虚無を歩く者がオラリオに現れたようです   作:リバークラスト

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20:オラリオ・トライアル:モンスターフィリア

 大きな物語が動き出していた。

 憧憬の対象を得た白兎の少年。その背中を押すべく奔走する(かまど)の女神。

 

 異なる世界線において、白兎の少年は女神の与えた小振りな短剣を縁に、灰被りの少女と接する。

 しかし、理外の者(アウトサイダー)が遍在するこの世界線において、灰被りの少女は魔女によって自助救済の道を歩んでいた。

 

 大きな物語が始まろうとしていた。

 背負わされた運命を知らぬ剣姫は、地底の底に眠る因果と悪意が迫っていることをまだ知らない。

 

         ★

 

 箱庭で遊び惚ける神々は時折、大きな宴会を催す。

 此度は群衆の神ガネーシャが宴を開き、オラリオ内の神々へ招待状を送っていた。

 

 貧乏暮らし中の女神ヘスティアはこの宴会に参加する気など無かったが――

 唯一の眷属ベル・クラネルが徹夜でダンジョンへ潜るという無茶をやらかし、さらに恩恵を更新したら『憧憬一途』なる超レアスキルを発現させるに至り、ヘスティアは可愛い可愛い我が子の『強くなりたい』という真摯な願いを叶えるべく一肌脱ぐ気になった。

 

 そんなヘスティアがガネーシャの宴で、苦手な美神と大嫌いな道化神を相手にじゃれ合い、神友の鍛冶神にDOGEZAを断行した夜。

『黒き仔馬亭』で話し合いが行われていた。

 

 エミールはビールを呷り、ラムチョップを齧るリリルカへ諮る。

「アーデ嬢。下層まで潜って何日か狩りに勤しむことになった。アーデ嬢はその間、クラネル少年と組んではどうだろう?」

 

「リリも下層行きに御伴したいです」

 即答だった。ラム肉を皿に置き、リリルカは言葉を編む。

「御二人と専属契約を結んでいる身ですし、私がいなければ、物資に困るでしょう?」

 

「確かにその通りなんだけれど、下層で私達がリリちゃんを守り切れるか、分からないわ。場合によっては安全階層外で野営もするし、潜ってる間はお風呂にも入れないし。危険だし、汚いし、きついわよ?」

 アスラーグがそれとなく翻意を促すも、リリルカはふんすと鼻息を荒くした。

「大丈夫ですっ! きつい分だけ収入も良いでしょうからっ! リリも行きますっ! 行ったりますともっ! ダンジョン内は自己責任っ! いざという時は御二人を見捨ててリリだけでも生還してみせますっ!」

 

 エミールとアスラーグは互いに顔を見合わせ、うーむと感嘆をこぼす。

「「なんと頼もしい」」

 

 今度はリリルカが2人へ尋ねた。

「下層で数日滞在するとなるといろいろ準備が必要になりますが……ガネーシャ・ファミリア主催のお祭りも近いですし、ここ二、三日はいろいろ騒がしいです」

 

「ああ。例のモンスターをテイミングするという」

 祭に秘められた“真意”を知るエミールは、どこか冷めた面持ちになる。アスラーグもさほど関心を示さない。

「お祭りが終わってから潜りましょうか。それまでは準備に当てれば良いかな」

 

「意外というか、御二人ともお祭りには興味ない感じですね」と不思議そうなリリルカ。

「オラリオの伝統的な祭りというなら興味もあるが……金を出して荒事を眺める趣味はないな」

 エミールがインゲン豆を齧りながら嘯き、アスラーグがどこか官能的に微笑む。

「賑やかなのは嫌いじゃないけど……モンスターを屈服させるところを見せられてもね。テイミングより拳闘の方が良いかな。逞しい男達が鍛えた体を晒して殴り合ったり、組み付いたりする様って……素敵じゃない?」

「ど、同意を求められましても」とリリルカは少し顔を赤くした。

 

       ★

 

 ダンジョン第30階層。

 幾何学文様がびっちり施された赤黒い全身甲冑をまとう男が、高台から“食糧庫(パントリー)”入り口を眺めていた。

 

 先頃、あの”食糧庫(プラント)”は謎の襲撃を受けて壊滅した。

 加えて、堅牢な門扉が完全に破壊されたことで大量のモンスターが食糧庫内へ流れ込んでおり、もはや対処のしようがない。

モンスター達の”波”が引いても、設備は使い物になるまい。

「ありゃ駄目だな。もう使い物にならねェ」

 

