鉄の臭いがして、不意に目が覚める。
体が寒いと感じて、冬が来たのかと思った。
凍ったように固まっていた瞼は、開けるのにも一苦労だ。
こんな辺鄙な村の冬は霜ができるくらい冷え込む。
しっかり蓄えをしておかないと色々と持っていかれる。
あの暑苦しい夏が恋しくなるのは都合のいい考え方だろうか。
さて、死ぬほど億劫だが、起きて準備をしなければ。
起き上がって、朝食を作って、あの
そんな何てのことのない日常を──────
鉄の臭いがして、不意に目が覚める。
体が寒いと感じて、冬が来たのかと思った。
凍ったように固まっていた瞼を開けても、見えたのは黒い染みだけ。
そこでようやく──────片目を潰されたことを思い出した。
「ごほっ、ごはっ」
溶けた鉄が口いっぱいに広がっている。
思わず吐き出しても、喉から何が競り上がってくる。
水が欲しい、と言おうとしたら、蛙の鳴き声のような音しか出ない。
ああそう言えば、真っ先に潰されたのは喉だったか。
彼だったものは他人事のように思い出した。
「とうとう正体を表したな、厄災め」
聞き覚えのない声が聞こえる。
村の誰かなのだろうが、思い出せない。
確か、一度使いで家に来たような覚えはあったが、はていつのことだったか。
「やっぱりおかしいと思ったのよ!
こいつが来てから村の周りのモースは増える一方だったし!」
知るかそんなもの。
ただ口が悪いだけでここまで言われるのも心外すぎる。
都合のいいように転嫁するなと吐き捨てようにしても、今の男にはそれすらも億劫だ。
「残った村の財産まで持ち逃げしようとするなんてな。そうだ、十六年前に殺しておくべきだった! なんであの時やれなかったんだ!」
「あの鍛冶師が、女王の手先が庇っていたから──────ということは、王宮もグルなのか!?」
「そんなわけないだろう! 変なこと言ったらどうなるかわからないぞ!」
「うるさい! お前はそっちの肩を持つのか!?」
誰かと誰かが口論している。
わいわい、わいわい。
怒号と非難の矛先は、鍛冶師の息子だった人間ではなく、同じ村の住民たちへと向かう。
男は単に、村の外れの家から宝を奪った後に、見られた奴らを片っ端から蹴散らしていっただけのこと。
理由などはない。ただむしゃくしゃしただけ。
今まで散々な目にあってきたのだ。最後くらいは鬱憤を晴らそうとしても何もおかしくはない。
結局、村を出る前に取り押さえられてしまったわけだが。人間と妖精という存在の差がある以上、余程の例外がない限りはこうなるのは自明の理。
実のところ、被害は大したことはない。
この村の備蓄や宝物なんて、もはや空っぽなのだから。
男と村の妖精たちはお互い、失うものもないのは同じだと言うのに、余裕の差が違いすぎる。
本来ならとっくに滅びているはずの村が生き延びてしまった最期がこれか。
淡白な感想しか男の頭には浮かばなかった。
「なら、
「………………」
短絡的すぎて、いっそ笑えてきてしまう。
あまりにも哀れに思って、男──────ケイはようやく口を開こうとする。
ヒューヒュー、と、隙間風が喉を通る。
痛くて涙が出そうになるが、黙っていても痛いのは変わらない。なら最後まで自分らしく、面白おかしくこき下ろしてやろうと言葉を出そうとする。
「おい、こいつ何か喋ろうとしてるぞ」
「舌も抜いちゃおう。誰かやってよ」
「俺はいやだ! 直接触ったら穢れちゃう!」
「なら口を塞ごう。釘でも入れちゃえ」
「硝子も入れよう。こいつが砕いたやつがそこらに散らばっているし」
さすがにそれは勘弁だと歯を食いしばる。
今度は口を開けろ、と何か棒のようなもので叩かれた。
ひとつ、ふたつ、みっつと増えていく。
奥歯が抜けた。
肩が砕けた。
片耳が聞こえなくなった。
足や腕に関節が増えたようになった。
潰れた眼球が逃げるように飛び出た。
反射的に、食いしばっていた口を開けてしまう。
竹でできた筒のようものを押し込まれる。
手のひらに乗った小さい鉄釘がどんどん流し込まれる。
とうとう、最後まで守っていた舌が死んだ。
けらけら、けらけら。
次は硝子だ。次は虫だ。次は取れた目だ。次は──────
