虚無を歩く者がオラリオに現れたようです 作:リバークラスト
迷宮都市オラリオ。
神々の遊戯場にして、神々の箱庭。世界各地から多くの人間が冒険者を志し、この街へ訪れる。それがどういうことか理解もせずに。
白兎のような少年もまた、冒険者に強く憧れているが、迷宮都市へ訪れるまで今少し時間を必要としていた。
そんなオラリオのとある酒場『豊穣の女主人』。
宵の口。
「まーったく下らん話ばっかしくさって。大ファミリアの主神が暇やぁ思うとんのかあいつらはー」
ぶちぶちと毒づくこの赤髪の糸目少年……失敬、胸が絶壁なので間違えた。この赤髪の糸目女性は女神ロキという。オラリオ最有力ファミリアたるロキ・ファミリアの主神だ。
「日頃の生活態度に問題があるから、暇だと思われているのだろうな。この機に生活を改めたらどうだ?」
艶やかな長い緑髪を持つ超絶美貌のエルフ淑女がぴしゃりと苦言を呈する。
彼女はリヴェリア・リヨス・アールヴ。エルフ屈指の
「わーん、アイズぅーっ! ママがウチの心を抉るんやーっ! 慰めてーっ!」
「誰がママか」とエルフ淑女がお決まりの返しを口にし、
「抱きつくの、やめて」
嘘泣きと共に飛びつくようなハグを試みた主神を、麗しい金髪の美少女が見事なカウンターで撃墜した。
この金髪美少女はアイズ・ヴァレンシュタイン。ロキ・ファミリアの主力要員で、『剣姫』の二つ名を持つ俊英の高位冒険者。
「ぅううう……リヴェリアもアイズたんもウチの扱いがすっかりシビアに……昔は色々させてくれたのになぁ……」
「過去を捏造するな」とリヴェリアが嘆息をこぼす。
「そんな事実はない」とアイズが無情動に首を横に振る。
主に一人だけ姦しい彼女達三人は『豊穣の女主人』で夕食を摂り始める。
女神ロキのファミリアは大組織であり、拠点も大きく立派な配食堂も揃っている。普段なら夕食は他の団員と共にそちらで摂るのだが、この日は少々事情が異なっていた。
数日前、オラリオ外で生じた“強制送還”について、神々が情報交換を行うべく緊急神会が催されたのだが……
基本的に迷宮都市――娯楽場の外に関心など一切ないオラリオ内の神々が、外の情報なんぞ持っているはずもなく。結局、無駄にぐだぐだとくだらないやり取りを交わすだけだった。まさしく時間の無駄遣い。
そんな集まりに参加したロキもロキであるが、護衛として同伴させられたリヴェリアとアイズも、有体に言って迷惑な話だった。
「今日は新人達の教導予定だったのだが……」とぼやくリヴェリア。
「ダンジョンに潜りたかった……」とうらめしげなアイズ。
「まあまあ。今日はウチが奢ったるけ。美味しいもん食べて機嫌直したって」
ロキが美女美少女を宥めつつ、カウンター内の大柄な女将ミアへ声を張る。
「ミアかーさん、適当におススメ頼むわーっ! それと、なんかええ酒入っとるー?」
「ツイてるね、ロキ」女将は酒棚から酒瓶一本手に取り「諸島帝国のシングル・モルト。20年物が入ってるよ。値段も良い額になるけど、どうするね?」
「そないなええ酒……金なんぞ惜しむかいっ! 瓶ごと貰うわっ!」
「ダメだ。先日、酒代を抑えろと言ったばかりだろう」リヴェリアが横から鋭くひと刺しし「女将。済まないが、キャンセルだ。ロキには一番安いワインで良い」
「うわーんっ!! ママが酷いよ、アイズたーんっ!」
「抱きつかないで」
ダイビング・ハグを試みたロキを、アイズのカウンターが再び撃墜した。
そんなこんなで女三人が楽しい(?)夕餉を進めていると、
「いらっしゃいニャー」
御新規の来店に茶色髪の猫人女給が応対に向かう。
男女二人組。
