反応できたのは奇跡だった。振り向きながら視界の端に何かが迫ってるのが見えた。見えて、杖と銃、魔法が選択肢になる。銃はない。ありえない。杖、当てられてもダメージにならない。
結論、魔法を――反射的に
「っ――!?」
間に合わない。早い。早いなんてもんじゃない。気づけば景色が後ろに流れていて、ハオさんとスーの背中が遠のいていく。
なにより、息ができない。胸が苦しい。全身の各所を強く、強く締め付けられている。
引っ張られている方向から僕は、自分に何が起こっているのかに気づいた。
「は、なせ……!!」
腕の上から絡まった手は、骨ばっていて、青白い。女の人の手みたいだ。その脆そうな見た目にそぐわない力に引っ張られた僕は、為す術もない。
観察なんてしている場合じゃない。もう1秒と無駄にできない。
どうする? できるここ。今やれること。身動きがまともに取れない今、できること。
「シルヴァっ!」
ハオさんの声が聞こえた。と思う。口が開いていた。ごうと吹きすさぶ風がハオさんの声を掻き消してしまった。
だけど、それだけでよかった。
僕の取るべきことは、使うべき魔法は決まった。
「――クリエイト、ファイア」
とても単純な魔法を僕は、全身全霊で起動させた。自分が焼けようが燃えようがどうでもいい。川に引き摺り込まれたら負けなんだから。
今、できることで抗うしか無い。
僕の生み出した炎が僕と手を一緒に燃え上がらせる。焼ける肉の臭い。魚? 肉? どっちともとれない。だって僕も燃えている。
手は、燃え上がった。
僕も、燃え上がった。
僕と手が燃え上がった。
手が炎を消そうと海岸に、その体を擦り付けた。砂利と砂が体を強くえぐる。
痛い。痛い。痛い。だめだ。消させない。僕は、魔法を何度も何度も発動させる。
灼ける。服を伝って、腰の銃が熱を帯びる。痛い。熱い。熱い。熱い。熱い。痛い。熱い。気づいたら絶叫していた。
――叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。痛みに、叫ぶ。
でも炎を止めていないのは、偉いと思う。褒められていいんじゃないかな。
絶叫する自分を他人事みたいに見ながら僕は、いつの間にか海岸に転がっていたのに気づいた。
「……痛い」
傷と傷が重なって、そこから伝わる痛みが混ざりすぎてもう痛いとしか感じられなかった。
「兄さん! 大丈夫!? 生きてる!!?!」
「……めちゃくちゃ痛いけどまあ、なんとか生きてるよ」
息をするだけで辛い。
「ハオさんは?」
「……釣りしてる」
「釣り?」
「釣りっていうか……」
なにかしら……とスーは、呟いてから言葉を探して、ぽんと平手を打った――のと同時に、轟音が鳴り響いた。
一度じゃない。二度、三度。爆音が上から下に、落ちていく。どこからか飛んできた水飛沫が僕の顔を濡らした。
どこからかも何も、目の前に大きな水があるか……。
「違法漁ね」
鼓膜を突き破りそうなほどで、空気の怯えは、体を軋ませた。地面を伝う振動が骨に響いて、痛みに顰めっ面を浮かべてしまう。
何が起こっているのかを見て、確かめたかった。けど体が上手く動かない。上半身だけでいいのに……。もどかしい。
「兄さん、手伝うわ」
「ありがとう。スー」
スーに支えてもらって、どうにか起き上がった僕が見たのは……彼女の言った通りの光景だった。
雷が降り注ぐ。いくつもいくつも空中から太い槍のような雷が現れた後、水面を貫いて、その奥に居る魔物を捉えて離さない。
金糸作りの三編みを垂らした背中は、誰が見ても分かるほどの殺意と怒りをを漲らせている。可視化されていてもおかしくないほどだ。
勿論、ハオさんだ。僕の体に巻き付いていた手を自身の両手で鷲掴みにして、川辺に仁王立ちしている。
なるほど。手から魔法を流し込んで、動けなくした後、他の魔法で追撃してるのか。今の僕にはできないことだ。
「魚、全部食われててよかったってとこかな」
なんとなく川のことを心配してしまう。あんなの、他の生き物が生きていられるはずがない。
「私は、あの魔物をちゃんと殺せるならどうでもいいよ」
私が殺せないのが残念。なんて言うスー。順調にうちの妹は物騒になっていってるな……。
ああいや、頼りがいがある、かな? 本当に、情けない兄だよ。大きな溜息を出そうになる。
「……こんなバカみたいな無茶もうしないでね」
「痛いしね。なるべくしたくない」
実際のところ、こうやって起きているだけで辛くなるようなことはしたくない。
なにより、妹にこんな顔をさせるようなことはしたくない。できれば、やりたくない。
「そうね。なるべくしないで。次は、ちゃんと助けるから」
