目を逸らす
流される
突きつけられる
理解する
受け入れる
そして
歩き始める
そんな話
人はなにかの形を残しておかないと忘れてしまう生き物だ。
「
「なに? 藪から棒に。予定があるとは言わないけど急に言われても」
晩飯中、親父が急にそんなことを言い出すものだからつい
そんな俺を見て目を細くしながら顎を撫でると、親父は静かにため息をついた。
「
「……
中学入学前後を境に難病を患い、長期療養をしていた。
親戚に少ない子供同士ということもあり、夏休み中などはそれなりに遊んでいた。
特段仲が良かったとか気が合ったとかそういう気はない。
お互い、遊び相手の選択肢がなかっただけだから。
なにもない田舎の山野を歩き回り後は各々好きに過ごしていたように記憶している。
入院中の彼女の見舞いに何度か行ったものの、それくらいだ。
「亡くなったんだよ。だから明日が葬儀だ」
「は? 一度は持ち直したって聞いてたけれど」
「いつの話だよ。……冬からこっち体調崩して、そのままさ」
「………」
少なからずショックを受けて言葉を失う。そんな資格もないのに。
ふと俺の鼻腔に煙草の匂いが流れてきて思わず眉をしかめてしまう。
顔を上げると食後の一服と洒落込んでいる親父の姿が目に映る。
普段は匂いを嗅ぐことさえ嫌になってしまうそれ。
しかし、思考の渦に沈むことを妨げてくれるそれに今は安堵感さえ覚えてしまう。
それを知ってか知らずか親父は言葉を続ける。
「目を逸らすのもいい。流されるままなんとなくってのも生き方の一つだ」
「………」
「けど、まぁ、なんだ。一度も向き合わないままだと、後から来ちまう。それは辛い」
「……ん、分かった。準備しとくよ」
相手の気持ちを云々とか、そんな感情を乗せた常識論の類を親父はあまり口にしない。
ちょっと距離を保った自虐めいた言い回しを好むのだ。
そういう語り口調を聞いてしまうと不思議と逆らう気持ちはなくなってしまう。
俺の生返事に、話は終わりとばかりに灰皿に煙草を押し付けると親父は席を立った。
親父の話の反芻しながら俺は食事を切り上げて、そのまま流されるように皿洗いを始める。
お袋はいない。
俺が中学に上がった頃に別の男を作っていなくなってしまった。
特にそれまでの家庭環境に問題があったとかそういうのはなかったように思える。
本当にある日突然、急に。
あるいは、お袋の中ではそうではなかったのかもしれないが。
親父はどこか納得したように「……そうか」とだけつぶやいていた。
けれどお袋を嫁に出した側の田舎としては気不味かったのだろう。
あからさまに俺たちの存在は腫れ物を触るような扱いへと変化していった。
思えば真那の病気の発覚と同時期でもある。
そうした立て続けの出来事もあり、なんとなく田舎と疎遠になってしまった気がする。
それでも親戚連中が俺の知る範囲では親父を責める真似をしなかったことは不幸中の幸いか。
親父はそうした中で(少なくとも俺の見た感じ)特に隔意もなく程々に付き合っている。
立派なものだと褒めればよいのやら人としての情が薄いと詰ればよいのやら。
少なくとも俺はそんなに器用に生きられなかったのは確かだ。
離婚調停のゴタゴタやら真那の件やらで始業式から幾日かの空白期間が設けられる。
その結果、中学生活に乗り切れずに一人でいることが多くなった。
所謂ぼっちではあるが、特にイジメとかそういうのはない。
そういう意味では良き級友たちに恵まれたのだろう。
ただ俺自身が周囲に実感が持てず、薄膜一つ隔てたような感覚で世界や人々を見ていた。
……見るようになってしまっていた。それだけの話だ。
俺の空気が変わったことなど分かる人には簡単に分かるもので。
だから周囲が腫れ物を触るように気遣い、俺もそれに乗って──…
で、ずるずる流されてきてしまった。
更にみっともないことに、そんな俺の生き方なんて親父にはとうの昔に見抜かれている。
「……しょーもな」
本当、しょうもない。
準備を整え、風呂で汗を流すと早めに自室の電気を消した。
明日は長くなるから。
電車や新幹線を乗り継ぎ到着した田舎の最寄り駅には叔父が迎えに来てくれていた。
挨拶もそこそこに車に早く乗るように言われる。冷房が効いていてひんやりした。
昨晩親父に言われたにもかかわらず、俺はこの期に及んでどこかフワフワとしたままだ。
浮ついた感覚とも違う。
どこか一連の出来事を現実とは捉えてないかのような、そんな曖昧さ。
親父と叔父さんは他愛ない会話を続けている。
たまに振られる話題に相槌を打ちつつ、のどかな蜜柑畑の風景を横目に進むこと暫し。
車は田舎へと到着した。
数年足を踏み入れてない場所に来れば、幾許かは記憶と齟齬が生じても仕方ない。
しかしながら屋敷は外観も内装も記憶とほぼ変わりなく俺を迎えてくれた。
居間には親戚一同が揃っていた。赤ちゃんやまだ小さな子供もその中にはいる。
親戚のうち何人かは結婚したと聞いていたし、恐らくその誰かの子供だろう。
「どうも、ご無沙汰しています」
親父に倣って俺も頭を下げる。親戚連中もそれに和やかに応えてくれた。
歓迎してくれているようだ。少なくとも表面上は。
親父は我が父ながら惚れ惚れする行動力でお茶を勧められるまま雑談の輪に加わる。
手持ち無沙汰になった俺が首に手を当てぼうっと佇んでいると。
不意にクイッとズボンの裾が引っ張られる。
見れば先程の小さな女の子がこちらを見上げていた。
「おにーちゃん、だれ?」
その言葉を受けて俺は膝をかがめて自己紹介をする。
女の子はルカというらしい(流石に漢字まではわからないが)。
大人ばかりの中で多少若い俺が珍しく目を引いたのだろう。
「ねぇ、いっしょにあそんで」
この年頃の女の子は物怖じしないものなのだろうか?
