虚無を歩く者がオラリオに現れたようです 作:リバークラスト
地上でも地下でも様々なことが起きたこの日。
ベル・クラネルはギルド職員のハーフエルフ娘エイナ・チュールとデートし、『ぴょん吉』なる防具を購入。
また、エイナから素敵な籠手を贈られていた。これはエイナが年下の草食系美少年を好む性癖が強く作用している。よってギルド職員の公私混同ではない。繰り返す。個人の自由恋愛の一環だから公私混同ではない。
ともかく、地上と地下で色々なことが起きた翌日。
黒の上下に白の軽甲冑をまとい、左腕に籠手を装着し、神匠の特注短剣を持ったレベル1少年冒険者がバベル前広場に到着。
ベルはサポーターのリリルカと合流し、
「一端の冒険者って感じになりましたね、ベル様。素敵ですよ」
お褒めの言葉を貰って嬉し恥ずかしの照れ笑いをこぼした。
アオハルなベルとリリルカはダンジョンへ潜っていく。
そんな2人の背中を、負け犬共がねっとりと見つめていた。
★
少年少女がダンジョンで冒険をしている頃、エミールとアスラーグは拠点でこれまでの情報を整理していた。
資料や地図が並ぶ一室。
「30年前のクーデター未遂事件と亡き女帝陛下の“大掃除”。生き残った連中は10人といないはず。エミールと遭遇した男は心当たりがないけれど……」
アスラーグはエミールの描いた似顔絵を手に取る。
似顔絵は上手とは言えなかったが、目鼻立ちなどの特徴はきちんと押さえてある。実物と遭遇したなら『こいつだ』と分かるだろう。
「死体を確認できなかった連中も少なくないからなぁ」
当時、帝国最強の魔女ヴェラ・ダブゴイルとその一番弟子アスラーグは、『デリラの撃破が最優先。他のクズ共をちまちま相手にしてられるか』初っ端から広域殲滅魔法をぶち込んだ。
アスラーグの“花”の爆心地には、炭化して個人特定不可能になった死体がごろごろしていたし、ヴェラの攻撃魔法により分子レベルで分解された者も少なくない。
大雑把と思うかもしれないが、逆に言えば『デリラを絶対殺す』という意思の表れでもあった。
「いずれにせよ、
アスラーグは笑った。残忍な魔女のように。
「まぁ、それは私も同じことだけれどね。連中にしてみれば、私は殺しても飽き足りない人間だろうし。ここからはどちらが先に相手を仕留めるか、競争になる」
腕を組み、エミールは目を鋭く細める。猟犬のように。
「良い機会だ。エリノールの依頼を片付けがてら、連中をおびき出すか?」
「悪くない手だけれど、相手の総戦力が分からない状態では冒険的過ぎるわ。いざ誘い出したら、恩恵持ちが一個中隊も出てきた、なんてなったら笑えないもの。やはり各個撃破が望ましい。私達は奴らと戦うのではなく、狩り殺すためにここまで来たのだから」
アスラーグの冷徹な意見に、
「確実に追い詰めていくしかないな」
エミールも同意の首肯を返す。
「俺達の敵は穴倉に潜んでおり、闇派閥の残党に与している。フェルズの情報を基に考えるなら、
卓上に広げた資料を見下ろし、アスラーグは思案顔を浮かべた。
「ダンジョンに潜んでいるなら、物資の調達に無理しているはずよ。口の堅い調達先。人目につかない移送ルート。資金や人手。どこかに必ず綻びがある」
「移送ルートだが、バベルから第18階層のローグタウンを経由していないと思う。欲の皮を突っ張らせた連中が互いに懐具合を覗き見している場所だ。闇派閥との大口の取引などしていたら必ず露見するだろう。エリノール達が把握していないということは、業突く張り共が気付かないほど巧妙な方法を取っているか、まったく“異なるルートがある”と見るべきだな」
エミールは卓上に並べられた数々の資料、掲示板に張られた各種地図――オラリオの街区図や地下水路図、ダンジョン内地図などを順に見回し、
「街内を流れる運河やロログ汽水湖はダンジョン下層の湖水が水源だ。実際に通れるかどうかは別にして、バベル以外に地上とダンジョンを繋ぐ経路があるということを意味する。他にルートがあってもおかしくない」
難しい顔つきで推論を呈する。
「現状で考え得る候補は地下水道だな。地下水脈の線を利用した連絡路の確保は理論上、可能だ」
