美しい絵画の中に入ってみたいと思ったことはないだろうか。
朝焼けのようで、それでいて黄昏のような空の下。海岸沿いにぽつんとある小さな村々。そしてそこに住まう人間と妖精たち。
ああ、風景を切り取った描写はさぞ綺麗で幻想的な美しさに満ちているように見えるだろう。自分もそこで暮らしてみたい、と思うのも無理はない。
──────その世界がどこまでも残酷なものとは知らないで。
男がそんな海村の浜辺に打ち上げられていたのは、十も超えないような子供の頃であった。理由はわからないが、自分がどこから来たのか、何者なのか、まるで思い出せなくなっていた。
辛くも飢え死ぬ前に村の妖精たちに保護されたはいいものの、何やら「杖がない」だの「ただの人間みたいだ」だの喧しい。右も左もわからないために黙秘を続けていたら、結果的には男はこの村、ティンタジェルの世話になることとなった。
──────もう何でもいいからこいつを“予言の子”にしてしまおう。
村長と思われる妖精から言われた言葉の意味を知ったのは、その一ヶ月ほど後のことだ。
女王モルガンが二千年治める妖精國。
存在することすら“税”として徴収される圧制。
それを救うべく現れる、予言の子。
主人となった妖精に聞かされたエインセルとやら鏡の氏族の予言。
つまりは、偶々その時期に流れ着いたから“予言の子”として扱っておこう、という理由で拾われたらしい。
阿呆らしい。
少年だった男は嫌悪も隠さず切り捨てた。
“予言の子”として祀り上げられた数ヶ月間。なまじ、打算とやっかみを受ける格好の的だ。この世界の人間と妖精たちの関係を嫌というほど理解することになる。
人間は弱いからー、など言っているくせに犬小屋同然の家屋に軟禁され、教育という名のモルガン陛下への悪意の刷り込みをされる毎日。
外を歩けば、嫉妬したどこかの妖精が石を投げてくる。
話しかけても“居ない者”として無視され続ける。
おかげでお使いすらまともに出来ず、主人からは折檻される。
むしろ何ヶ月も耐えたほうだと、彼は己を褒めてやりたいくらいだった。
主人であった妖精が税の徴収が厳しいからと言って、「予言の子の体とか売れないかな。腕一本くらいなら良いよね」とか言い始めた時のこと。
いよいよ、我慢の限界が来た。
彼には、妖精との力量差を覆すような力はなかったが、何より口が達者だった。
半ばヤケに主人をひたすら扱き下ろしてみれば効果覿面。
やめろ、モースになってしまう、などとわけのわからない癇癪を起こし、結果的には近所を巻き込むボヤ騒ぎに発展した。
隙を見て抜け出したはいいものの村の外には出られない。
魔獣やモースが蔓延る村の外に出るなんて自殺行為も同然だった。
少年が逃げた先は岬の上。
後先考えずに飛び出したためか、自ら袋小路に迷い込んでしまった。
程なく、自分が居なくなったことに気づいて探しにくるだろう。
捕まったら、今度こそ手足を切り落とされてもおかしくはない。
少年は前に進むしかなかった。
やがて、岬の頂上へたどり着く。
ぽつんと建つ一軒家に逃げ込むことも考えたが、ふと魔が差した。
そういえばここは漂流岬という名前らしい。
自分が流れ着いたのも、ここの近くだとかそうでないとか。
……であれば、ここから自分が元いた場所に帰れるのではないか?
