博愛主義者によろしく   作:連載が続かないマン

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壁に耳目と血染あり

 名前──。

 名前の話をしよう。

 

 彼と彼女は、生まれたときの名を持っていない。

 それは名をつけられなかっただとかそういう意味ではない。喪失したのだ。

 

 理由を述べるには彼らの過去をひもどいていく必要があるが、それは今回の話題には影響することがないのでおいておく。

 

 つまるところ、彼らが今使っている名前というのは偽名である。ギルドくらいでしか呼ばれることがないので、未だにあまり馴染みがない名前だ。

 二人は最終的に、お互いの名前を認識していない。

 

 それがどれだけ異質なことなのか、わかるだろうか。

 彼らは名前を必要としない関係を築いている。名称による個別をするまでもなく互いを個として認識しているわけである。

 

 もちろんこれは、浅い関係になればなるほど見ることのできる特徴だ。特段難しいわけではない。

 

 だが。

 彼らの関係性の中で、こうまでも確固たる個が焼き付いている中で、名称による個別を放棄するというのはなかなかにおかしなものであった。

 

 それはつまり、二人が一生涯を通して理解し合っていることへの自信なのだから。

 名前を呼ばない超親密な関係というのは──最終的に、人に頼らずに自分だけは相手を見つけ出すことができるという自信の現れなのだ。

 

 

 ……少しばかり飛躍した理論だったかもしれない。しかしそうなると、彼ら彼女らは──。

 

 

 

 

 

 

 切実な風が吹く。

 力を最後の一滴まで振り絞ったかのような、弱々しい、すがるような風だ。吹けば飛ぶような相手くらいにしか通用しないような風を、するりとくぐり抜けて突撃が成立した。

 

 それが遂にトドメとなった。

 古龍と呼ばれる存在だけに、流石にタフだ。彼らは倒しても復活する。──あまりの生命力に、命を刈り取るとこができないのである。

 

 つまり、今この場においての撃破は仮のものでしかない。

 それが解っていてなお、青年──エスペラと名乗っている男は、体を大きくして地面に倒れ込んだのだった。

 

「んんんんん……あー! 疲れた!」

 

「汚いから寝てんじゃねーよ、愚弟」

 

 そんな彼を蹴り飛ばす女性がいる。

 

 一見して非力な少女にしか見えない彼女の名はエルトワール。彼女は場違いな出で立ちで戦場──戦闘街と化したドンドルマに立っているのだった。

 

 顔をさらけ出した状態のまま、着ている服はひらひらとしていて防御力は見込めなさそうなものである。

 しかしその防具は同業者(ハンター)がみれば、上質な装備であることがわかった。

 

 ミツネX装備。

 その、頭部分だけを取り除いた出で立ちである。

 

「どうした姉貴、見直したか? 見直したな? 俺もそこそこやるだろう? ()()()()()()()()()()()()()()だ。この圧倒的な才能は……俺ですら恐ろしいよ……!」

 

「鬼人薬(ハイパーエディション)は強さの代わりにイカれちまうのか。さながら奇人薬、って? はっはっは──」

 

 下から力強いアッパーカット!

 痛打は戦闘中揺るぎもしなかった兜すら弾き飛ばすほどの威力で、無防備青年の体を空に打ち上げたのだった。

 

 

 

 

 

 目を覚ますと顎が激痛を泣き叫ぶ。

 何が起きたのか概ね察しがついた。気絶したあと特有の体の気だるさが、彼に事情を訴えていたからだ。

 

「おはよう、愚弟! クエスト報酬は受け取ってきた! 落ちたオマエちゃんへの罰にちょっくら楽しませてもらったにぇ!」

 

「…………」

 

 姉はたまに語尾を噛む。弟に対してかなり饒舌な癖を見せるが、もともと彼女は言葉を用いない世界で生きてきた。

 滑舌は少々悪い。今でこそかなり改善されたが、昔は訛りも相まって意思疎通に苦労したのだと、お世話になった受付嬢が言っていたことが印象的である。

 

