ふっと目が覚めた。まだ頭がぼやけてる。倦怠感が体に居座ってる。痛みもある。完璧とは言い難いけど、調子は悪くない。
窓から茜が刺している。夕方だろうか。僕は、どれくらい寝ていたんだろう。
……ダメだ。ぼうっとした頭だと思考がまとまらない。
「――……知らない天…………」
だからかこういう時、一度は言ってみたいセリフが口をついた。冗談を言ってる場合じゃなかった気がするけど。
「? どうしたの?」
「いや、知ってる顔だったから……」
アーシェがいた。いや現れた。ぬっと、視界の外からぬっと。しかし、距離近すぎる。え? 何? 長い睫毛に、紫の瞳、白い肌のきめ細やかさまで見えてしまう。彼女は、ハオさんに匹敵する美人だったと今更僕は、気づいた。
それが至近距離から見つめてくるから心臓に悪い。心臓がバクバクする。体調が悪化しそうだ。
「なるほど」
ふむとアーシェが納得した。何に? 困惑してしまう。
「えっと、話しづらいのでとりあえず離れてもらえないです……?」
「そう?」
「そうですね……」
「仕方ないわね。そうしてあげる」
やっと落ち着ける。アーシェが大人しくベッド脇の椅子に座ってくれたのを見て、起き上がった。
どうやらどこかの宿みたいだ。ベッドの脇にある窓から外を見ると見覚えのある風景があった。多分、ギルドの二階。
……記憶が繋がってきた。あの”手”の魔物の巣から脱出した僕は、ハオさんに助けられた。そこで多分、僕は気絶なりしたんだ。そこでここに運び込まれたってことかな。
体を見ると治療の痕がある。包帯やカーゼが貼られてるけど痛みは少ない。
まあもともと大きな怪我はしてなかったしな。
「ね、何か言いかけてた?」
自己分析をしているとアーシェに尋ねられた。あ、そこ聞かれるんだ? とりあえず答えることにした。
「えっと知らない天井って……」
答えてからなんだか恥ずかしくなる。なんだよ、知らない天井って。
「?」
……まあそうなるよね。こほんと咳払いした。
「目が覚めたら知らない天井っていうのは、小説にあったセリフ。主人公が気絶して、気づいたら知らない部屋のベッドで寝てる……ってところのセリフなんです」
「へえ、君、小説読むの?」
「ああ、まあそれなりには。嗜む程度には」
妙にしどろもどろしてしまった。
「なにそれ。おかしい」
何がおかしいんだろう。アーシェは、ころころと鈴を転がすように笑う。この人は、なんというか掴みどころがない。よく分からない。
戦うことがとても好きなのは知っている。トーナメントの控室でそんな感じだった。戦ってるときも楽しそうだった。少し怒らせてしまったけど。
「それで……」
「うん」
「なんの御用でしょう」
「敬語要らないって言ったよ」
「え? ああ……」そういえばそうだった。「えっと……なんのようだい?」
「体を拭いてあげようと思ってたの。なんか結構汚れてるしさ」
「……なるほど」
よく見たら彼女は、手に濡れたタオルを持っていた。汗とか血、砂埃とかが全身にこびり付いていて、居心地が悪い。
「ついでに体も見とこうと思って。一応応急処置はしてるみたいだけど、癒術師が居るなら見たほうが良いでしょう?」
「たしかに……」
正論だ。納得するしか無い。
「君の師匠のハオさんにも許可とってるよ。お墨付き」
「それなら……まあ……」
ハオさんが許したというなら僕から言うこともないか……。無いのかな? どうなんだ?