一人はヒューマンの青年。癖の強い栗色の短髪をした優男だ。長身痩躯で暗青色の上下を着こみ、腰に装具ベルト。大型背嚢を担ぎ、背嚢の右側には長剣らしき長方形のホルスターが固定されていた。
女性の方は
垂れ気味な目つきの整った顔立ち。青紫色の美しい瞳。薄褐色の瑞々しい肌。仄かに青みがかった銀色の波打つ長髪を結い上げている。出るとこが出て、引っ込むべきところが引っ込んだ中肉中背を小豆色のケープコートと暗褐色のパンツで包み、ハイブーツを履いていた。左腰に優美な装飾が施されたレイピアを下げ、大きな円筒型バッグを左肩に担いでいる。
男女共に身綺麗で清潔感がある。着衣も装備も手入れがよく行き届いている。ただし、荒事の場数を重ねている人間特有の雰囲気をまとっていた。昨日今日、冒険者になった手合いではない。
しかし、店内の誰にも見覚えがないようだ。まぁ、オラリオは巨大都市だし、冒険者なんて掃いて捨てるほど居るから、見覚えのない奴なんていくらでもいるけれど。
「黒妖精かぁ」女神ロキも珍しそうに「フレイヤんとこのイタイ奴と同郷のもんかな?」
「外見だけではなんとも」とリヴェリア。
周囲の視線を集める男女は猫人女給の案内に従い、ロキ達の隣の卓に着く。
2人は卓の下へ荷物を降ろす。ダークエルフ美女が小豆色のケープコートを脱いで椅子の背もたれに掛けた。薄黄色のシルク製ブラウス。くびれた腰元から胸の下部まで覆うコルセット状の革防具により、胸元が強調されている。臀部と太腿のラインを隠さず描く暗褐色のパンツと相なって、露出は少ないのに優艶な体の線がはっきり見えて……なんとも官能的。
「ええやん。……ええやんっ! 肌の露出が足りへんけど、あーいうのもええなっ!」
ストリップ小屋の常連客みたいなセリフを吐くロキ。この人、女神です。
ロキの歓声が聞こえたのか、ダークエルフ美女はロキへ顔を向け、垂れ気味な双眸を柔らかく細めて微笑みを返す。
「……イイ」
うっとりと呟き、ロキが腰を上げかけ、
「ちょっと待て。何をする気だ」
リヴェリアがその肩を掴んで留める。
「ナニて。ナンパするだけや」
道化の神らしく悪戯っぽい笑顔を浮かべ、ロキは糸目をわずかに見開く。
「ウチの勘が言うとんねん……あの子ら、おもろいてな」
天界屈指のトリックスターたるロキの、凄味に似た笑みを向けられて、リヴェリアは思わず掴んでいた手を放す。
「あの人、連れがいるよ?」とアイズが指摘するも。
「だいじょーぶや! 連れの兄さんごとナンパするしっ!」
あっけらかんと笑い飛ばし、ロキはするりと席を立って隣の2人へ声をかける。
「こんばんは~。自分らこの辺りで見かけへんなー。どっから来たん~?」
面倒なことにならねばいいが……、とリヴェリアが眉間を押さえる。ママの苦悩を余所に、アイズはパクパクとご飯を食べ進めていた。
★
どういう店だ、ここは。
エミールは密やかに困惑を禁じ得ない。アスラーグが何気なしに選んだ店はどうにも剣呑だった。
……女将は化物クラスの恩恵持ち。女給共も恩恵持ちの手練れ揃い。黒髪の猫人娘は重心の取り方が暗殺者のソレだし、茶髪の猫人娘と薄茶色のヒューマン娘も所作が明らかに戦い慣れた人間だ。亜麻色の髪のヒューマン娘は気配が何やらおかしく、得体が知れない。極めつけは金髪のエルフ娘。すました顔をしているが、懐にナイフを呑んでやがる。
周りの連中は平然と飲み食いしているが、気づいてないのか? いや、恩恵持ちがこれだけ雁首を揃えているのだから、そんなはずはない。多分、オラリオでは”こういう店”が普通なのだろう。
エミールが困惑の解消に勤しんでいるところへ。
「こんばんは~。自分らこの辺りで見かけへんなー。どっから来たん~?」