 

 甲冑男から数歩ほど離れた位置に立つ赤毛美女――レヴィスが『それ見たことか』と言いたげに鼻を鳴らす。

「こちらの忠告を無視したのは貴様らだ。私は知らんぞ」

 

「別にあんたを責める気はねェよ。俺は現状を確認しに来ただけだ。プラントがどーなろうと知ったことじゃねェ。まぁ、あの”仮面の嬢ちゃん”はあんたに用があるみてェだがな」

 甲冑男はアーメット式兜の中でせせら笑う。

「俺らは“御方”を再びお迎え出来れば、他はどうでも良いからよ」

 

「あのイカレ妄信者の同類だけあって、言うことが同じだな」

 レヴィスの毒舌に、

「可愛い顔してヒデェこと言いやがる。あの野郎と同じ扱いは流石に勘弁してもらいてェぜ」

 甲冑男は嫌そうに肩を落としつつ、食糧庫の出入り口を窺う。

「あのプラントにゃあ、俺の実験体がいたんだが……ダメになっちまったかな」

 

 レヴィスは甲冑男の言葉に眉根を寄せた。

「……待て。あそこはアレを育てるためのプラントだったはずだが」

 

「ああ。その通りだ。俺がそのプラントの一角を利用させてもらってたってだけさ」

 しれっと答える甲冑男。

 

「それを私にも知らせ――」

 レヴィスは美顔に険を滲ませるが、脳ミソの煮えた妄信者に常識を解くだけ無駄だ、と思い直す。むろん、心の中で甲冑男と闇派閥の者達に悪罵を重ねたが。

「いや、いい。実験体というのはなんだ?」

 

「別に大したもんじゃねェ。暇潰しに上層の雑魚モンスターを捕まえて、ちぃっと中身を弄っただけさ」

 甲冑男は顔を覆うアーメットの中でくつくつと忍び笑いをこぼす。

「まぁ弄ったとはいえ、所詮は上層の雑魚モンスターだ。今頃はこの階層のモンスター共に食われちまっただろーよ」

 

       ★

 

 ガネーシャ・ファミリア主催の『怪物祭り(モンスター・フィリア)』当日は、晴天に恵まれた絶好のお祭日和だった。

 会場の円形闘技場周辺は人でごった返し、会場傍の通りや広場は多種多様な屋台で埋め尽くされている。賑々しい活況。健全な喧騒。女子供の黄色い歓声。市民の無邪気な歓声。

 

 祭りが昼を迎え、

「変わったスープパスタだな」「うどんというらしいです。極東の食べ物だとか」「ウドゥン? 変な名前ね」「うどんです、アスラ様」

 エミールとアスラーグ、リリルカが円形闘技場近くの通りで、屋台の昼食を摂っている時だった。

 

 円形闘技場の一部ゲートから次々と拘束具を付けたモンスター達が飛び出していき、市民達が悲鳴を上げて逃げていく。

 その数はなんと“10匹以上”。

 

「あれがこの祭りのメインイベントか? 町中にモンスターを放流とは随分と挑戦的だ」

 フォークでうどんを食べていたエミールが感心し、

「盛り上がってるわね。歓声というより阿鼻叫喚という感じだけれど」

 海老天を齧っていたアスラーグが首を傾げ、

「御二人とも何言ってるんですかっ! 見たまんまですよっ!! モンスターが逃げ出したんで、市民が逃げ惑っているんですっ!!」

 うどんを食べながら抜けたことを嘯く2人へ、リリルカが眉目を吊り上げた。

 

 三人がそんな調子のやりとりをしている時、某所では……

「……? 予定より多いわね」

 美神が不思議そうに首を傾げ、豊かな銀髪を揺らした。傍らに侍る“猛者”が告げる。

「どうやらモンスター共が逃走する際に予定外の檻まで破壊したようです」

 

「あら。それは困ったわね」美神は実に薄っぺらい言葉をのたまい「少しばかりあの子を試したいだけで、ガネーシャのハレの日を血で穢す気はないのだけど……」

「では、私が掃除してまいりましょう」

「そうね……いえ。その必要は無いみたい」

 風をまとって宙を駆ける剣姫を視界に収め、美神は優雅に微笑む。

「私達は予定通りあの子の活躍を見物しましょう」

 