「寝てる間に隅々まで見ておこうと思ったんだけどね」
いたずらっぽく彼女は笑った。冗談めかしてるけど冗談に聞こえない。
「……それは、勘弁してほしいな」
いや、治療行為だのは分かってるんだけど。それでも抵抗がある。普通に恥ずかしい。
「なになに。照れちゃった? 可愛いね」
「なんでもないよ。うん、なんでもない」
つい目を逸して、僕は自分の失敗を悟った。何をやってるんだ。こういう時、先に目を逸らすことだけはやったらだめだろう。
野生の獣や魔物と対面しているときと同じだ。舐められたら負け。
だけど僕はもう目を逸らしてしまった。ちらっと見るとにやにやしながらアーシェが僕を見てる。
奇しくもトーナメントと逆の形になってしまった。
「絶対ウソだー。嘘だよ。絶対嘘。何考えたのよ。お姉さんに言ってみていいんだぜ?」
「いや、遠慮しとく。体拭くからタオルもらっていい?」
「えー私が拭きたい。背中とか難しいぜ? 任せた方がいい。間違いない。私、嘘つかない」
いやまあ、それはそうかもしれないけど……。
「恥ずかしいからいいよ……」
「大丈夫。恥ずかしさなんて気にならなくなるくらい気持ちよくするからさ。託してみよう」
全然大丈夫じゃないことを言う。
「大丈夫だと思える要素が何一つない大丈夫を初めて聞いたよ」
「安心して、楽にしてて。君は動かなくていいからね。癒術師である私に任せて」
「何も安心できない……!!」
ずずっとベッドの端に逃げる。ぞぞっとアーシェがベッドに膝を乗せて、迫ってくる。逃げ場がない。どうしよう。どうしようと考えてるうちにいつの間にか馬乗りにされていた。
「痛くしないからね? ね?」
あ、やばい。抜け出せない。びくともしない。隙も無い。
トーナメントではなんとか僕は勝てたけど、実際のところ距離を詰められると勝てない。僕の距離だから彼女に勝てただけだ。腕力、脚力。総合的な武術力。そういうジャンルで僕は勝てない。
「うわ、や、やめよう! そういうのは、なんかこう……ダメだと思うんだ! もっとお互いを知ってからとか……!?」
柔らかい。腹の上に、何か重たくて柔らかいものが乗っている。アーシェの胸だ。トーナメントの時と違って、ワイシャツを着ている。鎧に隠されていたものが、ワイシャツの布地を押し上げる大きな胸が僕の腹の上に乗っている。
これは、すごいな……。目が勝手に吸い寄せられる。触覚が自然とそっちに寄ってしまう。
「体を拭くだけなのにそんなに深く知る必要があるの?」
にやっと笑ったアーシェが首を傾げた。……確かに……それもそう……。
「いや、いやいや! そういう感じじゃないじゃないか!」
危ない。一瞬納得しかけた。
「そもそも体を拭くのに馬乗りになる必要はない!」
「むっ、鋭いわね。でもそうしないと逃げるじゃない」
「そもそも拭かなくでも大丈夫だから。僕普通に動けるし。自分で出来る」
痛みはあるけど日常的な動作には支障はない。今だって十分動けてる。
「もう私が拭いたり見たり触ったり撫でたりしたいの。君が私に勝った理由とか見つけてあげるんだから観念しなさい」
「いや、分からなくないか!?」
でも癒術師なら分かるのか? いやだめだ。そんなこと考えている場合じゃない。なんとか抵抗しなきゃいけないん。どうしたらいい? 柔らかいものがずずっと腹の上から胸の方に上がってくる。ぐにぐにっと形が変わってるのがシャツ越しでも分かる。
……下着つけてないんじゃ?! という可能性が僕の頭によぎった。
「御開帳〜〜」
「あ、ちょっ!?」
遅かった!!
「兄さん!!!!」
勢いよくドアが開けられた。聞き慣れた声が聞こえた。見たらスーがいた。
部屋の気温が一気に下がっていくきがした。いや、物理的に下がってる。スーの足元で氷が生成されている。
「あ、お疲れ。スーちゃん」
いつのまにそんな気軽な呼び方をするように……いや違う。今はそれどころじゃない。
「す、スー! 違うんだ!!」
いや、これもなんか違くないか? こういう時の正解って……? 教えてください、カイムさん……。
「分かってるわ」
「そ、そうか。良かった……」
ああ、なんとかなった……――いや、全然まったくもって。
「ええ、もちろん」
「……大斧から手を離してもいいんだぞ」
「アーシェを殺したらね」
スーがにっこりと笑った。目が笑ってないけど。
「殺したらだめだからな!?」