そもそも、今の状況すら悪い夢のようだ。
人間なのに妖精として仕立て上げるくせに、扱いは
外に出れば懐疑と嫉妬の的。
育てる役目を担ったはずの主人は既に気を違えた。
何が妖精國だ。何が救世主だ。
身勝手に、純粋に残酷なことを平然とやれるくせに、都合のいい救いを求める。
このような存在に、救いなんてあってたまるものか。
そう、全て夏の夜の夢。
聞いたことのないはずの言葉が浮かんだが、そうであって欲しいと思った。
夢ならばさっさと覚めてしまおう。
そっちが都合のいい考えをするなら、こちらもそうさせてもらう。
躊躇いはあったが、助走をつけながら海へと突き進む。
ほぼ逃避に近い感覚で、岬の縁から一歩踏み出そうとした時──────
「こるああああああああああああ!!!!」
「ぐおあああああああああああああ!!!」
髭ダルマにアイアンクローをキメられてしまった。
◆◆◆
「ケイ……本当に模型の才能だけは落第以下だな」
「うるせぇテメェらみたいな魔力でちょちょいとやる規格外と比べるなクソ髭。俺の芸術センスじゃなくて目玉が使いモンにならなくなってるだけだろうよ。そら、この宝石と取り替えるなら手伝ってやるよ」
呆れる髭の老人に、金髪の青年は青筋を浮かべながら彫刻刀を作業台に突き刺す。
この後、親に対する口の聞き方と作業台を傷つけた罪で、窓から突き飛ばされる数秒前のことだった。
あれから十数年。
少年を追ってきた妖精たちは、この偏屈な土の氏族によって追い払われた。心底嫌そうな顔をしながらハンマーを振り回す姿は今でも鮮明に思い出せる。村の嫌われ者で、それでいて誰よりも腕っ節が強かった鍛冶師エクターには、村の妖精たちも迂闊に手を出せなかった。
顔の半分以上が白い髭で覆われ、隙間から見える眼光は鋭く、強い。
結果的に彼の命を救った形となったエクターは、成り行きで少年を引き取ることになる。気難しい性格ではあるが、何かを察したのか、元の家に返すことなく自分の家に居座ることを許してくれた。
ケイ、という名も彼が名付けた名前だ。
元より彼には名前がなかった。“予言の子”だのハリボテだの、何だかんだ言われて育てられために初めは戸惑ったものの、今ではそれが“普通”だったのだと理解した。
厳格で、体罰も平気でやってくる上に。何に備えてかわからない戦闘訓練もさせられるが、おそらく普通だ。
特に後者は殴られた衝撃で地面に埋められたり、真冬の海に投げ捨てられたりする。
……ひょっとして奴隷扱いの方が楽なのではないか? 鬣のような髭を蓄えているし、もしや妖精ではなくライオンに拾われたのかもしれない。
ときたまそんな事を考えることもあるが、とにかくエクターは“親”として、そして“弟子”として人間のケイを育ててくれていた。
「この性根だけはどうしても直せないものなのか。だから、村の使いから『耳が腐る』だの『口のついた厄災』だの言われるのがわからんのか」
「あんな奴らに好かれるくらいなら虫どもと戯れていた方が億倍マシだ。それに、おかげで輪にかけて村の奴らが近づかなくなったんだ。今では村長の使いっぱしりしか来ない。親父にとっても悪くない状況じゃないのか?」
「まあ、そうなんだが」
「んなことより、そろそろ妖精騎士サマの鎧を仕立てる時間だろう。他の雑務は俺がやるからさっさと行きやがれ」
「……そうか、なら任せる。で、そのモースの模型はどうする?」
「モースじゃねぇライオンだ謝れコノヤロウ。まだ作成途中だから置いておくぞ」
いつも通り飛び交う言葉と、時々ハンマー。
常在戦場、という言葉があるらしいが、それでも日常的な会話の中に危険物を仕込むのはやめてほしい。
その応酬に慣れてしまい、一周回って居心地を良く感じていることに自嘲しながら後、ケイは作業台へと座る。
雑務と言えど、やることは多い。
グロスターのお得意様から依頼された衣装や装飾具、ソールズベリーの街酒場からは生活雑貨、一通りを作成する技術を持っているケイでも、いかんせん速さに関しては逆立ちしてもエクターには及ばない。
だからこそ、妖精にはできない創意工夫と想像力で補う。品質を確保した上での工程の簡略化から効率的な資源の運用。妖精には“必要のないこと”をとことんまで突き詰めた上で、やっと納期までこじつけられる。
本音を言えば夜通し作業に徹したい。夜は寝ろとエクターにハンマーで気絶させられてからはできなくなってしまった故の苦肉の策である。
「そういえば、確かにあいつら急に来なくなったな」
いつもなら考える余裕すらないが、先程の養父との会話で、自分の放った言葉が妙に引っかかる。
