虚無を歩く者がオラリオに現れたようです   作:リバークラスト

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ちょっと長めです。



27+:誰かが儲かれば、誰かが損する。

 濃霧の中、ベルは黒短剣を振るい、一撃離脱を繰り返す。

 誘引剤に引き寄せられたモンスター達は同族が倒されても怯むことなく、先を争うようにベルへ襲い掛かる。

 焦燥に駆られ、ベルは苛立ちを込めて叫ぶ。

「早くリリを追いかけないといけないんだっ! 邪魔をするなっ!!」

 

 ※※※

 罠に掛けられたと分かり、ベルはリリルカと即座に第10階層からの撤退を決め、連絡階段を目指した。リリルカを先行させ、その背中を護るべく後ろを走って。

 

 霧の先に階段の影が見えたところでオークの群れに突っ込まれ、リリルカと分断されてしまった。

 咄嗟に「先に行け」とベルが叫び、リリルカはわずかな逡巡後、頷く。

「リリが階段の上から援護しますっ! それまで持ちこたえてくださいっ!!」

 そう叫び、リリルカは駆けて行った。

 ※※※

 

 しかし、リリルカの援護射撃は無い。自分を見捨てて逃げた、などとベルは露ほども思っていない。それどころか一人ででも逃げていて欲しいとさえ思った。

 

 なぜなら、戦闘の最中にベルの耳が確かに捉えたからだ。

 怪物達の怒声に紛れ、階段の上から降ってきたリリルカの悲鳴を。

 

「リリッ! 無事でいてくれっ!」

 ベルは立ち塞がる豚頭の怪物達を睨み、怒鳴り飛ばす。

「邪魔だぁっ!!」

 

        ★

 

 ベルの脱出を援護するため階段の上まで駆け上り、リリルカが右腰から諸島帝国製のフルカスタム・クロスボウを抜いた直後。

 

 死角から強烈な衝撃が襲った。

 

「きゃあっ?!」

 リリルカが小柄とはいえ、人一人が宙を舞い、地面を跳ね転がるほどの一撃。

 デカいバッグの負い革が千切れて脱げ落ち、リリルカの白いローブコートがたちまち土塗れになる。それでも大事なクロスボウを手放さなかったし、ローブの上から付けた装具は外れていない。

 

 全身に走る痛みと衝撃に胃がひっくり返り、身を起こしかけたリリルカは思わず嘔吐する。歯で口の中を切ったせいか反吐に血が混じっていた。大量の鼻血がボタボタと地面に流れ落ちていく。

 

 いったい何が、とリリルカが脂汗塗れの顔を上げれば。

「よぉ~う。アーデ。久しぶりだなぁ」

 隙っ歯だらけの歯を剥いて笑う狸人中年男カヌゥ・ベルウェイ。と手下2人。

 

 便所虫にも劣るクズ共を目の当たりにし、リリルカは瞬時に全てを悟った。

 

 また。

 

 まただ。

 

 また、こいつらが――

 

 これまでのリリルカ・アーデならば、幼い頃から虐げられ続けたことで染みついた習慣的諦観や条件反射的諦念に屈したかもしれない。

 現実への絶望と失望に竦み、萎え、折れてしまったかもしれない。

 

 しかし、かつてローグタウンの路地裏で反抗したように、灰被りは異邦の魔女と首狩り人との交流によって意識が変化している。魔女達との交流によって尊厳を取り戻し、夢を持ち、勇気を得ている。冒険者のように戦う術を学び修めている。

 

 ゆえに、リリルカ・アーデの胸中で炎熱が強く激しく、狂猛に燃え盛った。

 

 ……い。

 

 ……ない。

 

 ……せない。

 

 ……許せない。

 

 ……許せないっ……許せないっ!……許せないっ!!