工学技術的に難しくとも、魔法や魔導具という超常的手段が存在する以上、可能性はある。
「確かにね」
黒妖精の相槌を聞きつつ、エミールは話を続けた。
「現状、俺達が探っている対象はイケロス、ソーマ、イシュタル、デメテル、ヘルメス。イケロスは主神の居所もファミリアの拠点も不明。団員も捕捉できていない。ソーマはアーデ嬢の関係で様子見中。他の連中はどうだ?」
「イシュタルは明らかに不正会計をしてる」
アスラーグは美貌を疎ましげに歪め、
「イシュタル・ファミリアの規模と歓楽街の商業規模を考えたら、ギルドへ報告している会計内容はおかしい。故国なら脱税容疑で役所の強制捜査が入ってるわ」
苛立たしげに吐き捨てる。
「イケロスもソーマもヘルメスもかなり怪しい。少なくともデメテル以外の組織は金銭面でかなり怪しいわね。隠れて何をやっているんだか」
「組織と利権の規模から考えて、イシュタルの金が一番問題だな」
エミールは腕を組んで小さく唸る。
「闇派閥と関わりがあるとしても、情報による女神イシュタルの気質を考えると、オラリオの破壊や滅亡は望んでいない。何らかの取引を主目的にしているはずだ」
イシュタルという女神は自尊心が強烈で、自己顕示欲や承認欲求、名誉欲が非常に強いらしい。言い換えるなら、自分をちやほやしてくれる場を求める。オラリオが吹き飛んでは欲求を満たせない。闇派閥に協力しているならビジネスが主だろう。
「でしょうね。ダンジョン内に潜んでいる連中が提供できるものとなると、魔石、素材、それにモンスター」
アスラーグの垂れ気味の目が細くなる。青紫色の瞳が冷たい。
「先の新種は商品の“お披露目”だったのかも」
「無い話じゃないな」エミールは少し考え込み「いずれにせよ、やはりバベル以外にダンジョンへ出入りできると考えるべきだ」
エミールは背もたれに体を預け、天井を見上げた。
「そして持ち込まれるだろう物資、特に食料の大半はデメテル・ファミリアの生産品だな。彼らが闇派閥に与しているとは思わないが、彼らの農産物が闇派閥の胃に収まっていることは間違いない。デメテル・ファミリア内に闇派閥と通じている者がいるか、取引先に闇派閥と通じている者がいる」
デメテル・ファミリアは迷宮都市で要求される食糧や原料農作物を一手に賄っている。
これは明確な“弱点”だ。
迷宮都市の現状はデメテル・ファミリアを壊滅させるだけで、神デメテルを強制送還させるだけで、都市を丸ごと飢餓に追いやれる。他の農神や豊穣神が補うことも可能だろうが、オラリオ周辺の農業が産業構造化されていない以上、デメテル・ファミリアと代替可能な人的規模が求められる。即時的補完は難しいだろう。
他にも、ダイダロス通り――スラムにペストやコレラなど疫病を発生させるだけでも、迷宮都市は壊滅的打撃を被る。
逆に言えば、闇派閥達はこれら明確な“弱点”を無視し、他派閥の冒険者相手にドンパチチャンバラを挑むだけ。
この事実を鑑みれば、闇派閥の抗争の本質はおそらく『遊び』だ。悪神達が眷属を使って暇潰しをしているに過ぎない。
逸れた思考を戻し、エミールが問う。
「ギルドから奪取した情報に何か手掛かりは?」
「デメテル・ファミリアは少なくとも表立っておかしい点が無いわ。それに……」
アスラーグは首を横に振った。
「取引先は多岐に渡るから、何か明確な指標が無いと絞り込みが難しい」
「ふむ」
エミールはふと思い出したように呟く。
「そういえば、エリノール以外にも怪しげな商売をしている奴らが居たな」
『ハウンド・ピット』の地下酒蔵。蠱惑的な狼人女性が脳裏をよぎった。
★
翌日の昼下がり。
エミールが酒場『ハウンド・ピット』の地下酒蔵に赴き、“商談”を持ちかけたところ、窓口たる狼人女性ジェラルディーナはエミールを店外に連れ出した。
ジェラルディーナは体の線を強調するパンツスタイルの女給服の上に、地味なフード付きジャケットを羽織る。結い上げられた銀灰色の髪が陽光を浴びて鈍い光沢を放ち、髪と同じ色の尻尾が歩を進める度、愛らしく揺れている。
「どこへ?」とエミールが問う。
