虚無を歩く者がオラリオに現れたようです 作:リバークラスト
『アウトサイダー』
新しき言葉でそう呼ばれる虚無の住人。
善でも悪でもなく正でも邪でもなく、聖でも魔でもない。世界の外、次元の外、時空の外、理の外に潜む現にして幻。
超越存在でありながら神ならざる存在は、一見どこにでも居そうな普通の青年に見える。
漆黒に塗り潰された双眸以外は。
そんな凡庸な姿をした“外”の存在は、天も地もなく空も海もなく光も闇もなく温もりも冷たさもない虚無の中に佇み、唖然としているエミールを見据えていた。
「久しぶりだな、エミール」
その言葉には情動も感情もこもっていない。虫の鳴き声の方がよほど人間味を感じられるだろう。
虚無の光景と異質な超越存在を前に終わりなき怖気を抱きながら、エミールは苦り切った顔で呻くように応じる。
「何しに現れた」
「そう身構えるな、友よ」
アウトサイダーは両手を腰の後ろで組む。
瞬間、何もなかった虚空に小さな浮島がいくつも生じる。いや、それは浮島の体裁をした『断片』と『場面』だ。
島嶼帝国帝都ダンウォール。その情景たる街並みの断片。“
不意に、頭上を大きな鯨が悠然と回遊していく。
大きな頭。鋭い牙。胸鰭の前に垂れる2対のひげ。諸島帝国周辺海域に現れる
エミールが視線を鯨から戻すと、眼前に『場面』が浮いていた。
三年前の雨の日、島嶼帝国帝都ダンウォール。
自然哲学アカデミーが異邦の恩恵持ち共に襲撃され、特級管理区画から『魔女の心臓』が奪われた。それに、少なくない研究者と衛兵が犠牲となった。
小さな浮島にジオラマみたく再現された『場面』。
心的外傷にして復讐心の原点を突き付けられ、エミールは優男然とした顔を憤怒と憎悪に歪める。
「……どういうつもりだ」
「三年前。愛する女と名誉を失ったお前に、私は力を与えた。試練多き運命を歩むお前が、虚無の力を得ることでどのような選択を重ねていくか、興味があったからだ」
アウトサイダーは無機質に言葉を紡ぐ。
周囲に浮かぶ『断片』と『場面』が変化していく。
それはエミールが歩んできた3年間の縮図だ。
帝都内で賊を手引きしたギャングを狩り、ギャングの飼い主である腐敗貴族を切り刻んだ。
貴族から搾り取った情報を基にサーコノス島へ。
温暖で風光明媚なカルナカの影に潜んでいた異邦の流れ者を捜索。迷宮都市の抗争に敗れ、逃げてきた闇派閥の神ピクラスとその眷属共を発見し、鏖殺。
それは最初の神殺し。
虚無の、理の外の力を持つエミールには神威が通じないことが分かった。虚無の力を用いれば、神の力を封じられることも分かった。
何より、人が神を殺せることが分かった。
ピクラスを殺害して天界へ強制送還した後、エミールはアスラーグと共に大陸へ渡った。襲撃者達や魔女の心臓の情報を辿り、彼奴等の微かな痕跡や足跡を追い、大陸を彷徨していく。
荒事師の偽装を被り、請負仕事で口を糊し、横道に逸れたり、雑務に時間を奪われながら少しずつ、少しずつ情報を集め、証拠を集め、獲物を見つけ、狩り、新たな情報を搾り取った。
三年に渡って。
「お前はこの三年間、復讐の旅を続けた。いや、先々で屍山血河を築く
アウトサイダーの台詞は強烈な皮肉にも聞こえるが、声にも言葉にも一切の感情がこもっていない。
「途中、選択肢はいくらでもあった。復讐の旅を辞め、違う人生を歩む機会はいくらでもあった。
お前が守った行商人は今や成功して一廉の商会主だ。彼女はお前に大きな好意を抱いていた。彼女と共に歩む未来もあっただろう。
共にモンスター討伐へ赴いた騎士の誘いに応えていれば、新たな主君を得て、新たな生き甲斐を見出していたかもしれない。
他にも様々な可能性と様々な結末に至る選択肢があった」
長広舌を一旦切り、アウトサイダーは黒曜石のような眼をエミールへ向け、
「しかし、お前はその全ての選択肢、可能性を拒絶した。首尾一貫。初志貫徹。それは尊ぶべき信念と決意かもしれないが」
無情動に言い放つ。
「些か退屈な物語だ」
「俺はお前を楽しませる玩具じゃない。俺の復讐はお前の暇潰しじゃない」
エミールが不快感を隠さずに言い返すも、アウトサイダーは聞きもしない。
「然して、お前は流血の旅の果てに神々の箱庭に辿り着いた。意外性に欠け、中弛みの酷い物語ではあったが……いよいよお前の物語は佳境を迎えたぞ、エミール」