うん、ダメみたいですね。大斧を離してくれる様子はない。背中から立ち上る殺気は、まるで夏の日の陽炎のようにゆらゆらとしている。あ、いや違う。あれ陽炎そのものだ。
部屋の温度が急激に高くなってきているのに気づいた。
――早く止めないと火事になる。
アーシェが大斧でかち割られる可能性より、僕は、そっちが先になる可能性の方が高いと見積もった。
冒険者ギルドの耐火性がどんなものかは知らないけどそれでもあらゆるものが火耐性があるってわけじゃない。
どうしよう……。なんて考え込む暇もない。
「兄さん、そこをどいて。そいつ殺せない」
「どけないじゃないか!?」
一歩。スーと僕たちの距離が縮まる。すると部屋の中の温度が一気に上がった。背中に汗が浮かんだ。冷や汗なのか普通の汗なのか分からなくなる。端的に言って、気圧されてた。
「うーん、からかいすぎたかなぁ」
件のアーシェはのんきに笑ってる。この野郎。
「めんごめんご。そんなに怒らないでよ。スーちゃん」
「さりげないちゃんづけやめてもらえる?」
「ええ? 可愛いぜー?」
スーの目が鋭くなった。ついでにまた一歩距離が詰まる。分かりやすく圧が増した。部屋の温度が高くなったのが肌で分かる。怖すぎる。
爆弾の上でダンスするのやめてもらえるか?! 必死に視線でアーシェに伝えるとウィンクが返ってきた。そんな任せとけみたいなの全然安心できないからやめてくれ。何をする気だよ。その肩ポンってなに? どういう感情? 分かんないんだけど。
「近づかれると余計不愉快。自殺願望ある感じ?」
「うんん、全然」
「じゃあなに」
ハラハラドキドキする僕をおいて、アーシェが自分でスーとの距離を詰めた。
既に、スーの射程範囲。アーシェの射程範囲でもある。
2人とも前衛なのもあるからこの部屋の間隔なんて関係ないんだけど。
スーは、もう今にも襲いかかりそう。ばっちばっちにメンチ切ってる。ぐるるる……なんて、唸り声を上げてる。うちの妹いつの間にこんなに怖くなったの? 怖いよ。
アーシェは、背中を向けて、どんな顔しているか分からない。いや、何となく分かる。楽しそうに笑っているに違いない。そういう雰囲気がする。
「私、仲良くしたいんだよね。君たちと」
「嫌だ」
「邪険にしないでよー。泣いちゃうよ」
「嫌だ。黙るか死ぬかにしてよ」
うちの妹がさっきから辛辣すぎるな……。僕が攫われたのがそんなにストレスだったんだろうか。あとでなんとか慰めよう。僕は心の中でそう決めた。
「んでね、なんていうか君たち感じるんだよね」
聞いてないのに話だしたな……。
「聞いてないんだけど、私」
イライラ顔のスーも同じことを思ったみたいだ。
「私のセンサーにびんびんきてるんだよ。一緒にいると今回みたいな面白いことに会える予感がするんだよね」
スーと正反対で、アーシェは、楽しげに語りだした。
「……今回? 魔王種のことか?」
つい口を挟んでしまった。
「そうそう。去年の同じ頃にも来たらしいじゃない? そんな短期間で同じ場所に魔王種が来るなんて呪われてるとしか思えない」
魔王種が面白い、か。被害をもろに被ってる僕らからすれば癇に障る話だ。スーも同じみたいで、明らかにさっきよりも機嫌が悪い。
でも悪意は無さそうだし……悪意が無いからといって何を言ってもいいってわけじゃないんだけどさ。
「呪われてるんだったらこの街の方じゃないか? 僕ら以外だって、同じ目にあってるんだから」
なので、口を挟んだ。
「でも殺しに行こうってなる人は、君らくらいだよ」
挟んだ結果、言葉に詰まった。わざわざ強くなって、冒険者になって殺そうって人は、ほとんどいないと思う。ただ復讐するって話しじゃないんだ。
「そして、また魔王種が来た。二度あることは三度あるっていうもの。だとすればもっと戦える。私の修行にも丁度いいってこと」
「別に私達は、修行がしたいってわけじゃんだけど」
「そりゃそうじゃない。わざわざ魔王種で修行だなんて狂ってるわよ」
自覚あるのが怖いな……。
「君たちは魔王種を殺すために冒険者になったんでしょ? 私は、修行のために冒険者になったの。うちの親、時代錯誤で魔王種を殺して一人前とか言ってるから丁度いいってわけ」
どういう親だよ。ツッコミが止まらない。
「私としても刺激がある方が楽しいし、親の方針にも特に文句はないので、魔王種殺しに混ぜてもらいたいなーって思ってます。