こちらは紺色の七分丈シャツにカーキ色のズボン。腰に装具ベルトを巻いてあれこれパウチを下げているが、休暇中の冒険者らしい恰好。長身痩躯の優男だけにパッとしない格好でもダサく見えない。お得。
「運河港です。今日は面白いものが見られますから」
狼人らしい犬歯を覗かせ、ジェラルディーナは微笑む。野暮ったい眼鏡の奥にあるアイスブルー瞳にはどこか悪戯っぽい輝きがあった。
温かな陽光の注ぐ快晴の午後。オラリオの運河港は賑々しい。
荷昇降用起重機が並ぶ積荷作業場や船舶停泊場からは、水夫や労働者の喧騒が絶えない。迷宮都市とロログ汽水湖岸都市を繋ぐ連絡船の乗り場や土産物店その他も、人の往来が多い。
この日、作業場の一角に物々しい警備が敷かれていた。
黒服のギルド職員と武装した冒険者達。上等な着衣に身を包んだ諸島帝国出先商館職員、紅い上衣と黒い下衣の兵士達は銃床付の大型クロスボウを抱えている。
加えて、
エミールは目を瞬かせる。
「トールボーイ? オラリオに持ち込んでいたのか」
長脚重装兵。別名トールボーイ。
機械式倍力機構付きの竹馬を用い、数メートル頭上から強力な各種
簡単に蹴倒せそうな見た目だが、その竹馬部分や装甲甲冑は非常に剛健なティビア鋼製で、支腕には抗魔導処理した防循まで装備している。
恩恵持ちと言えど生半な攻撃では撃破不可能。また、彼らの強力なクロスボウから連射される矢弾も、低位冒険者や雑魚モンスターなど容易くミンチにできる。
背中に担がれた液化魔石燃料が放つ仄かな蒼光は実に不気味で、さながら鬼火を背負っているようだ。
「普段は姿を見せませんが、
ジェラルディーナが呆れ顔のエミールにくすくすと笑いかける。悪戯が成功したと言いたげな笑みだった。
「今日は取引日で大量の魔石や文物、正貨と資源がやりとりされますから、その警備ですね。オラリオ側も腕利きを集めていますよ」
エミールは狼人女性の目線が示す先を追う。
「ショートヘアの見目麗しい女性がガネーシャ・ファミリアの団長シャクティ・ヴァルナ。隣のアマゾネスが副団長のイルタ・ファーナ。彼女達が接している眼鏡の女性はヘルメス・ファミリアの団長アスフィ・アル・アルメイダ」
ジェラルディーナが説明した女性冒険者達の表情は一様に険しく、ピリピリした雰囲気をまとっている。
「揉めている、とは違うようだが」
エミールの指摘にジェラルディーナは冷ややかに言った。
「大方、昨日の一件でしょう。アンダー・リゾートで殺人事件があったそうで。被害者はガネーシャ・ファミリアの団員だったらしいですから」
「相手は闇派閥か?」とエミールが冷たい目つきで問う。
「おそらく。2人組で植物と蛇の合いの子みたいなモンスターを多数使役していたとか。ロキ・ファミリアと交戦し、撃退されたそうです」
ジェラルディーナはそこで話を一旦切り、運河に臨むカフェ店を示す。
「立ち話も何ですし、御茶でも飲みませんか?」
★
ギルドと出先商館の職員が交易品の確認を行う間、双方の警備が油断なく周囲を警戒している。長脚重装兵が時折、ガシャンガシャンと機構を鳴かせ、ドシンドシンと地響きを奏でながら作業区画を巡回した。
その様子を、行き交う人達が物珍しそうに眺めていた。
エミールとジェラルディーナもカフェ店のテラス席から見物している。
ミルクと砂糖が加えられた紅茶。茶請けは無し。
ジェラルディーナは地味なジャケットのポケットから紙巻煙草の箱を取り出し、一本くわえて燐棒を擦った。
柔らかそうな唇の間から吐き出された紫煙が、優しい川風に溶けていく。
「御指摘された通り、我々はこの街の裏社会や後ろ暗い部分の情報を持っております。しかし、それらはいわゆる部外秘。我々の大事な飯のタネですから、多少の金穀では御提供できません」
狼人女給の向かい側に座るエミールは紅茶を少しばかり飲み、カップを卓に置いてから応じる。
「“商談”を断るだけならわざわざ連れ歩きはしないだろう。そちらの条件は?」
「あら。私が貴方と御茶を楽しむため、とはお考えにならないので?」
くすくすと喉を鳴らすジェラルディーナ。アイスブルーの瞳が野暮ったい眼鏡の奥から思わせぶりな目線を送ってくる。
もっとも、エミールは“冗談”に付き合わず冷ややかな目線を返す。