「―――何を知っている」
エミールはアウトサイダーを睨みつける。殺意すら滲ませて。
「答えろ、黒目野郎。お前は何を知っている。お前は何を知っていて、何を隠してる」
「私はお前の物語に干渉する気はない。だが、友として忠告を贈ろう」
アウトサイダーは胸元で腕を組み、虚空に生じたバベルの断片へ顔を向けて、
「この神々の箱庭は特別だ、エミール。この世界の中心で、この世界を根本から変えかねない“特別な物語”の舞台だ。仮にその特別な物語に関われば、お前達のささやかな物語など飲み込まれてしまうかもしれない。よくよく考えて立ち回ることだ。注意深く、慎重にな」
次いで、漆黒の双眸をエミールに定めた。
「お前の物語がどのような結末に至るか、見ているぞエミール」
言い終えるや否や、アウトサイダーの身体が虚無に溶け、エミールの意識が消失した。
★
「アウトサイダーと遭遇した、と」
翌朝、未だ片付けと整頓の終わらない新居のダイニング。
テーブルに着いたアスラーグは、薄褐色肌の優艶な体を寝着の前開きワンピースで包んでいる。卓上に置かれたポットを傾けてカップに紅茶を注ぐ。湯気が煙る熱い紅茶で眠気を覚ましつつ、キッチンで二人前の朝食を作るエミールに問う。
「奴はなんて?」
「俺達の物語は佳境に入ったとさ。それと、このオラリオは特別だとも」
フライパンから皿に目玉焼きと厚切りベーコンを移しながら、エミールは応じる。次いで、大きなバゲットを二つに断ち、それぞれを横開きに切ってバターと粒マスタードを塗り塗り。続いて目玉焼きと厚切りベーコン、チーズと
調理作業を進めながら、エミールは昨晩のアウトサイダーとのやりとりをアスラーグに語る。
「この街は“特別な物語”の舞台で、俺達の物語……魔女の心臓の奪還と復讐はささやかなものに過ぎず、下手をすると特別な物語に飲み込まれてしまうかもしれない、らしい」
「特別な物語……それが何を意味するのか分からないことには、具体的に動きようが無いわね」
アスラーグは溜息と共に紅茶を口に運ぶ。エミールが用意した紅茶は茶葉の蒸らし具合が良くて美味しく、頬が緩む。
100余年を生きるアスラーグだが、その氏育ちからほとんど料理が出来ない。というか家事能力全般的に乏しく、そもそも『家事=お金を出して使用人にやらせるもの』という意識が強い。
一方、エミールはその氏育ちから“生きるため”に、出来ることは何でも出来るよう努めてきた。首狩りから家事全般まで一通りこなせる。なお、別に料理や家事が好きではない。相棒がダメダメだから仕方なく振る舞っているだけだ。能うなら家政婦を雇いたいくらいである。
テキトーなホットサンドとベイクドポテトの朝食が完成し、エミールは皿に分けてテーブルへ並べた。
「美味しい」とホットサンドを頬張り、秀麗な顔を和ませるアスラーグ。
エミールはやれやれと言いたげに微苦笑し、
「昨晩は話忘れていたが、女神ロキの言葉を聞く限り、この街には諸島帝国の商人が出入りしてる」
「ええ。知ってるわ。『ヴィラ・ダンウォール』ね。私も幾度か注文した覚えがある」
アスラーグが首肯を返した。
※ ※ ※
オラリオ市街の南西第6区。
迷宮都市内外の様々な商人が往来し、様々な商館や取引所、市場が並ぶオラリオの商業区画だ。オラリオの主産業たるダンジョン資源や加工品等々、都市外や諸外国の産物が取引される。
オラリオ経済の心臓部。その一角に諸島帝国政府が借り上げ、帝国商人達にフロアや部屋をリースしている数階建ての建物があった。
地階部分はアンテナショップのように帝国産物の見本が陳列されており、上階は主に帝国の商会や商人達が出先事務所や拠点に利用している。最上階は帝国政府関係者達が詰め、国家や政府規模のビジネスを請け負う。あるいは在オラリオ帝国人がトラブルに巻き込まれたり、起こしたりした場合、方々へ頭を下げたり脅したりに出向く。
諸島帝国政府がケツ持ちのためか、この建物は帝国首都の名前を用い『ヴィラ・ダンウォール』と呼ばれていた。
その諸島帝国はオラリオからダンジョン産の高品質で高密度な魔石や、ダンジョン産の多種多様な素材、それらを元に恩恵持ちの職人がこさえた様々な文物を輸入している。
対して、諸島帝国がオラリオへ輸出するものは三つ。
一つはオラリオで入手困難な外海の産物――高級木材や原生素材、海洋性商材。
