あれから一月歩いてきた。山は中腹の下辺りまで顔を出し、ようやっと折り返しを過ぎたのだなと私は息を吐いた。
水が尽きれば地下水をアーツで引き上げて補充し、感知した外敵は叩きのめした。其れ以外は只管に歩くだけだ。途中に偽沙蚕の巣があったが、遠くから爆破して終わらせた。毒を持つ奴に近づくべきでは無い。臭いしな。
錫杖がガシャンガシャンと五月蝿いのだが、其処でふと鳴らしかたが悪いのではと思ったのだ。記憶に有る彼の冒険家が鳴らす錫杖の音は、大層綺麗で聞き心地の良いモノであった。
打ち付ける力やら角度やらを試行錯誤しながら歩いていると、時偶シャランと流麗な音を奏でるのだ。私は其れをいたく気に入り、夢中になって鳴らし方を探ったものだ。足場の悪い砂地故安定させるのに苦労したものよ。
冒険家は此の音色にアーツを組み込んでいたようで、私の行使するアーツとも互換性が非常に高かった。意識してアーツを併用した時、その効力に驚いてオリジムシを踏み潰してしまった程だ。
シャランシャランと鳴らしながら歩みは快調に進む。気分が乗ると出る足が軽くなるものよ。
歩いていると突然視界が暗くなった。空を見上げると雲が太陽を遮っていた。珍しいことも有るものだ。此の大地において雲は殆ど見ることが出来ないと聞いているのだ。それも、一生に一度並みに。
何かの兆しか分からんが影に居るのは存外楽なものよ。
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雲を見てから一日経過した。空を見る度に砂塵の黄色は青へと透き通っていく。あれが空本来の色なのだろうが私はこの初めての現象に困惑しており、そのような事に気を掛ける暇が無かった。
風が止んでいる。砂が一粒として動くことがない。空を舞う砂塵によって遮られていた太陽光が、その熱を段々と上げていき容赦なく照りつけてくる。
日に焼けた砂は燃えるようにその色を紅く染め、ブーツの底からより一層熱が伝わってくる。太陽光と熱砂のサンドイッチで私の体力はガリガリ削られていた。此れは堪らないと見つけた岩場を背にして休息をとる。
反響からして多くの生物は地中深くに潜んでいるようだ。地中までは熱は通らないのだろう。あ、オリジムシが溶けてる。
この分だと日が落ちるまでは動けそうにないな。バッグから冷却装置を取り出して体を冷やすことにした。冷却装置といってもその役割はアーツの補助具だ。セーフハウスに居た時に、振動を抑制すると空気が冷えることを私は発見した。
かと言ってその空気を動かすには私はまだ練度不足であるし、自身にやったらそれこそとんでもない事になるしなった。故に其の空気を動かす装置を作って問題を解消した。冷却装置より送風機と呼んだ方が良いかもしれん。
冷えた空気が熱で火照った体を冷やしていく。序でに焼けた皮膚に火傷治しの軟膏も塗っておく。日焼けって放置すると結構危険らしいね。サバイバルブックに書いてた。
ひんやりとした岩の感触を楽しんでいると日が落ちて辺りが暗くなった。熱されていた砂はその熱を急激に奪われていき固まり縮こまっていく。普段の夜とは格段に冷えた風が吹く。初めての事ばかりだなと冷風に身を震わせて体を暖めた。
そろそろ歩こうと思えば反響が空より飛来する大量の何かを感知した。咄嗟に岩の窪みに身を潜めると、辺りに水滴の跳ねる音が聞こえた。一つや二つ、ではなく大量に。この枯れ果てた大地でだ。
ザーザーと降り注ぐ水はやがてドドドドとけたたましく音を上げて辺りを水浸しにしていく。
此れはそう、雨というやつだ。村に居た頃に中々くたばらねえ爺が、"此の大地には雨は一度も降ってない"とか言ってたが嘘じゃねえか。まあ良い機会だと服を脱ぎ捨てて体を雨風にさらけ出す。汗や砂埃が流されて爽快感がある、が寒い。凄い寒い。凍えそうだ。
馬鹿なことをしたと猛省し、振動を促進して熱風を作り出す。この送風機を暖房機に使うとは思わなかったな。
幸い岩の窪みは深く、雨に打たれる事はない。今日はもう大人しく栄養素の塊を齧って寝よう。
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Tips.焚き火
・主人公が休息をとる度に築かれた即興の適当な焚き火。繰り返す間に良く燃えて長続きする組み立て方を学んだ。当然、地面が濡れているとあまり燃えてくれない。
暖かな光は心身を癒し、外敵を遠ざける。命を繋ぐ大事なものの一つだ。だが彼は本来のおぞましい姿を未だ知らない。
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日が立ち昇りて大地を照らす。大地に点在する水溜まりが傾く日差しで輝きを放つ。此れもある意味幻想的と言えるのだろう。
踏み入れた足は体の重みで数cm沈んだ。ブーツはゴム製なので浸水する事はないが実に歩きにくい。足元を掬ってみればどろどろと川辺でしか見られない状態になっていた。粒が細かい故転ばないように注意せねば。
空全面に珍しい筈の雲が覆っている。日光もかなり遮られているらしく、辺りは薄暗く冷えている。灰色に染まった景色もまた乙なものだ。
快適とは言い難いが進めるのなら先へ行こう。違う景色を見ていれば気分も上がるだろうしな。
バッグを背負って……。
───少し重い?