一翅ずつ、まだかまだかと順番を待つ。
行列のできるパン屋を前にした子供のよう。
ケイの胸中を支配する感情は、痛みと不快感よりも呆れのほうが勝っていた。
こうも簡単に“予言の子”を見失う短絡さにか。
それとも、人間の形を失いかけても生きていられる自分にか。特に嫌だった養父との訓練の成果をここで感じるとは思わなかった。上手くやれば、もっと村の誰かを殴れたかもしれない。
ふと、無事だった方の目を開く。
紅い視界の隅、見慣れた人影がふたつ。
どこかで見たことのある髭と、杖を持っていたような少女が森の奥へと消えていくのを捉えた。
「は」
どうやら養父は養父で仕事をこなしたらしい。
元よりケイは、処刑隊が到着する前にエクターがアルトリアを連れ出すことは知っていた。
偶然その日にどこかの誰かが騒ぎを起こしたばかりに、村の連中は彼らにかまけていられなくなってしまったのだろう。
アルトリアたちがこちらを見ていたかどうかまでは、視界がはっきりしないせいでわからなかった。
もしかすると、今見た彼らもただの幻覚かもしれない。
どうでもいい。もう家出した身だ。彼にはもう関係のないことだ。
ただ、心配事と言えば、忘れ物はしていないか程度か。
この時のために作った
「──────、──────」
眠るように目を閉じてみれば、打撃の雨は止む。
代わりに、今度はざあざあと海のさざめきが聞こえた。
上と下がわからなくなる。
そこで彼は、死んだと思われてゴミのように海へ捨てられていることに気づいた。
元々、海から来たモノだから海へ返す。
この時だけは、男は素直に感心した。
季節外れの海水浴の前に、本音を言いたくなった。
舌も使い物にならないのに、穴だらけの口を開く。動いているのかすらわからなくなったが、最後まで言えたような気がした。
「次は、
寒い寒い、冬が来た。
こうして、“予言の子”は巡礼へと旅立つ。
ティンタジェルが火の海に包まれる結果も、偏屈な鍛冶師がその生涯を終えることも変わらない。
変化があったとすれば、旅に出た翌日のこと。
島国とはいえ、徒歩での大陸横断に早くも心が折れそうになった少女が、休憩がてら水筒を取り出そうとした時──────何が飛び立とうとして地面に落ちる。
見れば、不格好な燕が一羽。
羽も体も丸みを帯びていたせいで、飛ぶことすらままならないようなぼてっとした鳥がいた。
明らかに、旅には邪魔なもの。
しかし、それを見た少女はおかしくて、しばらくぶりの笑顔を浮かべた。
不器用で、回りくどい男の優しさに触れた少女は、選定の杖を支えに再び歩みを進める。
旅の果てに──────春の訪れがあらんことを。
◆◆◆
着いた時にはもう手遅れだった。
妖精騎士相手でも三日三晩籠城できるはずの城壁は呆気なく崩れ去る。
なにせ、三翅の妖精騎士が集ったのだ。一日持てば良い方だった。
けれど、領民を守るはずの護りを穿いたのは、他ならぬ
結局、領主は妖精國で最も嫌われた妖精騎士により再起不能の段階まで壊されてしまった。ご覧の通り、シェフィールドという領土が失われる瞬間を目の当たりにしている。
こんな火の海をどこかで見たことがあったような。
男は馬に乗りながら高台から遠くをぼうっと眺めていた。
「黒騎士さん!」
視線の少し下、シェフィールドから逃げるように歩く集団。辛くも城門から逃げ出した住民が列をなす。
声がしたのはその先頭、妖精騎士ギャラハッドを名乗るもうひとりの“予言の子”──────マシュだった。
彼女を抱えているのは、白い鬣の纏う領主ボガード。
あの威風堂々とした立ち住まいはもはや見る影もない。
かろうじて灯る命の蝋燭はまもなく消え失せようとしている。虫の息にもかかわらず、彼はマシュを抱えて走っていた。
黒騎士にはボガードの心境はわからない。
ただ、今回だけは妻となった女に裏切られずに済んだ。
少なくとも、その事実だけはわかったんだろう。
「おまえーーっ! こんな大事な時にどこほっつき歩いていたんだーー! その大層な名前は飾りかよーー!」
「ああ飾りだ悪いかコンチクショウ。戦闘で役に立たないのはお互い様だろう。不満なら今度お前のために武器でも作ってやろうか?