 

 憤怒で血が沸騰し、心の芯で憎悪と怨恨が爆発。全ての意識と意思が殺意一色に塗り潰された。

 

 リリルカは『殺す』と決意した瞬間、即座に行動を起こす。

 まったく躊躇せず、無言のままクロスボウをエミールから習った通り、能う限り素早く構え、流れるように引き金を引く。

 

 数十万ヴァリス掛けて改造された最高性能のクロスボウが、銃弾と大差ない初速で矢弾を放つ。

 

「!?」

 腐ってもレベル2冒険者。超人の端くれ。カヌゥは咄嗟に身を捩り、首を捻り、矢弾をかわす。

「ぐぁああっ!? お、おおお、俺の耳っ!? 俺の耳ぃいいいっ!!」

 まあ、クズ冒険者らしく完全に避けられず、右の狸耳が千切れ飛んだが。

 

 怨敵を仕留めそこなった矢弾は、カヌゥの背後で余裕をかましていた手下Aの肩元を半ば貫き、その運動エネルギーと着弾衝撃でぶっ飛ばす。

「ぎゃあああああああっ!?」

 

 手下Aが悲鳴を上げながら壁元まで転がっていく間に、クロスボウの半自動機構が駆動。弓が180度回転し、弦を引き上げて次弾を再装填。

 殺意に駆られるリリルカが沈黙の第二射をカヌゥへ放とうとする刹那、

 

「ぉおっらぁあああああっ!!」

 横合いから手下Bが剣でクロスボウを切りつけ、リリルカの手元から叩き落とす。

 

「っ!」舌打ちしつつ、リリルカが咄嗟にローブコートの内から小さな魔剣を抜こうとしたところへ、

 

「この、クッソガキャアッ!!」

 片耳を千切り飛ばされて激昂したカヌゥが、リリルカの可憐な顔へ硬い拳を思いきり叩きつける。

 

 レベル2の獣人が放つ全力の打撃に、リリルカの左頬骨と鼻骨が砕かれ、折れた奥歯が口腔を裂いた。

 鼻と口から鮮血を噴き出しながら、リリルカは地面に叩きつけられる。脳が揺れ、中枢神経を痺れ、意識が明滅した。

 

「アァァアアアデェェエエエッ!!」

 カヌゥは血を流す右耳を抑えながら、力任せに幾度も幾度もリリルカを踏みつけ、蹴りつける。

「薄汚ぇ小人族のメスガキがっ! 役立たずのサポーターがっ! よくも俺にっ! この俺をっ!!!!」

 

 大きく硬い靴底を叩きつけられる度、リリルカの柔らかな身体が軋み、背骨が悲鳴を上げる。反射的に身を庇った左尺骨が折れた。踏みつけられた左手首が砕け、人差し指と中指が折れ曲がる。左鎖骨と左肋骨の3番が折れ、4番にひびが入った。

 

 左目元が拳大に腫れ上がり、鼻筋が歪み、顔を血塗れになっても、リリルカは悲鳴を()()()()()()()。目も閉じずにカヌゥを睨み続ける。

 

 リリは、もう二度と、こんな奴らに、屈しないっ!

 

「――なんだぁ、その目はぁ!!」

「カヌゥさん、落ち着いてっ! 金のありかを聞き出す前に死んじまいますよっ!!」

 手下Bが慌ててカヌゥを宥め押さえに入る。

「ぅう痛ぇよぉ……腕が右腕がぜんぜん動かねえよぉ……」

 手下Aがベソを掻きながら助けを求めていた。

 

 ふーふーと肩を揺らして荒々しく息をしながら手下Bを押しのけ、

「お前はあいつの手当てをしてこい」

 カヌゥは重傷を負って動けないリリルカの襟元を掴み、乱暴に持ち上げた。

「アーデ。貯め込んだ金のありかを吐け。素直に吐きゃあ命だけは見逃してやる」

 

 リリルカは呻き声すら漏らさず、ただカヌゥを睨みつける。

 

 恐れも怯えもせず、ただ蔑みと殺意を込めた目を向けるリリルカに、カヌゥは額に青筋を浮かべた。

「本当にぶち殺すぞ……っ! さっさと金のありかを吐きやがれっ!!」

 

 しかし、リリルカは一言も答えない。血塗れの歯を食いしばり、敢然と睨み返す。

 

 背後で、

 手下A:ぎゃあああ、いでぇええっ! やめ、やめれっ! 矢弾に触んなっ!