まあ気分的な重みだろう。錫杖を一つ鳴らして……。
───ガシャン。
泥濘で上手く鳴らない。はあ、とため息をついた。気分が下がっていく。
バシャッバシャッ、ガシャンガシャンとのんびり歩いていく。山峰まであと少しだ。
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生物は水と光さえあれば何とかなるらしい。特に植物とかいう奇妙な生物は。八十年種子でいて一頻りの雨で発芽した事例もある。この世には環境に適応した生物のみが生き残ることは分かる。だが三日でこうもなるとは思わなかった。
恐らく雨の降った後であろう其処にはもさもさと草木が生い茂っていた。そう木が生えている。低木の類いなのだろうが三日で50cmはならんだろ。
草花もそうだ。水なんて昨日完全に干上がっているのに何故枯れていない。生命力が強すぎる。
不思議だな、妙だなと嘯きながら真っ直ぐ歩いていく。心なしか涼しい気がする。日差しで台無しだがな。
此処等の砂は湿っているのか風に吹かれていない。空は未だ青いままだ。あ、オリジムシがコケまみれで身動きしていない。苗床にされたのだろうか。
結局三刻程歩けば辺りは土から砂へと変わった。何か特別な条件でもあるのだろうが調べる気にもならない。そもそも知ったところで凄いな、ぐらいの感想しか出ないだろう。
そろそろ日も落ちるし焚き火の準備をしようとバッグを下ろして手を突っ込んだ。モコモコとした感触がする。はて、毛皮は捨てた筈だがと引き上げれば明らかにそれは生きていて、小さな犬っころであった。
バッグの重みはコイツだったのかと思い至り、そして何故三日も気づかなかったのか心底不思議に思う。こんな至近距離にいて私が気づかない訳がないのに。しかもコイツ口直し用の燻した肉片を全部食ってやがる。煙臭くて食えたものではなかったが、貴重な食糧だ。どうしてくれようか。
つぶらな瞳を見つめるとコイツは呑気にキュンと鳴いた。変な鳴き声だな。
まあ被害もそんなに無いし、襲ってくる様子もない。放っておけば良いだろう。着いてこないなら良し。着いてくるのも良し。どうだって構わん。
火を起こした後、その明かりを頼りに三日の出来事を書き留める。犬っころが鼻をふんふんとさせながら指を舐めてくる。鬱陶しいが無視だ無視。こういう手合いは構うと余計に喜ぶ、といつぞやの冒険家が言っていた。*1
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Tips.犬っころ
・犬。幻想種。嘗て此の大地が大森林であった頃に、繁栄を讃えんが為に人々が巨大な石を築いた。その守護者として置かれた狛犬の片割れ。割れた石に潜む主人公を餌と勘違いして近づいた。気に入ったらしい。片割れも密かに着いてきてる。毛皮は青と赤。角は生えたり生えなかったりする。どちらかが雄と雌ではなくどちらもが雄で雌だ。*2
彼ら彼女らは遥か太古より残留する意思そのもの。意思に縛られた彼ら彼女らは自由を謳歌する者に惹かれ、その束縛を自ら解き放った。役目を終えた者は気儘に生きるべきだろう。
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