そうだな、ブーメランなんかがお似合いだ」
「むきーーーー!」
ハベトロットの小さな体躯が黒騎士の大きな体躯に向かってタックルを繰り返す。反撃するまでもないと思っていても、予想より重たかったのか、黒騎士の体制が鞍からずれ始める。
への字に曲げた口がみるみる引きつっていくのがわかる。やがて羽虫を追い払うかのように鞘に入ったままの剣を振り回す。
こんな状況なのに、ついマシュから微笑みが溢れた。
「………………事は……済んだの、だな」
息も絶え絶えのボガードから、そんなことを訊かれた。
誰に話しかけているんだろう、と思ったら黒騎士の方だ。
「ああ、ご注文どおり下準備はしてきた。無駄骨にならなくて何よりだがな」
「?」
マシュもハベトロットも首を傾げてしまう。
今のやり取りも気になるだろうけど、それは後回し。
優先順位の高いことから処理しておこう。
「黒騎士さん、あの、貴方の馬にボガードさ……様を乗せてあげられませんか? 見ての通り、酷い怪我を負っています。どこか安全なところで手当をしないと」
「…………」
怪訝そうな顔を隠そうともしない黒騎士。
確かに重症なのはボガードだけど、顔色の悪さで言えばマシュも同じ。そんな人間の方から、自分のことは良いからこの人を楽させてやってくれ、などと口にする。
どの口がほざきやがる、なんて思っているんだろうね。
だって、この場にいる皆だってそう思っているはずだから。
「……いい。いい加減、抱えながら歩くのも飽きてきた。おまえが乗るがいい」
「そう! マシュの方だって顔が真っ青だろ! ランスロットと戦った時の疲労、まだ回復してないじゃんか!」
「で、ですが」
「うるせぇ、これは俺が借りている馬だ。誰であろうと簡単に別のやつに乗られてたまるか。ここまで歩いてきたのならあともうひとふんばりだ。死にたくなかったらきりきり歩け──────」
と、黒騎士の言葉は途切れる。
突如として白馬が立ち上がったからだ。
雲のない夜空。欠けた月と見間違うほどの滑らかな曲線美。皮肉にも、ランプのように燃えるシェフィールドが絵になっている。
まあ、その分白馬の足元でコケている黒騎士が滑稽さが際立つんだけど。振り落とされてやんの。
「おいテメェこの駄馬。そんなに女のケツが恋しいか」
「ほらマシュ! 今のうちに乗った乗った! なんだよ、やさぐれ騎士より話がわかる馬がいるじゃん!」
「は、はい。失礼します」
マシュは押されるように馬へと跨る。
元々、女王の施策により妖精國には
そのせいで、どうしても女王歴を生きる妖精たちにとっては抵抗感が拭えない代物だ。反乱を企てたボガードも例外ではない。例外がこの騎士らしくない騎士と、どこかにいると聞く円卓軍の団長くらいだ。
それに、もう
今、こうして足を止めないのは意地を通しているだけ。
領主としてなのか、それとも夫としてなのか──────それは彼にもわからない。
けれど、少しでも楽な体勢になったらもう駄目になるということは確かだった。
つまり、これが最善の形だってコト。
渋々、黒騎士は手綱を引っ張って白馬に乗せたマシュと共に歩くことになった。
ふと、黒騎士はこの場にいない顔があることに気づいた。
「おい、あの緑の三馬鹿はどうした?」
一瞬、マシュの顔が歪む。
黒騎士の方へ向き、笑顔で返す。
「………………笑って、お礼を言って、お別れを、しました」
特殊な眼が無くても、その無理やり作った笑顔を見れば誰もが察するに違いない。
それでも、一番大切な瞬間に命を使った彼らを穢さないためにも彼女は
「そうか」
いつも口煩い男は目を丸くしただけで、それ以上は何も追求はしなかった。
逃げ延びてやってきたのは北部の洞窟
アザミが丘のねじれ穴と呼ばれる場所。
ここを知るのはシェフィールドの領民たちのみ。