 手下B:だめだこりゃ。肉が締まっちまって抜けねーよ。この状態でポーションを掛けたら癒着しちまう。治療院で手当て受けるしかねーわ。

 なんてやり取りが交わされる中、

 

「とことん舐め腐りやがって、クソガキがぁ……」

 カヌゥはリリルカを掴み上げたまま、左手で装具と白いローブコートを引き千切るように剥ぎ取った。

「お前ら、いつまでじゃれてんだっ! このガキの持ちもんを調べろっ!」

 

 怒鳴られた手下2人がいそいそとデカいバックパックや装具を改める中、カヌゥはリリルカを足元に投げ捨て、

「テメェがそういうつもりなら、きっちり調()()してやろうじゃねえか」

 カチャカチャとベルト外していく。

 

「ありがたく思えよ。テメェみてェな小便臭ぇ小人族のガキを、俺がオトナのオンナにしてやろうってんだからよぉ」

 下卑た笑みを浮かべる狸人中年男がズボンのボタンを外そうとした、その時。

 

「おおっ! カヌゥさん、こいつ魔剣なんか持ってやがりましたよっ!」

 手下Bがリリルカの隠し持っていた小振りな魔剣を見つけ、喝采を上げた。カヌゥが釣られるように目線をリリルカから外し、手下Bの手元へ顔を向ける。

 

 ――()()()()

 

 その魔剣は危機に備えた切り札であり、同時に略奪者達へ備えて仕込んだトラップ・トロフィー。

 冒険者なら魔剣を見つければ、必ず反応する。その価値を知っているから、必ず意識を向ける。魔剣によって意識の間隙が生じた時こそ――

 

 リリルカの戦意と闘志が起爆する。

 

 左目は腫れに塞がれて見えない。鼻と肋骨が折れているため、息をするだけで涙が溢れるほど痛い。左腕は壊されて使い物にならず満足に動かない。

 

 だからどうした。

 

 こんな怪我。今まで味わってきたものに比べたら、どうってことない。こんな痛み。今まで耐えてきたことに比べたら、痛みじゃない。右目はまだ見える。右手と両足は動く。

 

 まだ、リリはまだ戦えるっ!!

 

 重傷を負っているにもかかわらず、リリルカは素早く滑らかな最小動作で、アスラーグに勧められて半長靴内に仕込んだ小さなナイフを抜く。

 刃と柄を合わせても5Cも無い小さなナイフ。しかし、その小さな刃は超硬金属の端材でできており、峰側は鋸状で。

 

 バカ面してズボンを脱ごうとしていたカヌゥがリリルカの逆襲に気付くも、彼我距離は無きに等しく、リリルカの刺突は既に対応可能距離を超えていて。

 

 ぐさり。

 

 リリルカはナイフを根元までカヌゥの股間に突き刺し、エミールに教わった通りの手つきで流れるように、抉る。

 

 ぐりっ。

 

「アッ―――――――――――――――――――――――!!」

 凶悪な形状の刃で陰嚢を刺されて抉られ、カヌゥの絶叫が階層につんざく。

 

 手下2人がギョッと身を強張らせた間隙を、リリルカは逃さない。ホットパンツに隠した本当に最後の手札を切る。エミールがくれたスタンマインを取り出し、安全ピンを血塗れの歯で噛み抜き、手下どもへ投げつけた。

 

 スタンマインの魔導機構が手下どもの体温を検知。即座に内包された小型魔石の魔力を高圧雷電に変換して放射。青白い閃電がバカ面を浮かべる2人を襲う。

「「あばばばばばあああああああああああっ!?」」

 

 熾烈な閃電を浴び、バカ共が感電卒倒した。カヌゥもボタボタと血を流す股間を両手で押さえながらうずくまり、激痛に悶絶していた。

 

 逆襲を終えたリリルカは脂汗を流しながら、息を整えた。直後。脳内麻薬物質で抑えられていた負傷に対する生理反応が発症。

 全身を走る鋭い痛みと身を焼く熱。頭蓋を軋ませる耳鳴り。嗅覚の奥を満たす血反吐の臭いに胃が激しく震え、何も出なくなるまで嘔吐が止まらない。全身の毛穴から脂汗が噴き出している。意識が朦朧とし、視界が明滅を繰り返す。