「助けられないようにも頑張るよ。もっと鍛えなきゃな、ほんと」
力不足を痛感する。あらゆる意味で、僕は弱い。魔法だって僕ごと燃やすことはなかった。必死だったってのは言い訳になるかな。
「そうね。私ならさっきの避けれたわ」
「……言うね」
「事実だもん」
ふふと不敵にスーが笑うのに、僕は苦笑いした。魔法で火傷や傷を冷やしたお陰か少し楽になってきた。
すると一際大きな雷が落ちた。雷鳴が遠くまで響いていく。水飛沫どころか水をかぶる勢いだった。
ハオさんは、もろに被ってた。だけど肩の力が抜けてる。これは……。
「終わったみたいね」
「そう、みたいだな」
無様に引きずり回されて、自分の魔法で怪我しただけなのに随分疲れてしまった。
「スー! 引き摺り上げるから手伝ってくれない!」
「はいはい。兄さんは寝ててね」
「そう、させてもらうよ」
背中にあてがわれてたスーの手が離れていく。僕は、体を起こしているのが億劫になって、地面に転がった。
川の方で、ハオさんとスーの声が聞こえる。多分、魔物を引き上げてるんだろう。スーが騒がしい。迷惑かけてないといいんだけど。
見るものも無く向けた空は、澄み切っていて、うろこ雲が浮かんでいる。
「ああ、秋なんだな」
ぼんやりとそう空を眺めていたら意識が遠のいて――つい寝てしまうところだった。
「シルヴァ、起きてる……?」
「起きてます。結構、ぎりぎりで」
ハオさんの声、顔で目覚めた。僕を見下ろすハオさんは、ほっとした顔をしている。ちょっとこの見られ方は、ドキッとする。
「ごめんなさい。休んでるところだったわね」
「そんなことは、無いです。大丈夫です」
ちょっと強がる。これくらいさせて欲しい。
「……本当に、シルヴァが無事でよかった」
「すみません。ご心配おかけしました」
「起き上がらなくていいわ。安静にしてなさい」
「助かります」
また起き上がろうとした僕は、ハオさんの好意でそのまま話すことにした。
「私が迂闊だったのよ。まさか既に安全地帯じゃなかったなんて思ってもなかった。猛省しなきゃね。どれだけしても足りないけれど……」
僕の隣にしゃがみこんだハオさんは、深刻そうな顔をしてる。なにより見たこと無いくらい暗い顔。大きな目が潤んでいて、決壊寸前に見えた。僕のためにそんな表情をしてくれるのが少しだけ、嬉しかった。
「しょうがない、ですよ。あんなの予想できないです。……はは、僕が何いってんだって感じですね」
不謹慎な感情を掻き消そうと頭を巡らせた結果、猿に木登りを教えるみたいなことを言ってしまった。失礼にもほどがあるぞ、僕。
「シルヴァがそう言ってくれるだけで助かる。ありがとう」
「それなら、良かったです」
泣き出しそうな微笑みをまっすぐ見ていられなかったから伏目がちに目を逸らしてしまう。
「あ、そうだ。魔物、引き上げたんだけど見てみる?」
「見ます」
めちゃくちゃ勢いよく起き上がってしまった。代償は目を剥きそうになるほどに強烈な激痛。でも好奇心は止められない。体の都合なんてまったく考えないで好奇心は、先走る。
「言うと思った」
ハオさんが困ったように笑った。やっぱりこの人は、笑っていたほうが良い。
「はい」
「っと。助かります」
差し出されたハオさんの手を握って、立ち上がる……というより引っ張り上げてもらった。ふらつく体をハオさんが支えてくれる。
「うん、立ち上がれそうになかったしね。歩ける?」
「一応、歩け――」
「歩けないねえ……。しょうがないわ。腕かしたげる」
「助かります」
その心遣いと温かさ。しっかりと支えてくれるハオさんに、少し安心した。
ハオさんに支えてもらって、川辺に歩いていく。件の魔物は、既に見えていた。
横たわったその姿は、遠目でも魚のような見た目をしているのが分かった。ただ大きい。僕2人分はある。なにより獰猛な雰囲気がある。
「兄さん、歩いて大丈夫なの?」
魔物の傍からスーがツインテールを揺らして、歩いてきた。スーの気遣いが沁みた。「ああ」と僕は首を縦に振った。
「もうだいぶマシになってきたよ。それで、これが?」
「ええ、これがこの川にいた魔物」
「…………あの、これ」
とても言い難い話なんだけど……。
「シルヴァ、分かってると思うけど村の人たちの前で今思ったこと、言わないでね」
「はい」
僕の目前、足元で息絶えている魔物は、村人、さめんちゅによく似ていた。
+++
サメの魔物。ホオジロサメとかそんなの? ただし、腹から大量に人の手が生えている。
感想その1、めちゃくちゃキモい。誰よこんなの作ったの。
感想その2、サメがなんで川にいるのよ。海はそんなに近くないはずだけど。魔物化したから?