隣の卓にいた赤毛で糸目の小僧……いや、小娘か。小娘だろう多分。タンクトップの胸元は極めて平坦で女性的曲線が皆無だが、骨格は確かに女性のものだし。いや、それよりこの娘っ子の気配……人間じゃないぞ。
声をかけてきた赤毛の糸目娘を観察し、エミールは警戒度を一段上げた。
「私達は諸島帝国から流れてきたの。オラリオには着いたばかりよ」
アスラーグは赤毛の糸目娘へ柔和に応対した。警戒を感じさせない温和な笑み。目元も口元も和やかだが、その実、青紫色の瞳は赤毛の糸目娘と隣の卓に留まる連れの2人をしっかり観察している。
エミールも横目に赤毛糸目娘の連れを窺う。
緑髪のエルフ女性。ヒューマンからすれば、エルフは男も女も大概が美貌の持ち主だし、相棒のアスラーグも然り。それでも、美の女神もかくやと評すべき美女だ。なんとなしに気苦労が多そうな雰囲気があるけれど。
もう一人の連れ。ヒューマンの金髪少女も美麗の一語に尽きる。ただその美貌はどこか人形染みた雰囲気を禁じ得ない。何よりこの少女の気配は何とも“歪”だ。
2人とも冒険者。それもかなり高位の恩恵持ちだろう。エルフ美女も金髪美少女も相当に戦い慣れている。が、赤毛の糸目娘からは荒事師の臭いがない。2人の態度と意識の振り方から見ておそらく……
「ウチはロキや。ファミリアの神をやっとるで」
ちゃっかりアスラーグの隣に腰を下ろした糸目娘が名と正体を語り、やはり、とエミールは推察の正しさに内心で苦いものを覚える。
「まぁ」アスラーグは目を瞬かせ「遠き我が祖国まで武名を伝えるロキ・ファミリアの主神様でしたか。これは御無礼を」
「そう固くならんでええて。酒場の出会いや。ざっくばらんにいこっ!」
人好きする笑みを浮かべ、ロキは気さくに語る。
「お二人さん。お名前を教えてや」
「座したまま失礼します。私はアスラーグ・クラーカ。ロキ様、お会いできて大変光栄です」
「名乗りの機会を賜りながら、座して名乗る無礼をお許しください。自分はエミール・グリストルと申します、ロキ様」
礼儀正しく名乗る2人に、ロキは「うーん固い」と微苦笑しつつも、
「このかっちりした礼節と崇敬の扱い。なんやえらい久し振りやわぁ……ウチの子ぉらは皆、ウチとの接し方が雑過ぎやねん」
「自業自得だろう」「ロキが悪い」
エルフ美女と金髪美少女が横からツッコミを入れる。
「あ、この2人はウチの子な。こっちはリヴェリア。ファミリアのママや。で、こっちはアイズたん。ウチのいっちゃんお気にやで!」
「誰がママだ」とリヴェリアが渋面を浮かべつつ、エミール達へ目礼。
「変な紹介の仕方はやめて」とアイズが唇を尖らせつつ、エミール達に目礼。
「リヴェリア」アスラーグは再び目を瞬かせ「失礼ながら、御身は御出奔されたという
「……そうだ」とリヴェリアは苦虫を噛み潰したような顔で首肯した。
「お。さっすがリヴェリアやな。エルフの知名度は抜群や」「リヴェリアは有名人」
うんうんと満足げなロキ。主神に同意するアイズ。
「リヴェリア王女の御出奔を噂で耳にしておりまして……まさか、このような場末で殿下の御尊顔を拝そうとは」
「今の私はただの冒険者。そのような礼節は無用に願う」
アスラーグとリヴェリアが別ベクトルの困り顔を浮かべているところへ、
「誰の店が場末だってっ? 新顔だからってふざけたこと言ってると叩き出すよっ!」
カウンター内の大柄な女将が気風の良い叱声を飛ばしてきた。
「ロキっ! その客と一緒に飲み食いするなら卓を移りなっ!」
首を竦めつつ、ロキはアスラーグとエミールへ悪戯っぽく微笑み、
「二人とも覚えとき。この店ではミアかーさんが掟や。神も逆らえへん」
酒杯を掲げた。
「お互いの自己紹介も済んだし、楽しく呑もうや!」