 

 でも。

 

 リリルカ・アーデはこれまでの人生で最も爽快で、最も甘美で、最も充実した気分に満たされている。

 灰被りは王子様の救いを待たず、魔女達に与えられた力で、自ら掴み取った人生最初の勝利を味わっていた。

 

      ★

 

 ――霧の中を“何か”が凄まじい速さで駆け抜けた。

 

 ベルが“何か”を知覚した時には、自分を取り囲んでいたオークやインプ達が既に切り伏せられていた。濃霧の先、かすかに見える人影。おそらくあの人が助けてくれたのだろう。

 

 本来なら駆け寄って感謝の言葉を伝えるのが筋というもの。しかし、今のベルは連絡階段を先に上ったリリルカの安危が最優先だった。

 

「助けてくれて、ありがとうございましたっ!! すいません、僕は行きますっ!!」

 ベルは人影に向かって声を張り、ぺこりと最敬礼するや否や踵を返し、最大速力で連絡階段へ向けて激走していく。

 

「間に合った……よね?」

 そんなベルの背中を見送る人影――剣姫アイズ・ヴァレンシュタインは自問しつつ、愛剣デスペラートを鞘に納めた。エイナ・チュールの懇請を受けてベルの救援へ向かい、見事に目的を果たした。はず。

 

 もっとも、第10階層へ至るルートがベル達と異なっていたから、道中にリリルカと遭遇することはなく、カヌゥ達の暴行からリリルカを救えなかったが……アイズには知る由もない。

 

「……あ。そうだ。謝らなきゃ……」

 アイズはベルに個人的用向きがあることを思い出した。先のミノタウロスの一件がずっと胸に残っており、謝罪したいと思っていたが、どういうわけかその機会に恵まれていなかった(もっぱら原因はベルの側にあるけれど)。

 

 ベルを追いかけるべく、アイズは一歩踏み出し、いや、すぐに立ち止まって愛剣の柄に手を伸ばしながら振り返る。

 

「……誰?」

 金色の髪と同色の瞳が濃霧を睨み、鋭い声が飛ぶ。

 

「――君も分かるのか。戦士の感覚は侮れないな」

 白い闇の中から、男とも女とも分からないぼやき声が返ってきた直後、数M先に突然、黒づくめの人物が現れた。

 

 これ見よがしに怪しい風貌の者が唐突に現れたことに、アイズは至極当然に警戒を強める。愛剣の鯉口を切り、突発戦闘へ備えた。

 

「警戒するな、と言っても無理はないだろうが……こちらに戦う意思はない」

 黒づくめは武具らしき籠手を装着した両手を掲げて害意が無いことを示し、

「ロキ・ファミリアの“剣姫”アイズ・ヴァレンシュタイン」

 言った。

 

「君に依頼したことがある」

 

       ★

 

 リリルカはふらつきながら小さな魔剣をまたぎ、魔剣などよりもずっと大事なクロスボウを拾い上げる。

 手下Bに剣を受けたクロスボウはフレームが幾分歪み、半自動機構が損傷していたものの、装填済みの一発だけは打てそうだった。

 

 愛着のある得物の状態を確認し、リリルカは苦悶するカヌゥへ向き直った。実に自然な動作でクロスボウを構え、狙いをカヌゥの頭に定める。

 

「! アーデェ……お、俺を殺そうってのかぁ……っ!? 小汚ねェ小人族のサポーター風情がっ! レベル2冒険者のこの俺をっ! 殺そうってのかっ!! そんなことが許されっと思ってんのかっ!!」

 血を流し続ける股間を押さえながら、カヌゥは涙と鼻水と涎と脂汗塗れの顔を怒気に染めた。

「冒険者に寄生するしか能がねぇ役立たずのサポーターが、冒険者を殺すだぁっ! ふざけんじゃねえっ! そんな道理が通るかっ!!」

 

 小悪党らしく手のひらを返して命乞いしない辺り、カヌゥ・ベルウェイなりに冒険者としての矜持があるのかもしれない。

 レベル2――少なくとも一度レベルが上がる程度には、危険に挑み、試練を乗り越え、冒険を成し遂げた者としての矜持と自尊心が、リリルカに慈悲を乞うことを拒んでいるのだろう。股間を押さえながら。

