山頂への道は非常に険しく、手を使わなければ登れない程の斜面すらある。一々仕舞うのも面倒故、錫杖はバッグにぶっ刺している。動く度にガチャガチャと懐かしい耳障りな音を立てるので少々苛立つが、問題は其処まで大きくない。
反響を捉えるのも錫杖が無い為に効果がガタ落ちしているが、私から半径10mは拾えている。此のような土地なら目視の方が確実だ。其れだけで十分であろう。あ、オリジムシが落ちた。
ほぼ崖のような斜面を登りきれば、比較的平坦な場所に出て、尚且つ風を防げそうな岩場がある。もう少しで日暮れ時だ。夜間の移動は転落の危険が付きまとう為、今日は此処で夜を明かそう。
バッグを下ろして焚き火の準備をしようとすれば、着火材の枯れ草が底をついていた。回収よりも消費が上回ったようだ。辺りに生えていないかと見渡す為、後ろを振り向くと何故か鳥野郎が其処に居た。しかも外した筈の鞍と轡を涎を垂らしながら咥えている。
どうやら着いてきたらしい。あんな急斜面を如何様にして登ったか検討も付かないが、好きに生きろと言ったのは私だ。私は其の発言に責任を持たなければいけない。好きに生きさせる義務がある。拒みはしないさ。
何も言わない私の横を通り過ぎて咥えていた物を地面に落とした後、バッグの傍らにグデーと寝そべった。やっぱコイツ知能低いな。多分。
***
Tips.鳥野郎
・跳鳥─ちょうどり─と呼ばれている駝鳥の一種(オリジナル)。乾燥した山岳地帯を主な生息圏とし、其の地において生態系の上位に位置する。山地に適応し過ぎてしまい、砂地の駆け方を忘れてしまった。慣れぬ内は肉体、精神共に疲弊することだろう。
驚異的な脚力と鋭利な爪でどんな斜面も登る事が出来る。熟練の狩り担当は音を立てずに移動出来るようだ。苦手な音域が存在し、其の音を前にすると体が硬直してしまう習性がある。
嘗て繁栄を極めた彼ら一族は今や侵略者の足代わりにされている。其の侮辱的な冒涜は、頂を駆ける者の誇りと尊厳を多大に傷付けた。此の煮えたぎるような怒りを、彼らは決して忘れたりはしないだろう。彼らを相手にするのならば笛の準備を怠ること無かれ。防衛手段は幾つ有っても足りはしない。
***
夜が明けた。遥か彼方の地平線より太陽が顔を出している。今宵は高所に居る故少々冷えた。凍えた鳥野郎と犬っころどもがすり寄って来たので、逆に暑苦しかったがな。まあ其れは良いのだが。
見上げれば雲は消え失せており、頂上が見えている。登って来た距離と頂上までの距離から察するに、中腹辺りに私は居るようだ。頂上までの道程を考えれば後二日はかかりそうだ。登山とは大変なものだ。
出立しようと荷物を纏めていると、上の方から小石が一つ転がってきた。此れが幾つも有ったのならば、よくある落石の一つだと気にも止めなかったかもしれない。だが、落ちてきた石は一つだ。其の不自然さは寝惚けていた鳥野郎が跳ね起きて、クエェェエ!! と甲高い鳴き声で警戒する程だ。
直ぐ様地を蹴り飛ばして其の反響を捉える。発生源を見つけ、次に自身が包囲されている事に気が付いた。崖下に四体、上の窪みに六体、左右に二体ずつだ。周囲から十四もの生命の鼓動が聞こえた。錫杖無しの精度故にもっと居るかもしれん。
鳥野郎の鳴き声でばれたと悟ったらしく、奴らは一挙に距離を詰めて私を完全に包囲した。各々が剣や槍で武装し、剣呑な雰囲気を醸し出している。全員鳥野郎と同じ種族の鳥に騎乗しており、片手で手綱を握る其の姿から相当な慣れを感じる。あ、鳥野郎の嘴からグギギと力のこもった音が聞こえる。苛立ってんなこりゃ。
「良いか! 今貴様は完全に包囲されている! 変な動き一つでもしてみろ。直ぐ様串刺しにしてやるから覚悟しろ! 今から貴様を引っ捕らえて、牢にぶちこんでやるから大人しくするんだな!」
「隊長。そんな賊、即刻斬首すべきです。入れる牢にも空きが無いですし」
「いや、奪われたままの跳鳥は三匹。彼処に一匹居るが他の所在が分からん。奴に吐かせるべきだ」