 

 異国の人間と会話をするのが困難であること。それと同じだ。

 

「おはよう、姉貴。ところで記憶が曖昧なんだけど、何があったの?」

 

 こういうことは、時々ある。

 おそらく薬の影響だ。トリップしている間の記憶を失くした、ということなのだろう。

 

 それは別に構わない。

 青年にとって、記憶の欠落というものは慣れ親しんだものだ。

 一番大きな欠落は、七歳以前の記憶全て。

 最初から大きな虫食いがあるのなら、今更多少の消失に対して感じることなどありはしない。

 

 ただ、浮ついたような感覚はある。足場が不安定で、浮いて弾けて消えてしまいそうな、ふらふらと頼りない座標に立っていることだけは、おぼろげながら実感していた。

 

 青年はエスペラだ。

 少なくとも、今はそれを名乗っている。

 

 だが彼がエスペラでなくなったとき──つまり、彼が記憶を取り戻したとき。

 なにかが前提からひっくり返されそうな、そんな予感が、きっと正体なのだろう。

 

「あたしの作った鬼人薬(ハイパーエディション)でオマエちゃんが変になったから、殴った。飲ませたのはクエスト前だから、オマエちゃんの痴態はあたしにしか見られてねーよ。やさしーお姉ちゃんに感謝するんだな」

 

「なるほど」

 

 何がなるほどなのかわからないが、説明を経て少し思い出した。

 たしか、クシャルダオラがまたドンドルマに戻ってきており──それと戦闘したのだったか。

 

 かの有名な我らの団ハンターは、アカムトルムの狩猟へと向かい不在。

 筆頭ハンターたちもまた別の依頼を受けていた。

 古龍クラスとなると、討伐でも一苦労だ。ヘルブラザーズなんかはドンドルマにいるわけでないので、時間的に間に合わず。

 

 その他有名ハンターたちも都合が合わなかったので、ドンドルマに滞在中であった姉弟に白羽の矢が立ったというわけである。

 

「クエストは成功した……んだよな。じゃないと今頃死んでるハズだ」

 

「ばっちし。むしろ余裕なくらいだったぜ──()()()()もあるし、負けることはないと思ってたけども」

 

 それならよし。

 と思いつつ、エスペラは着ていた装備に目を落とす。

 

 それは銀色に輝いている。もともと愛用していたレウスシリーズにどこか似た風貌のもの──その特徴から判別ができるように、シルバーソルZシリーズと呼ばれるものだ。

 

 銀火竜の素材を用いた優秀な装備であり、ほとんど彼一人の力で討伐した相手の装備ということもあり、彼にとっては思い入れも強いものとなっている。

 

「姉貴」

 

 防具を脱いでインナー姿に。汗に濡れた体を、傍にあったタオルで拭きながら問う。

 

「ん、なに?」

 

「いっつも俺が気絶するとなんかしてるっぽいけど……あれ、なにやってんの?」

 

「んー」

 

 彼女はかわいらしく頬に指を当てた。

 

「聞きたい? 聞きたいか? あたしがいっつもオマエちゃんを使って何をしているのか、聞きたいって? 教えてほしいの? ほらほらこっち見てはっきり自分の意思と言葉でかわいらしくおねだりしてみせろ!」

 

「ごめん、何にもない」

 

 どこか不安になるような勢いの言葉の洪水に、エスペラは知らなかったことにしようと決めた。

 藪を突いたらガララアジャラどころかダラ・アマデュラが飛び出してくるようなものなのだろう。

 

 もちろんあまりの大きさに、何がいるのかは概ね想像がつく。そのため見なかったことにするのだ。別に何も間違ってはいないはずだ。

 わかりきったキケンに突っ込むほど、彼は命知らずではないのである。

 

「…………」

 

 あらしかしどうでしょう、相対する彼女、エルトワールのほうはみるみるうちに不機嫌になっていくではないか。

 罠というものは巧妙に隠されているものだ。見るからにキケンだと退いた先に、更に凶悪な罠。

 