 

 対峙するリリルカは何の反応も返さない。

 顔の左半分が紫色に腫れ膨らみ、折れ曲がった鼻と口元から血を流し、ほっそりとした首元まで真っ赤に染まっていた。

 折れた左鎖骨と左肋骨3番、ヒビの入った左肋骨4番辺り、折れた左腕と手首、折れ曲がった左手の人差し指と中指。どこも内出血でパンパンに腫れ上がっている。

 

 それでも、リリルカは毅然とした面持ちでカヌゥを睨み据え、右手だけで重たいフルカスタム・クロスボウを構えている。肉体の限界を意志の力が支えていた。

 

「テメェ、聞いてんのかぁっ!!」

 カヌゥが脂汗をまき散らすように怒鳴り飛ばすと、

 

「くだらないことをぐだぐだと……」

 リリルカは煩わしげに右目を細め、

「ああっ!?」

 激昂するカヌゥへ無情動に告げる。

「冒険者とかサポーターとか、小人族とかガキとか、関係なく……貴方が弱くてバカだから殺されるんですよ、リリにね」

 

 カヌゥが激憤に顔を歪ませ、リリルカが無機質にクロスボウの引き金を引こうとしたところへ、

「リリッ!!!!」

 顔も体も汗塗れにしたベルが登場し、現場を目の当たりにして言葉を失う。

 

 白いローブコートと装具を剥ぎ取られ、愛らしい顔と華奢な体を無惨な有様にしたリリルカ。

 

 白目を剥いて倒れている2人の冒険者。うち一人は右肩の付け根を矢弾が貫いていた。

 

 そして、リリルカと対峙してうずくまっている狸人中年男は右耳が欠け、股間から出血していた。

 

 何があったのかベルには分からない。リリルカが三人の男達に襲われ、傷つきながらも返り討ちにしたのだろうと想像するだけだ。

 しかし、そんなことはもはや些事だった。

 

 リリルカはベルを一顧にせず、クロスボウを中年男へ向けて撃とうとしていること。それだけが最優先事項だ。

 

「ベル様。無事でよかったです。リリもすぐに終わらせますから、待っていてください」

 温度が存在しない無情動な声に、ベルは凍りつく。こんな“哀しい”声を出すリリルカは見たことがない。辛い過去を語った時でさえ、こんな“苦しい”声ではなかった。

 

 ダメだ。

 ベルは確信する。

 ダメだダメだダメだっ!! 引き金を引かせたら、絶対にダメだ!!

 

「待ってっ! 待つんだリリッ!!」

 ベルは必死に頭を捻り、知恵を絞り、言葉を探す。

「今のリリの気持ちが分かるなんて言わない。リリが歩んできた人生は僕がどうこう言えるほど軽いものじゃないから……人を殺したらいけないとか、そんなことも言わない。

 でも、その引き金を引いてしまったら、その人を殺してしまったら、きっとリリはそのことをずっと背負い続ける。人を殺した後ろめたさを引きずり続けるよ」

 

 リリルカは何の反応も返さない。

 

 ベルは自分の愚かさが嫌になる。自分の未熟さが嫌になる。目の前の、体も心も傷だらけの女の子に届く言葉を紡げない自分自身が嫌になる。

 しかし、ベルは諦めたりしない。リリルカを注視しながらゆっくりと歩みを進め、渾身の言葉を紡ぐ。

「リリは言ったよね? いつか僕の故郷を行ってみたいって。訓練の時、僕と一緒にアスラさんとエミールさんの旅の話を聞いて、いつか自分も旅をしてみたいって。ソーマ・ファミリアを脱退して自分の人生を取り戻したら、いろんなことをしてみたいって」

 

「はっ! そんな戯言抜かしてやがったのかっ! 甘い夢見やがってっ!」

 カヌゥが嘲罵を吐くが、ベルは目もくれない。無視。完全に無視。

 

 ベルはただリリルカだけを見据え、リリルカのためだけに言葉を編む。

「リリはもうじき脱退金が満額になるって言ったじゃないか。脱退金を叩きつけて堂々とファミリアを抜けてやるって言ったじゃないか。胸を張って新しい人生を始めるって言ったじゃないか」