ケイがここに住んでから一年程度は村の妖精たちが連れ戻そうと何度か訪れることがあったが、それもパッタリと無くなって久しい。
「うおーーーー! うおおおーーーーーーーー!」
何やら、“真の予言の子”が現れたとか聞いた。
その赤子は、幾多の財宝と予言にある“選定の杖”を携えてこの村に流れ着いたらしい。
より予言に近い形で現れたため、今度はそちらを祀り上げることとしたようだ。
「うおおおおおおおおお! すっっっっごーーーーーーーーい!!!!」
散々期待を押し付けてきたくせに、今ではパチモン呼ばわりしてくる村の妖精たちの顔の厚さには一周回って尊敬すら覚えるケイであったが、自分に危害が及ばなければなんてこともない。
隙あらばハンマーが飛んできたり、護身のためと言いながらサンドバッグ同然の戦闘訓練に付き合わされるが、一応は恵まれた環境で天命を迎えることができそうで何よりだ。
顔も知らない後輩よ、ご愁傷さま。
心中で思っておく程度にしか関心がないケイだった。
「ぷっ、何これダッサー!」
この日までは。
「あ゛あ゛ぁ!?!?」
「あっ」
随分と失礼な騒音を耳にしたためにケイの首がねじ曲がる。見れば、薄汚い雑な格好をした金髪の妖精がいた。
人間なら十を超えたあたりの背格好だろうか。この田舎らしい芋臭さは抜けないが、順当に成長すればとびきりの美人になるだろう。そう思う程度には、悪くないカタチだった。
しかし、ケイから見ればそれを差し引いても“渾身の作品を貶すコソドロクソ妖精”である。
──────当然、慈悲はない。
「上等だクソガキ。勝手に人様の工房に入った上で大事な商品にケチつけるとはいい度胸してんじゃねぇか。ケツひっぱたいて竈にブチ込んでやる」
「ご、ごご、ごめんなさーーーーい!!!」
首根っこを掴むとジタバタと暴れる妖精。
三倍以上の背を持つケイには、成すすべもなく自由を奪われる。
いつもならエクターが怒鳴り声を上げて追い返すのが常だが、この時だけは激昂したウッドワスの如きケイの形相を見て、冷静になってしまったエクターであった。
これが後にケイの妹弟子となり、真の予言の子でもある楽園の妖精“アルトリア・キャスター”との出会い。
何もかも無くしてしまった後になって思う。
思えば、これが彼にとって春の始まりだったのかもしれない。
◆◆◆
「“予言の子”なんじゃないか!?」
街から街までの平原で、そんな大声が響く。
その時、偶々そこを通りかかった男がいました。
見れば緑色の妖精三翅がわちゃわちゃと一人の少女を取り囲んでいます。
近くに荷台があるため、おそらくは行商人でしょう。
でも、見るからに怪しい!
風貌からして普通の商いを営む妖精じゃない!
「おい、そこの行商たち!」
「ひっ!?」
声を掛ければ三翅ともども吃驚して振り返ります。
やましい事をしているに違いない! きっと奴隷商だ!
一方、片目が隠れた少女の方は、何が起きたかわからないように首を傾げています。そのか細い腕に似合わないような、身体と同じくらいの大きい盾が、子供のおもちゃのように見えます。
でも、男にはそんなことはどうでもよかったのです。
彼が声をかけたのは、聞き逃すことができない言葉を聞いたから。
「な、なんでしょう? オレたちはただのしがない行商。ブラックドッグに襲われていたのを助けてもらっただけで……」
「それは見ていた。そこの女が犬どもをブチのめす瞬間まではっきり見ていた。それより、今、予言の子って聞こえたが?」
「ああ、そうだ! アニスは予言の子なんだ!」
お調子者っぽい、気楽そうな妖精の一翅が自慢するように答えます。
少女の名はアニス、という名らしいです。
何やら、“名無しの森”近くで生き倒れていたところを哀れに思った行商のロブ、ワグ、ウィンキーの仲良したちが拾って、街を目指す途中で運悪くブラックドッグに襲われてしまったところを、アニスに助けてもらったようです。
そんな事情を聞くと、男の眉間にどんどん皺が寄っていきます。
「あ、あれ? オレ、何かマズイこと言った?」
「当たり前だワグ! なんてこと言うんだ! こいつ、
「本当だ! 禁止されているのに、いけないやつだ! それに何かすごそうな鎧も着ているし……」
「……反乱軍、円卓軍ってやつか? しかもあの馬、相当な上物だぞ。その中でもかなり偉い奴なのかもな」
「ゲェ────────!!!」
ひそひそ、ひそひそ。
三翅はコソコソ話し合います。特に、ロブ、ワグの冷や汗が止まりません。本当にアニスが“予言の子”だったら、それを売ろうとしていたロブたちはタダでは済まないから! きっと捕まって、酷い目に遭うに違いない!
