとまるで別人のようなアスラーグに薄気味悪さを覚えつつ、エリノールは溜息混じりに言った。
「落ち着いて話をさせてくれ……いったい、どういうわけで私達がこんな目に遭ったのか知りたい」
★
「私達アイレス派は魔女デリラとまったくの無関係だ。我々はあくまで虚無とアウトサイダーを信奉し、世界の外に潜む神秘と真理を探究する組織なんだ。デリラは虚無に到達し、アウトサイダーの眷属となった先駆者と言えるが、それだけだ。彼の魔女と私達アイレスでは目指すものが違い過ぎる」
3人は場をリビングに移し、エリノールはハーブティーを陶製カップに注ぎながら語る。なお、トーマスは起こされて店番に勤めている(エミールとアスラーグに大変憤慨したが、エリノールがなだめた)。
不気味な雰囲気たっぷりの店内と違い、今は常識的な内装と調度品で揃えられており、家庭的とも言えた。
エリノールはハーブティーを注いだカップをアスラーグとエミールの手元へ置く。
「この街には虚無信奉者がそこそこいるが、ほとんどは恩恵を持たないスラムの人間だよ。彼らは神への反感や嫌悪から虚無とアウトサイダーを信じている。純粋な信徒とは言えない」
「では、デリアの信奉者については何も知らなかったと?」
アスラーグは尋ねながら、カップを手にして香りを嗅いだ。金木犀に似た優しい匂いが鼻腔をくすぐった。
小さく頭を振り、エリノールは自身のカップに蜂蜜を小さじ一杯分加え、
「私はこの街に20年ほど住んでいて、薄暗い部分にも通じているが……オラリオに魔女デリラへ与した者達の生き残りがいたなんて初耳だ。暗黒期に暴れた闇派閥に連中が混じっていたという話も、まったく聞いたことが無いぞ。本当に残党なのか?」
ハーブティーを攪拌しながら半信半疑と言いたげに問う。
「亡き女帝ラリサの“大掃除”は本当に凄まじかった。生き残りがいたとは思えない。それは当事者だった貴女も知るところだろう、アスラーグ・クラーカ」
「御指摘通りよ。だからこそ、生き残りがいた事実に驚いたし、貴女達へ無礼を働いた」
ふ、と息を吐き、アスラーグは自身の考えを開陳する。
「残党共が暗黒期の抗争に加担していたなら、存在が露見していたはず。逆算して考えて、連中のオラリオ入りは暗黒期が収束した5年前以降、もしくは3年前の事件後にオラリオ入りし、闇派閥に与したか……」
「いずれにせよ、相当な資金が動いているだろう。でも」エリノールは眉根を寄せて「そういう噂は一切聞いてないな。少なくとも私の耳に届く範囲では」
「一つ確認したいんだが」
エミールが横から口を挟み、エリノールへ鋭い目つきを向けた。
「あんたはどういう筋から30年前の件を知った? 魔女の心臓についても知っているんだろう? 何者なんだ?」
「私はこれでもアイレス派内でそれなりの立場にあるんだよ」
エリノールは口端を緩め、
「詳しいことは明かせないが、我々アイレス派を構成する人員は多種多様だと言っておこう。まあ、魔女デリラの残党について一切知らなかった程度とも言えるがね」
どこか自嘲的に微笑む。次いで、アスラーグとエミールの2人を順に見た。
「さて……一旦話を変えていいか?」
「償いの件ね? どうぞ」
アスラーグは潔く首肯する。
「先の件の償いに金を求めたり、暴力で応報したりする気はない。代わりに、虚無歩きの魔女を倒したアスラーグ・クラーカとその首狩り人の腕を見込んで、一つ調達して貰いたいものがある」
エリノールは言った。
「ダンジョンの下層に出没するいくつかのモンスター。その骨が欲しい」
「ドロップアイテムと言うことかしら?」
アスラーグの問いかけに首肯し、
「私が編み出した錬金術には、モンスターの魔石を採取しても骸を保存する術がある。それで骨を採取してくれれば良い」
「具体的には何の骨が欲しいんだ?」
エミールの質問へにたりと口端を吊り上げ、エリノールは指を順に立てながら嬉々として言った。
「女妖の骨だ。半人半鳥(ハーピー)、歌人鳥(セイレーン)、半身半蛇(ラミア)。能うなら半身半竜(ヴィーヴル)。これらの骨だ。背骨と頭蓋骨は出来るだけ無傷で確保して貰えるとありがたい」
そんなもん何に使うか……は聞くだけ野暮というものだろう。
窓の外で太陽が沈みかけていた。
★
酒場『豊穣の女主人』にてロキ・ファミリアの遠征慰労会――大宴会が催された。