次に帝国の学者や技術者が手掛ける文物。
最後に帝国製の機械類や金属資材だ。
諸島帝国は国立自然哲学アカデミーを筆頭に錬金術的冶金技術や化学技術に長け、魔術的機械工学の製造技術に長じていた。それこそ神々の恩恵を受ける職人達や研究者が数多くいるオラリオよりも。
そのことに疑問を抱く神々や人間も少なくないが、当然ながら諸島帝国がその機密を明かすことはなく、オラリオを訪れる帝国人は機密に触れられる立場にない者ばかり。神の時代の常識として、諸島帝国に根を張った女神ネヘレニアの眷属に、優秀な奴が居るんだろう。という推測で皆が納得している。
ちなみにオラリオ暗黒期、街を跳梁した“髑髏の異能者”が諸島帝国製の折り畳み式小剣と機械化クロスボウを使用していたため、
『髑髏の異能者は諸島帝国が送り込んだ殺し屋ではないか?』
などという疑惑を向けられてその釈明と弁明に苦労した。
さて、説明はこの辺りで切り上げ、本筋に戻ろう。
※ ※ ※
「遅かれ早かれ、私達のことは『ヴィラ・ダンウォール』に伝わるし、本国にも届く。こちらから出向いた方が良いかもしれない」
「だが、俺達は“公式には”国外追放された身だ。面倒事にならないか?」
「その辺りも含めて、よ」
アスラーグはフォークをベイクドポテトへぶすりと刺し、
「いくら追放されたとはいえ、長く帝国に貢献してきた私を無下にはしないでしょ」
どこか得意顔で言った。
★
この日、『ヴィラ・ダンウォール』へオラリオ有数の探索系ファミリア『ロキ・ファミリア』の団長が訪問していた。
ロキ・ファミリア団長フィン・ディムナは一見、金髪の美少年にしか見えない。が、
豪奢な賓客用応接室に通され、革張りのソファに腰かけたフィンは、猫人女性社員が提供した珈琲と茶請けを口にしながら担当者を待つ。フィンの隣には護衛として帯同した褐色肌のヒューマン女性――アマゾネスの美少女ティオネ・ヒュリテが座っている。
「待たせやがりますね」とティオネが不満げに言った。
激しく恋慕するフィンと二人きりで過ごせることは嬉しい。しかし、深く敬慕するフィンを待たせる諸島帝国人共に苛立ちを覚えていた。
「アポなしの訪問だ。門前払いされず応接室に通されただけマシだよ」
フィンがティアネを宥めるように応じたところへ、ドアが開いた。
素人目にも高価と分かる装いをした小人族男性が入室してきた。フィンと同じく金髪の美少年然とした外見ながら、口元に髭を生やしている。
諸島帝国の小人族系資本ドンブルグ商会の大幹部オラニエだ。
オラニエと共に入室した護衛の犬人女性とティオネの間で、一瞬ながら殺気に近いやり取りが交わされた。
高レベルの一級冒険者であるティオネが放つ殺気に、犬人女性は全く動じない。オラリオ外では高レベル恩恵持ちは極めて少ない。この犬人女性もおそらくはレベル2程度。ティオネには逆立ちしても勝てないだろう。
それでも『こいつ手強い』とティオネは判断する。二合で殺せる。が、最初の一合でこちらも手酷い傷を負うという確信があった。冒険者としては大きく格下。しかし、対人戦の殺し合いでは……こいつは一流だ。
女性社員が入室し、オラニエの手元へ珈琲と茶請けを置く。フィンとティオネにお代わりを尋ねる。も、フィンは丁寧に謝辞し、犬人女性とメンチを切り合っているティオネはただ首を横に振った。
女性社員が退室し、オラニエがフィンへ微笑みかけた。親愛のこもった笑みを。
「待たせて済まなかった。外せない会議でね。重ね重ね申し訳なかった」
「こちらこそ忙しいところ、急な訪問で失礼したにも関わらず会ってもらえて感謝してる」
フィンも柔らかな面持ちで応じた。
「ところで、その髭はなんだい? 外せない会議というのは仮装パーティだったのかな?」
「手厳しいな」
友人同士特有の辛口な物言いに、オラニエはくつくつと笑って髭を“剥がした”。
「君も知ってるだろう? 小人族(俺達)は他種族に舐められ易いからな。こういう小道具が要るんだよ」
オラニエは口元をにやりと曲げる。
「本日の急な訪問はいよいよ帝国へ移住する決心が着いたのかな? “勇者”が帝国臣民になるなら、陛下も帝国も同胞達も諸手を挙げて歓迎するぞ」
「今のところ、そのつもりは無いよ」とあっさり否定するフィン。
「それは残念だ。君も知っての通り、俺は君に紹介すべき帝国小人族貴顕の令嬢や婦人のリストを作ってあるのに」