そして、感想その3。
「この前の蛙に似てるわね」
「蛙……?」
「ええ、この間、ちょっとね」
シルヴァの疑問符に、私は曖昧に頷いた。どこであったかどういうものだったかを掻い摘んで話す。
「……魔王の影響でしょうか?」
「そうね。ありえる話ではある」
魔王種は、魔物を生む。だから魔王種が現れれば自然と魔物が増える。そして、子の魔物は、元の魔王種の特徴をある程度引き継ぐ。
だからシルヴァの疑問は、間違ってない。するとシルヴァの目が暗く輝いた。
「じゃあ、〈ストリボーグ〉が……!?」
「〈ストリボーグ〉は、大気を操る月の魔法を司る魔王種だった。後は、竜の様な鱗と巨大な体……この魔物には、そういう特徴は見当たらないわ」
「そう、なんですね……。〈ストリボーグ〉の姿を僕は、見れてなかったので……」
「……そうだったのね」
申し訳無さそうに語るシルヴァから私は、つい目を逸してしまう。自然と魔物の方を見たように見えたかしら。
見ていられなかった。だから目を逸してしまう。私の弱さがそうさせた。
――改めて、私は、自身の罪深さを思い知る。
彼らは、自分の父親が魔王種になったことを知らない。そんな彼らは、魔王種を仇として殺そうとしている。
これを伝えるべきなのか。伝えたところで、真実だと証明する手段もない。
なにより、魔王種から元のものへ戻る可能性は万に一つなかったはずよ。不可逆の現象で、成れば最後、生きとし生けるものへの殺意を剥き出しにする。それが魔王種。
だから伝える意味はない。伝えたところで、悲しくなるだけ。
知らないほうがいい真実があると私は、思う。
「…………」
黙ってシルヴァを見つめるスーの赤い瞳には、一抹の不安が浮かんでいた。
分かっていたことだけど誰よりも復讐に滾っているのは、シルヴァね。
冷静な復讐心。この子に宿った高度な知性は、感情を制御しつくして、そういうものに仕立て上げている。
まだ子どもなのに、そんな風に在れてしまう彼の溢れんばかりの才覚に、思わず震撼した。
「兎も角、ギルドに報告しなきゃね。……この死体も持って帰った方が良いわね。スー、お願いしていい?」
魔物の死骸の方を見て、渋面を浮かべたスーは、むう……と唸った。分かるよ。生臭いし、キモいもんね。
「ハオがやればいいじゃない。私が兄さんを運ぶわ」
「私、村長さんに報告したり、馬車の手配があるの」
「それも私がやるわ」
いや、無理でしょ。嫌なのは十分に分かった。だけどやってもらわないと困るわ。スーの場合、こういう時、どうすればいいかは分かってる。
「えーっとほら今度、甘いもの奢るから、ね?」
とりあえず、食べ物で釣る。かなり常套手段である。これで喜ばぬスーはおらぬかった。気持ちはわかる。
「……ギルドのパーフェクトプリンアラモードパフェ」
「はいはい。なんでもいいわよ」
「2つよ、ハオ。後、ドリンクはチョコレートフラペチーノだからね? いい? 嘘ついたら針千本だからね?」
「嘘なんてついたことなかったでしょ? ええ、いくつでもいいわ」
「分かった。じゃあ非常に遺憾だけどやる」
どこでそんな言葉覚えたんだか……。呆れた笑いを零してしまう。
私の譲歩に納得したスーは、大斧を背負って、両手を開けると顰めっ面で、魔物を持ち上げる。その所作は軽く、重さを感じさせない。
うん、力持ち。やっぱりパワーは私よりあるわね。
「これで成長期だから末恐ろしいわよねえ……」
この子もまだまだずっと強くなる。常人よりずっと。
「おばさんみたいなこと言ってるとおばさんになるよ、ハオ」
「余計なお世話よ」
むっと私が唇を尖らせるのを見て、ふふっと笑ったスーは、軽い足取りで村の方に戻っていく。