“偶然”、同店のカウンターで食事を摂っていたベル・クラネルは、ロキ・ファミリアの登場、というよりは剣姫アイズ・ヴァレンシュタインの登場に驚き、その姿をちらちらと目で追ってしまう。
ロキ・ファミリアの宴が進む。
上機嫌のロキは女子団員にセクハラし、店の女給達にセクハラし、女将ミアに絡み、と大暴れ。
フィンがティオネから矢継ぎ早に飲まされ、早々に酔い潰れそうになったところで、凶狼ベート・ローガが得意げに語り始める。
それは遠征の帰路の出来事。
ミノタウロスの大量発生と逃亡したミノタウロス達の追討。その際にアイズ・ヴァレンシュタインが白兎みたいな少年冒険者を助け、彼を返り血塗れにしてしまった一件。
白兎の少年はまるでトマト塗れのようになってしまい、悲鳴を上げてアイズから逃げて行った、とベートが嘲笑う。
「その煩い口を閉じろ、ベート」
不快そうに眉根を寄せていたリヴェリア・リヨス・アールヴが叱声を挙げる。
ミノタウロスを逃して少年を危機に陥らせたのは我々だ。にもかかわらず、件の少年を嘲笑うとは何事か。と九魔姫は至極常識的な御説教を行う。
意外な人物も憤慨していた。
ティオナ・ヒリュテである。
幸い大事に至らなかったが、ティオナはミノタウロスの追討時に危うく余所の冒険者を殺しかけた。事を丸く収めるために団長が出張る事態になってしまい、ティオナは団長と姉からこってり説教されるわ、御姫様抱っこされた件でからかわれるわ、散々な目に遭ったのだ。なのに、このバカ狼ときたらっ!
「笑い事じゃないよっ!」
しかし、どうにも酔っ払っているらしいベートは、九魔姫の小言と大切断の批判に対し、反骨心が酔いで暴走。
その暴走振りは酷かった。件の“トマト小僧”を口汚く罵り、嘲り笑い、挙句はアイズに絡み始め、酔いが醒めたら恥ずかしさのあまり埋まりたくなるような言葉を吐き続けた。
絡まれている当の剣姫が、不愉快そうな無表情という様子がまた、救いがない。
「雑魚じゃあアイズ・ヴァレンシュタインに釣り合わねえっ!」
ベートがそう吐き捨てると同時に―――
「ベルさんっ!?」
女給の短い悲鳴と共にベル・クラネルが店外へ飛び出していった。
★
男の子的悔しさを抱きながら、白兎は通りを全力疾走。脇目も振らずダンジョンへ突入――しようとして人にぶつかり、すってんころりん。
「わぁっ!?」
転倒したベル・クラネルはしたたか背中を打ち、
「すみま――あ」
詫びながら顔を上げると、
「前も見ずにどうした、クラネル少年」「大丈夫? ベル君」
エミールとアスラーグが倒れたベルを見下ろしていた。
「僕は、僕は、」
立ち上がったベルはぎゅっと両手を強く握りしめ、俯きながら絞り出すように言った。
「強くなりたいんです。だから、だから」
ただならぬ様子のベルに、エミールとアスラーグは顔を見合わせた後、アスラーグが小さく肩を竦め、エミールへ目配せ。
「事情は分からんが」エミールは肩越しに背後の巨塔を窺い「今から穴倉に潜る気なら……そうだな。一つ課題を与えようか」
ベルは顔を上げ、今にも涙が溢れそうな紅眼をエミールへ向けた。
今からダンジョンへ向かうことを察しつつも咎めず、それどころか課題を与えるというエミールの意図を図りかねながら。
そんなベルの胸中を無視し、エミールは淡々と告げた。
「使っていい回復剤は一つだけ。その一つを使ったら必ず切り上げて帰れ」
「それは、」
困惑するベルへ、アスラーグが教師然とした顔つきで言葉を掛ける。
「負傷しなければ良い。怪我をしなければ良い。回復剤を使わずに済むよう頭を使なさい。冷静に冷徹にきちんと考えて戦いなさい。がむしゃらに暴れるより、学べることや得られることは多いでしょう。強くなるために」
「!」
ベルは目を見開き、大きく頷く。
「僕、エミールさんの課題に挑戦しますっ! それとお二人に約束しますっ! ポーションを使ったら切り上げて帰ると、カミサマの許へ戻ると約束しますっ!」
「そうか。頑張れよ」「気を付けてね」
エミールとアスラーグはその場から歩み去っていく。
2人の背中へ深々と一礼し、ベルはダンジョンへ向けて駆けていく。その横顔に先ほどまでの感情的な乱れはない。その紅眼に先ほどまでの荒れ狂う気持ちの乱れはない。
強くなりたい。強くなろう。強くなるんだっ! あの人の隣に立てるくらい強くっ!!
純粋で一途で直向きな想いが、白兎の魂を鮮烈に輝かせていた。