「貴女とそれほど誼を通じていない。その若さで準工作機関の窓口を担う女性が、俺をからかって遊ぶ外連味を持っているとも思えない」
「仕事に真摯であることは大事ですけれど、ウィットとユーモアを挟む余裕がないことはいただけませんね、ミスタ・グリストル」
減点評価を伝えつつ、ジェラルディーナは煙草を燻らせ、口端を緩めた。
「男女の駆け引きを楽しませてくださいな」
「……情報提供に対する条件は?」
これ以上の軽口に付き合う気はない。そう意志のこもったエミールの問いかけに対し、ジェラルディーナは小さく肩を竦め、煙草の灰を灰皿へ落とす。
細面の向きがエミールから作業場へ移った。
恐竜のように巡回を続ける長脚重装兵。見物人に混じる子供達が手を振り、重装兵も手を振り返す。と、同僚から『仕事に集中しろ』と叱られていた。
「ここ運河港の利権は複雑です。ギルドと商業系ファミリア、裏社会がいくつか関わっています。もちろん我々もね。オラリオとメレンはわずか3Kしか離れていませんが、水運の輸送効率や費用対効果は陸運など比べ物にならないほど大きいですから」
「だろうな。レンヘイブン川もそうだった」とエミールは首肯する。
諸島帝国首都内を流れるレンヘイブン川も利権が込み入っていて、度々抗争が起きていた。
ちなみに、ダンウォールでギャング同士の抗争が起きた場合、基本的に
「そのこと自体はまあ、良いのです。表も裏も市場占有率の多寡は自由競争の下に掴み取るものですから。ただし、
ジェラルディーナは煙草を灰皿に押しつけて消した。給仕を呼び、スコーンを一つ注文する。目線でエミールにも問うが、エミールは首を横に振った。
「この街は神々が多く、恩恵持ちが数千人もいます。裏社会も恩恵持ちが珍しくない。神々の眷属ではなく、恩恵も持たぬ我々では荒事に勝てません。むろん、我が国の優れた兵器群を用いればその限りではありませんけれど、それはそれで問題になります」
本題が見えてきた。エミールは紅茶を口に運んでから、話を先回りする。目つきを険しくして、質す。
「暗殺。いや、敵を組織ごと壊滅させろと?」
「幹部を綺麗さっぱり消していただければ充分ですね」
薄く微笑むジェラルディーナの氷青色の目は酷く冷たく、
「歳若くして国家憲兵隊の最上級衛兵になった最精鋭で、将来を嘱望された凄腕の現場要員。それに、大陸に渡ってから随分と御活躍されていらっしゃる。貴方の名前こそ出てきませんでしたが、足跡には“廃虚の悪霊”や“首狩り人”といった逸話が残っていますよ」
給仕が持ってきたスコーンを手で上下に割る。
スコーンにベリージャムとクリームを塗り、ジェラルディーナは上品に齧る。瑞々しい唇の間からサクリと小気味いい音がこぼれた。
「荒事へ訴える前に当局へ情報を
「私達の故国のような法治国家ならばね。しかし、この都市国家は情理と神々の都合で回っているのです。事の是非と正否は理ではなく力で決します」
「もう一つ聞く。情報は組織一つ分の死体をこさえるほど価値があるのか?」
エミールの深青色の瞳が血に濡れた銃剣みたいな凄味を宿す。
「ええ。御満足いただけるものと確信しております」
恩恵レベル3の虚無歩きが放つ威圧を冷笑で受け流し、ジェラルディーナは残ったスコーンにジャムとクリームを塗り始める。
カップを口にし、エミールはぬるくなった紅茶を飲みながら思案する。
アスラーグからは判断を委ねられているが……それはあくまで金や労働(ダンジョン内の素材調達等)であって、裏社会の抗争に関与することではない。
しかし、今は情報が必要だった。
デリラ信奉者は虚無の力を以ってしても倒すことが難しい強敵なのだ。情報を得て先手を取れなければ、危険すぎる。
何より、魔女の心臓を奪還し、奴らを皆殺しにするためなら、小悪党共の命など“
「良いだろう」
エミールの了承に、
「感謝します。ミスタ・グリストル。組織としても、
ジェラルディーナはにっこりと微笑み、スコーンを口に運ぶ。サクサクと音を奏でながら食べ終わると、真っ赤な舌でぺろりと下唇を舐めた。銀灰色の尻尾がゆらりと大きく振られる。
契約殺人の話をした直後に男女の駆け引きを仕掛けられ、エミールは思わず眉を下げた。