博愛主義者によろしく 作:連載が続かないマン
相対するのは人の背丈に近いほどの巨大な盾だ。
人間の持つ力はかたが知れている。その二つの衝突ならば、前者の圧倒的な膂力に軍配が上がるはずだ。
しかしながら、盾は腕と衝突し、持ちこたえる。どんなからくりがあるのか。答えは単純で、盾の先端を地面に突き刺しているのだ。だからこそ拳を待ち構えることができたのである。
それでも、伝わってくる力は甚大なものだ。吹き飛ばされまいと必死に盾を押し出しているが、相手がまだ拳を打ち出してくるようなら、おそらく吹き飛ばされてしまうだろう。
そして手もボロボロになるはずだ。
果たして均衡は決裂した。
「あたしを無視すんじゃねーよ、ザコゴリラ」
──それは
まだ幼い女が、拳で相手の腹を殴りつけ──そして転がしたのである。
相手は人よりも大きいほどの巨体であるというのに、だ。
率直に言うのなら。
彼女は酷く、周囲から浮いていた。
左右非対称の赤茶けた髪と、その大層整った顔をすべてさらけ出しているのだ。
彼女以外の『人』が装備によって多少顔を隠しているというのに。
「オマエちゃんもだぜ、愚弟。リスク管理のできてない雑魚を助けても無駄だってのに矢面に立って庇うんだからさ。赤ちゃんが頑張ったところで全員死ぬだけなのにどうでもいいとこで命を賭けるなバカ助」
「俺はあんたみたいに人を数で見ちゃいねーんだよ!」
全身を赤い鎧に包んだ男が、声を張って──盾を構えて、突撃した。
巨大な盾によって、転げ回る金獅子の頭を打ち据える。
その一撃で──角がへし折れた。二本ある角のうちの片方である。
その攻撃で調子づいたのか、彼は大層するどく槍の刺突を放つ。巨大な槍は顔面を深くえぐりぬき、穂先を振り払うことで体を重たく引き裂いた。
女のほうも同じく、左手の剣と空いた片手とでの連撃にて相手の体を致命的なまでに穿っていく。
金獅子が動かなくなるのに、そこまで時間は必要なかった。
完全に動かなくなったのを確認してから、男は振り返って助けた二人を見る。
「間に合ってよかった。怪我は大丈夫ですか?」
「──や」
「や?」
返答としては違和感を覚える語りだしに、青年は疑問に首をひねる。
や? 『やばかった』? 『や、ないです』? 一体なんだろう。というかなんだその表情は。
そしてその答えは直後に語られた。
「ヤク中にされるぅ────!!」
顔を蒼白にした男二人が、逃げるように走って去っていった。
あんまりな言葉に硬直する青年。
その後ろから、割と容赦なく女が頭を殴りつけて。
「だから言っただろバカ助。あんな雑魚連中、オマエちゃんが助ける価値なんてないんだよ。だっていうのにわざわざクエストまで受けてほとんど無傷の相手と戦って。その結果がお礼すらなしのコレなんだから、いくらコゲクズのオマエちゃんでも懲りたでしょ赤ちゃん」
「全部姉貴のせいだろうが」
「……うっざ。あたしのおかげで生きてるオマエちゃんはそんなこと言う権利ないよね。ノータリンの愚弟にイイコト教えたげる」
彼女は、先程までの得意げな顔を珍しく凍てつかせて言う。
「ホントのホントに、命の価値を考えたほうがいいよ。赤ちゃんのオマエちゃんはほとんど何もできないんだから、そうやってるとすぐに落っことしちゃうじゃん」
「…………」
正論だ。
正論である。
あんまりな正論に、喉が詰まったように言葉が出ない。
言いたいことだけ言うと、姉は青年のもとから去っていった。
そして倒した金獅子の剥ぎ取りを始める。
「……だったら、手を増やせばいいだろ……」
そう言って、その方法はどうせ姉頼りなのだと彼は自嘲した。
正論だ。
まったくもって正しい。
身の丈に合わないことはするものではない。
身の丈に合わない狩りに出かけることも。
身の丈に合わない願いを持ち、実現しようとすることも。
どちらも変わらず愚行であり。
そしてもしも誰かの手伝いによって実現できるとするならば、『できる』相手を頼ることも当然正しいことである。
少なくとも青年にとってはそうだ。『青年にとって』正しいことなのだ。
巻き込まれるほうからすればそこに正しさなんてない。
青年は正論が嫌いだ。
真面目で清廉で誠実であろうとする青年ですら、正論は嫌いだ。
でも一番嫌いなのは、相手の言葉を正論だと思うほどに姉に頼り切りな自分自身だった。
「グッドモーニング、愚弟! あたしの顔を洗って髪を整える権利を与える!」
「はいはい」
いつもどおり姉の顔を水につけたタオルで、細心の注意を払いつつ拭っていく。
それが終わったら寝癖で爆発したようになっている髪の毛をブラシで解いていくのだ。
やたらと強い癖っ毛だから、寝癖をなおすときにはファンゴの毛のブラシを使う。