オラニエが冗談めかして言うと、フィンを強く深く激しく恋慕するティオネが「あ?」と条件反射的に殺気立ち、オラニエの護衛である犬人女性も釣られて殺気立つ。
「こら、ティオネ」とフィンが殺気立ったティオネを叱り「彼の冗談だよ」
「……失礼しました」とティオネがオラニエに詫びた。仏頂面で。
「いやいや。こちらも失礼した。ただ、自慢の旧友がいつまでも独り身でいることを憂いてるのは事実だがね。まあ、“勇者”の仲人を務めたとなれば、俺の評判も上がるという打算もあるけれど」
「君は下働きをしていた頃から抜け目がない。いや、より図々しくなったかな?」
「君だって生意気な駆け出し冒険者の頃に比べたら変わったぞ。今はまさに大ファミリアの団長らしい貫禄がある。当時の君に今の姿を見せてやりたいくらいだ」
「思い出すのも恥ずかしい。勘弁してくれ」
ははは。
旧知の2人はひとしきり雑談を楽しんだ後、
「そろそろ本題に入ろう。今日の用向きは君の親指が疼くような話か?」
「そういう物騒な話じゃないさ。近々深層へ遠征を予定していてね。そちらに商談を持ち込みに来たんだ」
フィンは白磁のカップを手にしながら、
「君の商会で何か欲しい素材があれば、能う範囲で受注したい」
提案を口にして珈琲を一口飲んだ。
「資金繰りが厳しいのか?」とオラニエが旧友へ財布を覗くように問う。
「深層遠征の苦労に見合った利益を上げたいだけだよ。大手ファミリアは何かと物入りだからね」とフィンはすまし顔でさらりと応じた。
「そうか。こちらとしては下層から深層の素材は何でも買い取るが……デフォルメス・スパイダーの糸ならいくらでも欲しい。グロス単位で10、20でもね」
「それはまた」フィンは予期せぬ大口の要請に目を瞬かせ「何か理由が?」
「デフォルメス・スパイダーの糸は産業用に需要が多いんだ」
「流石にグロス単位は無理だな。深層で長期滞在が前提になる。今回の遠征でそこまで無理は出来ない」
「そうか……となると、」
オラニエは顎先を撫でながら、思案した。
「水晶巨亀や浮遊水晶のドロップだな。これも錬金産業で需要がある。水晶自体は鉱山からも入手できるが、モンスター由来の水晶は成分と純度が違うらしい」
「ふむ」と小さく唸ってフィンは考える。
水晶巨亀や浮遊水晶が出現する階層は25層から30層。難地形の下層だが、モンスターの脅威度はロキ・ファミリアの一軍ならばさほど問題にならない。二軍の上位組を鍛える意味でも請け負っていいか……
「分かった。その話を請け負うよ」
「今挙げた素材はいつでも大量買取するから、機会があれば頼む。遠征だけでなく団員の訓練ついで、でも良いぞ」
「まったく、君は抜け目がない」
ははは。
簡単な契約書が作られた後、オラニエがフィン達へ『手土産』を用意させた。
「手荷物になるが、土産だ。ロキ様にお届けしてくれ」
諸島帝国ティビア産赤ワインとモーリー産ブランデーを一本ずつ。どちらも高級品だ。
「気を使ってもらって悪いね」とフィンは断ることなく受け取る。これは『ビジネス』だから。
「そうだ」フィンはふと思い出したように「先頃、ロキが君の同郷人と呑み交わしたと言っていたな」
「まさか競合相手の接待かい?」とオラニエが目を細める。
「いや、珍しい
フィンはオラニエの顔が強張ったことに気付き、訝しげに問う。
「諸島帝国出身の黒妖精の美女……名前はアスラーグじゃないか?」
「たしか、そんな名前だったな」フィンが肯定し「連れは」
「ヒューマン青年のエミール・グリストルだろう」
先回りしてオラニエが言った。どこか険しい顔つきで。
「……素性を知っているのか? ロキはさほど深く問わなかったようだが、ウチの客分にしようとしたようだが」
怪訝顔のフィンに問われ、オラニエは唸り、
「……2人にはあまり関わらない方が良い」
言った。
「アスラーグ・クラーカ。エミール・グリストル。2人は帝国を追放された“罪人”だ」
Tips
女神ネヘレニア。
オリキャラ。元ネタはガリアン・ケルトの女神ネヘレニア。
航海を司る女神で北海やバルト海辺りまで信仰されていた、らしい。
ローマのガリア征服とキリスト教の土着宗教破壊により、詳細は不明だとか。
ドンブルグ商会のオラニエ氏。
オリキャラ。元ネタは無し。
名前は旧ガリア圏の地名や氏族名から。