おっかない妖精亡主さえ居なければ、隠れ家として最適だった。さらに、この先の迷宮はブリテン中の各街に繋がっている。入り組んでいて危険だが、避難しようと思えばどこへだって行ける。
領主として、ボガードはこの避難場所を決めていた。
蔓延る妖精亡主を斃し、妖精と人間に必要な備蓄を用意する。元より負けるつもりはなかったとしても、領民のためにやることはきっちりやっていた。
その領主も、静かに息を引き取った。
衛士に後を託し、妻には今まで口にしなかった本音を残して。
「ノリッジに向かいます」
ボガードの最期を看取ったマシュがそう言い出すのも当然だった。
たとえ“予言の子”ではなくても、ノリッジに溜まる厄災溜まりを放っておくことはできない。ましてや、領主だったモノの、最期の最期で出た望郷の想いが彼女を突き動かしている。
共に避難してきたシェフィールドの領民とはここでお別れ。あの緑色の三翅もいない。これからのマシュの旅にはハベトロットが同行することにした。
黒騎士もその流れになるだろうと思っていたんだろうね。ドングリの背くらべだけど、マシュとの付き合いはこの場にいる誰よりも長いから。白い狼は例外として。
「そうか、なら一旦お別れだ」
だから、黒騎士は間を開けずにマシュへ返答できた。
「お、なんだよ。お前はついてこないのか?」
「ああ、その前にソールズベリーまで行く。ノリッジに行くのはその後だ」
「そうですか。黒騎士さんが居てくれるなら心強かったのですが、残念です」
少し、肩を落とすマシュ。
考えてみればそれも当然だ。
そもそも彼が護衛を名乗り出たのはシェフィールドまで。あとは成り行きで一緒にいただけなのだから、タイミングとしてはむしろ遅すぎるくらい。
……マシュは気づいていないみたいだけど、黒騎士は
ここまで共に行動した時間は長くはなくても、決して短いわけではない。黒騎士の本来の目的とは違えど、アイツから見てマシュも放っておけない対象として見始めたワケ。
どうせまたすぐ会うことになる。
そう言ってあげたかったけど、なんか癪だったハベトロットは黙っていることにしたんだ。
「そら、忘れもんだ」
「はい……あれ、私の物ではないようですけど」
一緒に行けない代わりのつもりなのか、黒騎士から無造作に物を投げられた。
手に取ったのは、一枚の羊皮紙が筒状に丸まったものだった。
当然、彼女は首を傾げる。
マシュの忘れた筒は、もっと怖くておっかないものなのだから。こんな紙切れとは比べ物にならない代物だ。
「なら落としもんだ。お守り代わりに拾っておけ」
言いたいことを言い終わると、黒騎士は身を翻す。
その隙を見て、ハベトロットはマシュから羊皮紙を取ってみる。明らかに意味深に丸まっている紙なんて相場が決まっているんだ。
「これ、
ちょうどノリッジまでの道が描いてあるし!」
「本当ですか!?」
さすがに全ての道を網羅しているわけではなかった。
ただ、ここからブリテンの南側までの道程や出口の場所、道中の危険な場所など最低限描かれただけ。
けれど、これからそこに身を投じるマシュとハベトロットにとっては充分すぎるくらいの情報だった。
ふと、狼の方を見ると少し鼻を低くしていた。
道案内の役目を取られたことに不満みたいだけど、黒騎士のヤツは一瞥して鼻で笑う。
なんでアイツ、狼と張り合ってんだろうね。
「おい衛士。五日……いや、四日経ったら一度誰かを外に出して周りの様子を見に行かせろ。そのあたりでちょうど南側から北上してくる奴らがいるはずだ」
「南側から北上……ということは女王軍か!?」
「ちげぇよマヌケ。文脈読む努力をしろ。俺が敗戦兵ごときを特攻させようとするタマに見えてんのかお前ら」
「いやだって顔怖いし、口悪いし、なんな嫌な感じするし……」