 

「笑わせるぜっ!」

 カヌゥがリリルカを嘲弄する。

「ザニスの与太を信じて必死に銭を溜め込んでよぉっ! あのクソ眼鏡がそんな約束守る訳ねえってのによぉっ! テメェはなあ、ソーマ・ファミリアの所有物なんだよっ! 死ぬまで俺達に小銭を貢ぐ奴隷なんだっ! 家畜の分際で夢見てんじゃねえっ!!」

 

「嘘になんてさせないっ! 僕が必ず約束を守らせるっ!! ソーマ・ファミリアに乗り込んででも、絶対に約束を守らせるっ!!」

 ベルはクロスボウを構えたまま微動にしないリリルカの傍らに立つ。

 

 緊張と緊迫の汗を流しながら、誠心と衷心と真心を込めた言葉を贈る。

「だから、だから、リリ。撃っちゃダメだ。リリ自身のために。リリが積み重ねてきた努力やリリの新しい人生を、こんな人のために傷つけちゃ、ダメだ」

 生唾を飲み込み、ベルはそっとクロスボウへ手を伸ばし、

「僕はこれからもリリと一緒に冒険したい。これからもリリと一緒に、神様やアスラさんやエミールさんと過ごしたい。皆でリリの新しい出発をお祝いしたい。だから、リリ……」

 そっとクロスボウに手を添えて下げさせた。

 

 リリルカも抵抗せず、無言のままクロスボウを下げ……ベルの顔を見た。その顔は今にも涙が溢れそうで、だけれど心から嬉しそうな、泣き顔と笑顔が混ざったような……

 何かを言おうとするが、リリルカは限界を迎えたのか失神。その場に崩れ落ちる。

 

 慌ててリリルカの小柄で華奢な体を抱きとめ、ベルは感謝と労わりを込めて告げた。

「……ありがとう。ありがとう、リリ」

 

「けっ! とんだ女っ誑しだな、小僧。ポン引きに鞍替えしちゃあどうだ? ああ?」

 カヌゥが血走った眼でベルを睨みつける。

「出来もしねぇ約束でだまくらかしてよぉ。俺らの次はテメェがアーデを利用するって訳かあ?」

 

「何とでも言えば良い」

 カヌゥへ向けられる紅眼は嫌悪と軽蔑に染まっていた。この世で最も恥ずべき存在を見るような眼だった。

「貴方みたいな人と言葉を交わす気はありません」

 

 ベル・クラネルは既に誓っている。女神ヘスティアと己自身に固く誓っている。

 白兎の少年は既に決意を備えていた。憧れと夢に対する覚悟を持っていた。

 ゆえに、カヌゥ()()の卑賎な罵倒など何の痛痒ももたらさない。

 

 そんなベルの態度がカヌゥの逆鱗に触れた。見下して嘲っていたリリルカから返り討ちにされた挙句、駆け出しの新米冒険者から歯牙にも欠けられなかったことに、カヌゥは激昂した。

 

「……どいつもこいつも俺をなめやがってぇっ!!」

 カヌゥは血塗れの手を後ろ腰に回し、誘引剤の瓶を壁に投げつけた。

 

 たちまち四方八方からキラーアントの大群が殺到してくる中、

「虫の餌になりやがれっ!!」

 カヌゥは股間の痛みを堪えながら手下達を置き去りにして遁走。未だ昏倒中だった手下2人は失神したまま蟻共に食い殺されるが、振り返りすらしない。

 

 キラーアントの大群に包囲されながらも、ベルは動じることなく優しい手つきでリリを地面に寝かせ、黒短剣を抜く。

「リリ。少しだけ待ってね。すぐに治療院へ連れて行くから」

 

 ベルは殺人蟻の大群に向き直った。視界の端で悪漢の手下達が今まさに食い殺されている。背後には重傷のリリルカが横たわっている。

 しかし、少年の心に恐怖も怯懦も、不安も焦燥もない。

 

 黒短剣を構え、ベルは戦いの火蓋を切る。

「ファイアボルトッ!!」

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