 そして、美神が目線を向けた先では、

「僕らのことを一直線に追いかけてきますけど、神様のお知合いですかっ!?」

「今日が初対面だよっ! ベル君こそ知り合いじゃないのかいっ!?」

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「「うわぁああああああああっ!?」」

 ヘスティアを抱きかかえたベルが、猛り狂った巨猿から全力で逃げていた。

 

        ★

 

 市民達が逃げ惑う中、エミールとアスラーグは市民の避難誘導することも無く、店主が逃げ去った屋台に残り、うどんを食べ続けていた。

 この人達と一緒が一番安全だし、とリリルカもうどんを食べている。たくましい。

 

 と、エミール達が残っていた屋台の傍に、小悪魔型モンスターのインプが現れた。

 インプはぎょろりと真っ黒な双眸を巡らせ、図々しく屋台で食事を続ける三人を見据える。

 

「エミール。食後の運動に仕留めてきたら?」

 アスラーグの提案に、エミールは小さく肩を竦めた。

「護身用のナイフしかない。アスラの“鮫”でさくっと片付けてくれ」

 

「あの黒い鮫の魔法はちょっと、その、街中で使うにはエグ過ぎません?」

 リリルカの意見具申にアスラーグはちょっと不満そうにしつつ、

「なら、“花”で仕留める? 威力を調整すれば大丈夫でしょ」

「ふと思ったんだが、仮に“花”を打った場合、周辺被害の修繕費は誰が負担するんだ? モンスターを逃がした奴か? 祭りの主催者か? 被害をもたらした俺達か?」

 エミールの疑問を聞き、言った。

「……やっぱりエミールが仕留めてきなさい」

 

「私もその方が良いと思います。周囲に被害が出ないでしょうし」とリリルカ。

「仕方ないか」

 面倒臭いと言いたげなエミール。

 インプがゆっくりと近づいてくる中、こんな調子でうだうだとやっていたところに、

 

 空から女の子が落ちてきた。

 4000万ヴァリスのレイピアを構え、インプ目掛けて真っ直ぐに。

 

 ずんばらりん。

 

 インプは頭上から強襲してきた剣姫に反応する間もなく、真っ二つに斬り裂かれた。魔石ごと両断したため、遺骸がたちまち灰となって崩れていく。

 風の魔法を駆使して優雅に着地するアイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「「お見事」」

 アスラーグとエミールが暢気にぱちぱちと拍手し、

「御二人とも、あの人は剣姫ですよっ! 剣姫っ!」

 リリルカが慌てる中、アイズは屋台に居る三人――特に見覚えのある黒妖精と青年に気付き、小さく会釈し、エミールとアスラーグも目礼を返す。

 

 その様子にリリルカがきょとんと眼を瞬かせる。

「? ? ? 御二人は剣姫とお知り合いなんですか?」

 

「オラリオに来た初日、酒場で会った」とエミールが簡潔に説明していると、

 とことこと近づいてきたアイズが訝しげに問う。

「何、してるの?」

 声音がちょっと尖っていたが、無理もない。この騒ぎの中、暢気に飯を食っていれば、一言物申したくもなろう。

 

「急に騒ぎが起きたので様子見していました」

「祭日ゆえ、武器も持ち歩いておりませんので」

 エミールとアスラーグは丁寧かつ、しれっと嘯く。面の皮が厚い大人達。

 

 ちらりと剣姫に金色の瞳を向けられ、リリルカは慌てて釈明した。

「わ、私はサポーターなので戦えません」

 

「……そう。分かった」

 アイズはあっさり言いくるめられた。魔法剣士として超一流。その美貌は絶世。されど内面は12歳児並。とは誰の言葉だったか。

 

「ん?」「あら?」「今、揺れませんでした?」

 屋台の三人が視界を足元へ向けた、

 瞬間。

 

 ひときわ大きな震動が走り、通りの先にある広場から轟音が響き、粉塵が立ち昇った。

 

「……爆発か?」「爆発とは違うようだけど?」「なんでしょうね?」

 三人が暢気に小首を傾げたところで、

「私、行くから」

 アイズが砲弾のように宙へ飛び上がり、粉塵の立ち昇る広場へ駆けて行った。

 