 そしてそれには踏んでから気づいた、と。

 

 つまりこれは命乞いのフェーズである。

 

「あー、えー、えーと? 姉貴? その、ちょっと俺に向けてる注射は一体なに? 詳細とか教えてくれるとうれしいなーって」

 

「安心しろこれで死ぬことはない! むしろそのための薬だから潔くあたしに刺されろ、愚弟」

 

「あっはっは、後ろに見えてるその包丁はなに? ちょっとシャレになってないんじゃないかなー、なんて。いや、狩り用の武器じゃないだけ落ち着いてはいるんだろうけど、そういう問題じゃないんだヨ!

 姉貴は知ってる? 人って刺されると痛いんだぜ!? 特に俺は姉貴の言うように貧弱だから、刺される痛みなんか味わっちゃったら泣いて喚いてショックで死ぬんじゃないかなぁー!?」

 

 言葉を受け、エルトワールは妖しく笑う。

 まるで情事に及ぶかのような熱量を讃えた顔と瞳。あたかも恋人に囁くように耳元で、睦言のごとく呟いた。

 

「痛みを快楽に変換するクスリ」

 

「知ってたぁ……」

 

 振り下ろされたのは怒りの刃。まるでそう設定されていたかのように、対応して悲鳴が湧き上がる。

 レバーを引くと武器が変形したりするように、包丁を刺せば悲鳴は引き出される。場合によっては言葉も、だ。

 

 軽い返り血にべとべとになった彼女は満足したように笑い、滴る血を軽く小瓶に詰めてから自分の部屋へと戻っていく。

 のそのそと起き上がり、彼は背筋を這う快感にしばし口を噤んでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルトワールの部屋は、殺伐とした彼女の印象に対応するかのように、紙に埋もれていた。

 この部屋の中にエスペラが入ることはない。昔入ってきて酷い目にあったからだ。そのため、彼は姉の部屋に立ち入ることは絶対ないと言っていいほど避けている。

 

 それは彼女にとっては好都合。──でもあり、また不都合でもある。

 

「……………………」

 

 彼女は無言で紙にペンを走らせる。マメなことに、彼女は日記をきちんと毎日つけているのだ。弟が見ると信じられないだろう。

 知らない一面に出逢って頬を綻ばせでもするはずだ。

 

 知らないことは幸福だ。世の中には知らないほうがいいことがごまんとある。それは過去だったり、相手の気持ちだったり、怖気のする事実であったり、様々な形態でだ。

 

 だとするならば。

 

 秘密は秘密であるべきで、知らないことは知らないままにしておくべきである。

 

 だが彼女からすれば、それが少し不満でもあった。

 

 エルトワールは語らない。己の気持ちも何もかも。

 好意とは狂気。そして凶器だ。

 いつだって恋情や愛情は道理を捻じ曲げて存在してしまう。

 そしてもしも、一人の感情が一人にしか向かないのであれば。

 

 感情には総量がある。万人に分け隔てなく向けていると、当然一人あたりの量は少なくなってしまう。

 しかしそれでいい。それでいいのだ。

 なぜなら、分けた愛情でも一人にとっては十分すぎるからだ。

 

 であれば、もしたったひとりに全ての想いを向けられるとするとどうなるのだろうか?

 

 彼女は日記に文字を書く。

 それは声にすることのない本音である。

 

 彼女にとって言葉というものは出力の過程で必ず劣化の起こるものでしかないからだ。

 そのまま全てを表に出すには、感情や立場、その他諸々が邪魔になる。

 

 けれど見せる相手を限定するならば、多少は邪魔も消え失せる。だから彼女は日記を書くのだ。

 

 

 

 

 その日記に、表題はない。

 けれどもしもつけるとするのならば──

 

 

 エルトワールは決めている。

 そしてそれは、彼女の中にしか存在しない。






 主人公→エスペラ
 姉→エルトワール、です。
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