「そうか、なら結構。お前らなら少しはマシだと思って指先程度の手助けくらいはしてやろうと思ったがもういい。そのまま備蓄が尽きるまでのうのうと生きた後に同士討ちでもして野垂れ死んでろクソ共」
「わ、悪かったって! でも、もう少しわかりやすく言ってくれ!」
ちっ、と舌打ちを挟んだ黒騎士は続ける。
「……今、女王への反乱を準備するためか、こそこそエディンバラに遣いを送っている奴らがいてな。
一応、
ブリテンの南側といえば、ウッドワスたちのいるオックスフォードや、マシュたちが行こうとしているノリッジがある。
前者は論外だ。ウッドワスが反乱分子になるなんて、誰かに唆されないかぎりあり得ない。故郷を追われた身ではあれど、牙の氏族である衛士は理解しているだろう。
後者もないだろう。あの喰えない奴がそんな無駄なことをするはずもなし。仮に動くとしても、それは決め手となる最後の瞬間だけなのだから。
あとはニュー・ダーリントンだけど、言わずもがなでしょ。
となると、あとは消去法になるよね。
「もしや円卓軍の人間なのか? いや、だが聞いた話では円卓軍のリーダーはもっと白い偉丈夫と聞いていたが……」
「節穴かお前? 俺のどこがドカ飯喰らいの体だけでかくなったガキンチョに見える? 個人的な知り合いが一人……いや、二人いる程度だ。あいつらの仲間になった覚えはない」
そう言い捨てて、黒騎士も洞窟を出ていこうとする。
元領民たちの目には、輝きが戻っていた。
先の希望が見えた彼らは、改めて動かなくなった領主に感謝を捧げた。少し余分なことをしているけど、ここまで来ればボガードと黒騎士が何の話を進めていたかなんて、誰でもわかるよね。
何の憂いもなくなったマシュも、感謝と別れを告げて、迷宮の奥深くへと進む。
彼女が元の鞘に納まるのもあと僅かだ。
◆◆◆
「やりたいことをやる、か」
夜が明ける。
相変わらず、空は黄昏のまま。
どんなに残酷なことが起きても、いつも通り朝日は穏やかなまま。そんな空の下に出てきた男は一人、洞窟で聞いた少女の言葉を反芻する。
初めは鏡を見ている気分だった。
“予言の子”扱いをされて祀り上げられ、成り行きで領主の妻にされる姿が見ていられなかった。だから、余計なお節介も焼いてしまった。
危なっかしいと思っていた少女は前を向いている。
己のやるべきこと、やりたいことを見据えている。
少し目を離した瞬間に、無垢だった瞳の奥に芯が通っていた。
釣られるように領民たちも諦めることをしなかった。領主と領地は失ったが、まだシェフィールドは終わっていない。
条件は根本から違っているのは頭では理解している。
ただ、
見ていたものは鏡ではなく、夢だったのかもしれない。
とにかく、またこれで男は一人となった。
本来の探しモノとは違ったが、得られたモノはあった。
「ちっ」
何回目かわからない舌打ちが放たれる。
洞窟を出る前に、あの糸紡ぎの妖精から全ての顛末を聞いた時からずっとこの調子だ。いい加減切り替えないと、ここぞと言う時に頭が働かなくなる。
深呼吸をひとつ。
幸い、根回しに奔走している間に耳寄りの情報が入ってきた。ここ数日、ソールズベリー付近で妙ちきりんな格好をした連中が目撃されたらしい。元より手がかりが少ない以上、男はそこへ向かうしかない。
もっとわかりやすい派手な服でも作ってやれば良かったと、少し後悔していた。
おあつらえ向きに、シェフィールドに進軍していた軍のひとつは南西へと足を進めている。実際、その周辺には近々円卓軍が進軍する予定の牧場があった。領地に戻らず寄り道とは、随分と余裕のあることだ。
では、こちらもやりたいことをやるとしよう。
切った張ったの荒事は得意ではないが、そうでもしないと気が済まない。
「よし、行くぞドゥン・スタリオン。
──────ついでにあの牛女を一発ぶん殴ってやるぞ」
手綱を捌き、白馬は陽が落ちるまでブリテンの反対側へ一直線に駆け抜ける。跨る男の