「あら凄い」と感嘆を上げてアイズを見送るアスラーグ。

「彼女一人で片付きそうだな」と遠ざかっていくアイズの背中を眺めるエミール。

 

「剣姫とお知り合いみたいですけど、助太刀しなくて良いので?」

 リリルカの問いかけに、

「ふむ。ロキ様達には一飯の御恩があるし、手伝いくらいはしましょうか」

「必要ない気がするけどな」

 アスラーグとエミールは腰を上げた。

「リリちゃん。悪いけど、買い物の荷物を預かっていてちょうだい」

 

「お任せください」

 リリルカは首肯し、アスラーグとエミールへ言った。

「御武運を」

 

      ★

 

 ダイダロス通りに逃げ込んだベル・クラネルは孤立無援だった。

 住民は逃げ隠れ、戸口を固く閉ざすか物陰で息を殺している。ベルを助けようとする者は、この広域住宅区にはいなかった。

 

 ゆえに、ベルはヘスティアを隠し、独りで白き巨猿と対峙する。

 神様を護るんだ。僕を家族として迎えてくれた神様を守るんだ。大事な家族を僕が絶対に守り抜くんだ。

 

 どこかの世界線のようながむしゃらな蛮勇ではなく、冷静さと思考力を維持した勇敢さで、短剣を構える。

 

 考えろ、考えろ、考えろ。

 エミールさんとアスラさんに教わったことを思い出せ。

 

 目の前の敵は見上げるほど大きな猿だ。肉体の構造は人間と大きく異ならない。ただ、この巨体だ。皮膚も脂肪も筋肉もかなり頑強だろう。首の位置が高すぎる。単に斬りつけても突いてもダメージにならないはず。ガネーシャ・ファミリアの付けた拘束具が甲冑の役割を果たしてるから、目元、手首、胸元はダメだ。

 ――足だ。まず足を攻める。拘束具の無い足首の付け根か膝裏を突いて、頭の位置を下げる。そのうえで、首を狙う。出来ることなら、うなじ。肉が薄いから頸椎まで届くはず。

 あとは、僕の出せる全速力で挑むだけ。

 

「怯えと迷いを捨てる。一撃離脱は勇気だっ!」

 通りすがりのとても強そうな人に教わったことを口にし、ベルは短剣を構え、巨猿へ向けて駆けだしていく。

「僕が神様を守るんだっ!!」

 

      ★

 

 エミールとアスラーグが件の広場に到着すると、

「なんだ、あれ。蛇か? 花か?」

「何でも良いけど、気持ち悪いわね」

 砕けた石畳の穴から三匹のバカでかい極彩色の蛇モドキと触手が生えており、見覚えのあるアマゾネスの双子――ヒリュテ姉妹と剣姫が大立ち回りを繰り広げていた。

 祭り見物の最中だったのか、双子は丸腰で格闘戦。剣姫はなぜか折れた剣を振るっている。

 負傷しているエルフ少女が覚悟ガンギマリの顔つきで、何やら長文詠唱を始めていた。

 

「……これ、あの子が魔法を撃って終わりじゃない?」

「駆けつけたものの、やること無しか」

 アスラーグとエミールが拍子抜け、といった顔をした矢先。

 

 極彩色の蛇モドキ達が悪趣味なハエトリソウの如き頭を大きく広げ、剣姫達を無視してエルフ娘へ一直線に襲い掛かる。

 

「魔力に反応するようだ」とエミールが呟いた直後、

「黒き水面より出でて食らいつけっ! アンブラ・ピストリクス、テンペランティアッ!」

 アスラーグが短文詠唱魔法を()()()で即時発動。

 

 蛇モドキ共の影から漆黒の大鮫達が飛び出して蛇モドキの胴体に食らいつき、トラバサミのように動きを押さえ込む。

 

 突然の助太刀に驚き顔を浮かべる剣姫達を余所に、詠唱を続けるエルフ娘へアスラーグが笑う。

「大技をやるんでしょう? さっさと決めなさい」

 

「!」

 エルフ娘は力強く首肯し、詠唱を継続。魔力を練り上げて魔法を完成させる。

「ウィン・フィンブルヴェトルッ!!」

 