山岳民族の方々のようだ。気性からして穏やかではないな。しかし、賊か。先日襲ってきた彼の貧弱な奴らの事か。大方鳥野郎を奪って逃げたとかそんな感じだろう。妙な抗争に捲き込まれたものだ。
「おい貴様! 先ずは其の妙な杖を地面に置け! 良いか! ゆっくりだぞ!」
そんな命令聞くなと言わんばかりに鳥野郎がギャワギャワ騒ぎ立てる。安心しろ。こんな下賎な輩の言うことなんて聞くつもりなど毛頭無い。此の偉そうな単細胞どもをどうぶちのめしてやろうか。
「喧しい!」
隊長らしき女が何処かで見た気もする笛を取り出して一つ吹いた。耳鳴りのような不快でおぞましい音が脳を震わせる。笛の音が苦手なのか鳥野郎は苦悶の表情で身を震わせている。近くで聞いた鳥なんて毛が逆立って酷い有り様だ。
しかし鳴き声は上がらない。其の嘴は粗布で固く縛られ開くことが出来ないからだ。何と酷い所業か。
「おい貴様! 何をボサッとしている! ぶっ殺されたいのか!!」
イライラしてきたのか、こめかみに青筋を立ててすらいる。血の気の多い女だ。私の大嫌いな奴にそっくりだ。直ぐにキレて鬱陶しい事この上ない。
思わず、一つ大きくため息を吐いてしまった。
───短慮も短慮。汝の行為、全て浅はかなり
「何だと!?」
激昂する女。短気にも程がある。女は私が錫杖を少し持ち上げた事にすら気付いていないのだろう。他の奴らも同様にだ。何とも視界の狭い奴らだ。
───汝らは当方を速やかに打倒すべきであった。此の錫杖を当方が用いるまでにな
「ッ!? 何かマズイ!! お前ら奴を早く殺ッ……」
───失せよ。汝らは剰りにも醜い
シャランと流麗なる音色が告げる。アーツを伴うその波は鼓膜を通って脳を震わせた。咄嗟に耳を塞いだ女以外は五感の大部分を失っただろう。
大空の蒼きを見ることも
風塵の泣き声を聞くことも
太陽の冷酷さを感じることも
草木の苦汁を味わうことも
大地の乾きを嗅ぐことも
最早、決して叶う事はない
奴らが声にならぬ悲鳴を上げて暴れだす。奴らは既に果てしなき暗闇の中で動く感覚すら失い、踠き苦しみ虚空に金切り声を上げる肉人形でしかない。
嗚呼、一つ言い忘れていた。脳を破壊した音波は人間にしか作用しない。半径10mは私の領域だ。当然波を人間だけに作用させる程度の事など、私に出来ない筈がない。不用意に踏み込んだお前らが悪いからな。
異変を感じ取った鳥達が身を震わせて騎乗していた奴らを振り落として崖下に蹴り込んだ。肉の潰れる音が何度も聞こえる。
「此のッ、下等生物の分際でッ、調子に乗るなぁ!!」
振り落とされた女は背中を打ち付けながらも、其の懐からまたもや笛を取り出した。一つ吹けば周囲に居る鳥どもを鎮圧出来るだろう。だが、其のような愚行が鳥野郎を前にして許される筈がない。
鳥野郎が跳び出し、そして其の鋭利なる爪でもって女の腕を切り落とした。地面に落ちた手は笛を掴んでいる。鳥野郎は拾われるのは不都合とし、笛ごと手を崖下に蹴り飛ばした。
「ぎ、貴様ッ!! よくも私の腕を!!」
女は残された腕でサーベルを抜き放ち、怨みを晴らさんと振りかざした。しかし、其の斬撃は鳥野郎に到達すること無く私の錫杖に阻まれ、甲高い金属音を出して留まった。
───良いのか。汝らにとって大事なモノだろう。傷を負わせて良いのか
「貴様のような下劣で下賎な汚ならしい賊には、高潔で清剛な清廉たる私の考えなど理解できまい!」
───然様か。為れば潔く死ぬが良い
女の足を払って崖の方へ転がした。受け身をとろうとも其の震えた脳では難しかろう。しかし幸運な事に女は落ちなかった。ズボンの端が枯れ木に引っ掛かったのだ。上半身を崖にさらけ出しても落ちていなかった。
だが、其の延命は崖下に部下達の成れの果てを目にさせ、女を絶望の淵に叩き落とすことになった。一瞬の間に死ねばそんな思いをせずに済んだものよ。
「ヒッ……。い、嫌だ、死にたくない。頼む、助けてくれ……」