姉は基本的に外見に無頓着である──正確に言えば、『何もしなくとも自分が世界一かわいい』と思っているので、外見を繕うという発想がないのだ。
だから、身の回りのケアに関しては青年がほとんどすべて行う。
彼女が自発的に行う体のケアといえば、材料があやふやな『老化停止の薬』くらい。
しかも驚くべきことに、彼女の外見的な変化は十六歳の頃からない。
もともと『老化抑制の薬』を使っていたので、十六歳でもおおよそ十三歳ほどの容姿にしか見えなかったが。
二十三歳になってもそれを維持しているとなれば、効果があるのだと考えてもいいだろう。
「オマエちゃんはたこすけの赤ちゃんだけど、体のケアはこのあたしが認めてあげる」
「いっつも上からだよな」
こんな召使いのような扱いが、青年は意外にも嫌いではない。
彼が唯一姉に認められることだから。
──それで自尊心を満たしていることが、彼女にバレたらどうしようか。
(知らない人からたくさん褒められるよりもめちゃくちゃ厳しい家族から褒められるほうがきっと嬉しくなれると思う。知らない人からいくら嫌われて避けられてもたったひとりの
求められることは幸福だ。世の中には望まれることなく生まれてきた命がある。
ならば待ち望まれて生まれてきた命はどれだけ幸せなんだろう。
どれだけの人から疎まれようが、たったひとりに待ち望まれて生まれてきたんならば、それに報いるために生きることは間違っているだろうか。
青年にとって『愛』というものは心の狭い部分からぽろりと転がり落ちてくるようなわずかなものであり、『嫌悪』というものはほとんどの人の心の大部分を占める
愛がまるで本音であるかのように誰も彼もが演じ、嫌悪をごく小さなもののように見せて笑っている。少なくとも青年にはそうとしか思えなかった。
『あたしは赤ちゃんに価値を求めねーよ、バカ助。だから見返りなんていらないの! 大人しくオマエちゃんが大好きなアサネちゃんにでもあげておけ』
──自分はいつまで『赤ちゃん』なんだろうか。
ひょっとすると彼女が『姉』で彼が『弟』である限り、死ぬまで赤ちゃんのままなのかもしれない。
「……今日の朝ごはんは何がいい?」
「あたしは肉と目玉焼きー。オマエちゃんは寂しくサシミウオでも食っときな」
(俺の好物がサシミウオ焼きってこと知らないわけないくせにな)
なにせ教えていない、彼女があったこともないはずの初恋の相手すら知っていたのだから。
その初恋の相手とはうまく行かなかった。初恋はかなわないものらしい。というのも彼女は遠い村に嫁に出てしまったからである。
彼ら姉弟はもともと浮浪児であり、あまりいい噂がなかったことも原因だろう。姉のほうはといえばその当時からそこそこ優秀なハンターであったにも関わらず、だ。
──いや、悪い噂が立つのは当然だったと今なら思える。
彼がアサネという少女を意識しはじめたのは十一で、その翌年に彼女は遠くへと去っていった。
姉との年齢差は四なので、この頃は姉は十五~十六ということになる。
この時期に、姉はすでにハンターとして大成してしまっていた。
さらに、この頃に特にお世話になっていた相手はギルドの受付嬢。
つまりはそういうことである。周囲からの不信は強かったし、そもそも村に訪れた経緯が経緯だ。その点でも避けられていたのだろう。
(俺たち姉弟のことを人はヤク中と呼ぶ。この村においてヤク中といえば俺たちだとすぐわかるほどの特徴だ。でもそれは別に望んで行っているわけではなくて)
仕方がないからと言って何をしていいわけでもないし、最低限守るべきモラルというものはある。
しかしながら姉弟はこの殺伐とした世界で身を寄せ合って生きてきたし、誰もそんなことを教えてはくれなかった。試行錯誤のはて多少のデメリットと人道を捨ててでも生き残ることを選ぶのは生物ならば仕方ないことでしかないのだろう。
(ただ少しばかり、危険性があるかもしれない薬を使っているだけだ。この『かもしれない』というのは本当に万に一つほどでしかないし、姉貴は天才だから本当にアブナイものは使ったりはしない。そもそもハンターだって強走薬やら鬼人薬やらいろいろと薬を使っているじゃないか。それらと姉の薬と。何が変わる?)
身内という贔屓目を除いても、姉の腕は天才のそれだ。伊達に子供の頃から過酷な環境で生きてきたわけじゃない。
(少なくとも俺は)
青年は、自分の体を見下ろした。
腕や腹など、様々な場所に黒ずんだあとが残っている。
(間違っているとは思えない。もしも姉の行動に理由をつけるなら『生き残るため』だ。それは自分ひとりというわけではない。俺という荷物を抱えて生きていくときに、選べる方法は限りなく少ない。その方法として適正があり、可能性もあったものが薬になるのなら、そして安全を約束できるのなら、周囲の嫌悪は正論にならないんじゃないか?)