私も、シルヴァを抱えて――正確に言うとお姫様抱っこ――後に続いた。
「あ、あの、ハオさん……これはちょっと……」
恥ずかしがっているシルヴァの声が胸元から聞こえる。だからからかうような言葉が口を突いて出た。
「たまにはお姫様気分もいいじゃない」
「そういう話じゃなくて、恥ずかしいっていうか……」
「じゃあ、今度は。こういうことにならないよう頑張ってね」
「……頑張ります」
言葉に詰まったシルヴァが絞り出すように、バツの悪そうな顔で言う。意地悪がすぎた。でもついおかしくて吹き出してしまう。
「冗談よ。貴方だけに頑張らせない。一緒に頑張りましょう。貴方はこれからなんだから」
「ハオさん……」
「私は、貴方が、生きてくれているだけで嬉しい」
心の底から、私はそう思った。
「次よ。凹んでないで、次、頑張りましょう? ね?」
「……はい」
シルヴァの目は、まっすぐだった。あの暗い輝きはなくて、前だけを見ていた。
それをよかったと安堵する自分が、私にはあまりに浅はかで、酷く醜く見えた。
……しかし、嫌な予感するわね。
別の魔王種が出現する予兆?
「まあ、いいか」
別に現れても殺せばいい。どうせ最後には、魔王種全て滅ぼすんだから。
――全然人のこと言えた口じゃないわね
「どうかしました?」
抑えきれずに出てしまう苦笑。するとシルヴァが首を傾げた。
「んー。明日からのトレーニング内容を考えてたの」
なんて適当なことを言うと、シルヴァがぎくりとした。
「……お手柔らかに」
「……ふふ」
あんまり反応が面白いからちょっと溜めて、
「冗談です」
「心臓に悪いです……」
「まあ貴方は、最低一週間は入院コースよ。冒険者として何度も傷を負ったり、見たりした私が言うんだから間違いないわ」
「あ、そうなんですね……」
「そうなんです」
しょぼんと肩を落としたシルヴァがちょっとおかしい。
「ちょっとハオ、兄さん! なにイチャイチャしてるの!! 早く来て!! 囲まれて大変なの!!!! うわ、頭可愛い……。つるつるじゃん……。触っても良いの……?」
声を荒げたと思ったら隠しきれないほどに嬉しそうになったりと感情がせわしないスー声が聞こえてきた。
声の方を見ると、村の入口で、平伏したさめんちゅの村人たちに囲まれたスーがあわあわとしてる。なんか拝まれてる。おもしろ。
「面白がってないで!!」
「はいはい」
どうやら笑ってることがばれたみたい。視力も抜群よね、あの子。
「行きましょうか、シルヴァ」
「了解です、ハオさん。ところで下ろしては……」
「嫌よ。心配なんだからしばらくこうさせてもらうわ」
恐る恐る言ったシルヴァの意見を私は、笑顔で斬って捨てた。
「そ、そうですか……」
「治療ちゃんとできるまでこのままだからね」
「それはどうにかなりません!?」
「ならないわ。街まで膝に乗せとくからね」
決定事項とばかりに私が言うとシルヴァは、何か言おうともごもごして諦めたように溜息を吐いた。
むやみに深刻な顔がおかしくてくすくす笑ってしまう。
「冗談です」
「もうハオさん……」
冗談きついとばかりに、二回目の冗談宣言に、シルヴァが大きく肩を落とした。
「シルヴァが面白くて、ついね? せめて村でお医者様に見てもらうまでだから我慢してね。お願い」
心配でたまらなかった。これは本心。私の言葉を聞いたシルヴァは、頷いて。
「……分かりました。それまでお願いします」
「お願いされたわ」
ぼろぼろの彼を壊さないように、優しく抱いた。彼を一欠片たりとも落とさないように。決して、失わないように。
感想評価よろしくお願いします。