「どうする? オレたちでやっちまうか? アイツ、見た感じ何か人間っぽいし」
「そ、そうだな! ブラックドッグより全然マシだよな! よーし、そうと決まれば……」
ロブたちは再び騎士がいる方を振り向きます。
すると、なんということか、まだブラックドッグが一頭近くにいたじゃないか!
しめしめ。これにはアニスも男も気づいていません。
群れを失った狼でも、このまま引き下がるわけにもいかない。
油断しきった男の背後から襲いかかった──────のはいいけど。
知っているかな?
馬の後ろ足って、蹴られると人間でも五メートルは軽く超えるらしいよ。
背後に回るときはちゃんと注意しようね!
馬に蹴られてはなんとやら……なんて雰囲気じゃなくても、無粋な邪魔者は男が乗っていた白馬の後ろ足に蹴られちゃった。
「おっ、どうしたお前──────って、んだよ、まだ生き残りがいたじゃねぇか。詰めが甘い」
「は、はい!すみません……あれ、敵は? どこに行きました?」
「今、こいつが蹴り飛ばした。方角的に多分大穴あたりに落ちるか?」
アニスたちがいるところは、ブリテンの西側。
そこから罪都キャメロットのある大穴まで歩けば二日程度はかかる。
いくら馬の脚力が強いと言っても、狼一匹飛ばす距離にしては異常だよね。
でも、この白馬の顔を見てみなよ。
どこかの妖精馬みたいに話せるわけじゃないけど、多分こんなこと言っているよ。
『俺、また何かやっちゃいました?』
これにはロブとワグはその毛並みのように白目を剥いてしまいました。
妖精とはいえ、ただの行商の三翅では全く勝ち目がありません。頼りのアニスもすっかり白馬に心を奪われています。
「いつにも増してムカつく顔してるなお前。借りている身だから文句は言えないが」
「そうなんですか……あれ、この馬、どこかで見たことがあるような──────」
「あ、あーーー!! オレたちそろそろ行かないとなーーーー! アニス、荷台に乗れーーーー!!!」
おっかない騎士……というより馬の相手をしている暇はありません。
アニスが何かを思い出してしまうと都合が悪いし、さっさと行ってしまいましょう。ロブは無理やりアニスを荷台に押し込んでしまいます。
「まあ待て。お前たち、これからどこに向かうつもりだ?」
「さ、さあ? グロスターかな? ソールズベリーかな? ニュー・ダーリントンかもな?」
「アニキ、オレはニュー・ダーリントンには絶対に行きたくないよ! さっき、グロスターに行くって言ったばかりじゃん!」
「違いますよ、ワグさん。さっきシェフィールドに行くと言ったばかりじゃないですか」
「─────────!」
残念無念! 連れたちの純粋さまでは誤魔化せませんでした!
ロブは息を呑んだ後、弟分の服の襟を掴んで激しく揺らします。ウィンキーはただただ溜め息をついて呆れるばかり。
「ちょうど良かった。俺もこれからそっちに向かう用事があるんだ。これでも騎士の端くれ、一度怖い悪性妖精に襲われた可哀想な妖精たちを見過ごす訳にいかないなぁ。せっかくだから街まで護衛してやろう」
「へ、へぇ、大変ありがたいことですが、騎士サマも何か他に用事があったんじゃないですかい? 見れば、オレたちとは反対方向から来たようですが?」
「ああ心配するな、そっちは
「で、でも──────」
「うるせぇ四の五の言わずさっさと荷台引けクソ妖精共。俺はともかく、この馬がついうっかり踏みつぶしちまうかもしれないぞ?」
「は、はい〜〜〜!!!!」
せっせと、三翅たちはアニスを乗せて荷台を引きます。
後ろから追いかけてくる馬はどこか辟易とした様子でしが、それに気づいたのはアニスだけでした。
「あ、そういえば、貴方のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「名乗るほどでもない。余程気に入らないヤツじゃない限りは好きに呼んでくれて構わん」
「わかりました。では、黒い鎧を着ているので“黒騎士”さんとお呼びしますね!」
「……過ぎた名前だな。まあいい」
「ぷっ、なんかちょっと痛──────」
「は?」
「ひっ」
ロブ、ワグ、ウィンキー、記憶喪失の予言の子アニス、そしておっかない黒騎士の奇妙な一行は、ブリテンの北を目指します。城塞都市シェフィールドまで、まだ数日かかるぞ!
「──────」
あ、もちろん狼もいるよ!
なんかずっと黒騎士の方ばかり睨んでいるけど!
明日またお会いしましょう。