 エルフ娘の勇気と闘志と覚悟が込められた魔法が、圧倒的な暴威を振るう。

 三条吹雪の姿をした極超低温の激流が蛇モドキ達を飲み込み、一瞬でその巨躯を氷塊のオブジェへ変えた。

 細胞単位で氷結破壊された蛇モドキ達は肉体が崩壊し、石畳に倒れ込んだ衝撃で粉々に破砕された。魔石まで砕けたのか、その骸が瞬く間に灰となっていく。

 

 砕け散って灰と化す間際、エミールとアスラーグは蛇モドキの口腔内に怪しげな色彩の魔石を見た。正確には、魔石の位置を知ったというべきか。

 

 ともあれ、全ての蛇モドキを倒し、ヒリュテ姉妹とアイズがエルフ娘の許へ駆け寄って勝利を喜んだ、刹那。

 勝利の喜びに水を差すように、一匹の蛇モドキが石畳を砕いて飛び出した。少女達が反応するより一拍速く、

 

「Sum Fdau」

 

 エミールが瞬間移動(ブリンク)で蛇モドキの顔面前に移動。護身用ナイフで蛇モドキの口腔内、魔石のある位置へ突き刺し、離脱する際にナイフの柄頭を思いきり蹴る。

 蹴り込まれたナイフが蛇モドキの口腔内に深々と埋まり、切っ先が魔石を砕く。

 核を破壊された蛇モドキは瞬く間に灰となって散っていく。魔石の場所(攻略法)が分かっていればこんなもんである。

 

「あいつは」ティオネはようやくエミールに気付き、先日のことを思い出して渋面をこさえた。

 

「あぅ」ティオナはようやくエミールに気付き、先日の件(主に御姫様抱っこ)を思い出して何とも言えぬ表情を作る。

 

「へ?」事態を飲み込めないエルフ少女が呆けた顔で目を瞬かせる。

 

「今の……」剣姫アイズはエミールの動きと体術を視認できなかった事実を重く受け止める。

 

 着地したエミールは、灰の中に転がる護身用ナイフを拾い上げ、舌打ちした。

「刃先が欠けちまった」

 

        ★

 

「ぅうう、」

 ベルは瓦礫の中で呻く。

 

 全身全霊を注いだ一撃離脱戦術は正しかった。周囲の地形や物を使って巨猿の隙を掴んだ。一気に肉薄し、巨猿の足首――アキレス腱へ刃を突き立てた。

 考えた作戦通り。振り絞った勇気が見事に攻撃を成功させた。

 

 ――のに、短剣の刃がばきりと折れ砕け、全てを御破算にしてしまった。

 

 唯一の得物が破損するという事態に動揺し、ベルは巨猿から手痛い一発を浴びた。毬玉のように宙を舞い、ボロ板のバラックを直撃して天井を崩壊させながら屋内へ。

 

 瓦礫に塗れたベルは呻く。天井から覗く空がやけに遠く見える。巨猿の拳を浴びたせいか、左腕が痺れて動かない。その可愛い顔にはいくつもの擦り傷切り傷が出来ていた。右手に握る短剣は鍔元から先がない。

 

 それでも、ベルは折れた短剣を握りしめ、痛みと衝撃でぶるぶると震える体を無理やり起こした。反射的に胃が震え、堪らず嘔吐する。

 起こした体から力が抜け、ベルは膝を突いて崩れ落ちる。勝手に涙が溢れそうになった時――自身の反吐に神様と一緒に食べたクレープが混じっていることに気付く。

 

 ……神様。

 

 女神ヘスティアの顔が脳裏に浮かぶ。方々のファミリアに蹴りだされた自身を受け入れ、冒険者にしてくれた女神の顔が、必ず無事に帰ってくるんだよと微笑んだ女神の顔が。

大事な家族の顔が、ベルの脳裏に鮮やかに浮かぶ。

 己の反吐を前にベルの萎えかけた心が、崖っぷちで踏みとどまる。

 

 ……神様。神様っ。神様っ! そうだ。僕は約束したんだ。神様に約束したんだ。

 

 それに、僕は誓ったんだ。

 金髪の美しい乙女が瞼の裏に強く浮かび上がる。

 あの人の隣に立てるくらい、強くなるって誓ったんだっ!!

 

 萎えかけた心は今や熱烈に燃え盛り、折れかけた魂は今や強く激しく輝いている。

 ベルは目元を拭って力強く立ち上がり、

 

 

 

「え?」

 

 

 

 突然、背後から後襟を掴まれてバラックの奥へ引きずり込まれた。

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