女は這い上がろうと必死に踠いている。しかし、生憎様此処は乾燥地帯の山岳だ。崖の表面は風化しており、脆く崩れやすい。女が手をかけた端から崩れ落ち、手に残るのは唯の土塊だ。どうにか体を起こそうと躍起になる内に爪が剥がれて落ちていった。今、此の憐れな女を支えているのはズボンを破く枯れ木だけに過ぎない。
───彼の冒涜者曰く、自らの不徳は必ず自らへ還るそうだ
「そんな話をしてどうすると言うのだ! 早く私を助けてくれ! 今にも落ちてしまいそうだ!!」
───汝は人命を軽んじた事が無いと申すのか
「そ、そんな事……無いに決まっているだろう!! 私は今日に至るまで正しく生きてきた。清廉潔白である私が、何故此のような目に遭わねばならんのだ!!」
少し詰まったな。腹芸は不得意と見える。動揺を隠すのが下手も下手、超下手だ。喋らない方が良いまで有るぞ。
まあ何にせよ隠し事をするぐらいの事は仕出かしたのは確実なことだ。生かすという生温い選択肢は無くなった。
───為れば此度の事象は汝の不運が招き入れたものだ。災難である。自らの不幸を嘆き、生を全うするが良い
「嫌だ!! こんな処で果てるのは嫌だぁ!! 私は、まだ、何も為せていないというのに!! 私はッ……騎士としてッ……」
余程死ぬのが嫌らしい。嗚咽混じりの叫びは酷く悲痛なものだ。
激しく踠いたのが決め手になったのだろう。女の命を繋いでいたズボンは縦一直線に破れ去った。私も鳥どもも何もせずに、落ち行く其れを只眺めていただけであった。
「あッ……」
此の世は無情である。何の前触れもなく無念のままに果てる事も有り得る。其れは其れは悲惨で無惨な死を遂げるだろう。後に悔いを残すかもしれない。彼の崖下で潰れた女のように。
───当方も何時か、報いを受けるのだろう。きっと何処かで、必ず。其の時まで生きるべきかな
一旦ではあるが脅威は去った。私の情報が奴らの根城に伝達されているかもしれない。聞いた限りではあるが何かが動くような音は無かったがしかし、此の世界にはアーツとか得体の知れない機械類が存在する。私の知り得ぬ手段が使われている場合もある。
いずれにせよ私には知覚出来ぬ代物だ。邪魔立てするというのなら押し通すのみよ。力押しでなんとかなる筈だ。
崖下から目を離して振り返れば、嘴を粗布に縛られた鳥どもが、粗布を取ろうと互いに突っついている。どう見ても外れそうに無いので、私がナイフで全員の粗布を裂いてやった。自由になった鳥どもが口々にクエェェエ! と歓喜の鳴き声を上げている。警戒する時と同じ鳴き声なのな。非常に五月蝿い。
幾分か待って漸く落ち着いたと思えば、岩影に集まって毛繕いを始めやがった。全体的に呑気な奴らだ。
鳥野郎はというと、私の背後でまた鞍と轡を咥えて涎を垂らしている。何時までやるつもりだと呆れてしまう。取って着け直してやった。何時かは乗って駆けてみたいものだ。
着け終えると鳥野郎はムフーと満足気な顔をした。何か腹立つな。そして鳥どもが集まっている処へ行き、毛繕いの手助けをし始めた。斯うして見ると鳥野郎は他の鳥より一回り体が大きい。古傷の多さから相当な場数を踏んでいる筈だ。ちょいと知能が低いが此の旅のパートナーとして期待できそうだ。犬っころ? ただ飯食らいに期待は出来んぞ。
此の先どの様に進むか考えよう。仲間想いの鳥野郎のことだ。必ず囚われている他の仲間を助けに行くだろう。そして敢えなく捕まるところまで想像できた。笛の音を聞いただけで行動不能になるのは、正直どうかと思う。
まあ、私が着いていって手伝えば良い話だ。言うなれば笛の音が届かなければ良いのだろう。振動を弄るなんて私の手にかかれば容易なことよ。てか私が一人で行って潰した方が手っ取り早い気がするが、其れをすれば十中八九鳥野郎は怒るだろうしな。止めておこう。
人間必死になれば大抵はどうとでもなると、彼の冒険家が言っていた。此の旅もそうであるよう願うばかりだ。