青年はそう考えながら集会所へと足を踏み入れる。
不自然なほど空いているテーブルに頬杖をついて座っている、少女にしか見えない待ち人のもとへと。
「遅い、愚弟。オマエちゃんがどこで何をぐずぐずやってたのか当ててやろうか? そのびっくりするくらいにズタズタな情緒でゴタゴタゴタゴタくだらないこと考えてたんだろ」
「よくおわかりで」
「オマエちゃんのことなんて、どこで何をやってようと手に取るようにわかるってもんだぜ」
青年は姉の隣に座る。
テーブルに視線を落とし、軽く息をつくと、気を緩めたタイミングで口の中に食べ物を詰め込まれた。
「ぐむぶっ!? ごっ、ばっ」
「このあたし様は直情的なバカよりも考えすぎるバカのほうが嫌いだ。だいっきらいと言ってもいい。オマエちゃんがそれになるなら、泣いて詫びてそんな気分じゃなくなるまでいじめてあげるんだケド」
「んがっ──」
鼻を摘まれ、息ができなくなる。ハンターである以上肺活量はそこそこあるのだが、次から次へと口に流し込まれる料理に息ができない状態が続き、陸上というのに窒息死しかける。
もう限界だ、と思ったときに鼻からぱっと指を離された。
「……し、死ぬかと思った」
「赤ちゃん」
「やめて」
机の上の料理は全部片付いていた。
青年をいじめるのに加えつつ、自分でもちまちまと食べていたようなので、それもそうかと納得する。
「……なに?」
「や、なんでも」
なんだかんだ普通に間接キスとやらだったな──と。
ハンターの間だと普通にあることなので、彼は特に意識はしてなかったが、姉のほうはよかったのだろうか。
フォークをがじがじとかじっている彼女もそんなことはどうでもいいらしい。気にしないことにした。
「じゃあいくぞ、愚弟」
「ていうかちょっと待った。そもそも行くってどこにだよ?」
青年がギルドへと向かってきたのは、姉に来いと言われたからだ。
それ以外の詳細を知らない状態だったので、とりあえず装備とアイテムだけ持ってはいるのだが──。
首根っこを引っ張られ、カウンターの前まで移動する。
そこには、青年のハンター歴とほぼ同期の受付嬢がいた。一言軽い挨拶を終えると彼女は一枚の依頼を差し出し。
「──ということで。お二人にG級昇格の許可証が届いています」
などと、語り始めた。
「先日のラージャンの討伐は緊急案件でした。そしてフィールドのほうからお二人の様子を確認していた者によると、どうやらほとんど二人で討伐してしまったようで。となると実力は確かなものですし、ギルドのほうも昇格を認めていいという判断です」
「はぁ」
「あんなのあたし独りでも七年前から余裕だったし。今更どういう風の吹き回しでこのあたし様たちに話を持ってきたのか言えよ殺すぞ」
「ちょ、なんでキレてんの!? あああ姉貴がすみませんほんと」
「いえ、大丈夫です。理由なんですが……まずひとつに、G級ハンター用のクエストをこのギルドでは扱えません。人手の問題です。というか慢性的に人手不足です。なのでお二人にこなしてもらいたいクエストが多かったわけです」
「ああ、この村は仕方ないですよ。あ、でもたしかにこの間から他の場所のハンターを見るようになったな……だからか」
「はい。あとは前回のクエストによって向こう側がお二人を発見したってのもありますね。この近辺では強いモンスターが少なめです。高難度な依頼もあまり周ってきません。そんな場所で、とんでもない功績を立てたハンターなんですから」
「たしかに、あのレベルと戦ったのは前回が初めてか」
「はい。ということで、これまで申請していた昇格試験すら飛ばして認定されたというわけです。──ということで」
彼女はにっこり笑っていった。
「つきましてはお二人に、ギルドを変えることを推奨しようかと」
「…………」
黙り込んだ青年の背後から、姉が首を絞める。
「話はどこから持ちかけられた?」
「大老殿です!」
「大出世じゃん」
「です」
「びっくりすぎてあたしでもギルマスの正気疑うんだけど」
首絞めから開放された青年は、軽くむせながらも会話に参加。
「先日とあるハンターさんがドンドルマを救ったのは知ってますね?」
「まぁ有名だし……」
「風翔龍……いえ、錆鋼龍ですか。クシャルダオラの特殊個体を討伐したハンターさんなんですが、大老殿に招かれたときの実績的にお二人は問題ないと思いまして」
「うっそだー。色々ヤバいレベルのバケモノとか倒してないんだけど……」
「お二人が倒したラージャンはG級個体でした。討伐後の素材で判明です。言いたいことがわかりますね?」
「ちょっと何言ってるのかわかんない」
ギルドも間違うことがある。
しかしながらその間違いは洒落にならないからやめてほしかったところである。
「ということですので。──お二人はどうします?」
「……」
例えば。
仮に変化を求めるときは、千載一遇のチャンスを見逃してはならない。
窮屈だと思っているとき居心地が悪いと思っているときなにかを変えたいと思うのならば。
向かってきたチャンスは掴むべきだ。──臆さずに。
力強く──!
「では、俺たちはドンドルマに異動することにします」
青年はそう言った。
そんな彼を、姉たる少女はじっと見ていたのだった。