ーー以上、志望理由でした」
「ああ、今のって自己アピールだったんだ……」
思わず乾いた笑いが出た。
「それ、もっと高ランクのパーティがよくないか?」
そっちの方が修行になる気がする。死ににくそうだし、経験値も高そうだ。
「下地無しで冒険者になって一年生の子に負けた私を受け入れてもらえる高ランクパーティは無いよ」
「僕が勝ったのは、上手く戦術が嵌ったからで……」
「嵌った私への嫌味か?!」
「今のは、流石に兄さんが悪い」
「ごめんなさい……」
そういうつもりじゃないんだけどな。いやまあそう聞こえたなら僕が悪いか。
「まあ実際、トーナメントで私も見事にやられた。次は負けないけど。君たちの師匠にも興味がある。高ランクパーティの元リーダーなんでしょ? 会ってみたい……。話してたらワクワクしてきた……。あ、約束してたよね?! 会わせてよ? 手合わせもしたい」
「はいはい」
ハオさんに会わせる約束してたなそういえば。テンションが上がりすぎたのか虚空にパンチを打ってる。今のコンビネーションだけで僕は、ぼっこぼこにされそうだな。トーナメントで距離をとってよかったと心底思った。
「それで、勝算はあるの?」
「勝算?」
「魔王種にだよ。今回の魔王種は、ただ倒すというのも難しい。何かしら手段を講じなきゃならない」
なるほど。修行のためと言ってるだけあって、アーシェはちゃんと考えてる。
「無いよ」
「は?」
「いや、そんなマジな顔されても……。考えてみてくれよ。僕、さっきまでどうしてたと思う?」
「魔王子種に攫われてた」
「……まあ、そういうことだね」
はっきり言われるとなんか悲しいくなるな。不甲斐ない。
「僕は、家族を殺され、今回は無様に連れて行かれた。挙げ句に、友達をおいてきてしまった。でも殺すんだよ。魔王種を。僕らの手で皆殺す。
……つまり今の僕にあるのは、やる気だね」
うん。やる気しかない。致命的だな。笑えてくるよ。
「ええ〜〜……。自殺願望あるのは、こっちじゃない?」
苦笑いでアーシェが僕を指差す。失礼だな。死ぬ気はないよ。死にたくない。僕は、殺す方だ。
「兄さんは私が守るもの。だから死なないわ」
自信満々なスーが頼もしい。頼もしく思うだけじゃだめなんだけど、自慢の妹を頼もしく思うことの何が悪い。むしろ誇るべきだ。
「……ふうん、じゃあやっぱりだ」
スーの方に軽やかに歩いていく。さっと大斧を出して、警戒のポーズを取るスーのことなどお構いなし。
「私も仲間に入れてよ。将来有望なシルヴァが無駄に死んでも面白くないし」
「は? 兄さんを守るのは私一人で十分なんですけど」
「そんな事言わずにさー。ねー?」
「嫌」
「また攫われちゃうよ」
「次はないもん。あんたにも次はないけど」
「もー。シルヴァからもお願いしてよー。私がいないとダメな体になっちゃったってさ」
「兄さん!?」
「僕に振らないでくれよ……」
頭が痛くなってきた。こういう時は現実逃避だ。
空が綺麗だなぁ。この空の下のどこかで、魔王種が蠢いているけど空は変わらず澄んだ青色だ。
また魔物狩りの依頼とか受けたいな。新しい魔物と出会いたい。本で読んだだけじゃ止まらないこの知識欲に餌をやりたい。
やはり隣が騒がしい。なんとか上手くまとめる方法ないものか。そう思い悩んでいると。
「おっ、起きてるじゃない」
「ハオさん!!」
開けっ放しのドアの前には、ハオさんが立っていた。いつ見ても天使のようだ。いやきっと天使だ。この人は、いつだって僕のピンチに駆けつけてくれる。
反射的にベッドから腰を上げて駆け寄るとハオさんは、安心したような、ちょっと呆れたような笑顔を浮かべていた。
「元気そうで良かった。あの後、すぐに気絶しちゃったから心配だったんだ。体も……大丈夫そうだね」
遅ればせながらハオさんの笑顔の意味を理解した。
「あーー……その、勝手に体が動いてたといいますか……」
……言えない。嬉しくて駆け寄ってしまったなんて、あまりに恥ずかしくて言えない。
背後が急に静かになって、何かが刺さってる。2人ともこっちを見るんじゃない。顔が熱い。
「まあいいわ。貴方が元気ならそれでいい。それにそれだけ元気なら問題ないでしょう」
「? なにがですか」
首を傾げた僕に、よくぞ聞いてたとばかりにハオさんは、言った。
「魔王を殺すお話をするからよ」