果たして同い年頃の自分はどうだっただろう。
どうしたものかと視線を巡らせると親戚の一人が苦笑いで肯いていた。
「お兄さんに迷惑をかけないようにな」
「はーい!」
これはいよいよ受け入れるしかないようだ。
肩をすくめ小さなため息を一つ。そして腹をくくる。
持ってきてた絵本を読んだり、
ありあわせの道具でままごとをしたり、
肩車をして天井を触らせたり、
無駄に広い屋敷でかくれんぼしたり。
子供のバイタリティに振り回されること暫し。
お坊さんがようやく到着し葬儀が始まることと相成った。
ルカが潤滑油になったのか周囲の大人も何かと話を振り構ってくれるようになった。
覚えてるようで覚えてない話もちらほら出てくる。
自分が思う以上に周囲の大人たちに見られていたらしい。
それからはあっという間に時間が過ぎていく。
けれど
葬儀を執り行いお棺を運んで火葬場に。告別式を行って──…
「おにーちゃん、ないてるの?」
ふとルカに言われ、初めて頬を伝う涙に気がついた。
彼女は座ったままの俺の頭を優しく撫でてくれた。
棺の中に入っていた
子供の頃のともすれば男の子と間違えてしまいそうな快活な印象とは真逆で。
よく日焼けしていたあの頃を微塵も感じさせない色白な女性になっていた。
それがどうしようもなく『他人』にしか思えなくて。
だからこそ、俺はようやく幼年期の終わりというものを自覚できた。
それは本来ならばずっと前に終わっていたはずなのに。
それでも中途半端に形を保っていたせいで、受け入れるのが随分と遅くなってしまった。
残骸が形として残っていたからこそ、今の今まで脱ぎ捨てることが出来なかった。
そんな遠い昔の物語。
忘れてしまうことが怖かった。向き合うことが怖かった。どこか他人事でいたかった。
すべてが終わり、最寄り駅の前。
俺は見るともなしに空を見上げている。
すると親父との雑談を切り上げて、叔父さんがこちらに近づいてきた。
手には一冊の冊子を持っている。
「これ、
特に君宛てのメッセージがある、ってわけでもないけれど。
そう苦笑いとともに付け加えられる。
ありがたく受け取り頁をめくるとふわりと女性の香りが漂った気がした。
そこにはあまり上手ではない字で、びっしりと文字が連ねられていた。
大半はただの落書きのようなもので、時折ヘンテコな絵が描いてあったりもしたが。
その中に『将来の夢』というものがあった。
味のあるイラストとともにそれらが紹介されている。
『宇宙飛行士になりたい』
『F1レーサーになりたい』
『格闘家になってみたい』
まとまりなく移り気で、なんなら書いた本人すら本気でなさそうな文言の数々が踊っている。
けれど、何故か俺はそれら一つ一つにかけがえのない煌めきを感じた気がした。
きっと茜色の空と葬式直後の非日常性が心をセンチメンタルにしているのだろう。
「ありがとうございます。大事にします」
ノートを閉じると、深く頭を下げて俺はそう告げた。
そのまま肩をポンポンと叩かれる。
それから何を告げるでもなく、叔父さんは手を上げて車に戻っていった。
「
叔父さんと親父は以前から連絡を取り合う仲だ。
親父なりのコネを使って真那に医者を紹介したこともある。
少し寂しそうにそうつぶやく親父に俺は声をかける。
「俺、墓参りにいくよ」
できれば毎年。
宇宙飛行士やF1レーサー、格闘家を目指して色々と勉強するのも良いかもしれない。
できるかどうかはわからないしできなくても構わない。
やるだけやってみる精神だ。
そんな俺を見て親父は驚いたように片眉をあげるが、続いて頬を綻ばせた。
「……そうか」
人はなにかの形を残しておかないと忘れてしまう生き物だ。
だから残されたものに背を押されているうちは俺なりに生きてみたい。